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69 真の勇者

 風が止まっていた。


 雲が硬直していた。


 空気がピンと張り詰め、あらゆる音が静止していた。


 一切の雑音がない。

 あるのは、おれとゲーリィのあいだにピンと張られた、痺れるような静寂だけだった。


「……本気か?」


 ゲーリィは言った。おれに勝ち目はなかった。


「冗談に見えるか?」


「スキルは切れ、剣も失ったんだぞ?」


「いのちは燃え尽きてねえ」


「……なんと強い男だ」


 ヤツは重い吐息でのどを詰まらすように言った。

 その体はおれに剣を向けたまま、微動だにせず、目だけがじわりと細くなった。


「どうした弱虫。おれの拳が怖えのか」


 おれは無意識にそう言っていた。

 理由はわからねえ。

 単に強がりだからか、それともヤツに親しみを感じているからか、あるいは格好つけてるだけかもしれねえ。


 むかしからケンカっ早い男だった。

 いつだって気に入らねえことがあると悪態ついて、殴るかツバ吐くかするようなヤツだった。


 だからこれがおれの自然体さ。

 たとえこのあと死が待っていようとも、すべてが終わってしまうとしても、最後にはそのままの自分が残ったんだ。


 ——どうだいゲーリィ。おれは強えだろ。これが本物の男ってんだぜ——


「……」


 ゲーリィは剣を構えた。

 右手を引き、左のつま先をまっすぐに向けた。

 ぽちゃんと水音の聞こえるような静かな動きだった。


 そして、ポツリと言った。


「……いくぞ」


 停止していた静寂が、いま、動き出す。


 ヤツの体が音速を超える。


 そのとき——!


「ホオオオオオーーッ!」


 背後からヒステリックな叫びが聞こえた。


「……ッ!」


 ゲーリィの足が止まり、おれは振り返った。


 巨大な炎が見えた。


 人間たちを覆う魔物の壁を火炎の大蛇が突き破り、うねり猛っていた。


「この炎は……!」


 おれはこいつを知っている。


 あの叫びの主を知っている。


 腰まで伸びるブロンドヘアーがきれいで、一見おしとやかだけどすぐに手が出るヒステリーで、辛いもん食って火ィ吐くとこなんかプルプル震えてバカみてえで、だけど、すげえ美人で、愛しくって、いつまでも触れていたくなる、しっとりやわらけえ手をしている、こころから大好きな女。


「カレーノ!」


 炎の奥に、そいつがいた。


 両手をガクガク震わせながら周囲に炎を撒き散らし、足早にこっちへ駆けてくる。


 そこに続く四人の人影!


「お、おめえらは!」


 巨漢が斧を振るっていた。

 全身傷だらけになりながら、仲間をかばうように戦い歩く、真の豪傑キンギー・ヨノフン!


 チビが駆け回り、魔物を翻弄していた。

 そのすばしっこい姿、韋駄天の異名を持つタイ・コモチ!


 女が男に肩を貸していた。

 美しい肌を(あけ)に染め、どんな猛者よりも力強いまなざしを放つミギニオ・ナージ!


 そしてその肩に担がれ、ぼろぼろの手足をだらりとさせながらも、決して消えない悪態まみれのツラ構えを地よりもお天道様へと向け続ける、われらがリーダー、オーティ・ブレイル!


「なにしてやがるクソ漏らし! ボロボロじゃねえか!」


 オーティが叫んだ。実に憎ったらしい顔をしていた。


「まったく、でけえ剣戟が聞こえなくなったからまさかと思ったが、やっぱそうじゃねえか! 負けやがってクソザコめ!」


 相変わらず口が悪かった。

 だがそれ以上に悪いのは、どう見ても致命傷を負っている全身の傷だった。


「お、おめえ……その体は!」


「見てわかんねえか! かすり傷だ!」


 ……んなわけねーだろ! はらわた見えてんじゃねーか!


 おれは唖然としちまった。あいつ、なんであんな深手でこっちに来るんだ!?


「あなたを助けるためよ!」


 ミギニオが血混じり声で叫んだ。


「オーティったら、あなたがピンチだからって、魔物の中を無理やり突っ切ろうとしたの!」


 な、なんだと!?


「バカよね! 無理って言っても聞かないんだから! カレーノが助けてくれなかったらみんなおしまいだったわ!」


 そ、そんな……おれのために、いのちを捨てて!?


「ホオオオオーーッ! べ、ベンレルーー! わらし、味覚もろったわはああアアアーーッ!」


 カレーノ! そうかい、そりゃあよかった!

 シリアスなとこでちーっとアホ臭えけど、おめえのおかげで全滅せずに済んだんだな!


 でも、オーティは……!


「けっ、てめえの足で歩けねえたァ情けねえ!」


 いやいや、むしろ生きてるのが不思議なくれえなんだが……


「はあ、まったくよお……」


 オーティはおれの前までたどり着き、ため息でも吐くみてえに言った。

 カレーノは後方に炎を吐き散らし、さらに追加でとうがらしをほおばって、


「ほああーー! しららほわれふーー!(舌が壊れるーー!)」


 と絶叫し、魔物が近寄れねえようにしていた。


 四人が横一列に立ち並び、おれの目を見据えた。


 おれは傷だらけのヤツらを見回し、とくにオーティの惨状がぐさりと刺さり、胸から青くなった。


 オーティは腸がこぼれねえよう腹を押さえながら言った。


「クソ切れだろ? 持ってきてやったぜ」


 その顔はニヤリと笑っていた。

 おれはガクガク震えていた。


「おめえ……だけど、おめえ……」


「言ったじゃねえか。全員死ぬ覚悟で戦えって」


「だけどおめえ……安全なとこでゆっくりしてるって……」


「バカかてめえは。おれァ勇者だぜ。オーティ勇者団のリーダーだぜ。目の前に世界を救う手立てがあるってのに、黙って突っ立ってるわけがねえだろ、バーカ」


 おめえ……おめえ……!


「おいどんのうんこは量が多いでごわすよ」


 キンギー……!


「おいらのはコーンたっぷりでやんす」


 タイ……!


「こんな美人のウンチできるんだから感謝しなさい」


 ミギニオ……!


「クソの宅急便、いっちょ上がりだぜ!」


 オーティ……!!!


 おれは泣いていた。

 拳をぎゅっと握り、目の奥から流れる熱いものをそのままに、声も出せずにいた。


「さあ! 早くクソを吸収しろ! 死んだらスキルの範囲外になるかもしれねえ! てめえは死体からクソを吸収できんのか!?」


 ………………わかった!


「オート・スキル発動! ”うんこ吸収チャージ・ザ・ダークネス”!」


 ——ドックン! ドドドオオッ!


「うっ!」


 おれの腹にドスンと重いものがぶちこまれた。

 なにせ四人分一気にだ。

 あまりの衝撃で腹がぶっつぁけるかと思うほど大量だった。


「……よし、行ったな」


 オーティは途端にがっくりとうなだれた。


「オーティ!」


 おれたちは悲壮の声をかけた。

 だが!


「ばっきゃろー……まだ死なねーよ」


 オーティは顔を上げた!

 オーティは歯を剥き出しにして笑った!

 オーティの目がまっすぐにおれを見上げた!


「おら、早くクソ漏らせよ。そんで勝てや。おれァ、てめえがクソ魔族ぶっ殺して、魔王ぶちのめして、世界が平和になるのをこの目で見るまで死ねねえんだよ」


「お……オーティ……!」


 おめえ……なんてやろうだ! なんてやろうだよ!


「さあ、漏らすでごわす」


「思いっきり出すでやんすよ」


「あたしたちの見てる前でね」


 おめえら……おめえら……!


「おら、漏らせ! クソぶち撒けろ! てめえの真のパワーを見せやがれ!」


「うおおおおおーーーーッ!」


 トリガー・スキル発動! ”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”ーーーーッ!


 ——ドッバアアーーーーッ! ブリリブリドボボボドババドッゴオオーーッ!


 一瞬、すさまじい熱が肛門を襲った。


 それは、切れ痔の痛みなんかじゃねえ。


 炎だ。


 四人の仲間から受け取った魂の炎が、熱となってクソに宿り、肛門を燃え上がらせたんだ。


 そしておれは輝いた!


 太陽の光にも負けないほどの激しい輝きが全身から湧き上がり、辺りを虹色に染めた!


 全身にみなぎる力はこれまで体験したどんなパワーをも超えていた!


 キンギーが、タイが、ミギニオがまばゆさに目を覆う中、オーティはきらきらした瞳でニヤリと笑い、言った。


「けっ……相変わらず、汚ったねえやろうだぜ……」


 そして、崩れ落ちた。


「オーティ!」


 ミギニオが倒れた上半身を起こし、後頭部を支えた。


 笑っていた。


 目をつぶり、口から血を流し、だがその口角はいかにも勝利を確信したと言わんばかりにニヤついていた。


 みんながオーティの名を呼ぶ中、ミギニオは無言でひしと抱きしめ、そして顔を上げた。


 オーティの顔をおれに向け、崩れそうな笑顔で言った。


「見てるわ……オーティは見てる……」


 震え声だが、なにかを信じる強さがあった。


「あなたが勝つところを見てる……世界が平和になるところを見てる……だから、見せてあげて……オーティに、あたしたちオーティ勇者団が、誇り高い真の勇者だってところを……」


「…………おう!」


 おれは腹から応えた。


 魂で応えた。


 誇りを賭け、いのちに賭け、全身全霊で応えた。


 炎のような涙を胸に、目の前の勇者に言った。


「見てろオーティ! おれが世界を救うから! それまでぜってえ、目を逸らすんじゃねえぜ!」

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