65 ひとはそれを奇跡と呼ぶ
戦況が一気に変わった。
泥汚れたちの参戦により、おれたちは大いに勢いづいた。
「このまま一気に魔王城まで行ってやろうぜーー!」
そんな声がそこらじゅうから聞こえる。
声に力がある。
さっきまでは死んでいた。
もう終わりだと悲壮に包まれ、最後のあがきをしていた。
けど、いまは違う。
増援により人類は実態を伴う希望を手にした。
泥汚れたちは盾となり、矛となり、血みどろの勇気をくれた。
おかげで体もわずかに休めた。
心身ともに力が湧いた。
なにより、こころに火が灯った。
「ベンデル! 奇跡が起きたぞ!」
女王さんが馬で駆け込み、気力たっぷりの笑顔で言った。
「しかしなぜ魔物が味方に!?」
「そりゃあ魂の友だからよ!」
おれはこいつらがかつてヴィチグンに操られていた魔物で、おれの想いにいま応えていると教えてやった。
すると、
「なんと……! あの日、天が下したさだめが今日この日に続いていたとは!」
「しかも数だって増えてるぜ! あんときゃ三万匹しかいなかったのに、いま来てるのは十万以上だ! きっと仲間に声かけて集めてくれたんだろうよ!」
「ああ! 想いの力はなんと強いことか! これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶ!」
なにやら難しい言葉を並べてやがるが、とにかくよろこんでやがった。
へへっ、わかるぜ! おれだって大感激なんだ!
なにがって、うれしいじゃねーか。
こいつらただ単に助けに来たんじゃねえ。想いに対して想いを返してくれてんだ。
しかもてめえらが死ぬこともかえりみねえでよ。
そう簡単にできることじゃねえ。本気じゃなきゃできねえ。
その気持ちがうれしいのよ。
「よーし、おれもがんばっちゃるぜえーー!」
おれは前にも増して敵を蹴散らした。
この勢いに乗ってどんどん進みたかった。
こんな奇跡はそう起こらねえ。
もし次コケたら、それこそ終わりだろう。
だからこそ全力で行く。
二度とないチャンスを確実にものにする。
そのために、おれは戦う!
「うおおおおおーーッ!」
おれは吠えた。
ナーガス軍も吠えた。
泥汚れたちも鳴き声を上げた。
全員がひとつの気持ちで突き進んだ。
最初は気後れしていた人類も、すぐに泥汚れたちが仲間だとわかり、肩を並べてともに剣を振るった。
不思議なもんだぜ。
言葉はわからねえのに、顔と顔合わせりゃわかり合うんだ。
兵士がピンチのときは泥汚れが助けに入り、泥汚れが危ういときには人間が守りに行き、ほんのわずかの時間で人魔は歴戦の友のような絆を得ていた。
行ける。この戦い、勝てる!
奇跡のときからおよそ一時間。
魔王城が間近に迫った。
それまで小さくしか見えなかった城が、存在を実感するほどまで大きくなった。
おそらくもう一時間も進めば到着するだろう。
希望は現実になりつつあった。
ナーガス軍の死傷率も大幅に減ったし、泥汚れは生身で死にやすいとはいえ、まだ大半が生き残っている。
ただひとつ、心配なのはおれの肛門だ。
「うっ……!」
「どうしたのベンデル!」
おれはあるとき、スキルが切れた状態でクソを漏らした。
したらビリッと痛みが走りやがった。
「大丈夫だ、カレーノ。ちっと痛んだだけだ」
「でも……かなり痛そうだったわ」
ああ、痛かったぜ。おそらく切れたんだろう。
おれの肛門はほんの数時間のあいだに無数のクソを漏らしている。
クソを漏らしたあとは”無敵うんこ漏らし”で敵の攻撃を無効化するが、てめえの攻撃は無効化しねえ。
考えてもみてくれ。一日になんどもクソをして無事に済むと思うか?
二回や三回じゃねえ。百回や千回だぜ?
しかもスキルで強化された馬力でだ。
これまでは無敵だったから痛みを感じなかったけど、実際はかなりのダメージを負っていた。
おれは最低でもあと一時間はクソを漏らし続けなきゃならねえ。
(持ってくれ……おれの肛門!)
果たしておれは最後までクソを出し切れるのだろうか。
たとえやり切ったとしても、おれの肛門は大丈夫なのだろうか。
一抹の不安を覚えた。
あんまり傷つけねえよう、なるべく穏やかにクソを漏らそう——そんなことを、ひとり決意した。
だがそれは一瞬で忘れ去ることになった。
「ふははははは!」
突如、空から笑い声がこだました。
ナーガス兵はざわざわと騒ぎ、空を見上げた。
魔王城の上空、青く澄み渡った空に雲が集まっていく。
「おい! あれは!」
雲はじわじわとかたちを作った。
それは人間の上半身となり、顔のかたちが細かに描かれ、そして暗雲となって黒く浮かんだ。
「魔王!」
「ふははははは! おもしろいことがあるものだな!」
そう、魔王だ。
ヤツは開幕とおなじく雲に姿を映し、はるか頭上からナメた態度を見せつけていた。
「まさか魔物がきさまら人間の味方をするとはな! おれ様もまったく予想できなかったぞ!」
けっ、そーかい! てめえみてえに人間ぶっ殺すことしか考えてねえクソやろうには想像できねーだろうよ!
こっちにゃ友情ってもんがあんだ!
「それよりベンデル・キーヌクト! きさまの能力がわかったぞ!」
「なに!?」
突然なに言いやがんだ!? おれの能力がわかっただと!?
「どうやらきさまは他の人間のクソを受け取ることができるようだな!」
「えっ!?」
な、なんでバレた!?
「理屈を説明してやろう! きさまはなんどもスキルを発動している! クソを漏らすことがトリガーなら、使えてせいぜいいちどか二度だ! それがどうしてそんなに使える!?」
くそ……どうやってんのか知らねえが見ていたのか! この覗きやろうめ!
「答えは簡単、なんらかの方法でクソをチャージしているからだ! となれば、仲間からもらっていると見て間違いないだろう!」
そ、その通りだ! でもなんでわかったんだ?
「そうだろう! でなければほかの人間を連れてくる理由がない! 無敵がひとりいればいいのに、無駄に死人を出す意味がない! つまり、きさまがクソを漏らすのにはクソを与える仲間が必要だったというわけだ!」
ぴ……ピンポン大正解だぜ!
「しかし見たところ人類最後の軍だろう! これだけの人数が単なるいち戦闘で集まるとは思えんからな!」
うっ……! そこまでわかっちまうのか!
「ふははははは! その顔、どうやら図星のようだな! いやはや、なんと愉快なことだ! 人間が苦しむ顔はたのしい! 人間が悔しがる姿は実にたのしい!」
このやろう! 性格悪ィぞ!
「だが、これからもっとたのしくなる!」
なんだと!?
「なにせこれから人類最後の希望が潰えるところが見られるのだからなあ!」
ど、どーゆーことだ! いったいなにをするつもりだ!
「フフフ……せっかくだから教えてやろう! もう知ってるかもしれんが、おれ様には魔物を操る能力がある!」
——あっ!
「この赤い瞳を輝かせれば、どんなに戦いたくない魔物でも、自由に動かすことができる!」
ああっ!
「わかるだろう、この意味が!」
そうだ! ヤツは魔物を操れる!
いまおれたちの前で魔物と戦ってくれている泥汚れたちも、ヤツの気分ひとつでケダモノに変わってしまう!
「ふははははは! どうやら理解したようだな!」
おれたち人類は絶望に打ちひしがれた。
こんどこそ終わりだ。
いま泥汚れが敵になれば余裕がなくなる。
数や体力だけじゃねえ、気持ちの問題だ。
やっと希望を手にしたってのに、それをひっくり返されりゃ、こころがもろく砕けてダメになる。
というかすでにみんな絶望していた。
そこらじゅうからうめき声あえぎ声が聞こえ、崩れ落ちるヤツまでいた。
限界ギリギリまで酷使していた肉体が、溜まっていた疲労を直で受け取り、ぎしぎしと悲鳴を上げた。
泥汚れの参入から、陣は不定形になって、穴だらけだった。
そこに、敵味方の逆転が起こるんだ。
「おお、なんと愉快な顔だ! 希望が絶望に変わっていく! 笑顔が崩れ悲しみに染まっていく! 苦痛に満ちてゆく! すべてが砕けていく!」
ヤツの笑いがこだました。
もはや人類は言葉を失い、呆然とした。
動いているのは戦闘を続ける泥汚れだけだった。
嘆きの声が満ちる中、カレーノがふわりと言った。
「ねえ、ベンデル……」
「……なんだ?」
「わたし、最後に気持ちを伝えられてよかった」
「カレーノ……」
「最後にあなたといっしょにいられて本当によかった……」
「なに言ってやがる……なにいってやがんだよ…………」
カレーノは暗い笑顔をしていた。
目尻から細い涙が伝っていた。
おれは笑顔を返すことができず、ただ拳を握った。
「ふははははは! ではそろそろ見せてもらおうか! 希望が死ぬところを! 人類の終わりを!」
魔王が高らかに言った。
そして、
「さあ魔物どもよ! 人間どもを殺せええーーーーッ!」
暗雲の瞳がギラリと赤く輝いた。
一瞬、泥汚れたちの肩がビクリと跳ねた。
ヤツの力が正義を悪に変えた。
「ちくしょう! おれは負けねえ!」
おれはなだれ込んでくるであろう魔物に備え、カレーノの前に立った。
たとえ希望がなくとも、おれは最後まで戦う!
すべてのクソが尽きるとも、この四肢と剣がある限りおれは負けない!
さあ来いクソども! おれがすべて打ち払ってやる!
さあ!
さあ!
…………さあ?
「……襲ってこないわね?」
「……ああ」
泥汚れは逆転しなかった。
魔王の瞳が輝いたにもかかわらず、いまだ魔王側に牙を剥いていた。
この事態にナーガスの全軍がポカンと拍子抜けしていた。
そして魔王も疑問に思っていた。
「なぜだ! なぜ言うことを聞かん!」
てめえがわかんねえんじゃ、だれもわかんねえだろうなあ。
……しかし、いったいなぜ?
——そこに、
「ワオーーーーン!」
突如、犬の遠吠えが響き渡った。
「犬?」
なんだ? ずいぶんと印象的な鳴き声だ。
この声はどうしてこんなに響くんだ?
この魔物の轟きがあふれる中、なぜこんなにも明瞭に、力強く届くんだ?
どこかで聞き覚えのある声だが……
「ベンデル! あれ!」
カレーノが南方を指差し叫んだ。
目を見開いて、ややヒステリックが混じった絶叫に近い声だった。
おれはすかさず振り返り、そいつを見た。
そして、
「お、おめえは!」
驚愕の声を上げた。
それは奇跡だった。
全身影のように真っ黒で、狼のようなフォルムの魔物、ブラック・ドッグが駆けてくる。
人混みを縫い、高速で近づいてくる。
そして、背中に女が乗っている。
白いドレスを着ている。
青い肌をしている。
可憐な容貌をして、しかしまなじり強く、赤い瞳を輝かせている。
おめえは……おめえは…………!
「キレジィ!」
そんな、ありえねえ!
だってあいつは死んだはずだ!
あの日ゲーリィの刃からおれを守って、土の下で眠っているはずだ!
なのにどうして!?
——と思ったのも束の間、
「えっ?」
まばたきをした瞬間キレジィが消えた。
クロがおれたちの傍まで来たとき、そこにはだれもいなかった。
間違いなくあいつが乗っていたと思ったのに、まさか幻だったのか?
極限の状況が、おれの目に幻影を見せたのか?
いや、そうじゃねえ。
「い、いま……キレジィちゃんが……」
カレーノが不思議そうにクロの背中を見つめた。
こいつもキレジィを見ていた。
そしてオーティも、
「なあ……いまおれ、そいつの背中に女が乗ってるように見えたんだが……」
ミギニオも、
「魔王みたいに青い肌で、目が赤く光ってたわ」
さらには女王さんまで駆け込んで、
「おい、ベンデル! いまクロとともにキレジィが来なかったか!?」
と血相を変えて言った。
おれだけじゃなかった。
みんなが目にしていた。
「……いるのか?」
声が震えた。
目の奥から熱いものがじわりと込み上げ、のど奥に落ちた。
幻なんかじゃねえ……間違いなくそこにいた!
「……いるんだな!? おめえ、そこにいるんだな!?」
どおっと涙があふれた。
肩が震え、果てしない感情が湧きあがった。
おれはオカルトなんて信じちゃいねえし、幽霊も見たことねえ。
だがもし人間に魂というものがあるのなら、おれたちが見たのは紛れもなくキレジィだ。
いのちを失い、肉体を失い、もはや存在しねえはずなのに、あいつはいま、ここにいる!
「来てくれたんだな! いっしょに戦うために!」
「そうか! そういうことか!」
女王さんがハッと涙を流し、ぐにゃぐにゃの声で言った。
「きさまが魔物を操る力で対抗したのだな! だから魔王の力が届かんのだな! そうなんだな!」
気丈なはずの女王さんが顔をくしゃくしゃにした。
そしてカレーノもボロボロに泣き、
「キレジィちゃん! キレジィちゃん!」
クロの背中にしがみつき、涙声で叫んだ。
「幻じゃないのね! そこにいるのね! わたしたちを助けてくれたのね!」
ああ、そうだ。キレジィが助けてくれたんだ。
あいつの想いが魔を打ち払ったんだ。
まったく、なんてやろうだ。
生前もずーっとだれかのためにばっかりだったのに、死んだあともこれかよ。
どこまでやさしいんだっつーの。
ホント……ありがとう。ありがとうよォ……
おめえのおかげで、おれたちは前に進めるぜ。
本当に……ありがとうよ……




