62 なごり歌
オンジー・カネヒトツは、あるひとつの人生観に囚われている。
「なにをやっても、どうせうまくいかない」
彼は孤独だった。
幼少のころ母親を亡くし、父はいつも酒ばかり飲んで、ろくに相手にされなかった。
つまらない毎日を送り、そんな中で手に入れた”流し”という目標も、聞くに堪えない歌声のせいであきらめるしかなかった。
そんな絶望からトリガー・スキル”音痴衝撃波”に目覚め、勇者としての道を歩むも、やりたい仕事ではなかった。
戦いは好きではない。
自分は音楽を奏で、あたたかな笑顔に囲まれて暮らしたい。
そんな願いを持ちつつも、彼は施設で戦闘訓練を受けさせられた。
スキルは望んで手に入るものではない。
戦士ならだれもが欲しがるものだし、戦果も生存率も格段に上がる。
悪い気はしなかった。
特別な才能を持ったという優越感があったし、周囲も羨望の眼差しを向けた。
ただ、こころは一本道ではなかった。
数え十五歳のころから彼は実戦に出た。
するとベテラン以上の実力を見せ、一年足らずで勇者団のリーダーを務めるようになった。
しかし、作戦が悪い。
彼のやり方はいいかげんだった。
魔物の集団を討伐するとき、いつも強引にいった。
本来なら状況を把握し、作戦を練り、仲間の安全を第一に考えた攻め方をしなければならない。
だが彼はろくに考えもせず、思いついたまますぐに動いてしまう。
なまじスキルがあるせいで思考がおろそかになってしまう。
それに、こころのどこかで「どうせ流しをやれないんだ」というやさぐれがあった。
そんなことだから仲間が離れていった。
結果は出しても評判は下がる一方だった。
彼は街に居づらくなり、別の街で勇者をやった。
そこでもスキルのおかげで結果を出し、再びリーダーとなって、おなじ理由で仲間が離れた。
そしてまた街を移動し、移動し、また移動し——と、なんども放浪を繰り返した。
やがてオーンスイの街に留まることになるが、ここでも仲間にはよく思われなかった。
ただ、オーンスイ勇者は比較的いいかげんで、どうせリーダーがスキルでやっつけてくれるからいいだろうぐらいの気持ちでいたから、パーティに残ってくれていた。
しかし、こころは伴わない。
一種の道具として扱われていた。
それも、ひどくメンドウな。
彼も仲間の言い分がわからないわけではない。
それなりに和を保とうと努力はしている。
だが人間というものは、思った通りに動けるわけではない。
うまくいかない。
感情が制御できない。
元からそういう人間だったのか、いつからかこうなってしまったのか、もはや判断のしようがない。
いつだって孤独だった。
いつだって思い通りにならなかった。
だからこうしてドラゴンを引きつける作戦が明らかに失敗だとわかっても、どうせいつものことだと妙に達観していた。
(やっぱりおれは、なにをやってもうまくいかないな)
騎馬は森を駆けていた。
彼はナーガスからボトンベンへの道中、地図を見て東に森があることを知っていた。
しかし、樹々が薄い。
一本一本の間隔がかなり広く、上空から身を隠す効力は一切ない。
彼の想像は、オーンスイ近隣にあるような生い茂った森であった。
”森”という情報を見ただけで勝手におなじものを想像し、空想上の作戦にいのちを捨ててしまった。
上空をドラゴンが飛んでいる。
いまのところ衝撃波での落雷阻止はうまくいっている。
だが、いつまでも声は持たない。
なんども繰り返される攻撃に大声で歌い返すうちに、のどがガラガラになりつつある。
「ごおおおおおっ!」
♪——森の〜〜! お茶会〜〜!
上空の鳴き声に合わせ、彼は歌った。
衝撃波で殴り、雷を横に撃たせた。
しかし今回の声はかなりかすれていた。
それにもうふつうに話すこともできないほど、のどが痛み、熱を持っていた。
触れると、腫れているのがわかる。
(ああ、そんな……おれは……)
彼は死を恐れた。
無駄死にが怖かった。
死ぬことは覚悟している。
大汗をかくほどの恐怖はあるが、決めたことである。
だが、ただ死ぬのはいやだ。
これまでなにもできなかった。
四十年近い人生で、ひとつも満足できることがなかった。
せめて最後に役に立ちたい。
自分は仲間たちのために戦い、魔王討伐の大きな要になったという誇りを持って死にたい。
だが、いま死ねば意味を成さない。
戦地を離れて馬を駆ること一時間。
多少の時間稼ぎはできたが、相手の飛行能力を考えれば、きっと十分足らずで元の場所に帰れるだろう。
馬の体力も危うい。
身を隠せねば、まず、いのちはない。
(おれの人生はなんだったんだ!)
このときが彼の戦いだった。
この一瞬一瞬が世界を救えるかの瀬戸際であり、そしてそれ以上に、いのちの意味を問うときであった。
「ごおおおっ!」
ドラゴンが鳴いた。
鼻先がオンジーに向いた。
それに合わせて再び音痴の叫びを上げようと、のどに力を入れた。
——が!
「かはっ!」
声が出なかった。
のどが潰れていた。
全身が氷のような汗で冷え、思考が吹き飛んだ。
次の瞬間、
——ドカアッ!
雷鳴がうなった。
大量の火薬が爆発するような衝撃が襲った。
しかし、直撃ではない。
すぐ傍にあった木が雷を吸い取り、逸らせてくれた。
とはいえ、手を伸ばせば届く距離のこと。
オンジーは馬もろとも吹っ飛んだ。
樹に打ちつけられ、重く鈍い痛みにかすれ声を上げた。
「ごおおおおおっ!」
ドラゴンは激しい鳴き声を上げ、急降下した。
そして巨体を大地に降ろし、ズシンと空気まで振動させた。
「う、う……」
オンジーは樹の肌にもたれ、震える体を立ち上がらせた。
わずか十歩のところに、見上げねば顔も見えないようなバケモノが首をしならせうなっている。
「ぎょおっ! ぎょおっ!」
それは単なる鳴き声か。
しかし、それにしては、あまりに悪意を感じる。
おそらく笑っているのだろう。
このバカでかい冷血生物に感情というものがあるのなら、間違いなく笑っている。
(くそ…………っ)
オンジーはチラリと馬を見た。
馬は樹にぶつからず、倒れ、もだえていた。
そこに、
「ごおおおっ!」
ドカンと雷が吐かれた。
馬の肉体は二、三の肉塊となってはじけ、真っ黒な焼け目から血潮が散った。
オンジーのこころは青く染まり、もはや機能しなくなった。
ドラゴンが彼を見つめた。
ズシン、ズシン、と脚を前に進めた。
オンジーはへたり込んだ。
樹を背にして滑り落ち、両足をだらんと伸ばして座った。
全身の力が抜け、廃人のようになった。
「………………お……きな……」
彼ののどからかすれ声がした。
「まち……の……」
聞こえるか聞こえないかほどの、わずかな声量だった。
「ちい……な……ぺっ……ぱ……」
よく聞けばリズムがあった。
歌だった。
意識はおぼろげで、目はもうどこも向いていない。
目の前にドラゴンがいることなど忘れたかのように朦朧としている。
そんな状態で、彼は歌っていた。
それは彼の一番好きな歌だった。
かつて幼いころ、なんども流しにリクエストし、いつか自分もたのしく歌いたいとずっと願っていた思い出の歌だった。
彼は涙を流しながら、ケーケーとかすれた声で、ほとんど聞き取れない歌を歌った。
♪——大きな街の、小さなペッパ。
体はとっても小さいけれど、どんなときでも逃げないぞ。
勇気は一番大きくて、どんな悪にも立ち向かう。
正義の味方、小さなペッパ。
みんなの味方、小さなペッパ。
——ズシン、ズシン。
ドラゴンが迫ってくる。
「…………ゆ……きは……いち……ばん……お……きく……て……」
——ズシン、ズシン。
「どん……な……あく、に……も……たち……む……かう……」
——ズシン、ズシン、ズシン!
「ごおおおおおっ!」
ドラゴンが目の前で鳴いた。
頭を彼の真正面まで伸ばし、大きく口を開いた。
「せ……ぎの……みか……た……ち……さな……ぺぱ……」
オンジーの涙がどっとあふれた。
もうどうしようもなかった。
彼は歌の主人公のようにはなれなかった。
ドラゴンののど奥がバチッと青白く光った。
体内で雷を生み、いままさに吐き出そうとしていた。
次の瞬間——
「ぎょっ!」
ずるりっ——とドラゴンの頭が落ちた。
蛇のような首が途中で途切れ、その切れ間から稲妻が空へと放たれた。
「……かはっ!?」
オンジーは突然のできごとに意識を取り戻し、その不可思議な事態を凝視した。
(いったいなにが……!?)
「ぎょおっ、ぎょおっ」
彼の目の前で、落ちた首がうなった。
オンジーに飛びかかる勢いで大口を開け、牙を剥いた。
そこに、影が疾った。
何者かの影がドラゴンの頭上を横切り、真っ二つに切り裂いた
それはおそろしく俊敏で、実態を捉えることはできなかった。
ただ、ふたつだけわかったことがある。
ひとつは、謎の物体がオンジーを助けたということ。
そしてもうひとつは、そいつが止まることなく北西——すなわちカーミギレ城の方角へと去っていったことであった。