58 黎明前夜
最後の夜が来た。
おれたちオーンスイ勇者はひとつの焚き火を囲い、メシを食い、酒を飲んでいた。
「とうとう明日か」
おれの左隣でオンジーが、酒をちびりと飲み、言った。
「騎兵隊の調査だと、やはり魔王城の周りは見渡す限りの魔物で埋め尽くされているらしい」
「らしいな」
おれの右隣のオーティが、ごくごくと酒を飲んだ。
深刻そうなオンジーと違い、のん気な声だった。
「ま、元々そういうつもりだったんだ。いまさらビビってもしょうがねえ。気楽に行こうぜ」
「君はそう簡単に言うがな」
「簡単さ。クソ漏らしが気張ってくれりゃいいんだ。そうだろ?」
そう言ってオーティはおれの背中を叩いた。
強気なオーティらしい振る舞いだ。
そしてこいつは弱気が直接弱さになることを知っている。
おれはそのことを、こいつを見て知ったんだ。
だが、おれは落ち込んでいた。
「まあ、やってやるさ」
われながらハッキリしねえ声だ。ため息みてえにしょぼくれてやがる。
「なんだてめえ、自信ねえのか」
「いや、そうじゃねえ」
自信はある。断言できるわけじゃねえが、おれのスキルの組み合わせは奇跡だ。
クソを漏らすと無敵になる能力と、なんどもクソを漏らせるようになる能力。
これらを同時に併せ持つなんて、神が世界を救えと言っているようにしか思えねえ。
おそらくおれは魔王を倒すだろう。
理屈でも、自信でもねえ、天のさだめがここにある——そう感じている。
でも、いまのおれはそんなことどーでもいいほど沈んでいた。
世界がどうなろうが、いまおれが抱えている苦しみに比べれば些細なものだった。
おれはちらりとカレーノに視線を向けた。
相変わらず暗い目をしている。
まるで生気の抜けた人形が、仕方なしにメシを食っているように、ちょぼちょぼとパンをつついている。
その目は、どこも見ていない。
——はあ……
苦しい。
悲しい。
寂しい。
もう別に好きになってくれなんて思わねえ。
ただ、笑顔が見たい。
いつもみてえにハキハキして、ヒステリック起こしておれをぶっ叩くあいつが見たい。
あいつの……あいつの……明るい声が聞きたい。
「おい、クソ漏らし。顔上げろ」
オーティはおれの肩をつかみ、周囲を見回し、
「すげえ人数だな。たしか二十万人いるんだって?」
「ああ、そう言ってたな」
おれは首うしろをつままれた子猫みてえに言われるがまま周りを見た。
人類の戦力すべてを集結したナーガス軍の夜営はどこまでも続いていた。
「てめえはこの巨大な軍団の先頭を走るんだぜ。そんなんでどうする」
「わかってるさ」
おれはぐびりと酒を飲んだ。逃げの酒だった。
「いや、わかってねえ」
オーティはおれの左肩をぐいっと引き寄せ、耳元で小声で言った。
「二十万を率いようって男がひとりの女にクヨクヨしてんじゃねえよ」
「……!」
おれはカーッと赤くなり、オーティに振り返った。
このやろう、なんでわかんだ!?
「おれはリーダーだぜ。仲間の顔色くれえ読めねえでリーダーが務まっかよ」
そう言ってやろうはニカッと笑った。
こ、こいつ……言ってくれるぜ。
「女なんていくらでもいるぜ。それにいいじゃねえか。あんな美人の女王さんがいるんだしよ」
……そこまで見抜いてやがったか。すげえヤツだ。
そうなんだ。こいつはメシの前、最後の作戦会議でおれの隣にいたんだ。
おれと女王さん、そして各地各国のリーダーが集まる中、おれはクソ漏らしのリーダーだっつって、演説する女王さんとおれのすぐ傍に立ってたんだ。
そこでこいつはズカズカ口を出した。
「たった一日で攻略だって?」
女王さんの突撃作戦に対し、こいつは出鼻をくじく言葉を平気で言った。
「おいおい、女王だかなんだか知らねえが無知にもほどがあるぜ。戦史も読んだことねえのかよ。二十万って軍勢は、ふつう数ヶ月、下手すりゃ数年かけて戦う人数だぜ。それをたった一日で突き進もうってのかよ」
その口汚い言い方に対し、女王さんはギラリと目を光らせ、こう答えた。
「バカはきさまだ。魔物は魔王の力により、疲れ知らずで戦い続ける。おそらく我々は夜寝ることさえ許されんだろう。だから一日で片づける。それができれば人類の勝利、できなければ終わりだ」
「へっ、そううまくいくかい?」
「ああ、いくさ」
女王さんはやわらかく笑った。
そして、ふわりとおれの肩に触れ、
「わたしはベンデルを信じている。ベンデルならきっとやってくれる。だから心配ないし、なにも怖くない」
そのとき女王さんの瞳が潤んでいた。
おれはそこに深い感情を読み取っていた。
そしてこいつもたぶん、そのとき知ったんだろう。女王さんの気持ちを。
オーティは酒びんの底を天に向け、ごくごくと飲み干し、叫んだ。
「ぷはぁ〜! うめえ酒だぜ! しっかし最高だよなあ! なんせ魔王を倒した救世主となりゃ、腐るほど女が寄ってくんだろう!? となりゃその才能を見出したこのオーティ様もモテモテ間違いなしだぜ!」
「な、なにいってやがる! てめえはおれを抜けさせたじゃねえか!」
「バカやろ〜! おれが三年もクソ漏らしを容認したからクソ漏らしパワーに目覚めたんだろ!?」
うっ、たしかに……!
「みんな! これが終わったらおれたちゃ英雄だぜ! 救世主を生み出した街の勇者となりゃ、世界中から美女が寄ってたかって抱きついてくるぞ! いまからうまいもん食ってスタミナつけておけよ!」
「うおおーー!」
「モテモテーー!」
「たのしみだぜーー!」
オーンスイの勇者たちは途端によろこび、大声を上げた。
まったく、相変わらず単純なバカどもだ。まんまとこいつの心理術にかかってよ。
いまからもう勝ったつもりではしゃいでやがる。
こんだけの陽気に当てられりゃ、さすがのおれも少しは笑顔になるさ。
けど、やっぱりこころの芯が持ち上がらねえ。
作ったような笑いしか出ねえ。
おれは……たくさんの女にモテなくていい。
ひとりだけでいい。
そう、ただひとり、おれを愛してくれれば、ほかはなにもいらねえんだ……
おれの薄笑いは、だれにも聞こえねえようにため息を吐いた。
いま盛り上がっているみんなのテンションを下げるわけにはいかねえ。
だから、こっそりだ。
その隣から、鼻からのため息が聞こえた。
「浮かねえか。しょうがねえや」
バレてんのか。さすがはリーダーだ。恐れ入ったぜ。
「でもよお、これだけは覚えとけよ」
オーティはおれの肩を抱き、カレーノに視線を向け、言った。
「てめえは全人類の運命を握ってる。それはつまり、てめえが仕損じたら、好きな女も死んじまうってことだ。それだけは肝に銘じておけ」
「……そうだな」
おれは小さくうなずいた。
たとえ愛されなくても、たとえきらわれていても、あいつにだけは死んでほしくない。
あいつにだけは、しあわせになってほしい。
おれの胸に炎が宿った。
まっすぐ前を向く力強い炎が、おれに必勝の決意を燃やさせた。
ただそれは、決して明るくはない、炭火のような暗い炎だった。
やがておれたちは眠りにつき、夜明けを迎えた。
どこまでも広がる平原の、遠い東の山ぎわに、夕焼けにも似たまばゆい輝きが浮かんだ。
……とうとうはじまる。
人類の命運をかけた、魔王との最終決戦が——。




