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56 ”あの日”からの来訪

 ナーガスを出て三日目の夜が訪れた。


 夜は進軍が止まり、星空の下でおのおの休みを取ることになっている。

 おれは焚き火を囲うオーンスイ勇者たちの輪に加わり、オンジーの隣に座った。


「ベンデル、動けるのか?」


「ああ、かなり楽になった」


 薬が効いたのか、おれの回復力が高えのか、殴られた腫れはほとんど収まり、痛みも引いていた。


「それはよかった。だがあまり無理をするなよ。君は対魔王の最終兵器なんだからな」


「おめえらもな」


 おれは近くに座るカレーノにチラリと視線を向け、言った。

 嘘を告白した日からカレーノとは妙にぎこちなかった。


「当然おれの”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”が決めてだが、おめえらのスキルも魔物との戦いに必要だろ。怪我とかすんじゃねえぞ」


 おれはなんの気なしに言った。

 単なる会話のつもりだった。


 しかし、


「それなんだが……」


 オンジーは重々しくうつむいた。

 なにをそんな真面目なツラしてんだ?


「実は……カレーノがスキルを使えなくなった」


「なに!?」


 おれは立ち上がって声を上げた。

 カレーノのスキル”激辛の炎レッド・ホット・バーニング”は辛いものを食うことで炎を吐き出す強力な能力だ。

 集団に強く、大群相手となればおれのスキルよりはるかに有用と言える。


 それが、使えない……?


「ごめんなさい……」


 会話が聞こえていたんだろう。

 カレーノは両ひざを抱え、焚き火の炎を見つめながら静かに言った。


「わたし……あの日以来、味覚がおかしくなっちゃったの……」


「味覚が……?」


「ええ……」


 カレーノはポケットからとうがらしを取り出し、そっと口に含んだ。

 いつもなら目を見開いて、震えながらヒーヒー騒ぐところだ。


 それが、平然としている。

 ボリボリと噛み砕き、悲しげに焚き火を見つめている。


「辛くねえのか……?」


「ぜんぜん……」


 カレーノはもうひとつ口に放り込んだ。

 しかしやはり、おなじだった。


「なにを食べても味がしないの。ほとんど感じない……あの日の前までは、甘いもしょっぱいも辛いも、ぜんぶふつうだったのに……」


 あの日……それはおそらくキレジィが死んだ日だろう。


「人間ってね、精神がおかしいと体に強い影響が出ることがあるの。お腹の調子を悪くしたり、耳が聞こえなくなったり、こんなふうに味覚がなくなったり……」


 言いながらカレーノが震えた。

 よく見ると目に涙が溜まっていた。


「だからごめんなさい……わたし戦えないわ」


 こいつ……思い詰めてやがる。


「大丈夫だ、カレーノ」


 おれは慰めようと立ち上がり、カレーノの背後から肩に手を伸ばした。

 うまく話せるかわかんねえが、とにかく助けてやりたかった。


 だが、


「触らないで!」


 触れようとした瞬間カレーノは飛び退き、()むような、怯えるような目つきを見せた。


「あっ……」


 それが、我にかえり、途端に悲しい顔に戻り、


「ごめんなさい……違うの……」


「……」


 おれは伸ばしたままの腕を、手のひらを握り込むように引き戻した。


 カレーノは小さく首を振り、動揺で震える声で言った。


「あなたがきらいになったわけじゃないの。ただ、わたしショックで……だって、いつもスキルを使うとき、してたんでしょ? ズボンを履いたまま、わたしたちの前で、いつも……」


「……」


「それをわたし……毎回洗ってない手を握ってたのかと思うと、わたし、わたし……」


 カレーノは声を失った。

 カレーノのショックはキレジィの死だけではなかった。


 そんなことで——?


 おれにはわからねえ。おれは女ごころってヤツがマジでわからねえんだ。

 けど、少なくともこいつはステキな王子様と出会いたいなんて言うような、メチャクソ乙女チックなやろうだってことは知ってる。

 そんな女が、クソ漏らした男の手を握っていたと知って、どれほどのショックを受けるのだろう。


 ……おれもショックだよ。

 おめえにだけは知られたくなかった。

 おめえに手を握ってもらうのが本当にうれしかった。

 だっておれは、おれは……


 おめえが好きなんだからよ………………


「悪い……いやな思いさせた」


 ひとこと言って、おれは立ち去ろうとした。

 元々叶わねえ恋だ。

 いまさら引かれたからってなんだってんだ。

 おんなしことじゃねえか。ちくしょう。


 そこに、


「おう、気にすることねーぞクソ漏らし」


 背後から聞き覚えのある声がした。

 だれだろう。ずいぶん汚ねえ言葉遣いだ。


 そう思って振り返ると、おれは驚きとよろこび、そしてわずかな戸惑いを覚え、声を上げた。


「オーティ! オーティじゃねえか!」


「よお、久しぶり」


 声の主はオーティ・ブレイル。

 おれが元々所属していた勇者パーティのリーダーで、おれが戦闘中にクソを漏らすからって追放した男だ。


「なんでこんなところに?」


「なんでって、おれは勇者だぜ? 魔王との最終決戦となりゃ来ない方がおかしいだろ」


「でもおめえ、そんな無謀なことしねえって……」


「おいおい、どこまでクソなんだよてめえは。あんときのメンバーは百人にも満たねえクソ少人数だったろ。おれたちはナーガスから全人類を召集するって鳩が来たからこうして集まったんだ」


「おれ”たち”……?」


 おれは辺りを見回した。

 オーンスイにはまだ二十人くれえ勇者がいたはずだが、そんな増えたようには見えねえ。

 どこか別のところにいんのか……?


「ここでごわすよ」


「えっ?」


 おれは背後からの声に振り向いた。

 そこには筋骨隆々で、巨大な斧を背中に負う野太い男、キンギー・ヨノフンが立っていた。


「キンギー!」


「あたしもいるわよ」


「ミギニオ!」


 キンギーのでかい体に隠れていた細身で美しい女双剣使い、ミギニオ・ナージがぴょんと姿をあらわした。


「おいらもでやんす!」


「タイ!」


 次いで現れたのはチビですばしっこいタイ・コモチ。オーティ勇者団メンバー勢揃いだ。

 こいつら……みんな来てくれたのか!


「まったくよお、てめえがいなくなってから大変だったんだぜ」


「どういうことだ、オーティ」


「実はよ……おれたち全員クソ漏らしだ」


「ええっ!?」


 おれは目ン玉が飛び出るほど驚いた。

 だって、クソ漏らしっつったらおれだぜ!?

 なんでオーティたちがクソを漏らすんだよ!


「てめえが抜けた翌日から、おれたちは死ぬほどやべえ便秘に襲われた。腹にどんどこクソが溜まってくってのに、まったく出ねえんだよ。そんで、ある日とうとう漏らしちまったんだ」


「でもなんで……おれがいねえからっていったい……」


「昨日伝聞(でんぶん)で聞いてびっくりしたぜ。てめえ、他人のクソを吸収できるんだって?」


「あっ!」


 そうだ、そういえばおれはオート・スキルの暴走で、こいつらのクソを吸収してたんだった。


「それを知って、やっと納得したよ。おれたちが出すはずだったクソを、てめえが代わりに出してたんだ——とな」


 オーティはフッと笑い、照れ臭そうに頭をかいた。


「まったくよお、あんな情けねえこと、ほかにねえぜ」


「そうよ、あたししばらく落ち込んじゃったわ」

 ミギニオがやわらかいため息を吐いた。


「おいどん、あんな感触はじめてでごわした」

 キンギーはほほを染めた。


「二度とゴメンでやんす!」

 タイは笑いながらツバを吐き捨てた。


「ま、そーゆーわけで、おれたちもてめえを笑えねえクソ漏らしってわけだ! わははは!」


 オーティは豪快に笑った。クソ漏らしを笑い飛ばした。


 そこには熱い意味がある。

 直接は言わねえけど、おれにはわかる。

 こいつらはおれを慰めてくれている。

 クソ漏らしがバレて粉々に砕けたおれのこころを救おうとしている。


「おい、クソ漏らし!」


 オーティは意地の悪そうな笑顔で言った。


「てめえ、酒が好きだったな! 毎度クソ漏らすくせに酒だけは一丁前に飲んでよ!」


「そりゃしょうがねえだろ。酒はうめえんだから」


「じゃあ飲もうじゃねえか」


 えっ!? 酒があるの!?


「オーンスイを出るときに荷車に積んで持ってきたんだ。おれたちも酒が好きで好きでたまらねえからな。ひとりあたり十本はあるぜ」


 おいおい、そりゃ最高じゃねえか!


「ごわす! 持ってきたでごわすよ!」


 キンギーがどこからか、両手に五本の酒びんを持って歩いてきた。

 うひょお! ツバが垂れるぜ!


「で、でもよ……」


 おれは疑問だった。

 だってこいつら、おれを()け者にしたはずじゃあ……


「はっ、なにを気にしてんだ? てめえはオーティ勇者団のエースじゃねえか」


「へ?」


「まさかてめえが本当に最強スキルの持ち主たァ思わなかったぜ! いやあ〜、これでおれの勇者団も、オーティの名も(はく)がつくってもんだ! わははははは!」


「つ、都合よくねえか?」


「いいじゃねえか。てめえだって顔が笑ってんぞ」


 おや、どうやらそうらしい。

 鏡を見ねえでも、ほほが持ち上がってるのがわかる。


「おう、ほかのヤツも飲め! ひとり十本っつったろ! 三百本も運んでくんのは大変だったんだ! 感謝しろよな!」


 それを聞いた途端、オーンスイの勇者たちはわーわー集まり、はからずも大宴会となった。


 おれはよろこんで酒を飲んだ。

 ()きっ腹にぶち込んだ酒はショックを忘れさせてくれた。


「オーティよお、てめえがこんなに面倒見のいいヤツだったとは思わなかったぜ!」


「なーに言ってやがる! だれがクソ漏らしを三年も面倒見たと思ってんだ! いいから飲めや! 酒はバカになって飲むもんだぜ! わはははー!」


 おれたちはバカに騒いだ。

 つまみはねえが、酒が飲めりゃそれでいい。

 椅子もマナーもありゃしねえ。

 周りの迷惑なんのその。

 おれたち勇者はそんな下品なクソ集まりだ。


 ただひとつだけ気がかりがあった。

 カレーノはどうしているだろうか。


 その不安は少しだけ消えた。

 おなじ女のミギニオが隣でぺちゃくちゃしゃべり、いつのまにか現れた女王さんが向かいで勝手に酒を飲み、あれこれ話していた。

 落ち込んでいたカレーノの顔はまだ暗いが、多少は笑顔になっていた。


 よかった、みんな笑ってる。おれも笑ってる。

 やっぱ酒はいい。最高だ。


 ……頼むぜみんな。生きてくれよ。

 またおれと酒を飲んでくれよ。

 戦いが終わったら、この全員で生き残って、またいまみてえに飲み騒ごうぜ。

 そしてカレーノ、きっと満面の笑みを、おれの前で見せてくれ。

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