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53 真実を鳴らす

「キレジィ! キレジィーー!」


 おれはすぐさまキレジィの元に駆け込んだ。

 仰向けに倒れる彼女の胴には、深々と大剣が潜り込んでいた。


「……べ、ベンデルさん……」


 キレジィは力なく顔を上げ、弱々しい笑みを見せた。


「よかった……ベンデルさんが無事で……」


「バカやろう! なに言ってやがる! おめえ……そんな……そんなよお!」


「ごめんなさい……わたし……弱いから……」


 ごめんなさいだって!? なにを謝ろうってんだ!

 おめえ、おれを助けたんだぞ! おれのために死んじまうんだぞ!


「でもよかった……あなたがいれば……魔王が倒せる……」


「おめえ……」


「お願いです……どうか魔王を倒してください……魔物たちを……みんなを救ってください……」


 こいつ……こんなときまで……! これから死ぬってときにまで!


「キレジィちゃーーん!」


 ぐしゃぐしゃに泣きながらカレーノが飛び込んできた。


「キレジィちゃん! キレジィちゃん! キレジィちゃん!」


 なんども名前を呼び、青い左手を両手でぎゅっと握った。

 開いた目から、ぼろぼろ大粒の涙がとめどなくこぼれ、ぼとぼととマントを濡らした。


「カレーノさん……」


 キレジィはそっとカレーノを見つめ、言った。


「ごめんなさい……お茶会……行けなくなっちゃいました……せっかく、約束してくれたのに」


「なに言ってるのよ! なに言ってるのよお!」


「……ウフフ。見たかったなあ、カレーノさんのドレス姿」


「き、キレジィちゃん……わああああーー!」


 カレーノはキレジィの手をほほに当て、声を張り上げて泣いた。

 それをキレジィは、悲しげに、やさしげに、微笑み返していた。


 近くでは、オンジーが泣いていた。

 完全に崩れ落ち、理性さえ失っているようだった。

 こいつはキレジィにベタ惚れだった。


 そして、もうひとり、泣いていた。


「そんな! 姉さん……姉さん!」


 ゲーリィはひざをつき、天を仰いだ。


「おれは……なんてことを!」


 ヤツはいま、どれほどの絶望を抱えているのだろう。

 事故とはいえ、愛する姉を自らの手で殺してしまったんだ。


 これがどんなに恐ろしいことか……

 姉さんっ子だったおれには痛いほどわかる。

 後悔してもしきれないだろう。


 だが、ヤツの後悔はおれの想像と少し違った。


「こんなことならさっさと滅ぼしておけばよかった!」


 なに!?


「おれが十年も休まず、さっさと人類を滅ぼしていれば、こんなことにはならなかった! それなのに……うああ!」


 こ、このやろう! なにをバカなことを!

 てめえどんだけバカなこと言ってっかわかってんのかよ!


 おれは拳を握った。

 てめえの顔が怒りで真っ赤になるのがわかった。


 しかし、


「怒らないであげて……」


「キレジィ……」


「ごめんなさい……あの子は悪い子じゃないの……ただ少し、真面目すぎるだけなの……」


 キレジィはおれの目を見つめ、息も切れ切れに言った。


「あの子は……自分がやらなきゃって思ってることを……がんばってるだけなの……どうしていいか、わからないだけで……本当に、本当に、いい子なの……だから……」


 眉の垂れ下がった笑みから、つうっと涙がこぼれた。


「だからお願い……あの子を助けて……」


 絞り出すような声を残し、キレジィの目が閉じた。

 彼女の全身から力が抜けた。


「キレジィちゃん!」


 カレーノがキレジィの頭を抱きしめ、大声で泣いた。

 腕の中の顔はまだ微笑んでいた。


 やさしい顔をしていた。

 もう動かなくなったいまも、ずっとやさしいままだった。


 ごめんなさいと、なんども謝っていた。


 だれかを助けてと、最期まで言い続けた。


 いつだって、だれかのためだった。


 母親の屈辱を晴らそうと苦心していた。

 支配に苦しむ魔物たちを解放しようと努力していた。


 そのためなら平気で身を削った。

 信用を得るため、多くの前で女の肌を晒した。

 牢屋にぶち込まれ、つらい過去も話し、手から血を流すこともあった。


 そしてとうとう、いのちまで使っちまった……


 あの子を助けてだって……?


 魔物たちを助けてだって……?


 一番救われなきゃいけねえのはてめえだろうが!


「おおおおおおッ!」


 おれは()いた。

 腹の底から涙を流した。

 こいつを救ってやれなかった悔しさで()えずにいられなかった。


「おれが嘘をついていたから!」


 おれは後悔を叫んだ。


「おれが、てめえのことばかり考えていたから! 恥をかきたくねえってだけで!」


 その言葉を聞いて、カレーノがふと顔を上げた。


 そして、気づいたようだ。


「べっ、ベンデル! あなたスキルは……!?」


 驚いたことだろう。

 なぜならこいつらは、おれのスキルが泣くと無敵になる”無敵泣き虫(ビクトリー・クライ)”だと思っている。


 だが!


「あれは嘘だ!」


「えっ!?」


「おれはトリガーを見られるのがいやで、ずっと嘘をついてきた! そのせいで……おれが恥ずかしい思いしたくねえってクソくだらねえことを気にしてたせいで、キレジィは死んだ! キレジィが死んだのはおれのせいだ!」


「な……なにを言ってるの? じゃああなた……もしかして、無敵になるためのトリガーがほかにあるの?」


「そうだ!」


 おれはわきを締め、両の拳を握った。


「おれのスキルは”無敵泣き虫(ビクトリー・クライ)”なんかじゃない!」


 やや腰を落とし、中腰になった。


「これが……これが……!」


 風が吹いた。


 ごおっと叩きつけるような突風が草原を鳴らした。


 嵐の中にいるような激しい暴風の中、おれは、決してうしろを振り向くことのない、まっすぐな答えを叫んだ。


「これがおれの真実! トリガー・スキル発動! ”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”ーーーーッ!」


 ——ブバーーッ! ブリブリブッピーブバババババババブブドッバアーーッ!


「なっ……! いやあーー!」


 カレーノは叫んでいた。

 そして、キレジィを放ってまで遠ざかった。

 それは、灰にする力を恐れてのことではないだろう。


 そうさ……だからおれは隠していたのさ。だからおれは使いたくなかったのさ。

 一切傷つけられることのない無敵の体を手にしても、こころの痛みだけはどうしても消えないから。


 けど——そのせいでキレジィを死なせちまった。

 スキルを使っていれば、おれを助けるために身を投げ出すことなんてなかった。


 それは、どんな恥よりも、どんな巨大な刃よりも、おれの胸を痛めつけた。


「おれはもう逃げねえ!」


 おれは先ほど捨てた剣を拾い、前に向かった。


「もうだれも仲間を殺させやしねえ!」


 青ざめたゲーリィが剣を両手で握り、立ち上がった。


「すべておれが倒す!」


 おれは剣を構え、ヤツに向かって走った。


「どんなに恥をかこうと! どんなに苦しかろうと! おれがかならず、魔王を倒す!」


 そして——


 ガキン! と二本の刃が打ち合った。


 ゲーリィの大剣が、おれの剣を受けた。


 ヤツは灰にならなかった。

 魔王遺伝の力は、大剣に青く宿り、おれのスキルを止めていた。


「ぐっ……重い……!」


 おれはゲーリィを押していた。

 最強の剣士を鍔迫(つばぜ)り合いで圧倒していた。

 スキルが身体能力を上げているおかげだろう。


 だが! それだけじゃない!


「重いに決まってる! おれは全人類のいのちを背負っているんだ!」


「それなら……おれだって!」


 ゲーリィはうまく切り返し、気迫を込めて剣を返してきた。

 ”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”で強くなっていなければ、受けることも、見ることさえできないほどのすさまじい振りが、ガキン、ガキン、と火花を打ち鳴らした。


「おれにも使命がある! 全人類を滅ぼさなければならないという、重い重い使命が!」


 ヤツの目には炎が宿っていた。

 こころが切り替わっていた。


 気持ちを戦い一本に集中できる。

 それは戦士として、とてつもない強みだろう。


 けどよお、それって本当に強えのか?


「それだけか!」


「なに!?」


「おれたちには痛みがあるだろう!」


「どういうことだ!?」


「おれたちは、全人類のいのちなんかより、もっともっと重い痛みを背負っているだろう!」


「いったいなにを背負っているというのだ!」


「まだわからねえか!」


 おれは渾身の一撃でゲーリィの剣を払った。

 ヤツは手を離すまではいかなかったものの、大きくのけ反り、あと一歩踏み込めば確実に殺せた。


 だが、おれはそうしなかった。


「おれたちは……姉さんを殺しちまったじゃねえか!」


 言った途端、途絶えかけていた涙がどっとあふれ出した。

 もう戦えないほどに視界が歪んだ。


 けど、それ以上に胸が痛い。

 心臓をわしづかみにされたように、胸の奥がずっしりと痛い。


 あの日、おれは姉さんを失った。

 おれがつまらないことでモタモタしたせいで逃げ遅れ、そのせいで姉さんは死んでしまった。


 おれのせいだった。

 大人たちは違うと言ったが、おれがバカじゃなきゃ間違いなく姉さんは生きていた。


 そして、今日また、おれのせいで姉さんが死んだ。

 明日白いドレスを着るはずだった、明日をたのしみに笑っていた、やさしいやさしい姉さんを、つまらないことで死なせてしまった。


 胸が痛い! 胸が痛い! 胸が痛い!


「こんなに胸が痛えのに……重たくねえはずがねえだろ!」


「……!」


 ゲーリィは雷に打たれたようにビクンと震え、ぎゅっと胸を押さえた。

 呼吸が荒れ、眉が垂れ下がり、女が縮こまるみたいにうずくまって、


「うううっ! 胸が! 胸がおかしい! 胸がつらい! この感覚はいったい!」


「それが痛みだ!」


「これが痛み!」


 ゲーリィは”痛み”を知らなかった。

 不死身の体は決して傷つかない。

 だから、痛むということを知らない。

 こいつはいま、生まれてはじめて痛みを味わっている。

 こころだけでなく、肉体を通して感じている。


「助けて! 助けて姉さん!」


 そこに、騎士の姿はなかった。


「痛い! 胸が痛い! 姉さん! 姉さん!」


 必死に姉に助けを求めていた。

 まるで、ガキのころおれがそうしていたように……


 おれの剣は宙ぶらりんになっていた。

 人類のためにここで斬るべきかとも思った。

 しかし、頭の奥底に声がこびりついていた。


 ——あの子を助けて。


 キレジィはゲーリィを助けてと言っていた。


 ゲーリィはキレジィに助けを求めていた。


 そしておれは、そこにかつてのおれを見ていた。


 どうする……どうするよ、おれ!

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