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50 血濡れずの騎士

「なにが起こっているんだ!」


 そこらじゅうからノグン兵の怒号が聞こえた。


「船が! プリンセスが割れた!」


「どうしてそんなことが!」


 そして、ヤツらは”それ”に気づいた。

 その青い肌を見て、すぐさま事態の深刻さを直感した。


「魔王だ! 魔王がそこにいるぞ!」


「いや、よく見れば顔が違う!」


「剣を持っているぞ!」


「魔物はどこだ! 船を破壊した魔物はどこにいるんだ!」


 ヤツらはわーわー慌てて右往左往(うおうさおう)した。

 まだ”魔族”というものを知らないのだろう。

 そして、そこにいる魔族が”ゲーリィ”という究極の武人であることも。


「やべえな……」


 おれはごくりとツバを飲んだ。

 割れた船のあいだを、ゆっくりとゲーリィが歩いてくる。


「まさか単身、潜り込むとは……」


 オンジーは脚が震えていた。

 恐怖していた。

 これまで巨大なドラゴンと合間見えても、万の魔物と相対しても震えなかった勇者が、ガクガクと怯えている。


 ……無理もねえ。おれだって心臓バクバクだ。

 あそこにいる魔族はこれまで出会った何者とも違う。

 遠目からでもわかる。


 船を叩っ斬ったからじゃねえ。力やわざを見て、恐れおののいてるんじゃねえ。

 存在そのものが異質だ。

 この世のすべての暴力を一点に凝縮し、あらゆる戦闘技術を閉じ込めても、あれほどの気配は出ねえだろう。


 それが、静かに、おだやかに歩いてくる。


「あいつを殺せーーッ!」


 だれかが叫び、周囲を弓矢が取り囲んだ。百はくだらねえ大勢だ。


 そいつらが一斉に矢を放った。

 ひとりの魔族を狙い、無数の矢が飛んだ。


 が——


「ふんっ」


 ゲーリィの体がぎゃりっと音を立て、回った。

 矢が到達しようというそのとき、二本の大剣はすべてを打ち落とした。


 視界にあったものも、背後からのものも。


「あいつ、バケモノか!」


 と叫ぶ声を聞いて、おれはこころの中で答えた。


 そうさ、バケモノさ。

 ほんの数千の魔物で兵士十万の城を、たった一日で滅ぼすほどの超戦士さ。

 不死身の肉体を持ちながら、身を打たれれば敗北を認め、撤退する。

 そんな自分ルールの中、無傷で侵略を突き進めた、名実無敵の男さ。


 ……しっかし、話だけでも戦慄したが、実物はこれほどとはなあ。

 人間の背丈しかねえのに、山よりも重い。


 兵士たちは次々と矢を射った。

 そのすべてが打ち払われ、なお討たんと激しく続けた。


 それが鬱陶(うっとう)しかったんだろう。


「うるさいな……」


 ゲーリィは気だるそうにつぶやくと、横に向かって駆け出した。

 大剣二本を持って出せる速度じゃなかった。

 馬よりも数段速い。


 それが、弓兵を次々と(ほふ)った。

 鎧を着込んだ胴体を、小枝を折るみてえに軽々と真っ二つにした。


 殺戮(さつりく)の嵐が(はし)った。


 続々と悲鳴が上がった。

 斬られた者、恐怖する者の阿鼻叫喚が、血飛沫(ちしぶき)とともに飛び散った。


 しかしそれ以上に激しく鳴るのは、鉄と骨を(つらぬ)く鋼の声だ。

 二本の鋼鉄は風をうならせ、まるで生き物のようにしなやかに、重々しく破壊の声を上げた。

 短剣のような軽やかさで打ち出すのは、岩さえ砕きそうな連撃だった、


 やがて、一分もしないうちにゲーリィは船の前に立った。

 おれたちから十歩正面。

 そのマントのどこにも血の跡はない。

 血飛沫が舞うより疾く、この男は駆け抜けたのだった。


「姉さんはどこにいる」


 それが第一声だった。


 こいつはオンジーではなく、おれに視線をくれた。

 やや強いが、殺意はない。

 強靭な肉体に比べて、目の色だけがおだやかなのが、よけいに恐ろしかった。


(そんだけ余裕ってことかよ……!)


 おれは全身ギチギチだった。震えねえでいられたのが奇跡だった。


 震えるわけにはいかねえ。震えたり、ビクッとすりゃあ、一発でこころの風下(かざしも)に立つ。

 だからおれに話しかけたんだ。

 震えているオンジーは、こいつにとって、もう死体とおなじなんだ。


 けっ、お高く止まりやがって。態度の悪さじゃ負けねえんだよ!


「姉さん? さあ、知らねえな」


「嘘をつくな。おまえはおれの名を知っていた。なら、姉さんが話したに決まっている」


「どうしてンなこと言えんだクソやろう。てめえの姉さんってのは、こんな男の群れン中に飛び込むような淫乱女なのか?」


 瞬間——大地が割れた。


 ほとんど見えなかった。

 ゲーリィは右の大剣を振るい、おれの左側から船の頭にかけての地面に亀裂を作っていた。

 おれのポーカーフェイスから、つうっと汗の粒が垂れた。


 ゲーリィはほんの少し目つきを悪くし、言った。


「このあいだ、ヴィチグンという男が来ただろう。覚えているか?」


「ああ、あれならおれがぶっ殺してやったよ」


「姉さんは戦いの様子を遠くから見て、結果を報告するはずだった」


「ほー、それで?」


「それからベンデル・キーヌクトという無敵の男をスケッチして、顔を持ち帰る役目もあった」


「へえ、絵が上手いのかい?」


「ああ、まるで本物のように描く」


 そう話すゲーリィの顔がわずかにほころんだ。

 しかし、すぐに目の色が戻り、


「その姉さんが戻ってきていない。おれはそれを心配して、ここまでやってきたんだ」


 はあ、なるほど。母の死から不動だったこいつがわざわざ単身乗り込んできた理由はそれか。

 ……もしやこいつ、シスコンか?

 ヴィチグンぶっ殺した話はスルーしてるが、姉さんバカにしたらすげえ怒ってたぜ。

 そのうえ、こんなことを言った。


「痛みも傷も覚えない魔族だ。まさか死んではいないだろうが……もし万が一、姉さんになにかしているようなら……」


 言いながら、気配がドス黒く染まった。

 肩が怒り、熱い鍋の上みてえに空気がゆがんだ。


 こいつ……やっぱシスコンだ!

 よーし、ならやりようがあるぜ!


「安心しな。姉さんは明日、お茶会だよ」


「お茶会?」


 ゲーリィの目が丸くなった。途端に空気も変わった。


「ああ。女だけでドレス着て、酒も飲まねえでお紅茶を飲むんだとよ」


「お紅茶……」


「バカだよなあ。きっと口元隠してオホホホホとかやるんだぜ」


「ふっ、はははは!」


 ゲーリィが笑った。

 よかった、暴れねえでくれた。どうやら戦わねえで済みそうだぜ。


 なんせあの実力だ。いざとなりゃ、クソ漏らす前に殺されちまう。

 いかに”無敵うんこ漏らし(ビクトリー・バースト)”が最強でも、発動前にやられたらお話にならねえ。

 それに、こんな大勢の前じゃクソ漏らせねえしな。


「そうか、姉さんはお茶会か」


「ああ、くだらねえだろ?」


「じゃあ姉さんは無事なんだな」


「おう。最初は牢屋に入れられてたけど、いまじゃおれたちといっしょに畑仕事してらあ」


「信じていいな?」


「おれが嘘つきに見えるかい?」


「いや、これでもひとを見る目には自信がある」


 ゲーリィはおかしそうにフフフと笑い続けた。

 キレジィの暮らしぶりが、よほどうれしいらしい。


 ……あれ、もしかしてこいつ、味方にできるんじゃねえか?

 姉さんが人類の味方で、こいつはシスコンってことは、うまくやりゃ戦力になるぞ。

 ノグン兵をけっこう殺しちまったが、そこはうまいことごまかしてさ。


「なあ、てめえゲーリィっつったよな」


「ああ。それがどうした」


「キレジィ姉さんは魔王を倒すっつってるぜ。姉さんのことを想うなら、身の振り方は考えた方がいいんじゃねーか?」


「……そうだな」


 ゲーリィの笑いが静かに消えた。

 顔はまだ笑っているし、気配も明るい。


 だが、おれは背筋に寒気を感じた。

 直感的に、死の危険が迫っていると知った。


「姉さんは、最後に思い出ができてよかった」


 ゲーリィは静かに言った。


「おれは知っていた。姉さんは口には出さなかったが、レディの交流を望んでいた。母以外、女はいなかったからな」


 フフフと笑った。

 どこかさみしい笑いだった。


「おれは姉さんの願いを叶えたくて、いちど人間の女をさらったことがある。でも、どれも怯えて話にならなかった。そうだよな。家族親類を殺した魔族に連れ去られ、魔物はびこる魔王城で、青い肌の女がたどたどしく話すんだからな」


 ゲーリィの目の色が暗く沈んだ。


「おれのやっていることは、母さんを苦しめた魔王様とおなじだったよ。バカだった。実にバカだった……」


「ゲーリィ、てめえ……」


「だが、姉さんはお茶会をするんだな」


「ああ……」


「笑っていたか?」


「踊ってたよ。ドレスが着れてうれしいって」


 ゲーリィの肩から力が抜け、ふぅ、とため息を吐いた。


「よかった。人類を滅ぼす前に、姉さんは願いを叶えられたんだ」


 ……こいつ!


「待てよ! 姉さんは人類を滅ぼすことにゃ反対だぜ! そんなことやめとけ!」


「いいや、それがおれの使命だ」


 ゲーリィはギラっと目を上げ、おれを睨んだ。


「おれは魔族。魔王様の眷属(けんぞく)にして、あるじの願いを叶えるべく戦う、誇り高き騎士だ。女子供のために忠誠をねじ曲げるようなことはしない!」


 ブワッと風が吹いた。

 ゲーリィの覇気が、周囲の空気を押し飛ばした。


「そのためなら鬼ともなろう! 悪鬼にも変わろう!」


「てめえ!」


「そしてベンデル・キーヌクト! 最大の敵であるおまえを倒す!」


「なっ!?」


 なんでおれがベンデルだと!?


「その目! その余裕! 只者ではあるまい! おれにはわかる! おまえこそが、魔王様を恐れさせ、不死身の兄ふたりを滅ぼした、無敵の男、ベンデルだろう!」


 ご、ご名答だぜ!


「いざ、戦おう! 誇りを賭けて!」


 ゲーリィは二刀を構えた。

 その(やいば)の強大さは、地平の彼方まで広がって見えるほどだった。

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