48 待ちに待ったその日
まったく、危ねえところだったぜ。
覗きがバレたせいで慌てて落っこっちまった。
途中でクソ漏らしたおかげで助かったよ。
なにせ風呂場は三階だ。骨折はま逃れねえし、死んでもおかしくねえ高さだ。
無敵のスキル”無敵うんこ漏らし”がなかったら大変だったぜ。
こうなると、クソ漏らしで小慣れた肛門のゆるさに感謝だな。
サンキュー、肛門!
しかしそのあとはさんざんだった。
女王さんにゃ怒られて酒はもらえねえし、カレーノにはめちゃくちゃ叩かれるしよ。
「あんたってヤツはホントなに考えてんの! このバカー!」
へえ、すいやせんねえ。男はスケベなんでございやす。
でもしょうがねえじゃねえか。おれに言わせりゃ、あの状況で覗かねえヤツなんかいねーぜ。
おれは間違っちゃいねえ。
……ま、正しいことをしたとも思わねえけどよ。好きなだけ叩いてくれや。
でも、こんなときでもキレジィはやさしかった。
「もう覗きなんかしないでくださいね。わたし本当に恥ずかしくて、びっくりしちゃいました」
「す、すまねえ……」
そんなふうに笑顔で言われると、あー悪いことしたなって思うね。本当に申し訳ねえや。
これ以上キレジィを悲しませねえよう、次はちゃんとバレねえようにしねえと。
それがおれにできる唯一の贖罪だ。
それにしても、女王さんはもうキレジィを疑ってねえらしい。
その晩キレジィは檻に戻らず、城の一室を与えられた。
しかもクロに枷をつけず、キレジィから離れないということを条件に、自由にしていいとのお達しが出た。
兵士どもが驚いてたぜ。なにせ、女王さんはいっしょに風呂入ったことを話したんだ。
あの女王さんが魔物と風呂入ったんだぜ。
襲われりゃ一発アウトの状況を自ら作り出したんだぜ。
信じらんねえってツラで、がやがや騒いでたよ。
そんで女王さんのお言葉はこうだ。
「裸で傍にいても平気だったんだ。長であるわたしがだぞ。もし敵なら、これ以上殺したい相手はいないはずだ。だから安心して野放しにしろ」
いやいや、納得しねえよ。
結果には納得するが、過程がやべえ。
おめえ一歩間違ったら死んでたんだぜ。
したらナーガスは終わってたんだぜ。
そりゃ兵士どもも騒ぐわ。
けど、このひとことで収まった。
「ふふふ……バカだろう。しょせんわたしもひとの子なのさ」
みんなポカンとしちまった。呆然として、言葉もねえってヤツだ。
「ふふ……すまないな、心配かけて」
それだけ言うと、女王さんはキレジィをつれて寝室の案内に行った。
残された兵士どもは、まぼろしでも見たみてえにお互いの顔を見合って、整理のつかねえこころをふわふわさせていた。
でも、こんな声も聞こえてきた。
「今日の女王様、すごくやわらかい笑顔をしていたな」
「ああ、あんなお顔はじめてだ。なんというか、その……かわいかったな」
それ、おれも思った!
いっつも重々しいツラして、笑っても迫力がにじみ出て、かわいげがねえのに、あんなにふんわりして、気迫が抜けて、歳まで若く感じた。
十歳は若返ったんじゃねえか?
……いや、言いすぎだな。五歳くらいにしとこう。
あんまり甘やかすとよくねえ。
でも、こころはホントに十歳くらい若返ってそうな笑顔だった。
難しいこと考えるのやめたからかね。
人間、素直が一番よ。
そんなわけでキレジィは自由になり、おれたちオーンスイ勇者の手伝いをすることになった。
母親からひと通り女の仕事を教わったらしく、裁縫やら家事やら十二分に助けてくれた。
クロも犬なりに、荷車運んだりしていい子だった。
寝るときは寝室に帰っちまうけど、晩メシはいっしょに食った。
そんで帰る前にみんなとダラダラ話したり、歌を歌ったりした。
オンジーのよろこび様ったらなかったぜ。
あいつ、キレジィの前だと「おれは真面目なんです」ってツラで格好つけてさ。
そんで立ち去ったら、途端に「デレデレェ〜」ってふにゃけて、気持ち悪いったらありゃしねえ。
ちったあてめえの年齢考えろよ。
そりゃ魔族はおれたちより年上だが、見た目年齢じゃ二十歳近く離れてるんだぜ。
それがあんなに夢中になっちゃって。
きっとあーゆーのが事件とか起こすんだろうな。
ともかく、そうして日々が過ぎていった。
伝書鳩で募った戦士募集によって毎日たくさんの勇者や軍隊が訪れ、その一日の数は日に日に増していった。
ナーガス城下町はすぐにいっぱいになり、防壁の外に野営地や掘建小屋を広げていった。
風呂覗きの晩からおよそ三週間。いまやナーガス軍は十万を超える大所帯となった。
「いやあ、早く来てよかったな」
おれは畑仕事をしながらカレーノに言った。
「途中から来たヤツら、みんな外でテントだろ。ベッドもねえし、魔物が来たら真っ先に戦うはめになるし、最悪だな」
「……あ、うん。そうね」
カレーノの返事はうわの空だった。それにチラチラと城の方を見ている。
「どうしたんだ、なんかあったのか?」
「ううん、ちょっと約束があって」
約束? いったいなんの約束があるってんだ? んなもんいいから早く芋を収穫してくれよ。
「あっ」
急にカレーノの顔がぱあっと明るくなった。市街地から、なにやら見慣れないものが歩いてくる。
「およよっ!?」
おれはそれがなにかわかった瞬間、どえれえ驚いた。
ドレス美女だ。
女王さんとキレジィが、ひらっひらのドレスを着て歩いてくる。
「カレーノさん! 見てください!」
「きゃあー! キレジィちゃんかわいいー!」
おひょー、こりゃいいねえ! 真っ白なドレスがめちゃくちゃ似合ってらあ!
どこかの国のお姫様なんじゃねえか!?
肌が青くてもぜんぜんオーケーだぜ!
「こら、あまり畑に近づくな。汚れるぞ」
「わあー! 女王様もステキー!」
ほー、こっちはシックな黒で、年相応に上品だ。
がたいのよさがやや気になるが、それ以上に美しいときてらあ!
「カレーノさんも早く来てください! わたしすっごくたのしみなんです!」
「わかったわ、着替えてすぐ行くからー!」
着替える? もしかしてこいつもドレスになんのか?
「ベンデル、そういうわけで、わたし行くからごめんね」
「おめえらなにしに行くんだ?」
「お茶会」
「お茶会!?」
はー、優雅なこってすな。
だってもうすぐ最終決戦だぜ? 魔王と戦うために人類の戦力が集結して、あとは軍国ノグンが到着したら行軍しようってえときだぜ?
それでお茶会! 女ってのはノンキだねえ。
「なによその顔。ずっとお茶会しようって話してて、やっと女王様が時間取れそうだってなって、待ちに待った今日なのよ。ちょっとくらいいいじゃない」
へー、そーですか。
ま、いいけどよ。たまには息抜きもしなきゃ持たねえしな。
それにキレジィはお茶会に憧れてたみてえだし、健気なこいつの願いはみんな叶えてやりてえしな。
でもお茶なんて飲んでなにがいいんだろう。
そーゆーのは酒だろ、ふつー。
「なにその顔。あ、もしかしてわたしのドレス姿見たいの?」
「いや、別にいーです」
「あっそ!」
——ばしっ!
いてえ! ぶつことねーだろ! そうやって暴力振るってっとバチが当たんぞ!
「女王様ー!」
およ、兵士が駆け寄ってきたぞ。
「どうした」
「はい! 軍国ノグン、まもなく到着ということで、使者が参りました!」
「なっ……」
あら、女王さんの顔がぐぐっときびしくなったぞ。こりゃもしかして……
「まったくこんなときに……すまないキレジィ」
あー、やっぱり。タイミング悪いっすねえ。
「いいえ、仕方ありません」
キレジィのヤツ、笑っちゃいるが眉毛がしんなりだ。
よっぽどたのしみだったんだなあ。かわいそうに……
「残念ね……また時間取れるかしら」
「明日だ」
女王さんはカレーノの問いにきっぱり答えた。
「ノグン到着となれば、最終決戦開幕だ。もう日にちが残ってない。だから明日は養成日にして、そこで時間を作る。これは全権を握る女王としての絶対命令だ」
「ホント!?」
「ああ、約束する」
「やったあ!」
カレーノとキレジィは両手でタッチをした。ふたりとも満面の笑みだ。
とくにキレジィがよろこんでいた。
「うふふ、うれしいな。うれしいなったらうれしいなっ」
キレジィは純白ドレスのスカートをつまみ、まさしく少女のようにひらひらと踊った。
その後の会話を聞いていると、どうやらドレスを着ること自体がよろこばしいようだ。
「母も白いドレスを愛用していたそうです。絵でも見ました。それで、ずっと憧れてて……今日やっと着れたんです!」
その言葉を聞いて、おれはふと、姉さんを思い出した。
姉さんは白いドレスを縫っていた。
結婚式で着るんだと、あたたかな笑顔で憧れを語っていた。
贅沢かもしれないけど、わたしはこの白いドレスが着たいんだって。
おれは胸がきゅうっとなった。
いま、おれの目の前で、姉のようなやさしさを持つ女が、白いドレスを着て笑っている。
「ずっとこの日を待っていたんです。それがやっと着れた。ああ、うれしいなあっ」
そうかい……そりゃあよかったなあ。本当に、本当によお。
キレジィ、おめえはしあわせになれよ。
姉さんは死んじまったけど、おめえは生きてる。
姉さんはドレスを着れなかったけど、おめえは着れた。
だから明日もドレスを着て、憧れのお茶会ってヤツをやるんだぜ。




