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45/76

45 武人

 魔族は戦闘能力を必要としない。


 不死身の体を持ってはいるが、身体能力は通常の人間とそれほど大差はない。

 大量の魔物を操り、数の力で蹂躙(じゅうりん)した方が、おのが肉体を鍛えるよりはるかに効率がいい。


 だが、ゲーリィは違った。


 彼は魔物を操り、ただ見ているだけの戦闘を「卑怯」と考え、自らが先頭に立つことを選んだ。


 当然、効率が悪い。


 指揮というのは、そもそも卑怯でもなんでもない。

 全体を見通し、必要に応じて部隊を操作することは、むしろ必須と言っていい。


 しかしゲーリィはそう思わなかった。

 魔物という他人に血汗(ちあせ)を吹かせ、自分ひとり安全な場所にいることを()しとしなかった。


 だから、バカ正直に戦った。

 剣を持ち、槍を構え、魔物に混じって突撃した。


 それだけなら問題はなかった。

 結局大量の魔物を送り込むのだから、やってることはほかと変わらない。

 それに、魔王も魔族も、指揮と呼べるほどの戦術を知らない。

 違いは「剣を持つか」「持たないか」だけだ。


 問題は、斬られたら敗北するという奇行だった。


 むろん、斬られても死なない。

 斬ろうとした刃は砕けるし、矢も折れ、炎が身を焼くこともない。


 だが、彼は自分が死んだと思えば、それを敗北とした。

 そして侵略の手を止め、魔物共々敗走した。


 そんな方法でろくな結果が出るはずがない。

 彼の肉体はあくまで人並みだ。

 武術の師がいるわけでもないし、特別な才があるわけでもない。


 だから簡単に負ける。

 はじまって数秒で全軍撤退などということもある。


 不合理である。

 人間のいくさでも、こんなことをする者はいない。

 指揮とはそういうものではない。


 ある日、姉のキレジィは訊いた。


「なぜ、そんなことをするの?」


 キレジィは決して好戦的ではないが、彼が正しいとは思えなかった。

 どう考えても、数の力で戦う魔王たちの方が正しい。


 それに対し、ゲーリィは純真な眼差しで答えた。


「母さんが言ってたんだ。騎士は卑怯たるなかれって」


 彼は母想いだった。

 父親にはあまり懐かず、なにかあればすぐに母のところに行った。

 戦果の報告でさえ、まず母親に告げる。


「おれは、むかし母さんが読んでくれた本の、騎士っていうのが好きなんだ。正々堂々戦い、弱者のために身を張り、どんなものでも打ち負かす強さを持つ。そんな騎士に、おれもなりたいんだ」


 他の兄弟とは大きく違う男だった。

 兄のイヴォージィとヴィチグンは、一族の首領である魔王に認められようと、とにかく人間を(あや)めることに執着したが、彼は自分というものを持っていた。

 結果を出すことよりも、自身の成長に重きを置いていた。


 ロマンに生きている——とでも言おうか。

 そんな性格だからか、顔つきもおだやかで、どこか子供じみた雰囲気がある。


 男衆の評判は悪かったが、母は彼を最も愛した。

 騎士を目指して日々鍛錬する彼に、かつて学んだ戦史や戦術の知識を注ぎ込んだ。

 戦いを望まないはずのキレジィでさえ、武道に関する本を手に入れては、彼に届けていた。

 男たちは、ほとんど無能に等しい弱者になにを甘やかすことがあるか、と舌打ちしていた。


 それがある日、ひっくり返った。


 ゲーリィは凄まじい戦果を上げた。

 攻略に数週間はかかろうという巨城を、たった一日で落とした。


 その際連れ込んだ魔物はわずか数千。

 対して、城には十万近い兵士が籠城していた。

 中にはスキル持ちも十数人いたようだ。


 それを、一日で落とした。

 もちろん例の”死なば敗北ルール”を適応してのことだ。


 このとき彼は五十代。ただの人間ならシワだらけになっている歳だ。


 しかし魔族は違う。最高の肉体年齢を保ち続ける。


 五十年の鍛錬は、無駄のない迫力ある肉体を作り上げた。

 その(かん)も知識と経験は積み上げ続けていた。


 結果生まれたのは無双の騎士である。

 いかなる刃も叩き落とし、瞬息のうちに数多を葬る、究極の武人である。


 しかも、魔物を操らない。

 彼は魔族の秘技、赤い瞳を輝かせない。


 彼はいつの間にか独自の軍隊を作り上げていた。

 他の兄弟のような非人道的な扱いはしない。

 ともに鍛錬し、こころを通わせ、心血をともにするような魔物の軍隊だ。


 その数およそ一万前後。

 しかし一体一体が強力であり、連携も知っている。


 この攻城戦以来、彼は魔王の一番のお気に入りになった。

 元々溺愛(できあい)していた母は、よりゲーリィをかわいがるようになった。


 気に入らないのは兄ふたりである。


 いままで散々結果を出してきた彼らが、ずうっと好き勝手やって、無駄に時間を過ごしてきた出来の悪い弟に、たったいちどの成功で丸ごと評価をひっくり返されてしまったのだから、腹が立つのも無理はない。


 しかも彼の提言により、魔物の無理な酷使を制限されてしまった。

 実際、体力を整えた魔物を使う方が戦績がよかったが、効率の問題ではない。気持ちの問題である。

 兄たちは自由にさせろと訴えたが、魔王は弟の意見を尊重した。


 弟はのちも劇的な結果を出し続けた。

 魔物の扱いのうまさもあったが、やはり当人の実力によるところが大きかった。


 それに負けまいと兄はやっきになり、こっそり魔物に無理をさせたが、ひ弱な状態で戦わせても、ろくなことにはならない。

 それは結局、人間が魔物を観察し、攻略法を習得するきっかけになってしまった。


 それからというもの、ゲーリィは北部すべてを制圧し、大陸の中ほどを支配し、そして南下していった。

 兄ふたりは残党処理ばかりをするはめになり、なお対抗心を燃やした。


 もしこのまま侵略が続けば、間違いなく人類は滅んでいただろう。

 ゲーリィを止められる者はいない。

 ゆっくりと休みながらだが、確実に一歩一歩南へと(くだ)っていく。


 だが、ある日それが止まった。


 母が亡くなった。


 自ら選んでの死だった。


 魔王はひどく悲しんだ。

 力づくで得たとはいえ、本心から愛しているようだった。

 常に母の傍にいたキレジィも、やはり涙していた。


 しかし最もこころを痛めたのはゲーリィだったかもしれない。

 彼はふだん「魔王様」と呼ぶ父に向かって、


「父さん、少し休みをください」


 と言った。


 以来、彼は一切の侵略をやめた。

 ただひたすら、虚空に向かって剣を振り続けた。

 まるで、なにかを忘れようとするかのように。

 なにかを考えまいとするように。


 魔王は最大戦力の停滞とともに、自身も侵略の手をゆるめた。

 そして兄ふたりとともに、強力な魔物の育成に着手した。


 いまから十年前のことである。


 そして、いつまでも動かないゲーリィに痺れを切らしたことが、今回の大侵略に繋がったのであった。

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