40 叫び
おれたちは言葉を失っていた。
百年前、突如として現れた魔王。その存在はずっと謎に包まれていた。
なぜ、魔王が現れたのか。
魔王とはいったいなんなのか。
だれひとりとして知る者はいなかった。
それがまさか人間だったなんてよ……
それも、ただ平和に暮らしていた、純真な幼い少年が……
「おそらく”憎しみ”がトリガーなのでしょう」
キレジィは静かに言った。
「そのときのショックが抜けきれず、魔王は百年経ったいまでも人間を恨み、復讐に狂っているのです」
「ひどい……」
カレーノの声が震えた。
「……みんな、犬たちがその子の家族だって知ってたんでしょう? 野良犬でも、大切な家族だってわかってたんでしょう?」
だろうな……それでもやりやがったんだ。
生きるためとはいえ、むごい話だ。
うう、と涙声が響いた。
オーンスイ勇者は単細胞だから、かわいそうな話を聞くとすぐに泣いちまう。
半数は鼻水垂らしてボロ泣きだ。
おれもギリギリだったぜ。
そんな中、
「ふん、同情を誘うつもりか」
女王は毅然として言った。
「悲惨な過去を話せば、魔王に同情して攻めっ気を失うとでも思ったか」
「そんな! わたくしはただ情報を……」
キレジィは咄嗟に否定した。
しかし女王の目の色は冷たかった。
「そんな話、いくらでも作れるだろう」
おいおいマジかよ。いくら疑り深いったって、そりゃねえだろ。
いまのを聞いて嘘だと思うか?
ひととして胸にくるもんがねえのか?
てめえにゃ赤い血が流れてねえのかよ!
オーンスイ勇者もさすがに反発したぜ。
「あんた血も涙もねえのかー!」
「キレジィちゃんに謝れー!」
「この冷血ババアー!」
「クソババアー!」
そうだそうだ、もっと言ってやれ!
よーし、おれも言ってやろう! このビチグソババ——
「黙れクズども!」
ドバッ! と突風のような叫びが吹き抜けた。
すさまじい殺気だ。たぶん「ババア」が効いたんだろうな。
女王さん、目がガチでキレてらあ。
その場にいた全員、しーんとしちまったよ。
かわりにがちがちと震える歯の音が充満した。
そんで、
「すんません……」
「すんませんした」
とヤツら次々に頭を下げてやがる。
ふいー、危ねえところだった。おれももうちっとでババアって言っちまうとこだった。
セ〜フ。
「まったく……」
女王さんは改めてキレジィに向かい、言った。
「で、話の続きだが……証拠を見せろと言ってもどうせ無理なんだろう?」
「はい……わたくしも、母から聞かされた話ですから、本当かどうかはわかりません」
「母から……?」
女王は片方の眉をぎゅっとひそめ、
「そうか、あたりまえのことだが、きさまには母がいるのか」
そりゃそうだ。母ちゃんもなしに子供が生まれるわけがねえ。
父ちゃんの腹から生まれたってヤツがいたら見てみてえもんだ。
と思ったが、キレジィは苦しげにかぶりを振った。
もしかしていねえの?
「母は、死にました」
「……そうか、すまない」
あーあ、聞いちゃいけねえこと聞いたな。
あんまりプライベートにずかずか踏み込むからだぜ。
ちっとは考えた方がいいよ。
「いえ、お気になさらないでください。どちらにしろ、話すつもりでしたから」
あ、そうなの? ホント? あんま無理しない方がいいよ?
「わたくしがここに来たのは、わたくしどもの情報と、魔王を倒す策を話すためです」
「なら、母の死さえ必要な情報だったのか?」
「……はい」
キレジィは下くちびるを噛み、小さく声が震えた。
おい、本当に大丈夫か? どうにもつらそうに見えるぜ?
「まず、わたくしども魔族の情報です。父は、みなさんご存知、魔王です。長女はわたくしキレジィ。次に長男イヴォージィ、次男ヴィチグン。このふたりはベンデルさんが倒しました」
そうそう、おれの”無敵うんこ漏らし”でやっつけたんだよな。
イヴォージィはヴェンザ地方の森でキレジィとともに現れ、襲ってきたところを返り討ち。
ヴィチグンは昨日、ここナーガスで倒してやった。
「そしてもうひとり、三男のゲーリィが残っています」
「それだけか」
「はい、それだけです」
おや、ずいぶんと少ねえな。
百年生きた魔王だから、もっと子供いそうなもんだけどよ。
「百年生きたにしては、ずいぶんと子が少ないな」
おっ、女王さんおれとおんなじこと考えてる! さっすがー!
「それ以上、身籠らなかったのです……」
「亡くなったからか?」
「……いいえ、ゲーリィが生まれたのは七十年前……母がいのちを絶ったのは十年前です」
「いのちを”絶った”……だと?」
その言葉の重さに、さすがの女王も顔を青くした。
おれも胃の中に石をぶち込まれたような苦しさを覚えた。
ほかのヤツもそうだろう。
話していてつらいのか、キレジィはがっくりとうなだれ、表情の見えないまま続けた。
「母は……ある国のお姫様だったそうです」
「……姫」
「魔王が暴れ、およそ十年。はじめ少年だった魔王は、そのころにはいまの姿に成長していました。どういうわけか、わたくしどもは青年から歳をとりません。おそらくスキルの影響でしょう。その父が……魔王が……母を拐かしました」
……おいおい、じゃあ母ちゃんは誘拐されて、無理やり奥さんにされたってことかよ。
「母は慰みものにされました。魔王はことあるごとに愛を説いたそうですが、結局は力づくだったそうです」
……いやな話だ。くそっ、吐き気がするぜ。
「そうしてわたくしが産まれ、翌年イヴォージィが産まれました。それから三年置いてヴィチグンが産まれ、五年後に産まれたゲーリィを最後に子が成せなくなりました」
「女の機能を壊されてしまったのか……」
「あるいは、別の要因かと思われます」
「なに?」
「わたくしのふるい記憶では、母は白い肌をしていました。しかしゲーリィが生まれるころには青い肌になっていました。おそらく魔に染まり、人間ではなくなったのでしょう」
「……」
「もちろん憶測です。しかし、母が変わっていったのも事実です。はじめは魔王を拒んでいた母が、青く染まるにつれて魔王を避けなくなりました。わたくしは女子ということで、レディの嗜みを教えられ、戦いには出るなと言われましたが、男子は侵略の手助けを指示され、うまくいくと母に褒められました。母は人間を殺すことを厭わなくなっていました」
「……」
「歳もとらなくなりました。おそらく、三十手前あたりでしょう。母は身もこころも魔族になっていました。わたくしは、おなじ色になったことがうれしくもあり、不自然にも思いました。昼はわたくしに本や遊びを教えてくれるやさしい母なのに、夜になれば戦果に目を輝かせ、血生臭い話をよろこぶのです。そして、魔王の部屋へと消えていくのです」
「洗脳された……のか?」
「わかりません……母は本心から人殺しをよろこんでいたのか、母は魔族になって厭じゃなかったのか、わたしには、わたくしには……」
「だが、きさまにはやさしい母だったのだろう?」
「わからない!」
キレジィは激しく首を振り、大声を上げた。
やっと見せた顔は涙に染まっていた。
「母はいつも悲しそうでした! 母はわたしといるとき、ずっとさみしそうにしていました! だけど夜になると変わって……それで、それで……」
キレジィの頭が硬いベッドに沈み、嗚咽できれぎれの声で、
「最期はお腹を……なんどもナイフで……」
「もういい!」
おれは鉄格子をつかみ、叫んだ。
「そんな悲しい話しなくていい!」
「ママはわたしたちのこと、きらいだったんだ……だからお腹を……わたしたちを産んだから……」
「もうやめろって言ってんだろ!」
おれは鍵付きの扉を無理やり開けようとガシガシ鳴らした。
力で開くもんじゃねえとわかっても体が勝手に動いた。
女王は押し黙っていた。
カレーノは口を押さえ、静かに泣いていた。
オンジーはもちろん、ほかの勇者たちももうバカなツラはしてなかった。
クロが口輪をはめられた口から、きゅうん、きゅうん、と鳴きながらキレジィの肩に寄り添った。
青い手は力いっぱいシーツにしがみつみ、犬の頭に伸びることはなかった。
おれは警備兵から鍵を奪い取り、中に飛び込んだ。
そしてキレジィの肩をつかんで上半身を起こし、ツラの真正面から叫んだ。
「きらいなはずねえだろバカ!」
「ベンデルさん……」
キレジィの顔はボロボロだった。
ぐしゃぐしゃの目は救いを求めていた。
おれは言ってやった。
「母ちゃんにやさしくしてもらったんだろ! 本を読んでもらったり、いろいろしてもらったんだろ! 愛されてたに決まってんだろ!」
「でも……」
「おめえを見りゃわかる!」
「えっ……?」
「おめえがクロにやさしくしてんのを見りゃわかる! こんなにやさしくできるヤツが、愛されてねえわけねえだろ! おめえがやさしいのは、母ちゃんがやさしいからなんだよ!」
「……っ!」
キレジィの表情が、悲しみを握り潰すみたいにぐしゃりと歪んだ。
そして、
「うわああーー!」
おれの胸に飛びついた。
「うわあーーん! うわああーーん!」
キレジィは泣いた。大声を上げて大泣きした。
そうだ、泣け。泣いちまえ。
不安や悲しみはぜんぶ涙といっしょにぶちまけちまえ。
泣くと、ひとは、スッキリするんだぜ。
たぶんひとりで背負い込んでたんだろう。
だれにも話せず、話す相手もなく、ずうっとてめえの中でぐるぐるかき混ぜてたんだろう。
いいさ、おれが受け止めてやる。
おれァ天下のクソ漏らしだ。
おれ以上に恥ずかしい人間なんていやしねえ。
だから、好きなだけ泣きな。
たとえどんなにみっともない姿でも、だれもおれの前で格好つける必要なんかねえんだからさ。




