34 影を喰らう
おれは火薬袋の山から、拳大の火薬袋をごっそり両腕に抱え込み、後方でうずくまるカレーノの元へ走った。
「カレーノ! 大丈夫か!」
「ご、ごめんなさい……わたしが動ければスキルでもっと有利に戦えたはずなのに」
「んなこたいい! それよりこのままじゃもう持たねえ! そこでおれに策がある!」
「……なに?」
「これこれこうで——」
おれはカレーノに作戦を説明した。
「そうやって道を作り、一気に突っ込むんだ!」
「で、でも……あなたのスキルそんなに長く持つかしら。それにそんなに都合よく涙なんか出せる?」
「大丈夫だ! かならずやり遂げる! ただそのためには、もういっぺんおめえに火を吹いてもらわなきゃならねえんだ!」
「……だけど」
カレーノは苦しそうにうめき、かぶりを振った。
「わたし、これ以上辛いものを食べたら、きっと炎をコントロールできない。悔しいけど……うう……」
そうか。それほど腹が痛えか。
腹ン中に辛いクソが詰まってて、まともに動くことができねえのか。
——なら、おれにくれちまいなよ。
(カレーノのクソをおれに寄こせ!)
そう念じた瞬間、
ギュウウッ!
と、おれの腹が痛んだ。
いますぐにでも爆発しそうにケツの穴が叫んでいる。
「うぐううっ!」
「あれ……治まった? お腹痛くない! 治ったわ!」
「そりゃあよかった……」
「あら、どうしたの? 顔色が悪いわ。それにすごい汗」
「いいから! それよりどうだ! とうがらしは食えそうか!? 火は吹けるか!?」
「うん! これならいけるわ!」
「よし、行くぞ!」
おれたちは前線の一歩うしろに立った。
最前線では、おびただしい量の魔物が、血の吹き出しそうな形相で迫ってきている。
もちろん立ち向かう人類も必死だ。
しかし魔物はそれ以上かもしれねえ。
なにせ動けねえ体を無理やり動かされているんだ。
それがどれだけ苦しいことか。考えただけで気分が悪い。
「ちっ……やるぞ、カレーノ!」
おれは火薬袋を構えた。
腹が死ぬほど痛えが、なんとかケツに力を入れて耐えるしかねえ!
「でも大丈夫? もし失敗したら……」
「やらなきゃ失敗する前に全滅だ! うぐ、痛ててて……」
「だけどあなた顔色が……」
「いいからやるぞ! もう時間がねえ! これが人類最後のチャンスなんだ!」
「……わかったわ! えいっ!」
おれたちは火薬袋を投げまくった。
もちろんいいかげんに投げるわけじゃねえ。ヴィチグンの方に向かって、一直線の道を作るよう、点々とだ。
そしてすべてを投げ終わり、
「前のヤツ! ちっとどけーッ!」
「じゃあ行くわよ!」
カレーノはとうがらしをふたつ口に放り込み、
「ホオオオオオーーーーッ!」
悲鳴とともに炎が飛び出し、火薬袋の直線を通り抜けた。瞬間、
ドドドドオッ!
と連続して火薬が爆発し、魔物を吹っ飛ばした。
よし、これで道ができた! 魔族に向かってまっすぐ進む、いちど限りのビクトリー・ロードがよ!
「いまだおらああーーーーッ!」
おれは道を走った。いのちを賭けた全力疾走だ。
腹が痛えのなんて感じてる暇はねえ。わずかも足をゆるめねえ。
不安も、恐怖も、なにもかも忘れて突っ走る。
この先で! クソを漏らすために!
「ガオオオッ!」
だが道はすぐに埋まった。
おれが来た道は魔物どもが押し寄せ、完全に塞がった。
目の前の魔物どもが牙を剥き、行く先も閉じられた。
おれは完全に孤立した。
視界のすべてを魔物が取り囲んでいる。
空からは飛翔系魔物が影を落とし、さきほどまで見えていた人間の気配は、魔物の猛々しい息遣いと唸り声に閉ざされ、完全に断ち切られてしまった。
あるのは殺戮を望むバケモノどもの姿だけ。
決して逃げ場のない、立ち向かうことさえ許されないような、死の牢獄。
よし、これでいい!
まったく、苦労したぜ。たかだかクソ漏らすためだけによお。
でもまあ、これでおれたちの勝ちだ。
ナーガスの勝利。
そしてヴィチグン、てめえの負けだ。
「ガオオオオオオーーッ!」
無限とも思える刃がおれを襲った。
耳が割れるほどの咆哮がおれを包んだ。
だが——!
「トリガー・スキル発動!」
ブビビッ! ブバババババババブリュリュリュブリブリブビビビーーッ!
一瞬、おれのケツを熱い痛みが襲った。
カレーノが味わうはずだった熱い痛み。
戦うために溜め込んだ、自らを傷つける犠牲の痛み。
それが濁流のように流れ出し、小さな出口を痛めつけた。
しかしそれは、すぐに消えた。
スキルが発動したおれは痛みを失う。
虹色の輝きに包まれたおれは苦しみを忘れる。
あるのはこころの痛みだけ。
そして、悲しみだけ。
おれの全身を、灰色の刃が覆っていた。
それらはとても弱い力でおれに触れていた。
……すまねえな。
でも、殺すしかねえんだ。
これは戦いなんだからよ。
灰色に染まった魔物どもは、やすらかな顔をしていた。
獣の表情なんかわからねえ。だが、なんとなくわかる。
ため息だ。
こいつらはため息のような目でおれを見ていた。
なにかに安心し、肩の力を抜くような、そんな目をしていた。
ほどなくして、そいつらは灰になった。
すべての苦痛から解放され、死という名の自由を手にした。
とても、おだやかで、悲しい死。
……許せねえな。仲間にこんな眼をさせるなんて、どうやったって許せねえ。
おれの魂が言っている! 人間の魂が叫んでいる!
あのやろうをぜってえにぶっ殺せと!
「おらああああーー!」
おれは全力で走った。
目の前を大量の魔物が塞いでいるが、構わず駆け抜けた。
無敵になったおれは全身のパワーが倍増している。
だから足も早えし、巨体も押し退ける。
そんで速度に乗ったらジャンプだ。
こうした方がちと早えし、なによりクソ魔族の居所が目に見える。
やろうは逃げていた。
ゾウみてえなのに乗って、魔物の群れから飛び出し、離れていた。
おれの鋭敏になった視力は、はるか遠くに走り去る一匹とひとりの表情をはっきりととらえた。
ヴィチグンは冷や汗をかき、血相を変えてゾウに鞭を打ちつけていた。
仲間には地獄を味合わせて、てめえは悠々逃げるつもりか!
「逃がすか、クソやろう!」
おれは十五万の壁を越え、広い草原へ飛び出した。ヤツまであと少しだ。
しかし、そんなとき、
「おっと……」
おれの体から虹色の輝きが消えた。
まだ数分しか経ってねえが、パワーを使いすぎたせいか、クソをもう消費しちまったらしい。
それに気づいたヤツは足を止め、逆に戻って来た。
「はははははは! どうやらスキルが終わったようだな! ヒヤヒヤさせおって!」
ヤツはあえて魔物どもにおれを襲わせず、じっくり取り囲ませた。
「虹色の光を見たときは肝を冷やしたが、ふふふ……むしろ助かったぞ。なにせきさまがスキルを発動せんと安心できなかったからな。それだけが怖かった。たとえほかの全員を殺しても、きさまのスキルだけが恐ろしかった。だが、これで安心だ。無敵のスキルが終わった以上、もう恐れるものはない。ははは! ははははははは!」
ヴィチグンは余裕で笑っていた。勝ち誇った笑みだった。
のっし、のっしと、ゆっくりゾウが歩いてくる。
少しずつ、少しずつ、遠くから近づいてくる。
警戒する様子はない。なにせおれはトリガー・スキルを使っちまった。
強力なスキルは、それだけ苦しいトリガーを必要とすると言われている。
無敵になり、触れただけで相手を殺すとなれば、よほどの苦痛を伴うか、発動条件が難しい。
そんな能力は連発が効かないに決まっている。
だから、ヤツは近づいてくるのだろう。
目の前でおれの死を眺めるため、あるいは、自らの手でおれを葬るため。
「さあ、どうしてやろうか! このビッグ・エレファンに潰させようか! それともすぐには死なぬよう、少しずつ傷つけていこうか! きさまの悲鳴はさぞ聞き心地がいいだろうなあ!」
おれは応えなかった。ひたすら押し黙り、睨む瞳で返していた。
——まるで、もう打つ手がないかのように。
「どうした! 怖くてなにも言えないのか!」
とうとうヴィチグンがおれの目の前まで迫った。
ビッグ・エレファンの巨体が太陽を隠し、おれを薄暗い影の中に閉じ込めた。
逆光で暗くなったヤツの、下卑た声がぐちぐち響く。
「魔王様を恐れさせた男だろう! せめて最期になにか言ったらどうだ!」
最期になにか……か。
「……地獄行きだ」
「は?」
「てめえのような悪逆非道なクソやろうは、死んだら間違いなく地獄行きだ」
「はっ、はははは!」
ヴィチグンは下品に笑った。貌が愉悦で歪んでいた。
「なにかと思えばつまらんことを言うものだ! あいにくおれたち魔族は、魔王様のように歳もとらず、死にもせんのだよ!」
そうかい、おめでてえやろうだ。
おれはつい、フッと笑い、教えてやった。
「いいや、死ぬぜ。いますぐにな」
「なに!?」
「セカンド・バースト!」
ブリリリーーッ! モリモリモリモリモリモリズモモモッ!
「こっ、この虹色の輝き! まさか!」
おれは二度目のトリガーを発動させた。
本来あるはずのない、二度目のクソだ。
一度目は自前のクソとカレーノの辛クソを合わせたミックス・クソだ。
しかし人間、そうなんども連続でクソを出せない。
そこでおれは、一度目を出した直後、オート・スキル”うんこ吸収”で、だれかのクソを吸収しておいた。
だれでもいいから、と念じたら、すんなり入ってきてくれた。
だれのか知らねえがいいクソだ。
硬すぎず、水っぽくもない。
実に健康的なクソで、パンツがしっかり重みで沈むのを感じる。
そしておれは虹色に輝いた。
全身に力がみなぎり、絶望に揺れるヤツの瞳をまっすぐに睨んだ。
「そんなバカな! 強力なスキルは制約が重いはず!」
「ああ、重いさ! とてつもなくな!」
おれは脚をバネにし、ほとんど垂直に飛び上がった。
こんどはおれが太陽を背にし、ヤツの上におれの影が落ちた。
影ははじめ小さく、点のようだった。
それがだんだんと大きくなっていく。
おれの体が速度を増して近づいていく。
ヤツの全身が影に覆われる。
そして!
「これがてめえの罪の重さだああああーーーーッ!」
おれはヴィチグンの顔面をぶん殴った。
ばきんっ! と、ほほ骨の折れる音がし、ヤツは灰色に染まった。




