表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/76

30 空腹はスパイス

 空は晴天だった。

 お日様を隠す雲はほとんどなく、風もゆるやかで、動くとやや汗が肌に(にじ)んだ。


 おれたちは、ナーガス兵二千人とともに、外壁の周りをぐるっと囲み、視線を外に向けていた。

 その先には、無尽蔵とも思える大量の魔物。

 人間二千に対しておよそ三万匹という大質量が、ゆっくりと大地を踏み鳴らし、覆い迫ってくる。


「十五倍か……」


 オンジーのひたいから、つうっと汗の雫がこぼれた。


 そうか、十五倍か。十五倍っつうと……たくさんだな。いっぱいいるもんな。


「こんなのを三十人で相手しようとしてたなんて、わたしたちどうかしてたわ」


 カレーノは槍を旗のように立て、薄く閉じた目で遠くを見ていた。

 声が明らかに沈んでいる。

 後悔してるんだろう。どう考えても、この人数じゃ勝ち目はねえ。


 思えば、あのとき酒場でついて来なかった勇者どもはマトモだった。

 机上の空論とはよく言ったもので、この作戦ならいけると踏んでも、それは実際に大軍をまのあたりにしてねえからそう思えるだけで、現実に敵の姿を見たら、根っこから間違ってたことがはっきりわかっちまった。

 おれたちゃどうかしてたよ。


 おれたちオーンスイの勇者は北東の一角に集まっていた。


「少数で魔王を倒そうなどと考えるくらいだ。よほど腕に自信があるんだろう。スキル持ちもいるようだしな。なら最も層の厚い場所に陣取れ」


 そんな女王さんの提案——もとい命令に従って、ここにいる。

 ま、酒と菓子をもらったし、それくれえゆーこと聞いてやんねえとな。

 それに女王さんもこのエリアにいることだしよ。

 少しうしろの方だが、指揮の旗と銅鑼(どら)を腰に差して、馬上に構えている。

 ほかにも十人ほどおなじ装備の騎馬がいて、方々に散らばっている。


 そう、ナーガスには馬がいるんだ。

 魔物がはびこって、ふつうの動物がほとんど滅んじまったこのご時世に、むかしながらの馬を数十匹飼っている。

 絵でしか見たことねえ本物の馬だ。


 こりゃあいろいろと期待できそうだぜ。

 なにせナーガス軍は、勇者なんて荒くれ者の集まりじゃなくて、規律ある、統率された軍隊だ。

 魔物との戦い方を知っているのはもちろん、指揮者の合図に従ってさまざまな陣形を(えが)くという。

 二千人がチームワークできるなんてすげえことだぜ。


「うまくやれるかな」


 オンジーはずいぶん不安がっていた。

 おいおい、いまさらなにを心配してやがる。ほかの勇者どもを見ろ。みんな目ェギラギラさせて、薄ら笑い浮かべてるヤツもいんぞ。カレーノだって強い目だ。

 合図を知らねえおれたちは、おのおのの判断で動いてくれって言われている。

 ならオーンスイ勇者の強さを見せてやろうぜ。

 でけえ図体して弱気になってんじゃねえ。


 ほら、そろそろ戦闘領域だぜ。


 視界一面の魔物どもが、とうとう距離数百メートルまで押し迫って来た。

 ひと型、獣タイプ、大型、小型、飛翔タイプ、ありとあらゆる種類の魔物が地平を塞ぎ、輪を(せば)めていく。


 それが、ビタリと止まった。

 まだ直近じゃねえ、だが遠すぎもしない、叫べば言葉が伝わるほどのところで、一斉に足を止めた。


 騒がしい静寂が訪れた。

 土を踏む音が消えた代わりに、はあ、はあ、という息遣いが大量に重なって、空気を揺らしている。

 まだ遠いはずなのに、舌を出して呼吸するヤツらの吐息が、地鳴りのように小さく(とどろ)いている。


 へっ、震えてくるぜ。

 この震えが武者震いなのか、恐怖なのか、よくわからねえ。

 周りの兵士どももおなじ気持ちなのか、そこらじゅうからガチガチと金属の小さく当たる音が響いてくる。


 やれんのか? 本当にこれ、勝てんのか?


「ねえ、ベンデル……」


 カレーノがずいぶんとしおらしい声で話しかけてきた。

 こんなときになんだ?


「わたし……怖い」


「カレーノ……」


 カレーノも震えていた。

 気づけば顔がはっきりと怯えに染まっていた。

 身のこなしから力強さが消え、可憐な少女のそれになっていた。


 ……そりゃそうだよなあ。女のくせによくこんなとこまで出張(でば)ってきたもんだぜ。

 本来なら奥に引っ込んでお祈りしたり、泣く子をよしよしあやしてるはずだろ。

 それが、土埃(つちぼこり)舞い、剣槍(けんやり)立ち並び、死ぬか殺すかのクソ戦場に立ってんだ。

 素直に賞賛するぜ。

 すぐにビンタするクセはいただけねえけどな。


「なあに、勝てるさ」


 おれは嘘を言った。

 勝てるかどうかなんてわからねえ。いや、むしろ敗色濃厚だ。

 どれだけ人間に知恵と技術があろうと、数の暴力には敵わねえ。

 まともにやりゃ、一網打尽だろう。


 けど、ここで萎縮するわけにはいかねえ。

 気が落ち込めば、それだけ鈍る。

 攻めなきゃならねえところで腕が前に出なけりゃ、その分敵が腕を伸ばす。


 だが、カレーノの震えは止まらなかった。

 目をつぶり、見えないなにかに押し潰されるのを耐えるように、肩をすぼめていた。


 こいつだけじゃねえ。オーンスイ勇者はバカだから、へらへら笑っているが、真人間(まにんげん)のナーガス兵どもは現実との直面で縮み上がっていた。

 鎧の当たる金属音に混じって、歯を噛み鳴らす音がガチガチと響いてやがる。


 ちっ、しょうがねえなあ。


「あーあ、腹減ったな」


 おれはカレーノの肩に手を置き、すっとぼけた。


「へっ?」


「あ〜、肉が食いてえなあ〜。あぶらたっぷりで塩の効いたヤツがよお。それか煮込みシチューもいいねえ。あれにパンをつけて食うとこれがまたうめえ。ソーセージにマスタードとトマトソース垂らしてかぶりつくのもいいな。ちっと苦えりんご酒で流し込んでよ。やわらかいハンバーグを肉汁こぼしながらほおばって、こんどは甘いぶどう酒で合わせて、でもやっぱ、しっかり歯ごたえのあるステーキが一番だよなあ。ブ厚いのをゴリゴリ切って、口ン中でたっぷり味わってよお。そんでウィスキーをくいっとやんだ。おー、たまんねえなあ!」


「なに言ってるのよ。一時間前に食べたばかりじゃない」


「一時間前だろうが百年前だろうが腹が減ったんだよ〜」


 おれは口元から垂れるよだれをぐいっと拭った。ああ、マジで腹減ってきやがる。


「おい、バカやろう!」


 おれの話を聞いて、オーンスイ勇者たちがぎゃーぎゃー騒いだ。


「食い意地張ったクソ漏らしが! てめえのせいで腹減っちまったじゃねえか!」


「ああー! 肉が食いてえー!」


「小鳥の肉を骨ごとバリバリ食いてえー!」


「酒ー! 酒ー!」


 おーおー、みんなよだれ垂らしてわめいてやがる。

 それにすげえ音だ。腹の()がグーグー鳴って、響いてやがる。


 へへっ、どうだい。おれのメシ・トークは効くだろう。

 食欲がググッと持ち上がって、腹ン中の空洞から欲望の熱気が湧き出して、居ても立ってもいられなくなるだろう。

 そいつが叫びになってのどから飛び出し、恐怖なんかかき消しちまうだろう。


 その効果を立証するように、ナーガスのしみったれどもの顔つきが変わった。

 ゴクリと唾を飲み込む。

 むむっと口を横に広げ、よだれを垂らす。

 困ったような、悲しむような目になって、叫ぶように舌を見せる。

 ピシッとした姿勢が、内部の熱でじわじわ広がる。


 ——頃合いだな。


「おーい、女王さんよおー!」


 おれは後方にたたずむヒットリーミ女王に言った。


「これが終わったら酒と肉をたらふく食わせてくれんだろうなー!?」


「なにィー!?」


 女王は怒るような目でおれを睨んだ。しかし、


「バカ者ー! わたしが約束を破るような不埒者(ふらちもの)に見えるか! 食え! 好きなだけ飲め!」


「みんな! 聞いたかーー!」


 おれは歓喜の声を上げた。


「あのクソ魔物どもをぶち殺しゃあ、酒も、肉も、食い放題、飲み放題だ! いっちょやったろうじゃねーかーー!」


 それを聞いた勇者どもは、荒くれ者特有の下品な笑顔で、


「うおおー! やろうぜクソどもー! ナーガスの食いもんがなくなるまで食いまくってやらあーーッ!」


 剣を振り上げ、わあわあわめき散らした。

 すると、その熱波に触れたナーガス兵どもも、


「バカ言うなー! おれたちもたらふく食うぞーー! 田舎者に遅れを取るんじゃないぞーー!」


 おおー! と得物を掲げ、高らかに叫んだ。

 よし、顔色がいい。欲望にまみれてやがる。

 恐怖が消えたわけじゃねえが、それよりも強い活気がみなぎってやがる。


「こ、こんなときにバカじゃないの!?」


 バカ騒ぎの中、カレーノは真っ赤になって(あき)れていた。

 どうやら地元の仲間が食い意地張るとこ見せて恥ずかしいらしい。

 でもよお、


「なあカレーノ。おめえはなにが食いたい?」


「はあ?」


「これが終わったら女王さんがいっぱい食わせてくれるってよ。おめえはなにが食いてえんだ?」


 そう訊いた途端、カレーノの腹の虫が鳴いた。

 口元にほんのりよだれが見える。

 なーんだ、おめえも食いしん坊じゃねえか。

 恥ずかしそうにもじもじして、くちびるモニョモニョさせてよお。

 ほれ、言ってみろ。


「け、ケーキ……」


「はあ? 小さくて聞こえねえなあ」


「ケーキが食べたい……かも」


「かもじゃねえよ。食いてえんだろ? あらかじめ女王さんに聞かせとかねえと用意してもらえねえぞ?」


「えっ、そんな……」


 おれは剣を掲げ、叫んだ。


「肉だー! おれは肉が食いてえーーッ!」


 お、聞こえたな。女王さん笑ってやがる。

 おめえもやるんだよ、ほら!


「わ……わたしはケーキ!」


「もっとでけえ声で!」


「け……ケーキが食べたーーい!」


 カレーノは槍を高く持ち上げ、でっかく叫んだ。


「ケーキとクッキー! カステラ! プリン! タルト! フルーツジュース! それと、それと……とにかく甘いものいっぱーーい!」


 だははは! なんだそりゃ!

 おめえ真面目なツラしてけっこう欲張りだな!

 女王さんも腹抱えて笑ってらあ。


 でも、よかったな。


「いいぞーーッ! 好きなだけ食わせてやるーーッ!」


 やったぜカレーノ! 今夜はパーティーだ!


「あはははっ。なにこれ、バカみたい!」


 そうだよ、バカだよ。大バカだよ。

 でもいいじゃねえか。

 おれも、おまえも、超笑顔だ。


 いいかい、人間ってのは希望があるから生きていけんだ。

 今夜うめえもんが食えると思うからがんばれんだ。

 まっすぐだろうが、曲がっていようが、バカになるほど前のめりになりゃ、とんでもねえ勇気が湧き上がるんだ。


 となりゃあ震えてる場合じゃねーだろ。

 こんなクソ魔物ども、ばばっとやっつけちまって、ガーっと豪勢な晩飯を食わせてもらおうぜ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ