21 恐るべき罠
「顔を覚えるだけのはずでしょう? 恐ろしい力を持っているはずよ」
「クハハハ、その前に殺せばいい」
青い肌のふたりは、なにやらごちゃごちゃ話していた。
おれはそこに、
「おい! だれを殺すつもりだ!」
と怒鳴りつけた。
あのイヴォージィとかいうヤツ、アホを殺すとか抜かしたが、それってつまり、おれたちのだれかをアホだと思っていて、そいつを殺すってことだろ!?
そんなこと許さねえ!
「クックック……きさまだ、ド阿呆」
なに!? こいつ、おれを指差して…………おれをアホだと!?
「まさか顔を見せろと言ったら、素直にじっとしてくれるんだからなあ。おかげできさまの顔を残せた。魔王様の脅威たる人間の顔をな!」
くそ……言ってることがよくわからねえ!
顔が残ったからなんだってんだよ!
「だから言ったのよバカー!」
カレーノがヒステリックに言った。
「いやに顔を見せろって言うから変だと思ったら、やっぱりそうじゃない! あなたターゲットとして覚えられたのよ!」
ええっ、そうなの!?
「クハハハ! 人間ども、心配するな! この人相書きは無意味なものとなる!」
どうして!? せっかく描いたのに捨てちゃうのか!?
「なぜならいま、ここで死ぬからだ!」
イヴォージィがそう叫んだ瞬間、森の奥からめきめき、ばきばきと木の折れる音が響いた。
おいおい、なにが起こってやがる!
「おい、ベンデル! あの女から人相書きを奪うぞ!」
オンジーは叫ぶや否や、
♪——おじょ〜さあ〜〜ん! その絵をこちらにくださあ〜〜い!
クッソド下手クソな歌をかまし、衝撃波を撃ち放った。
オンジーの正面の空気が、ぐにゃりと歪んでいく。
それは高速で空気を伝い、一秒と経たずして女にぶつかった。
「いやっ!」
女の悲鳴が上がった。しかし——
「な、なんて下手な歌なの!?」
女は吹っ飛ぶどころか一歩も動いてねえ! 耳塞いでいやな顔してるだけだ!
つーか衝突音がなかったぞ! 間違いなく当たったはずなのに!
「クハハハハ!」
イヴォージィが笑った。
「おれたち魔族は魔王様の眷属だ! 攻撃は効かない!」
「なんだと!?」
魔王の眷属!? 攻撃が効かない!?
じゃあダメじゃん!
「ホオオオーーー!」
突如、カレーノの叫びとともに炎が飛んだ。
これは……”激辛の炎”!
標的は似顔絵!
「おっと、それはまずい!」
イヴォージィの目がギラリと輝いた。瞬間、
どおおっ!
と巨大な芋虫みてえなのが森の奥から飛び出し、炎の盾となった。
「な、なんてでけえ芋虫だ!」
すげえでけえ!
パッと見ただけでも家の周りをぐるっと回れるくれえでけえ!
背丈も胴回りも人間の倍くれえありやがる!
「危ない危ない。いくらおれたちが無敵でも、紙は燃えてしまうかもしれん。さ、キレジィ。人相書きを持ち帰ってくれ」
キレジィと呼ばれた女はこくりとうなずくと、
「クロ、おいで」
と言った。
するとどこからともなく真っ黒な狼の魔物が現れ、キレジィの傍に寄った。
「狼!?」
おれたちの前のめりだった体がビタリと止まった。
勇者たるもの、どんなときでも未知の危険には踏みとどまる。
それが生き残るための最低限必要な感覚であり、そうでねえヤツはおっ死ぬ。
はじめて見る魔物だった。
獣タイプの魔物は、虎やライオンはもちろん、でけえの小せえのさまざま見てきたが、犬と狼だけはだれも見たことがねえ。
いったいどんな戦い方をするのか。
闇を落としたように黒く艶やかな毛並み、鮮血のように鮮やかな鋭い瞳、その四肢の先には大振りの爪が光っている。
「さ、行こう」
そう言ってキレジィは狼の背にまたがった。そこに、
「に、逃がさない! はひー!」
カレーノが大蛇のような炎を吐きかけた。
炎は空中でなんどもきりもみし、速度も相まって避けにくいものだった。
だが!
——ブンッ
と狼が高速で前脚を払い、炎をかき消してしまった!
こいつ、並の魔物じゃねえ!
いまのだけで十分わかる! いままでおれたちが戦ってきた魔物どもとは格が違う!
「フフ、いい子」
キレジィがそう言って狼の頭を撫でると、狼はぐるると甘い声で鳴き、くるりと背を向けた。
♪——逃〜〜がすものか〜〜〜い!
オンジーが再び衝撃波を放った。
しかし女は、ちらりとこちらに視線を向けると、軽々と攻撃をかわし、立ち去った。
高速の衝撃波を見てからの余裕ある移動だった。
……すげえ魔物だ。もしあれと戦えばおれでもやべえかもしれねえ。
……おっと、やべえのがまだいるんだったな。
「さあ、これでこころおぎなく戦える! 魔物たちよ! 蹂躙せよ!」
イヴォージィの真っ赤な瞳がギラっと輝き、両手を広げ叫んだ。
すると森の奥からわらわらと大量の魔物が現れ、怒涛のいきおいで襲いかかってきた。
「うわああー!」
勇者どもは絶望の声を上げた。
なんせとんでもねえ数だ。種類もさまざま、ざっと見ただけでも二、三百匹はいやがる。
死を覚悟した猛者なだけあって、しっかり応戦はしたが、まるで土石流に流されるみてえに、あとへ、あとへと押されていく。
「クハハハハハ! わざわざワームを連れてくるまでもなかったな! オオドラゴンを葬ったと聞いてどれほどのものかと思ったが、とんだ拍子抜けだ!」
クソッ! 突っ立ってるだけのくせに偉そうなヤツだ! ぶん殴ってやりてえ!
けどこの数相手じゃ身動きが取れねえ! あーもう、邪魔だクソ魔物どもめ!
そんな中、
「フォオオオオーー! ホッホオオオオーー!」
カレーノが炎を振り撒きつつ、身を乗り出した。
なるほど、こいつが正面に立てば大量の敵を押し返せる。
おかげでちっとは楽になったぜ。
「へんれる! いまのうひひふひるほ!」
え、なんだって?
「ふひるを!」
ふひる?
「ふひる!」
はあ? なに言ってんのかわかんねえよ。ちゃんとしゃべれ。
「スキル使って! 無敵になるんでしょ!」
あ、スキルね。やっと聞こえたよ。
……って、おい! 炎が出なくなってるぞ!
あいつ、舌から辛味が抜けやがったな!
「きゃあー!」
ああっ! 魔物どもがカレーノに飛びかかっていく!
そうはさせるか!
「カレーノーー!」
おれは目の前の魔物を切り払い、カレーノの元に跳んだ。
いままさに獣牙が襲いかかろうという、そのとき、
「おらあー!」
おれはそいつらをぶった斬ってやった。
へっ、攻撃中のヤツは動きがわかりやすいから簡単だぜ。
「ベンデル!」
「大丈夫かカレーノ!」
おれはカレーノと背中合わせになって魔物どもに取り囲まれた。
すげえ数だ。視界が魔物でぎっちり埋まってやがる。
絶体絶命だぜ。
「ベンデル! お願い泣いて!」
「なに!?」
「スキルよ! ”無敵泣き虫”! 悲しいこととか思い出せばなんとかなるでしょ! それまでなんとか時間を稼ぐから! ……うう」
そう言うとカレーノは、なんととうがらしを三つもかじり、再び絶叫しながら炎を吐き散らした。
こいつ……なんて女だ。
辛いもんが死ぬほど苦手なはずなのに、生のとうがらしを連続食いだと?
しかもいちどに三つだって?
……おれは間違ってたよ。
おめえをただのヒステリック女だと思っていた。
だけど違う。
おめえは立派な、勇気あるヒステリック女だ!
カレーノの炎は次々と魔物を燃やした。向かうところ敵なしだった。
……よし、おれもスキルを使おう!
”無敵うんこ漏らし”でこんなヤツらぶっ殺してやる!
……だけどそのためにはクソを漏らさなきゃならねえんだよなあ。
おいおい待てよ。そりゃいやだぜ。だってクソ漏らすんだぜ。
こんな大勢の仲間の前で、この女の目の前で、「ベンデル漏らしまーす!」っつってブリブリビチビチよお!
できねえ! おれにはそんなことできねえ! なんとか生身の剣技で戦うしかねえ!
だが!
「クハハハハハ!」
イヴォージィの笑い声とともに巨大なワームが突っ込んできた。
ワームの頭と思わしきところにやろうが乗って、まっすぐ向かってきやがる。
当然カレーノは炎で応戦したが、これが効かねえ!
「ワームの厚い皮に炎は通用せん! 死ぬがいい!」
圧倒的重量が木々をめきめき倒し、迫ってきた。
「危ねえッ!」
「きゃあっ!」
おれたちは間一髪飛び退いた。
だが、別方向に跳ねたせいでワームを挟んでちりぢりになっちまった。
超ピンチ! こんな大量の魔物ひとりじゃ相手にできねえ!
♪——ベンデル〜! いま行くぞーお〜!
オンジーが歌いながらこっちに走ってきた。
おお、助かったぜ。
あいつは聴くに耐えねえ歌声さえ我慢すりゃ、すげえパワーの持ち主だからな。
これでなんとか……
「そうはさせん!」
ああっと! おれを孤立させるようにワームが道を塞ぎやがった!
仲間たちの方向にはワームの壁! ほか三方は魔物の波!
マジの大マジに絶体絶命だ!
「ちくしょう! これまでだってのかよ!」
おれは大量の魔物ににじり寄られながら、ワームの上に立つイヴォージィを睨み上げた。
悔しいがどうしようもねえ!
「クハハハハ! やはりいま手を出して正解だったな!」
「なに!?」
「トリガー・スキルが発動できないのだろう!」
……くっ! なぜわかる!
「トリガー・スキルは強力なものほど苦痛を伴うと聞く! 魔王様を恐れさせるほどのスキルなら、よほどの苦痛に違いない! あるいは発動条件が難しいのか! いずれにせよ、そんなことだろうと思ってけしかけて正解だった! おれの手柄だ! おれが脅威を消し去るんだ! クハハハ! クハハハハハハ!」
このやろお〜! やろうと思えばいつだってやれんだよ!
だけど、したらみんなの前でクソ漏らしなんだよ!
あの女の前で死ぬほど恥ずかしいことになっちまうんだよ!
ひとの気も知らねえで好き勝手言いやがって!
「さて! そろそろ終わりにしてやろう!」
イヴォージィはギラリと目を光らせ、高らかに叫んだ。
「魔物どもよ! この男を八つ裂きにしろ!」
「がおおおー!」
命令に合わせて大量の魔物どもが飛びかかってきた!
ちくしょう、逃げ場はねえ! 助けも来ねえ!
おれと仲間たちのあいだには巨大なワームの壁がある!
これで終わりかよ!
こんなところで終わっちまうのかよ!
魔王城に行くどころか、地方を越えもしねえこんな小さな壁でよお!
……はっ! 壁!?
そうか! おれはいまワームの壁で仲間たちから見えねえ! 戦いの騒音で多少の音は消えちまう!
つまり……クソを漏らしてもバレねえ!
「ならこっちのもんだおらあー!」
——ブビーーッ! ブリブリブビビブビブリュリュリュリュリュブブーッ!
おれは全力でクソを漏らした。
パンツの中にビチビチのクソがぶち込まれた。
その瞬間、おれの全身に無数の爪牙が突き立てられた。
——だが!
「なっ、なんだこの光は!」
イヴォージィがおののき、のけ反った。
おれのスキルが発動していた。
人類の希望、最強のスキル”無敵うんこ漏らし”が!
「虹色の輝き! まさか!」
「へっ……その”まさか”さ」
おれの視界は狭かった。
なにせ魔物が四方八方にまとわりついていた。
だが……そいつらは終わっている。
ヤツらは灰色に染まり、死のさだめを受けてしまっている。
「見ろ! これが真の勇者の力だ!」
おれは霧を払うように腕を振るった。
魔物どもは散り散りの灰となり、空に舞った。
おれは灰色に煙る景色の中で、恐怖に歪む魔族の目をまっすぐにとらえていた。




