18 手放した者たち(ざまぁ)
ベンデルたちが旅立ちの盃を飲み交わすころ、オーティ勇者団は近隣の森を調査していた。
出立を拒否した勇者約二十名。
彼らは街に残ることを選んだが、その際オンジーに頼みごとをされていた。
「街の平和を頼む。それと、近くの街や村に行って援軍を寄越してほしい。ルートは酒場のマスターに伝えておく」
これを受けて十名ほどが散り散り援軍の募集に向かい、オーティはふだんの勇者業、すなわち周囲の魔物の駆除活動をしていた。
もっとも、いつものようにギルドから依頼を受けているわけではない。
やったところで銅貨一枚もらえない。
しかしいまは緊急事態であり、いつどこから魔物の襲撃があってもおかしくない状況だ。
そこで彼は調査を申し出た。
オーティ勇者団はそこそこ手練れであり、咄嗟の戦闘にも慣れている。
彼らは北西側を見回り、魔物の気配がないか確かめようとしていた。
「おめえら、しっかりしろ」
オーティは腹を押さえる仲間たちに言った。
彼らは昨日から便秘で苦しんでいた。
元々彼らは便通が少なかった。
ほかの人間より多く食うのに、なぜか週にいちどくらいしか便が出ない。
それもたいした量ではない。
まるで彼らの体内にあるはずの便が、どこか別のところへ消えてしまうかのようであった。
(クソッ、なんだってんだよ)
不思議でならなかった。
思えばむかしはこうではなかった。
三年前、ベンデル・キーヌクトという男を仲間に入れたころからトイレに行く頻度が激減した気がする。
ベンデルはよく便の出る男だった。
それも尋常の量ではない。
日に何度行けば気が済むのかと呆れるほどであった。
かつてオーティは酒の席でこう言ったことがある。
「まるでおれたちのクソを代わりに出してるみてえだな」
もちろん冗談で言ったことだが、それがいま彼の脳裏によみがえっていた。
彼が現れてから便通がなくなり、彼を追放した途端むくむくと腹の中に便が蓄えられている。
こうなるとまさか真実では、などと思ってしまう。
(バカが……おれはなにを考えているんだ……)
オーティはだれに見せるでもなく、青ざめた顔を振った。
われながらおかしなことを考えたと思った。
人間の便を他人が代わりにすることなどありえない。
たとえば他者の便を吸収するスキルでもあれば話は別だが、そんなバカげたスキルがあるはずがない。
もっとも、それが真実なのだが。
「周囲に目を凝らせ。魔物の存在、気配、わずかな痕も見逃すな」
オーティは気丈に振る舞った。
彼も腹詰まりの苦しみに襲われていたが、リーダーとして胸を張らねばならなかった。
(せめてクソが出れば……)
便さえ出ればなんてことはない。
しかしその便が出ない。
長年排泄を他人任せにしてきた肛門はしなやかさを失い、固く閉じられていた。
(ベンデル……おめえはよくクソの出る男だったな)
魔物を探す仕事をしていながら、なぜかベンデルのことが思い起こされた。
大便といえば彼——だからか。
いまになってなぜか彼がいないことがひどく心細く感じる。
実力のある男だった。
自分より五つは年下だが、腕力、敏捷さ、技術、度胸、どれをとっても優秀だった。
ただひとつの欠点は、戦闘中に便を漏らすこと。
それさえ克服できれば街一番の勇者足り得ると見たからこそ、オーティは彼を手元に置いていた。
だが三年経っても治らないので、もう見込みはないと思い追放してしまった。
決して間違ったことはしていない。
むしろよく三年も面倒を見た。
だが、なぜかいまはそれが間違いだと感じる。
理屈ではない。
長年いのちを削る戦いをしてきた戦士の勘がそう言っている。
(どうかしてるぜ……)
オーティは腹の痛みに悶えた。
こんなバカなことを考えるのは、便秘のつらさで思考がおかしくなっているからに違いない。
あいつがいないことと、パーティの便秘はなんの関連性もない。そう思った。
「オーティ、おいどんやばいでごわす!」
キンギーが言った。
「おいどん、腹がゴロゴロ言ってるでごわす!」
「うるせえぞ、近くに魔物がいたらどうするつもりだ。もう少し静かに話せ」
「でもおいどん、うんこが、うんこが!」
「あ、あたしも……」
「ミギニオ……」
「さっきから……あっ、どうしましょう。これ、まずいわ。出ない出ないと思ってたら、いまになって……ああんっ」
「おいらもやばいでやんす……!」
「タイ……おまえまで」
オーティの青い顔がさらに青くなった。
彼らの話を聞いているうちに彼も便意に襲われたのだ。
「ぐうっ……」
声が漏れた。
顔からどっとあぶら汗があふれ、腹に溜まっているかたまりが扉を開こうと動き出した。
肛門からなにか透明な液体が滲み出てくるような錯覚を覚え、尻ごとぎゅっと締めた。
「し、しかたねえ……野グソだ」
「ごわす!」
「よかった!」
「やったでやんす!」
彼らは尻を締めてちょこちょこ走った。
前方約十メートルのところにまばらな茂みがある。
四人それぞれ隠れて排便できる、おあつらえの場所だ。
あと少し! 無理に急げば途中でバーストする!
恐怖、緊張、腹痛——地獄のような便意を抱え、彼らはやっとそこに辿り着いた。
が——
「しまった! オークだ!」
こんなときに魔物と出会ってしまった。
まさか茂みの向こうに棍棒を持つひと型の魔物、オークがいるなどと思わなかった。
オークは目が合った瞬間、怒涛のいきおいで駆けてきた。
「みんな散れ!」
オーティはすぐさまバラけるよう指示した。
敵が一匹なら分散すれば包囲できる。
全員が戦闘不能に近いいま、少しでも有利な状況を作らねばならなかった。
しかし、
「うおー! やばいでごわす! やばいでごわす!」
キンギーが移動しようとした瞬間、漏らしそうになった。
こうなると一歩も動けない。
「ウゴー!」
オークが棍棒を振り上げ迫ってくる。
「キンギー! 斧でガードするんだ!」
「で、でも! いまケツ以外に力を入れたら漏れるでごわす!」
「バカ言うな! 来るぞ!」
「うおー! 斧でガード!」
——ガキン!
「うっ………………うぎゃあああああーー!」
ドバアーッ! ブリブリブリドブドブモリモリモリモリブボオーッ!
「キンギーーーーー!」
オーティは叫んだ。
絶望、悲しみ、哀れみ、さまざまな意識が複雑に絡み合った、こころからの叫びだった。
彼の目の前で、大切な仲間が見るに耐えない姿を晒していた。
戦いはまだ、続いている。
「ウゴー!」
「見てオーティ! オークが鼻を押さえてるわ!」
「よし、この隙に取り囲む!」
「あっ、やばいでやんす!」
「タイ!」
「おいらこれ以上一歩も動けないでやんす!」
「ウゴー!」
「あっ! オークがタイの方に走って行くわ!」
「来るなでやんす!」
「タイ! 盾でガードだ!」
「で、でも! いまケツ以外に力を入れたら漏れるでやんす!」
「バカ言うな! 来るぞ!」
「やんすー! 盾でガード!」
——ガキン!
「うっ………………うぎゃあああああーー!」
ブピー! ブボボボボボボボドバドバブッジュルルルルルルブボーーッ!
「タイーーーーー!」
オーティは叫んだ。
ふたりの仲間が襲われ、戦闘中に漏らしてしまった。
さいわい傷を負ったわけではないが、そのこころには、かたちのない刃が深々と突き刺さったことだろう。
戦いはまだ、続いている。
「ウゴー!」
「見てオーティ! オークが鼻を押さえてるわ!」
「よし、この隙に背後を取る!」
「あっ、まずいわ!」
「ミギニオ!」
「あたしこれ以上一歩も動けない!」
「なんだと!?」
「ウゴー!」
「オークがそっちに走って行くぞ!」
「こ、来ないで!」
「ミギニオ! 剣でガードだ!」
「で、でも! いまお尻以外に力を入れたら漏れちゃうわ!」
「バカ言うな! 来るぞ!」
「やだー! 剣でガード!」
——ガキン!
「いっ………………いやあああああああーー!」
ブリブリーッ! ブバババババドッバドボボボボボボボドッバアーッ!
「ミギニオーーーーー!」
オーティは叫んだ。
ミギニオまで漏らしてしまった。
女にとってこれ以上の苦痛があるだろうか。
こんなことが許されていいのか。
この世に神はいないのだろうか。
戦いはまだ、続いている。
「ウゴー!」
「オークが鼻を押さえている! この隙に攻撃を……あ、しまった! これ以上一歩も動けない!」
「ウゴー!」
「オークがこっちに走ってくる! く、来るな! くそお、剣でガードするしかない! だ、だが! いまケツ以外に力を入れたら漏れちまう! しかし……くそー! 剣でガード!」
——ガキン!
「うっ………………うわあああああああーー!」
ブッバアー! ブジュジュブビビビビビブリュリュリュリュリュドブドブボドボドボドブピーブピーブッブババババババババアアアアアーーーーッ!




