12 デスタッチ
氷竜はばたばたと転がり、ひどくあえいでいた。
殴られたところが大きくへこんでいる。
だがそんなことはさしたる変化じゃねえ。
一番の変化は、なぜか全身が灰色に染まっていることだ。
スキルの効果だろうか。たしか女神はこう言っていた。
「あなたはうんこを漏らすと無敵になります。どんな攻撃も受けつけず、あらゆるものを触れただけで死に至らしめます」
おれは先ほどこいつを殴った。
拳で触れた。
それで灰色になったと考えるのが自然だろう。
そして、やはりスキルの効果だった。
氷竜の体に亀裂が入った。
ピシピシとひび割れ、ざあっと細かい灰になって崩れた。
「これが……おれのスキル」
おれはやけに冷静だった。
こころが落ち着いている。魔王に対する怒りをはっきりと持ちながら、恐ろしく冷静な自分がいる。
まるで青い炎だ。
赤く燃えたぎる激しい炎と違い、静かに、だが赤よりも熱く燃える、青い炎。
それが、おれの胸に灯っている。
「べ、ベンデル……?」
カレーノはポカンとしていた。
死の恐怖やら、突然の救出やら、いろんなことが頭の中でごちゃごちゃしてるに違えねえ。
だから言ってやったよ。
「逃げな。あとはおれがやる」
「その体は……?」
「体?」
おれは言われてはじめて気づいた。おれの体は虹色に輝いていた。
「まさか!」
魔王が叫んだ。
「まさかドラゴンを一撃で! きさま何者だ!」
「おれか……?」
何者かだと? そんなもん決まってるだろ。
「おれはベンデル・キーヌクト! てめえを殺し、世界を救う、人類の光だ!」
おれは振り向きざまに言い放った。
ドラゴンの背から見下ろす魔王は、殺意のかたまりのような眼光を放っていた。
おれはその視線を真っ向から受け止め、くっきりと、睨むでもない、強いまなざしを返した。
「ぐ……!」
魔王の青い顔がのけ反った。
おれは、かたちのない、感情の激突を押し返した。
おれの眼力がヤツの目を通してこころを射抜いていた。
「炎竜! 焼き殺せ!」
魔王が叫び、赤い竜が火を吹いた。
途端、おれの全身が炎に包まれ、視界が真っ赤に染まった。
だが、熱くねえ。
なんの痛痒も感じねえ。
体を見ると、虹色の光に炎がさえぎられていた。
なるほど、無敵だな。
「次はこっちの番だ!」
おれは大地を蹴り、跳び上がった。
驚くほどの跳躍力が生まれた。
スキルによって強化された脚力は人間離れしており、およそ四、五階の高さに浮かぶ炎竜のあごを蹴り上げた。
するとそいつは氷竜同様、灰色に染まった。
ほとんど一瞬での変化だった。
そのとき——
「はっ、これは!」
魔王は靴を脱ぎ捨て飛び上がり、土色の竜へと飛び移った。
そして炎竜と靴は灰色に染まり、粉々に崩れた。
どうやらこのスキルは伝播するらしい。
もし魔王の勘がよくなければ、きっとヤツの青い肌も灰となっていただろう。
だが、わかった。これなら魔王を倒せるかもしれねえ。
なにせヤツはあせっていた。
さっきはナイフを避けもしなかったのに、今回ははっきりと恐れを見せた。
事実、靴は崩れていた。
「もういちどだ!」
着地したおれは、魔王をぶん殴るために再び跳んだ。
ヤツの乗った竜は度肝を抜かれて目を丸くしていた。
やれる!
だが——!
「守れ! 風竜!」
魔王と土色の竜をかばうように緑色の竜が盾となり、突風を吐いた。
しかしおれのいきおいは止まらねえ。
虹色の光が風をはじいている。
おれはそのまま突っ込み、風竜に頭突きを叩き込んだ。
あとはもうさっきとおなじだ。
灰となって、落ちていく。
しかしいまので推力を失ってしまった! これでは届かない!
「ここは一旦引き上げだ!」
魔王がそう叫ぶと、ヤツを乗せた竜と、生き残った黄色い竜は空高く飛び上がり、北の夜空に小さく溶けていった。
「待ちやがれ! 姉さんの仇! あの子の仇!」
声は届いたか、否か。
どっちにしろヤツは行っちまった。
ちくしょう! あと一歩だったのに!
おれはヤツの逃げた先を見据えた。
どこまで逃げたか知らねえが、ぜってえにぶん殴ってやる。
たとえ海の向こうだろうと、地の果てだろうとな!
……しかしすげえスキルだな。
”無敵うんこ漏らし”……女神が最強と言っただけはある。
風も炎も効かねえし、とんでもねえパワーが出るし、なにより触れただけで敵を灰にしちまう。
こりゃあマジで世界を救えるぜ。
そんな感慨にふけるおれの腕に一匹のカブトムシが飛んできた。
夜の虫は火に寄ってくるから、でけえ焚き火と間違えたのかもしれねえ。
へへっ、こりゃいいや。むかし飼ってたんだよ、カブトムシ。
しかしそいつはおれに触れた瞬間灰色になっちまった。
「おっと、マジか」
どうやらこの力は敵というより触れたものすべてに作用するらしい。
たぶん生命に向かうようできてるんだろう。
じゃなきゃいまごろ服が崩れて素っ裸だ。
「ベンデル! すごいわ!」
ふと背後を見るとカレーノが立ち上がっていた。
「爆薬でも大して効かなかったのよ! それを簡単に倒しちゃうなんて!」
カレーノはそう言っておれの手を握ろうとした。
おれは慌てて、
「おおっと!」
と手を引っ込めた。
「触るな! 死ぬぞ!」
「えっ?」
「どうやらそういうスキルらしい。もうすぐ元に戻るからちと待っててくれ」
そう、もうすぐ元に戻る。
このスキルはパンツの中に漏らしたクソをエネルギーとし、それがすべて蒸発すると力を失う。
時間はおそらく十分も経っていなかった。
おれのケツはすっかり異物感が薄まり、いまやわずかに湿り気を感じる程度だった。
そしてそれもなくなると、
「お、戻ったか……」
おれの体から虹色の輝きが消えた。
クソがきれいさっぱり消えたらしい。
大丈夫かな? においはしねえけど、パンツやズボンに染みてなきゃいいなあ……
「ベンデル!」
スキルが切れたのを見計らってカレーノがおれの手を両手で握った。
「お、おう……」
しっとりやわらかいお手手だ。うひょお、ドキドキしちまう!
そんなにがっちり握っちゃって、おれ、意識しちゃうぞ!?
そんなふうにドギマギするおれに、カレーノはまっすぐな目で言った。
「ありがとう……」
「え?」
「助けてくれて……ありがとう」
美しい瞳は潤んでいた。
艶やかなくちびるは微笑んでいた。
おれはドキッと胸が鳴り、なんだか無性に照れ臭くって、
「お、おう……」
と余った方の手で頭をかいた。
あんまりきれいなもんだから、つい視線をそらさずにいられなかった。
とにもかくにもおれたちは助かった。
最悪の夜は炎の明かりに揺れ、静かに更けていった。




