11 魔王襲来
おれはがむしゃらに走った。
頭に血が昇っていた。
オンジーがうしろでチームワークがどーのこーの言ってたが、そんなもん聞く耳持たなかった。
ヤツらは家屋の屋根を踏みつけ、ぎいぎいと鳴き声を発していた。
おれは足場を見つけて屋根まで駆け上り、赤い一匹の脚を思い切り斬りつけてやった。
「おらあ!」
だが相当硬いうろこで、表面に傷がついただけだった。
そしてドラゴンがおれに気づき、見下した。
ぐるるる、と口から真冬の息みてえに炎を漏らし、蚊が止まったようなツラしてやがった。
「このやろお! てめえらぜってえ許さねえからな!」
おれは叫んだ。
ケダモノに言葉なんて通じねえが、そうせずにいられなかった。
そこに——
「ほお、そんなチンケな剣でどう許さないんだ?」
男の声がした。
低く、黒い声だった。
それは頭上高く、ドラゴンの背中から聞こえてきた。
「て、てめえは!」
「なあ、おれ様は訊いているんだ。そんな小さな体で、どうやってこのドラゴンたちを許さないというんだ?」
そいつは笑っていた。
暗い、炎の明かりの中でもはっきりわかる青色の顔で、ニタリ、ニタリと歯を剥き出しにしてほくそ笑んでいた。
「ま、魔王!」
そう、魔王だ。ガキのころ絵画で見せられたからみんな知っている。
青い肌、吊り上がった赤い目、真っ黒なマント、そしていつまでも絵とおなじ若い青年姿。
間違いねえ、おれたち人類の仇敵、魔王だ!
こいつが出てきたってことは……!
「なにしに来やがったこのやろう!」
「そろそろ人類を滅ぼそうと思ってなあ」
やっぱりそうか! そのうち来るとは噂されていたが、本当に来るとはよお!
「くくく……やはり侵略はいい。人間が無様に焼かれ、踏み潰され、ぼろきれのように死んでいくのは最高に気分がいい」
「悪趣味なやろうめ! 生きて帰れると思うなよ!」
おれは腰元につけていたナイフをクソ魔王に投げつけてやった。
が、効かなかった。
避けもせず、防ぐでもなく、ナイフは砕けた。
ヤツの顔面に触れると同時に粉々に砕け散った。
「ほう、いい腕だ」
「んなっ……」
「きさまのようなヤツがいると魔物の侵攻に支障が出そうだ。真っ先に殺してやらんとな」
魔王の目が赤く輝いた。
その言葉に呼応するように赤いドラゴンが鎌首をもたげ、あんぐり大口を開けた。
やべえ! 屋根の上じゃうまく動けねえ!
竜の牙がおれを狙った。そのとき!
「ベンデル伏せろ!」
野太い叫びが聞こえた。
おれは咄嗟に這いつくばると、
♪——おおおお〜! おれの歌を〜〜聞け〜〜!
クソド下手な歌が響いた。
瞬間空気が震え、ドラゴンの頭が殴られたように押し出された。
”音痴衝撃波”——勇者オンジー・カネヒトツのトリガー・スキルだ。
こいつはド下手クソな歌を歌うことで、衝撃波を放つことができる。
「オンジー!」
「急げ! 逃げるぞ!」
「なに!?」
「忘れたのか! 魔王に攻撃は無意味だ! 一切の攻撃が効かない!」
「あっ!」
そうだ、忘れていた。魔王は無敵なんだった。
むかしからヤツは戦う力もないくせに常に最前線に顔を出したという。
それは人間の死を間近で見るためであり、無敵だからこそできることだ。
「ドラゴンにもあまり効いてない! スキルの直撃を受けたのに転びもしない! まず勝ち目はないだろう! 急いで降りて、早く逃げるんだ!」
「けど——」
「けどじゃない! せめてドラゴンを倒せるよう情報を後方に届けなくちゃいけない! ほかのヤツにはもう逃げてもらった! おれたちも逃げるぞ!」
「……くそっ!」
おれは屋根を飛び降りた。たしかに攻撃が効かねえんじゃやりようがねえ。
ちくしょう! あの子の仇を取れなかった!
目の前に魔王がいるのに……姉さんの仇がそこにいるっつうのによお!
♪——お〜〜れはオンジー! カーネヒットッツー!
オンジーはさらに歌った。
音程ぐちゃぐちゃの、聴いてるだけで頭がおかしくなりそうな音痴な歌——いや、こりゃ歌なんてもんじゃねえ、奇声だ。
だがそれと同時に突風にも似た衝撃波が飛び、追いかけてこようとしたドラゴンを追い返した。
「いまだ! 来い!」
おれは逃げ出した。背後に向かって、
「あとでぶっ殺す!」
と叫び、唾を吐きかけてやった。
だが敵は背後ばかりじゃねえ。
「くそっ!」
オンジーの前に緑色のドラゴンが立ちはだかった。
そこで再びオンジーは歌ったが、ドラゴンは風を吹いて衝撃波を打ち消した。
どうやら色によってわざが違うらしい。
正面の緑は風を吐き、続いて側面に降り立った青いドラゴンは、口から氷のつぶてをぼろぼろこぼしていた。
「ふははははは!」
魔王が笑った。
「これはいい! 死地に飛び込むほど勇敢な勇者をふたりも殺せるんだからな! しかも片方はスキル持ちだ!」
おれたちは五匹の竜に囲まれた。もうどこにも逃げ場はなかった。
ちくしょう、どうすりゃいいんだ!
魔王の目が赤く輝き、「笑え」と言った。
すると五匹の竜は首を上げ、夜空に向かってぎょっ、ぎょっ、と鳴いた。
このやろう……笑ってやがる! ちっくしょう!
が、それが隙になった。
突如青い竜の背後で大爆発が起きた。
爆風で竜が押し出され、ほかの竜を巻き添えに薙ぎ倒された。
直撃を受けた青いのは、背中のうろこがけっこう剥がれてやがった。
「ベンデル! オンジー! こっちよ!」
爆発の方角から女の声が呼んだ。
見ると崩れた家の側で真っ黒に汚れたカレーノが火薬袋を持って手招きしていた。
おれたちは一目散に駆け出し、がれきの陰へ飛び込んだ。
「そのまま伏せてて!」
カレーノは火薬袋をドラゴンたちに向けて放り投げ、近くに落ちている火のついた木片をぶつけた。
ドカンと爆炎が上がり、攻撃と煙幕の両方の役割をしてくれた。
「いまのうちに逃げましょう!」
そうカレーノが言った直後だった。
煙の向こうから突風が吹き、おれたちはがれきごと吹っ飛ばされた。
「うわあ!」
「きゃあっ!」
「ぐおっ!」
おれは大量のがれきに埋もれた。頭から足先まですっぽりだ。
挟まれてねえのがさいわいだが、これじゃ逃げるなんてできねえ。
かろうじて見える隙間からふたりの様子が見えた。
カレーノは地面に転がり、起きあがろうとしていた。
オンジーに至ってはピクリとも動かなかった。
「カレーノ……」
おれはカレーノに声を向けた。
打ちひしがれたあいつは、震える体を四つん這いにして、おれにぼろぼろの視線をくれた。
だが直後、ぎゃおおという鳴き声がして、彼女の背後に青い竜が立った。
カレーノの瞳が絶望に見開いた。
そいつはすぐに手を出さず、上からよだれをぼどぼど垂らしていた。
「なんだ、食いたいのか?」
上空から魔王の声がした。
ばさばさ鳴ってるからたぶん飛んでるんだろう。
「くくく、いいだろう。どうやら男ふたりは死んだようだしな」
甘いやろうだ。死を確かめもせずに死んだと判断するなんてよ。
しかし、このままじゃカレーノが……!
おれはどうすればいいか考えた。
いま出てったところでなにができるわけでもねえ。無駄におっ死ぬだけだ。
けど! けどよう! おれを助けた女がこれから食われるってのに、なにもしねえでいいのかよ!
なにか手はねえのかよ!
おれは歯ぎしりした。歯ぎしりしかできなかった。
動けねえんだ。
手足は動くし、がんばりゃがれきから出られるだろう。
けど、なのに、震えて体が動こうとしねえ!
そんな中カレーノは下を向き、おれのいる方の手の指を小さく動かした。
「あれは……」
指合図——勇者が戦闘前に無音でやり取りするための暗号だ。
声を出さないということは、おれがひそんでいるのを隠すためだろう。
メッセージはふたつ。
”動くな”
”静かにしろ”
それは暗にこう言っている。
——あなたは死んだと思われているから、そこから動かないで。そうすればきっと、あなただけは生き残れるわ。
「姉さん!」
おれは無意識にカレーノを姉さんと呼んでいた。
そう、姉さんだ。
あの日おれを守って死んだ姉さんといっしょだ。
十年前、おれの住む街が魔物の襲撃にあった。
そのとき姉さんは逃げ遅れた幼いおれをツボに隠し、
「絶対にここから出ちゃダメ。息をひそめて隠れてるのよ」
と言った。
おれは足が遅かったからそうするしかなかった。
それから少しして外が騒がしくなった。
地鳴りと悲鳴、どかどかと連続する鈍い音。
大量の魔物の侵攻と、抵抗する勇者たちの激突音だ。
おれは数時間ものあいだ、ひっそりと震えていた。
やがて静かになり、聞こえてくるのが人間のため息だけになって、そっと外に出た。
辺りは地獄絵図だったが、魔物はすべて撃退したようだった。
けど姉さんは死んでしまった。
おれを隠した直後、家の外で魔物に襲われたらしい。
手だけが残っていた。
その指には木彫りの指輪がはめられていて、間違いなく姉さんだとわかった。
「ある国では結婚を約束したらふたりでおなじ指輪をするのよ。いいじゃない、木製でも。わたしはあのひとが作ってくれたこれが、どんな宝石よりもうれしいの」
そう言っていつも笑っていた。
指輪を見て、翌年嫁ぐはずの男を想い、顔を赤らめていた。
家の壁には作りかけのドレスが掛けてあった。
こんなご時世に贅沢かしらと漏らすたびに、近所のばばあが、いいんだいいんだと背中を押した。
糸ならたくさんあるからね。若いころの服がとってあるから、いくらでもほぐしてお使い。
なあに、いいじゃないか。一生にいちどの記念日さ。女にとって一番大事な日さ。
あたしもそうしてもらったよ。だからあんたもそうしなさい。来年はステキなドレスを着て、いつかばばあになったとき、若いひとにそうしておやり。
そのためにはたくさん子供を産むんだよ。元気な子供を山ほど産んで、ばばあになるまで長生きして、愛するひととしあわせになるんだよ。
姉さんは涙ながらにうなずいた。
絶対にしあわせになります。そう言ってばばあと抱き合って、手取り足取り裁縫を教わった。
おれはその姿が大好きだった。
ふだんからきれいな姉さんの顔が、砂糖をまぶしたみたいにキラキラ輝いて見えた。
座って糸を編んでいると、まるで母親になった姉さんが赤ん坊を抱いて、やさしく、やさしく、あやしているみたいだった。
見てるとおれまでうれしくなって、きっと、絶対、姉さんはしあわせになると思った。
そう……しあわせになるはずだった……しあわせになるはずだったんだ!
なのに姉さんはおれを助けるために……!
あのときとおなじだ!
いままさに目の前で、おれのために女が殺されようとしている!
また守られるのか!?
あの日姉さんを失ったように、このひとを死なせてしまうのか!?
また救えねえのか!?
死んでいく妹になにもできず絶望したように! 名も知らねえあの子を救えなかったように!
おれはクソ漏らすことしかできねえクソやろうだってのか!?
(ハッ……!)
その瞬間、おれは思い出した。
そういやおれにはトリガー・スキルがある。
最強のスキル”無敵うんこ漏らし”だ。
女神は言っていた。
それは魔王を倒し得る人類の光だと。
どんな攻撃も受けつけず、あらゆるものを触れただけで死に至らしめると!
冗談じゃねえ! クソなんか漏らしたくねえ!
ひとが死ぬ死なねえってときにそんなことできるかよ!
それにスキルを使ったところで勝てる保証はねえ!
事実オンジーのスキルじゃろくに戦えなかったんだぞ!
けど……それしかねえ!
「くっくっく。氷竜よ、食ったらすぐに行くぞ。明日にでも人類を滅ぼしてやるんだ。腹を壊すんじゃないぞ」
魔王が言った。
青いうろこの氷竜は口をあんぐり広げ、いままさにカレーノに食らいつこうとした。
だが!
「ざけんなクソッタレエ!」
——ブリブリブリブバババドバブヂュルルブッバアーーッ!
おれはクソを漏らした。
瞬間、全身からすさまじいエネルギーが湧き上がるのを感じた。
そして爆発するようなパワーでがれきを振り払い、飛び上がって氷竜の顔面を殴り飛ばした。
いきおいよく倒れ込んだ巨体は隣家を押し潰し、ぎょお、とうめき声を上げた。
「きっ、きさま!」
後方で魔王が怒鳴った。
おれはそれを背中で感じながら、ゆっくりと言った。
「させねえよ……このひとはぜってえに殺させねえ!」




