10 夜襲
その晩、おれはなかなか寝つけなかった。
明日はどんな花を持って行こうとか、あの子の名前はなんていうんだろーなー、なんて考え、ついでに仲よくなったあとのことなんか妄想したらもう目が冴えてギンギンだった。
あーいけねえ! 寝なきゃ! 寝なきゃなのによう!
おれは努めて寝ようとした。
しかし、その眠りを妨げるのはおれの妄想ばかりじゃなかった。
——ずどん!
「なんだ……?」
遠くででけえ音がした。
地面が揺れ、建物が上下に揺れた。
——ずん! ずずん!
音が続いた。地響きも。
おいおい、なんだ? この揺れ方、ただごとじゃねえぞ。
おれはベッドから起き上がり、外へ飛び出した。
ほかにも何人か出てきてざわざわ騒いでやがった。
そこに居合わせた顔馴染みの勇者が寝ぼけ眼で、
「よお、ベンデル。おまえのクソ漏らしの音がすごくて起きちまったよ」
「バカ、笑えねえぞ」
おれは軽口を返せる気分じゃなかった。
不穏な空気がビンビンしていた。
だって、異常じゃねえか。夜中にずんずん地鳴りがして、こんなのなにかあったに決まってる。
それも最悪のなにかがよ。
おれたちは音のする北の空を遠く眺めた。
北っつったら魔王のいる方向だ。
悪い予感しかしねえ。
ほとんど一階立ての平家、たまに二階、三階の建物が続く屋根の向こう、暗い空になにかが動いた。
「あれなんだろう?」
「鳥……じゃねえよな」
なにかが飛んでいた。
暗くてよく見えねえが、鳥にしちゃでけえなにかの影がいくつか横切っていた。
——ずしん! ずん、ずん!
また地響きが起きた。
そして、影のあたりから土煙がもわっと上がった。
……ちょっと待て、なにが起きてる!?
その疑問に応えるように、遠くから悲鳴が聞こえた。
そして、炎が上がった。
「お、おい! あれドラゴンじゃないか!」
そう、ドラゴンだった。
三階立ての建物よりでけえ竜のシルエットは火を吹き、一直線に街を焼いた。
空が赤く染まるほどの広範囲が炎に包まれ、空中のバケモノどもをあらわにした。
「で、でかい! あんなの見たことないぞ!」
そいつらは五匹いた。
うろこの色がそれぞれ赤、青、黄、緑、土色の巨大な竜だ。
それが、街を焼き、建物を崩し、ゆうゆうと飛び回っている。
佇むおれたちの正面から、多くのひとびとが着のみ着のまま駆けてきた。
みんなケツに火のついたニワトリみてえに目ェ剥いて、一目散に南へと走っていく。
その流れに流されるようにおれたちの周りも駆け出し、顔馴染みのこいつも、
「ベンデル! 早く逃げよう!」
と騒ぎ立てやがった。
「バカやろう! おれたちゃ勇者だぞ!」
「けどあんなでかいの勝てるわけないよ!」
「ならせめてみんなを逃さにゃいけねえだろ!」
おれは剣を取りに部屋へ戻った。
あんなでけえのどう斬ればいいかわかんねえが、とにかく武器だけは持った。
そして外に出ると、あいつはもういなくなっていた。
けっ、なにが勇者だ。ただの小銭稼ぎめ。
ドラゴンが怖くて魔王を倒せるかっつーの。
……まあ、気持ちはわかるけどよ。
おれだって本音を言や逃げ出してえ。つうかマジでどう戦えばいいかわかんねえ。
けど、おれたち勇者が……おれたち男が戦わないでいったいだれが戦うっつーんだよ。
女子供は抵抗できねえんだぞ。
おれは向かってくる人波を押し退けてバケモノどもの方へと向かった。
何人かは本物の勇者がいるらしい。剣やら槍やら持って向かっていく勇ましい男が数人、道をおなじくしていた。
そう、数人だ。あとはみーんな、筋骨隆々の男さえ逃げていく。
ま、無理もねえけどよ。
そんな中、ひとりの勇ましい男が言った。
「おい、みんな! ここは住民を逃すことに専念するぞ!」
野太い声で叫ぶのは、街一番の勇者、オンジー・カネヒトツだった。
三十代後半で、がたいがよく、勇者歴二十年以上のつわものだ。
こいつもトリガー・スキルの持ち主で、音痴な歌を聞かせると衝撃波を放つことができるという、これまたバカげたヤツだ。
おれは訊いた。
「どーゆう考えだ!」
「あれだけでかいとスキルでも吹き飛ばせるかわからない! だから勝てない前提で戦い、とにかく人的被害を抑えるんだ!」
「そんな消極的なことでいいのかよ!」
「ひとが生きてさえいればいくらでもやりようがある! 大事なのはひとりでも多く生かすことだ! それとも君は勝算があるのか!」
……ねえっす。あんたの言う通りにしましょ。
それにまあ、たしかにひとを生かすことが大事だしな。
今回みてえに突然巨体が来りゃ困っちまうが、「こういうのもいる」とわかれば後続が作戦を立ててくれらあ。
「行くぞ! 勇敢な戦士たちよ!」
「おおー!」
おれたちは走った。
ずん、ずん、と地響きが鳴り、人波を縫って、崩壊の真っ只中へと向かった。
そんな中、おれの頭にはひとつ気がかりがあった。
いま襲撃されているあたりにゃギルドがある。
ギルドの職員はギルドに併設された寮に住んでいる。
つーことは、あの子もそこで寝泊まりしてるってわけだ。
(頼む! 生きていてくれよ!)
おれは不安だった。
道ゆくひとびとの中にあの子がいねえかと見て走った。
ほかのヤツは全員どうなってもいいから、あの子だけは逃してくれと強く願った。
……けどよ、いなかったんだよ。どこにも走ってなかったんだよ。
おれはギルドの前で立ち止まった。
燃え盛っていやがった。
辺りにゃいくつか丸こげの死体が転がっていて、背の高いのもいりゃ、低いのもいる。
あの子が生きているのかどうかもわかりゃしねえ。
「どうした、ベンデル!」
オンジーがつられて立ち止まり、言った。
「敵は向こうを攻めはじめた! これ以上被害を増やさないために早く行くぞ!」
おれは応えなかった。
それよりも、死体のひとつひとつを見つめ、そこにあの子がいないか確かめる方が大事だった。
「ベンデル……まさかその中に大事なひとが……」
「……いや、いねえよ。きっといねえ」
そう、いねえ。きっと一番に逃げ出して、とっくにすれ違ったに決まってる。
あの子はだいぶ臆病そうだったし、でかい音がした時点でやばいと察して、たとえパンツ一丁でも飛び出して行ったに違えねえ。
そうだ、あの子は生きている。
臆病モンは長生きするってむかしから決まってんだ。
おれは自分にそう言い聞かせ、再び駆け出そうと前を向いた。
そこに、あの子がいた。
「あ……」
おれは声を漏らしたきり頭が真っ白になった。
顔は見えなかった。
うつ伏せに倒れる焼死体は、それだけじゃだれのものか区別はつかなかった。
けど、花びんが転がっていた。
水が挿してあったから燃えなかったんだろう。
前に伸ばした手の先に、ひび割れた花びんと一輪の花が落ちていた。
それはおれがあの子にあげた花だった。
「なにやってんだよ……」
おれは震える声で言った。涙が流れるのを感じた。
「花なんかどうだっていいだろ……」
そうだ、花なんてどうだっていい。
ましてや、きらっていた男がくれたクソくだらねえ花だ。
そんなもんわざわざ持ち出す必要がどこにある。
たとえすべてを捨てても逃げなきゃならねえってときによ。
パニックになって冷静な判断ができなくなっていたか?
その花がそんな貴重に見えたか?
たった……たった一輪の名も知らねえ花だぜ……?
「まだ名前も聞いてねえってのによお!」
おれは叫んだ。
胸の底から慟哭を上げた。怒りが、悲しみが、絶望が全身を駆け巡った。
「許さねえ! ぜってえ許さねえ!」




