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モクバの部屋へ

 家族で寄り添っていると、先ほどの若いメイドが「モクバ様のご用意に行ってまいります」と丁寧に切り出した。アルトゥヌは頷くと「モクバ、いってらっしゃい」と優しく床にモクバを下ろした。そしてこれまた優しく彼の頭をなでた。

 モクバは俯いたままではあるものの先ほどのようにぐずったりはしなかった。若いメイドに手を引かれ、用意された自室へと連れられて行った。


 …それからモクバの用意ができるまで母は休養、父は急ぎの仕事を済ませに書斎へ。

 エミリアというと今日は家庭教師もこないので専属侍女のハエルとともにぶらぶらと邸宅を歩いていた。


「お嬢様、こちら奥がモクバ様のお部屋になっておるんですよ」


 ハエルはそう言って奥の部屋を差した。

 エミリアの部屋と同じ階層ではあるものの歩いて10分はかかるほど離れている。この辺りは図書室のあるあたりでエミリアもよく来るエリアだった。


「今まだ、用意をしているの?」

「そうでございますね。湯あみと着替え程度だと思いますが、少し時間がかかっていますね」


 ハエルは不思議そうに小首をかしげ、モクバの部屋の扉を見た。青い装飾のある豪勢な扉だ。…ここが3歳の男の子1人部屋だなんて、前世では考えられない。


「私、モクバの部屋に行ってみたいわ」


 エミリアがそういうと、ハエルは「え?」と固まった。

「モクバに会いに行ってくる」

 そう言ってエミリアはハエルの手を離すとずんずんと扉に向かって歩き出した。

「あ、あ…!お、お嬢さま、さすがにそんな…!」

 ハエルはエミリアを止めるのが大の苦手だ。狼狽えながらエミリアの後ろをついてくる。

「私はお姉ちゃんなのよ、いいじゃない別に」

 そしてまっすぐにモクバの部屋前まで着くと、勢いよく扉を押した。


 ***


「やだ…」


 モクバは豪華絢爛という言葉にふさわしい、濃い青色の絨毯に頭をこすりつけるようにしてうずくまった。あまりにもふかふかで昨日の夜まで眠っていたベッドよりも気持ちがいい。

 今のモクバにはそんな絨毯の気持ちよさですら悲壮感を増させる要因となった。

「お坊ちゃま、今からご家族とのお食事なんですよ」

「お湯に浸かってくだされば、わたくしたちがきれいにいたしますので…」

 そんなモクバの様子を見て、少し困ったように若いメイド二人が言った。しかしモクバは起き上がらない。赤の他人に服を脱がされるのも一緒にお風呂に入るのも嫌だった。


 自分のことを育ててくれた”母”のもとに帰りたい。モクバは一心にそう思った。


 モクバは城下町の決して豊かではない平民の家にいた。

 食事処を経営する夫婦とその娘がモクバの親代わりをしており、夫婦の娘をモクバは”母”として慕っていた。今着ている服は彼女が破れては何度も縫い合わせ、繕ってくれた衣服だった。

 きっと今脱がされれば捨てられてしまう。幼いモクバにもそれは理解できた。


「いやだ…おうちにかえる…」


 絞り出すようにモクバはそう言うと、一緒に涙が出た。

 一か月ほど前に突然何人もの小綺麗なメイドと騎士が家にやってきて、モクバをこの家へ連れてきた。

 何度も何度も夫婦と娘には「モクバは本当の家族のもとに帰るだけだ」と説得されたが理解できなかった。

 涙が頬伝ってぼたぼたと絨毯を濡らす。濃い青色の絨毯はモクバの涙が黒く染みた。


 しばらくメイドたちが困ったように小声で話しているのを頭で聞いていたが、突然ノックもなしに扉が勢いよく開く音が部屋に響いた。

 驚いてモクバは顔を上げてしまった。


 開け放たれた扉の真ん中に、凛とまっすぐなのに柔らかそうな銀色の影が揺れた。

 …そこには、先ほど出会ったばかりの”姉”エミリアが立っていた。


「お嬢様…!」


 先ほどまでモクバの傍にしゃがみこんでいた二人のメイドは慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。

 モクバは涙でぬれた顔を隠そうともせず、じっとエミリアを見つめた。


「…まだ湯あみも終わっていないの?」


 エミリアの淡々とした声を、モクバは初めて聞いた。先ほど玄関ホールで出会ったとき、彼女は一言も発さなかった。モクバが思っていたよりもコロンとした、鈴のような声だった。

 あまりの淡々とした物言いに駄々をこねている自分に怒っているのかとモクバは肩を震わせ顔を上げ、驚きで止まっていた涙が再度出た。…まさか公爵家の誰かが部屋まで来るとは思わなかった。

 最悪あと数分駄々をこねた末には無理やりお風呂に入れられ着替えさせられ、食事の場に連れていかれるだけだと一種あきらめていたというのに。


「申し訳ございません。お嬢様…もうすぐ準備が終わりますので…」


 メイドの一人が慌てて謝罪する。

 このメイドも10代半ばごろの少女ではあるが4歳の子どもに頭を下げている様はモクバから見れば異様で、当の本人であるエミリアは自分よりも年上に頭を下げられているというにもかかわらず、すんとした表情や姿がより仰々しくそして恐ろしく見えた。


「別に怒ってないわ。モクバ、私がお風呂に入れてあげる」


 エミリアはそう言うといつの間にやらモクバの目の前に立っており、モクバの脇を掴んで立たせた。モクバはもうエミリアのなすがままで、ただ茫然とそこに立ちすくむ。


「そ、そんな、お嬢様にしていただくわけには…!」


 必死になってメイドはモクバとエミリアに手を伸ばした。

 …だがエミリアは「やらせて」とメイドの言葉と手を遮った。エミリアの赤い瞳にじっと見つめられたメイドは「そ、傍で見守らせていただきます…」と言うだけだった。

 そしてエミリアの専属の侍女であるハエルはエミリアの部屋着用ドレスの袖を捲り裾を大きなピンチで後ろにまとめた。


「ほら、腕を上げなさい」


 エミリアに言われ、呆然自失と言った様子のモクバはゆらりと腕を上げた。

 …そしてなすがままに脱がされ、やせた身体が露わになった。モクバは言われるままに動くだけの人形のように心を殺しているようだった。


 育ててくれた夫婦とその娘が「貴族に逆らえば家族ともども投獄される」と言っていたことをモクバは覚えていた。深夜に夫婦と娘が酒を酌み話していた内容で、ただの冗談に過ぎなかったのだが、モクバの脳には恐ろしい現実としてインプットされていた。

 きっと、彼女の言うことに逆らえば今かいがいしく自分の世話をしようと集まってくれている使用人すらも自分を激しく糾弾し、育ててくれた家族も無礼を働いたモクバを育てた罪でつかまってしまうんじゃないかと思い、モクバは身体を震わせた。


 そして、自分を包み込んでいた衣服が剥ぎ取られ、エミリアの手に渡った。

 ほとんどあきらめていたとはいえ、数パーセントの希望で駄々をこねていたモクバは、今にも自分の衣服がごみ箱に突っ込まれるのではとハラハラしながらエミリアの手に渡った自分の衣服を見つめていた。


「この服、きれいにして仕舞っておきなさい」


 丁寧にエミリアはモクバの服をたたむと、メイドの一人に手渡した。

 メイドは「へ、平民の服のようですが…」とおずおずと口にしたが「モクバの荷物よ、勝手に捨ててはいけないわ」とエミリアは返事をした。

 そんなエミリアとメイドのやり取りを見ていたモクバは、エミリアのことをじっと見た。

「…どうしたの。裸じゃ風邪をひくわよ。バスフロアにいきましょう」

 と、エミリアに言われて初めてモクバは「…うん」と返事をし、エミリアの差し出して小さな手を握った。


 …それがエミリアとモクバの初めての会話だった。

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