モクバのこっそり
夜も更け、屋敷の中が静まり返ったころ
なかなか寝付くことのできないエミリアはこっそりと部屋を抜け出し庭を散策していた。
この屋敷に住んでから初めての試みだ。夜が更け主となる明かりが消された屋敷は、足元にだけほんのりランプが点いているのを初めて知ったほどだ。
廊下の柱に寄りかかるようにして、エミリアは月明かりを浴びてそよぐ庭の花々を眺めた。
しばらく景色を眺めていたエミリアだったが、人の足音が聞こえてきた気がして耳を澄ませた。
「…こっちに来る」
慌てたエミリアは近くの物置小屋の陰に隠れた。
使用人であっても父や母であってもお小言は必至だ。嫁入り前の令嬢が屋敷内とはいえパジャマでうろつくなんて、と。
だんだんその足音はエミリアに近付いてくる。
廊下の角からひょこりと出ていた足音の主はモクバであった。
しっかりとした外出着をきたモクバは無表情のままエミリアの隠れる小屋の前を通過し花壇の傍を弄っているようだ。
どうにか様子を確かめたいとエミリアは首を伸ばした。
モクバは何かを拾うと颯爽とその場を去る。
エミリアはそんなモクバのあとをこっそりとつけることにした。
しばらく歩くと屋敷の裏庭に続く小道の傍にある鉄格子状の塀の傍でモクバは立ち止まった。
エミリアもそれに倣って陰に隠れて立ち止まる。
「これを」
モクバは塀の傍で誰かと話をしているようだ。塀の外に人影が見える。
どうにか相手を窺おうとエミリアが目を細めると、それは一人の男だった。
暗くて顔が見えないものの初老の男性のようで、ちらちらと聞こえる言葉の端々から貴族ではないように思えた。
「…ありがとう」
モクバの声がエミリアの耳に届く。モクバの手には紙切れが握られている。
いかにも怪しいモクバの行動をエミリアが睨むように見つめていると、エミリアの肩が突かれる。
エミリアは自身の口元を抑え勢いよく振り向くと、そこには満面の笑みのラタンがいた。
「ら、ラタン…!驚くじゃない」
「探偵ごっこですか?おジョウさま、まぜてくださいよ」
「ごっことかじゃ…」
至極小声でエミリアとラタンは話した。
モクバのことを横目で見るとまだ塀の外にいる男と話をしているようだ。
「…なんて言ってるか聞こえないのよ」
エミリアがぼやくとラタンが「なんっすかぁ、あれ」と首を傾げた。
しばらく二人の様子をみていたが一分も経たないうちにモクバは踵を返し、自室へと向かっていく。
「聞いてきましょっか」
と、ラタンはエミリアに笑いかけるがエミリアは頭を悩ませていた。
「見てはいけないものを見た気がする」
「こそこそしてましたもんねえ」
モクバは先ほど手渡された紙切れを見つめて何か考え事をしているようだ。
先ほどまでエミリアが眺めていた庭の傍に立ち尽くし、モクバはため息を吐いた。
距離はあるものの先ほどの塀の傍よりもあたりは明るい。柱から首を伸ばし、エミリアは目を細めた。
紙切れには三行ほどの文言が記されているが内容まではさすがに読み取れない。
瞬きもせず目を凝らしていたものだからエミリアは目が疲れてしまい、柱の陰で目を閉じ眉間をこすった。
「…お嬢…、お嬢!」
ラタンが普通の声量でエミリアに声をかけてくるものだからエミリアは慌てて目を開け「声が大きいわよ…!」と小声でラタンを叱咤しながら瞳を開ける。
そこにはモクバに剣を突き付けられたラタンの姿があった。
「…お姉様、こんな遅くにどうされたんですか?」
モクバはラタンに剣を向けたまま、にっこりとエミリアに微笑みかける。
いつものモクバと違う、目に光の無いモクバの表情にエミリアは背筋が冷たくなった。
「も、モクバやめなさい!剣を下ろしなさい!」
「ハエルとうまくいっているというから見逃していたのに、こんな遅くに逢瀬ですか?」
そう言ってモクバはじろりとラタンを睨む。
完全に誤解だという表情で「お、俺はハエル一筋ですぅ~!」とラタンは恐怖のあまり笑いながら泣いてしまっている。
「たまたま会ったのよ!」
「たまたまぁ…?」
モクバは自身の愛らしい丸い瞳を顰め、疑わしいとばかりにエミリアを見る。
「いつもはこんな時間に外にいないわ、寝付けなくて散歩をしていただけ」
「お、俺はトイレに出てきたところをばったり!お一人じゃ危ないと思って!」
二人の話を聞いて少し落ち着いたのか、モクバは「まあそんなとこだろうと思いました」と剣をラタンから離した。
そんなとこだろうってどういうこと?とエミリアは座り込んだままモクバを見上げた。
「あ、貴方こそこんな遅くになにをしているのよ」
エミリアが尋ねるとモクバはうっとうしそうに自分の前髪をかきあげ「あー…」と声を漏らした。
いつものモクバと明らかに違う言動にエミリアは恐怖を感じながら、震える脚をどうにかうごかしゆっくりと立あがってモクバとラタンの間にはいるよう移動した。
屋敷の中で剣を持ち歩いているなんて、おかしい。訓練場にしか配置の無い警備用の剣をしっかりと握ったモクバはゆったりとした所作でエミリアを見て微笑んだ。
「…僕も、眠れなかったのです」
あまりにも妖艶で、いやらしい笑みをモクバは浮かべた。
エミリアは背筋が凍るような気持ちのまま「…そう」とだけ返事をした。
「ラタンはもう休みなさい」
エミリアが言うと「はいー!」とすごいスピードでラタンが退散していく。
「お姉様、」
ラタンの背中を見送っているエミリアの傍に、モクバはゆっくりと近付き擦り寄ってくる。
「モクバ、どうしてそんなものをもってこんな夜中に歩き回っているのよ」
そんなモクバを押し戻し、無理にまっすぐ立たせるとエミリアは眉間に力を入れ、精一杯モクバを睨んで言った。エミリアの言葉を聞いてモクバは驚いたように肩を震わせる。
どう考えても現状、立場が強く恐怖の対象なのはエミリアではなくモクバのはずだ。懇意にしていた使用人に剣まで向けたというのにモクバは落ち込んだようにうつ向いた。
「…申し訳ございません」
「もう二度と、こんな粗暴なことはやめて」
「お姉様が危ないと思ったら、身体が勝手に」
「身体は勝手になんて動かないわ」
エミリアが震える自分の身体を抱きしめるようにして睨むと、モクバは「お姉様、寒いのですか?」とエミリアを見た。
今お説教中なんだけど、とエミリアは思いながら「寒くなんてないわ」と返事をした。
「それより、もう二度と剣なんて…」
屋敷の中で持たないで…と続けたかったエミリアだが気が付けばモクバに抱きしめられていた。
モクバの胸で視界がいっぱいになる。エミリアはその胸を押すと「話を聞きなさい!」とモクバを叱咤し顔を上げた。
モクバは大きな瞳いっぱいに涙をため「はい、もうしません」と消えるような声で返事をした。
「僕…、お姉様が生きて、傍にいてくれるだけでよかったんです」
そう言ったモクバは自身の涙を粗雑に袖で拭うと「部屋まで送ります」と、エミリアの手を取り顔を背けて歩き出した。
モクバに引っ張られるようにして歩き出したエミリアはモクバのポケットからはみ出る紙切れを静かに抜き取った。




