メイド長と内緒の会話
その日の夜、エミリアは自分の部屋で日記を書いていた。
ハエルに教えてもらった花々について書き出し、母との会話も文字に起こした。
そして、母のあまりのド聖女さに改めて驚いていた。
いくら優しいといっても、旦那が外でどこの女とも知れぬ者とまぐわいできた子を次期後継者として家に連れてくるのだ。
母自身いくら優しく接することができても心に一片ほどの陰りがあるものだと思ったのに…。
どうつついても母は「優しくしてあげてね」だの「弟ができてうれしいですね」だの聖母のような言葉しか口にしなかった。行動や表情をみても本当にそう思っているようで、心からモクバの到着を楽しみにしているようだった。
「普通、自分の旦那が毎日愛を囁いていたくせに、外でせっせこ子どもを作ってたなんて知って…あんな顔できる?」
エミリアは独り言をつぶやくと、大きく長い溜息をついた。
エミリアの父であるトゥリアンダ家公爵は母アルトゥヌを溺愛しており、母と結婚するためにありとあらゆる功績を上げたと噂される人物だった。何をするには二言目には「アルトゥヌ」「アルトゥヌ」と愛妻家として貴族会では名をとどろかせているのだ。
…だというのに、外に女がいたのかとエミリアが怒りを感じてしまう。
これも物語の主人公であるモクバが生まれるための布石、。母のもつ感情は母のものではなく、この物語を掌握している”強制力”に動かされているのだろうか。
…しかしエミリアは母が普段から聖女のような人間である事実も理解していた。どうか、強制力などではないことを願おう。
エミリアは自分の日記が鍵付きであることをいいことに、BL小説『トロイの木馬は愛される』の内容やストーリーを書き出すことにした。
大まかな流れとして、
”3歳のモクバはトゥリアンダ家の養子としてもらわれてくる。
5歳になったモクバの生誕パーティの場で次期当主とする旨が発表され、そのパーティでモクバに惚れる男①が現れる。
8歳になったモクバが”私”にいじめられ庭先で泣いているとうちの庭師である男②(ラタン)がモクバに惚れる。
11歳になったモクバは家族と馬に乗って高原へリゾートに出かけるが”私”にはめられ落馬し川に落ちる。それを助ける男③がモクバに惚れる。
13歳のころモクバは全寮制の学園に入学、入学式で男④が現れモクバに惚れる。その後校内で男⑤と出会い惚れられる。
同じころモクバの唯一の心のよりどころであった母アルトゥヌが病気をこじらせ死亡。モクバはやりようのない思いを剣に込め日々騎士としての鍛錬を積む。
15歳のころモクバはトゥリアンダ家に居場所を見つけ出せず、公爵の後継を放棄しようと考えるようになる。そのため皇室騎士団の入団試験を勝手に受験する。
それを”エミリア”が悪意を持って父に告げ口、母の死後、気のおかしくなった父に納屋に閉じこめられモクバ…そしてそこに男が侵入…その後は言うまでもない。
屋敷に閉じこもるように過ごすモクバは心身ともに擦り切れ始めた17歳のころ、心を許せる婚約者ができるも男どもに殺害され18歳になった誕生日にモクバは死ぬことを選ぶ”
書き出せば書き出すほど悲惨だし、救いがない小説だ。エミリアは頭をかけながら大きなため息を吐いた。
作中何度もモクバは襲われるし、何度も命の危機に瀕する。まだ10代の少年だというのに、だ。
とりあえず、目下の目標としてエミリアのすることと言えば…
【モクバにいじわるをせず、何なら良き姉として君臨する】ことだろう。
そして最終的には
【このBL小説のストーリーを破壊し成立不可能にし、エミリアハッピーライフ】
を手に入れるのだ。
記憶情報にあるエミリアのような陰湿ないじめは絶対にしない。…してはならない。
もともと自分にあるエミリアの先天的な性格でもしもモクバを好きに思えなかったとしても、前世の精神年齢でそれらをねじ伏せる…。
物語の強制力はいかがなものかわからないが、一度モクバと顔を合わせないことにはどうにも掴み切れないのだ。
目標を定めたエミリアは頭にある小説のあらすじやら流れやらを続々と書き出すうちに、あまりにも濃厚なシーンを思い出し具合が悪くなった。
今日はこれくらいにしよう、とエミリアは日記帳を閉じ鍵をかけた。
大きなベッドに寝ころぶとすぐに眠気がやってきた。
いくらもともと大人びた性格、女子高生レベルの精神年齢だとしても体は惑うことなき4歳児。柔らかなシーツに顔をうずめて目を閉じれば、すぐに眠りに落ちてしまった。
***
「…様、エミリア様」
凛とした女性の声が降ってくる。
昨日夜更かしをしたせいか、なかなか目が開かない。
「エミリア様、本日は弟君がお越しになる日でございます。そろそろ起きねばお寝坊してしまわれますよ」
その言葉を聞いてエミリアは勢いよく体を起こした。いつもはメイドが部屋に入ってくるよりも早く目を開け、勝手に朝の身支度を始めるのだが今日は寝てしまった。
昨日の夜思い起こしていたBL小説の内容がやはり濃厚で、きっと脳が疲れたのだ。…寝不足も祟っていると思うが。
ロボットのような動きで顔を向けると、そこにはハエルではなくメイド長のベルゼが立っていた。今日も針金のようにまっすぐの髪は一本も歪んでいない。
「ね、寝すぎたわ…」
窓を見るとすっかり日が昇っている。いつもは日の出と一緒に起きるのに。
「はい。ハエルが泣きながらやってきまして、お嬢様が気持ちよさそうに寝ていて起こせない、と」
ハエルはエミリアの行為を中断させるのが何より苦手なので、慌てている様子を目に浮かぶ。勉強や読書を寝ずにしていても、声をかけていいものかと隣で右往左往している野を見たことがある。きっと昨日の夜だってエミリアが夜更かししているのを知っていたけど部屋に入れず部屋の前であわあわしていたことだろう。
いつもは朝起きているエミリアがぐーすか寝ていたんだから初めての状況にハエルが混乱するのも仕方がない。
「昨日は夜更かしされたのですね」
エミリアの身なりを整えながらベルゼが言う。あまりにもテキパキとした仕事ぶりに感嘆のため息が出そうなほど、完璧だ。
「…お母様とお散歩できて、寝れなかったの」
エミリアがそういうとベルゼは少し困ったように微笑み「奥様も昨日は夜更かしされていたんですよ」といった。
「お母様が?どうして?」
「エミリア様と同じ理由です。とてもうれしかったようで幼いころのエミリア様に読み聞かせた絵本なんかを出してきて、嬉しそうに読まれていましたよ」
なんだかエミリアはその言葉を聞いてうれしくなった。
自分は母親のあまりの聖母さに恐れおののいていたのだが、散歩がうれしくて寝れないなんてあまりにもかわいいではないか。
「…またエミリア様から王宮のお医者様に診てもらうよう言ってやってください」
ベルゼは、少し重い表情でそう言った。メイドとして言うか迷ったであろうその言葉は、ちょっとしか軽口にも聞こえた。しかし、本当の心配を含んでいるように思えた。
「王宮の?」
「はい、奥様が断り続けているのです。見ていただければ病状がよくなるかもしれないのに」
ベルゼはハエルがするよりももっと複雑な編み込みをし、エミリアの髪を飾った。
あんまりにもかわいらしく編まれたものだからエミリアは自分の頭をじっくり眺めた。
「どうして断るの?」
「…王族特権は受けられない、と。もう嫁いだのだから相応の医者に診てもらうといってお聞きにならないのです」
今、この国では医者が過疎状態で、良い医者はみな王宮医師として吸い取られている。
貴族ですら王宮医師団を呼ぶには相応の手続きとお金が必要となり、基本的には個人的に雇ったそこら辺の町医者が貴族のことも診るのだ。
我が家は新生公爵家ということもあり、なかなか医者と雇えていない。というのも、他の手ごろな町医者は別に貴族の家と契約をしていたり、若い医者は公爵という名前だけで引いてしまって契約してもらえない。
経験がないのに軽い気持ちで契約して、うまく処置が出来なければ処刑だってあり得るし、我が家には身体が弱いとされるアルトゥヌが夫人として君臨しているため、なかなか誰も我が家のお抱えにはなってくれないのだ。
「おじいさまはお医者様を送りたがっているのでしょう」
「…王は格別に奥様のことをかわいがっておられますからね」
ベルゼはそういい、可愛く編み込まれたエミリアの頭に一輪、ピンクのブーゲンビリアを刺した。
「…エミリア様にはなんだか何でも話したくなってしまいますわ。使用人失格ですわね。ではエミリア様、朝食に参りましょうか」
優しい笑みのベルゼを後ろに着け、エミリアは自分の部屋を後にした。
「ベルゼ、今日話したことは内緒よ」
エミリアが振り向いてそう言うと、ベルゼはにっこりと微笑み「助かります」と答えた。