モクバの涙
「生徒会って言っても雑用ばかりね」
エミリアはそう呟いて生徒会室の資料をファイリングする。
隣ではモクバが資料それぞれの日付を順に並べる途方の無い作業を行っているが、細かい作業は苦ではないらしくそれなりに楽しそうだ。
「先日のようなパーティーも名目上は生徒会が管理したことになってますが中心は先生方が組まれてましたしね」
「会長とモクバは案外関わっていたじゃない」
「関わったといっても細々としたお金の計算くらいですよ」
生徒会室にはエミリアとモクバ二人だけだ。
ファイリングを終えたファイルをもって夕日の入り込んだ窓辺にエミリアが寄りかかる。エミリアの銀髪が夕日に照らされキラキラと光っている。透明感のあるエミリアはそのまま窓辺から空へ溶けてしまいそうだとモクバは思った。
「お姉様」
モクバは自身の意思とは別のところからエミリアを呼んだ。ファイルから顔を上げたエミリアは「なに」と多少そっけなくはあるが返事をした。
「…えーと」
「?」
先日からモクバは自身の胸の中で悶々とした疑問を抱えていた。
もじもじと俯き加減に困った様子のモクバを見て、エミリアはどうしてこんな妖艶に育ってしまったのかとため息を吐いた。
その溜息をモクバは「用もなく呼んだのか」と呆れられたのではないかと少し慌てる。
「あ、その、お姉様は卒業してからやりたいことって…あるんですか?」
慌ててモクバが質問を紡ぐとエミリアは「やりたいこと?」と、首を傾げた。
エミリアは先日の立食パーティーでティタンに「今後どうするか」と問われたことを思い出した。今後も何もその時が来なくてはわからないのに、とエミリアは首を傾げる。
正直な話エミリアは今、目の前のことに必死で将来どうしたいかなど考える暇はなかった。
モクバの未来が自分の未来に直結するだろうという仮説の元がむしゃらに動いているだけだが、今できうる限りの将来のため努力をしている。そして、今努力しているのだから余生など適当にのんびり過ごしたい、それくらいなものだ。
エミリアの自分のラストをどうしても思い出せないものの、悲惨であることは明確だ。殺されるのか、辱められるのか、きっとモクバの絶望は想像を絶するエミリアの不幸な未来に直結する。
だからエミリアは自分のためにもモクバには幸せになってほしいし、個人的な一意見として同意のない辱めなどモクバには受けて貰いたくはない。
この世界では女性でも職を持つことは珍しいことではない。
緩くではあるもののその傾向は貴族社会にも浸透しており、女性当主なども徐々にではあるが増えてきている。
最近では高位貴族であっても刺繍が得意であれば簡単な針子仕事、菓子造りが得意であればそれを売ったり、家事が得意であれば自身よりも高位な貴族の館で使用人として働く者もいる。
エミリアは絵を描くのが得意だと自負があるから画家になってもいいし、勉強も得意だから研究職に就いたって良い。いろいろな自身の将来を夢想してみたがどれもしっくりこない。
…まあ平凡に誰かと結婚しぼんやりと余生を過ごすのもいいだろう。
それこそモクバが家にやってくるまでエミリアは後継ぎとして育てられていたものの、今は特に縛りもなく自由すぎて困るほどなのだ。
思考を巡らすあまりなかなか返答の無いエミリアにしびれを切らしたのかモクバは口を開けた。
「僕が家に来たこと、どう思っていますか?」
…エミリアは4歳まで後継者教育を厳しく教わった。
『三つ子の魂百まで』そう言い聞かされ、未だ自我もしっかりしていないうちからのマナー教育、理性を保つために子どもらしい言動を控えるよう家庭教師には教わった。
両親は厳しく教育を施すことにそこまで前向きでなく、寂しそうだったが、モクバがやってくるとわかるまでは両親ともに「後継ぎとなるのだから仕方がない」とエミリアに厳しく教育をしてほしいと家庭教師にお願いしていた。
というのもトゥリアンダ公爵家は父の代からの新生公爵家であるのもあり二代目から女性に代わるのであれば普通以上に厳格で"素晴らしい人間性"を求められると考えたからだ。
まあ端的に言うとなめられないように。ということだ。
女性の社会進出が進み、女性当主も増えては来ているがどうしても女性当主が下に見られる風潮は取り除き切れていない。
若い貴族の家となればなおさらだ。エミリア自身も幼いながらにそれはわかっていた。
だというのにモクバが後継者として連れてこられた日からぱったりと皆エミリアを普通の子どものように扱った。きっと"本当の4歳"であったなら耐えられなかっただろう。
「…弟かできて、嬉しかったわ」
エミリアはそう呟くように答えた。これは本心だ。
心のどこかで後継者教育から逃げたいと思っていた。反対に自分にしかできないんだというプライドも。
その両方が崩されて、原作のエミリアはきっと壊れてしまったのだろう。
自分でなくてもよかった辛い勉強
自分でなくてもよかった両親
最終的に男が優遇される社会
全てに安堵し、きっと腹を立てたのだろう。
「将来ねぇ…。やりたいこともないし、誰かと結婚してぼんやり生きていくんじゃないかしら」
エミリアは最初の質問に答えるようにそう言い、ファイルを閉じた。
そして顔を上げると、いつの間にかモクバは立ち上がりエミリアの前に立っていた。「いつの間にこんな近くに来たのかしら」と、エミリアは思ったがすぐそんな気持ちはあっちへ行ってしまった。
モクバは泣いていた。
「え、ど、どうしたの?どこか痛いの?」
エミリアは慌てて自身の脇にあった机にファイルを除け、モクバに歩み寄る。
「僕、お姉様と離れたくありません」
そう言ってモクバはぐずぐずと幼い子どものように泣いた。
すくすくと育ちすぎて忘れてしまいがちだが、モクバはまだ16歳で子どもだ。
これまで甘やかしすぎたのだろうかとエミリアは思いつつもこんなに美麗な弟に冷たく当たることなどほぼ不可能だ。
慌てて自身のハンカチをモクバの頬や目元に押し当てる。
「何言ってるの」
「嫌です」
モクバはもうエミリアよりも頭一つ背が高い。去年の頭頃はまだ同じくらいだったはずなのに。
困ったように狼狽えるエミリアを、モクバは抱きしめ「お嫁になんて行かないでください」と懇願した。そんなモクバの頭をエミリアは撫でると「まあ、貰い手があるかどうかもまだわからないけど」と笑った。
可愛い弟の独占欲を全身に感じ、エミリアは少し得意な気持ちになった。




