天使のようなお母様との散歩
ひとしきりハエルと庭を散策したエミリアは、テラスでのどかに家庭教師もとい自身の友人である貴族夫人と談笑する母を見つけた。
家庭教師として派遣されたであろう貴族風の女性と菓子をつまんでお茶をしているようだ。
「お母様」
エミリアが庭から声をかけると、母…アルトゥヌはエミリアと同じ苺のようにピンクがかった赤い目をぱちくりをとさせこちらを見た。ミルク色の髪があたたかな陽に照らされ輝いている。
その姿はさながら天使のようで、エミリアは生活を共にしているというのに何度見てもアルトゥヌの姿に慣れず、目の前に祝福が降り立ったような気分になってしまう。
「まあエミリア、お散歩?疲れたならお茶でもいかが?」
アルトゥヌはすぐににこりと微笑みを作ると自分の膝をたたいた。
いつものエミリアなら来客時に膝に乗るなど言語道断、と頭を左右に振り瞬く間に断るような誘いだが、今日のエミリアは違っていた。
今の自分から少しでも剥離し、未来を変えるのだ…。
「では、お言葉に甘えて」
テラスの階段をハエルの手に引かれて上がり終えたエミリアはそう言うと、アルトゥヌの膝によじ登った。
その様子を見ていたアルトゥヌと友人貴族であるミチカは口もを手で押さえて感激した様子だった。エミリアは二人の感情が読めず困惑してそれぞれの顔を見た。
「まあ…まあまあまあ…!やっとママに甘える気になってくれたのですね」
そう言ってアルトゥヌはエミリアを抱きしめ、頭をなでた。そんな様子を見ていたミチカも目を涙ぐませ「よかったですわ…」とつぶやく。
「ど、どうされたのです」
アルトゥヌに頬ずりされながらもエミリアが尋ねると、アルトゥヌは「4歳らしいエミリアが見れてうれしいのですよ」と微笑んだ。
貴族らしからぬ行動を咎められるかも、と多少不安だったエミリアだったが反対に子どもらしさを褒められるとは思ってもいなかったので少し照れてしまった。
頬を赤くしたエミリアを見て正面に座るミチカは「おひいさま!エミリアお嬢様が頬を染められております…!」とこれまた感嘆した声を上げた。
それに続いてアルトゥヌは「嫌だわ…!見たい…!」と、自身の膝にきっちりと前を向いて着席しているエミリアの顔を覗こうとエミリアの背後で体をよじっている。
「…お母様、そんなに動かれてはお体に障ります」
エミリアはそう言って母の方に振り向き、母の顔を掴んだ。まだ顔は熱く、紅潮しているが天使のような母の腰が攣ったら大変だ。
「まあ、まあ…。本当に愛らしいわ、私のエミリア…」
照れたように頬を赤くしたエミリアを見たアルトゥヌは目に涙をためて、優しく優しくエミリアのことを抱きしめた。エミリアはなんだかとんでもなく恥ずかしく思えたが母がうれしいのならまあいいだろう、と思い恥ずかしくて母の膝から周知で今にも飛び出しそうな体をぐっと抑えた。
それからしばらく、そよ風を感じながらエミリアはアルトゥヌの膝上で菓子を食べ、お茶を飲んだ。ふかふかしたアルトゥヌのドレスが高級ソファのようで座り心地もよかった。
「エミリア様がお勉強時間を削られるなんてはじめてでございますわね」
ミチカはそう言って手元の扇子をひらひらと揺らす。真白な肌にじわりと汗がにじむのが見える。夏になったばかりとは言え日差しは強くなかなか強い。
「そうね、これまで頑張りすぎていて心配だったけど、どういう風の吹き回し?」
アルトゥヌに問われ、エミリアは顔を上げた。口元にお菓子のかけらが付いていたようでアルトゥヌが優しくナフキンでふき取ってくれる。
「休息も大切だ、と気が付いたのです」
エミリアはそう答えて一口紅茶を飲んだ。オレンジのフレーバー紅茶のようで鼻から抜ける柑橘の香りがさわやかだ。
ミチカは母の幼いころから友人で、伯爵夫人だ。現在はエミリアのもとに通い礼儀作法や歴史を教えてくれている。母アルトゥヌの甘い容姿とは異なり、漆黒の髪に濃紺の瞳をした涼やかな美人である。
とても理知的で厳しい人だが感動屋ですぐに感極まり涙している人だ。見た目にギャップのある美人、という感じだろうか。
「それはそうでございますね。なんでもやりすぎは体に毒ですもの。…それにしても初夏だというのに熱いですわね」
ミチカはそう微笑み、扇子を緩くあおぎながら空を見上げた。
一応簡易的なパラソルは備えてあるもののUVは完全にパラソルを貫通しているような強い日差しであった。
「良い天気だからと外でのお茶会をセッティングさせましたが、間違えましたかね」
アルトゥヌが苦笑するとミチカは「とんでもない」と笑った。
しばらく母とミチカは談笑すると、ミチカの従者がやってきた。迎えの馬車が来たのだそうだ。わざわざ家庭教師をしてくれと呼び出しておいてとんぼ返りさせるとは、なんだか悪いことをしたとエミリアは思った。
ミチカの乗った馬車をエミリアとアルトゥヌ親子が見送り終えると、アルトゥヌは立ち上がり「エミリア、私ともお散歩をしてくださる?」と優しい微笑みを向けてエミリアに聞いた。
エミリアは母の体に障るのではないかとアルトゥヌの誘いを断るべきか悩み、その場でうろたえてしまった。
そんなエミリアの様子を見かねて、アルトゥヌの専属メイドでもありハエルの母でもあるメイド長のベルゼが「奥様はいつも運動にお散歩をされるのです。お時間が良ければご一緒くださいませ」と助言した。
ハエルと同じ栗色の髪をまっすぐに肩口で切りそろえたストレートの髪が、彼女のまじめさを際立たせている。
なんだかベルゼに言われるとなんでも大丈夫に感じてしまう。エミリアはそう思い、母の腕を引いた。
「先ほどハエルに花について教えてもらったんです。…私からお母様に教えたいです」
そんなエミリアの返事を聞いて、アルトゥヌは本当にうれしそうに微笑み、頷いた。
*
「…お母様、一つお伺いしたいことがあるの」
そうエミリアが切り出すと、アルトゥヌは小さく首を傾げて「なにかしら」と答えた。庭先には淡いピンクや濃いピンクの花が風に揺れ、擦れ合う音と香りがあたりに満ちる。
「今度、我が家にやってくる…その、おとうと、の話なのですが」
もじもじとエミリアが話すと、アルトゥヌは微笑みを崩さないまま頷いた。
「…モクバのことね、どうしたの?」
広いガーデンの真ん中、従者の二人はアルトゥヌとエミリアの声が聞こえないぎりぎりの距離でついてきて様子を伺ってくれている。
「私、仲良くできるかしら」
そんなエミリアの言葉を聞いて、アルトゥヌはその場にがくんと落ちるように膝をついた。
エミリアは驚き、アルトゥヌの肩に触れた。具合でも悪くなったのかと慌ててエミリアは顔を上げるも、アルトゥヌは気分が悪そうなわけではなく真剣な表情でエミリアを見ていた。
「お、お母様!ドレスが汚れてしまいます…!」
エミリアの制止も聞かず、アルトゥヌはそのままエミリアを抱きしめた。
「…不安に感じていたのね、エミリア…気付いてあげられなくてごめんなさい…」
そう言ってアルトゥヌはエミリアをきつく、抱きしめた。
「大丈夫、きっと仲良くできるわ。だってあなたの…弟なんだもの」