俺はなにかに追い詰められている
「いやあ~ショックだわ! おまえ、なにやったの!?」
「やってない」
その晩。しかめっ面を浮かべた俺に陽平は咥えたアイスをポロリと落とした。きたねえな。
「だってあの浅見先生だぞ!? なんでそうなんのよ!?」
「俺が聞きてえよ」
「だって弁当って。古典的なアプローチじゃん。おまえ好かれるようなことしたのかよ」
「嫌われることならした」
落ちたアイスをティッシュで拭き取る俺に陽平は腕を組んでうーん、とうなり声を上げる。
「それがツボったのか……?」
「変態かよ」
俺はガックリと項垂れる。嫌われることをして喜ぶってなんだよ。じゃあ、これからどうしたらいいわけ? 逆の発想なら喜ぶことをすりゃいいのか?
浅見先生が喜ぶことってなんだよ。あたまが訳の分からん方向にシフトチェンジする。喜ぶことしたら喜ぶだけだろうが。俺はアホか。
「うーん。でも、もう弁当は作るなっていったんだろ? なら、とりあえず様子見だろうなあ。明日も朝練行くんだろ?」
「それな。他の部員が全員サボってるのに俺だけ行くっつーのも癪に障るんだが。陰キャとしては行かなきゃならねーだろうなって」
「そうだぜ~。真面目な学園生活送るんだろ?」
「そうそう。だから明日も迎えに来てくれ」
「はいはい」
そして翌朝。相変わらず俺しか出席しない朗読部の朝練。正面の小玉スイカは今日も立派に腕組みをした浅見先生の腕の上に君臨されている。まるでお供え物のようだ。思わず手を叩いて拝みたくなってしまうが、いまはそれどころではない。摩訶不思議な呪文を正確に唱えなければ。
「あいあいあうあうあえあえあおあお。はい!」
「あい~あい~あう~あう~あえ~あえ~あお~あお~」
「あいあい浅見をあいしてる。はいっ!」
「あい~あい~浅見をあいし……」
いいかけて、瞬きをする。
……聞き間違えか?
寝ぼけてたからな。なんて恐ろしい空耳アワードだよ。俺のお茶目さんめ。ははっと心の中で乾いた笑いを零して、今度は集中して先生の言葉に耳を傾ける。
「あいあい浅見をあいしてる~! はいっ!」
「……」
空耳じゃなかった。
この先生なに考えてんだ? もしかしてあの日の出来事がよほどショックで、あたまのネジが抜けてしまったんだろうか。マズイな。どうやって元に戻そう。
「先生」
「なにかしら」
「大丈夫ですか」
「なにが?」
あたまが。そう即答してやりたかったが、なんとか飲みこむ。教鞭を取る様子をみるからに、知能が落ちたわけではないと思うんだが。なにか違う部分が落ちたような。こんな先生だったか?
「俺、滑舌は良い方なんで、この練習はもうやめませんか」
「そう? 大事な練習なんだけど、確かに滑舌はいいわよね。でも残念だわ。あと少しだったのに」
なにが?
困ったように頬に手を添える先生にそう問いかけたい。あなたの狙いはなんですか? まさかどさくさに紛れて女嫌いの俺から言質取るつもりだったのか? そうだったら、なんて恐ろしい女だ。
いや、あまり悪い方に考えるな。きっと先生は笑いを取ろうとしたんだよ。完全にスベってたけど。そうだ。そう思い込もう。
「そうそう。それとリクエストのことなんだけどね。いままでは先生方からリクエストを取っていたんだけれど、彰くんの案が通ったわ。これからは各クラスから集計することになりました。だけど纏めるのは彰くんになるわよ。大丈夫かしら」
「はい。大丈夫です」
話がまともな話題に切り替わり、俺は安堵しながら瓶底メガネの奥で目を輝かせる。
そうそう、リクエストな。あの日やらかしてからというもの、おとなしく手元のリクエスト表をみながらよくわからんクラシックをかけていたんだが、何度かうっかり寝落ちしてしまってな。
眠気覚ましにと、もはや何を叫んでいるのか分からないメタルバンドの曲を流したら、また説教を食らうハメになってしまった。
俺はひとりで制服を脱ぎ捨ててマイクに向かってシャウトしたから、スッキリご機嫌だったんだが。なかなか上手くいかないもんだ。
それで全生徒からリクエスト取ったらどうですかって提案してみたんだよ。そしたらどんな曲でも許可が下りるだろ。俺の責任にはならないし、クラシックなんてリクエストくるわけねーもん。仮にきてもシカトだ。そこは集計する俺の特権だよな、うんうん。
それから一週間。またあの呪文のような滑舌練習で誘導告白を恐れた俺は、違う練習をしないかと先生に提案してみたんだが早々に後悔するハメになった。
なぜなら。
『朗読部』は伊達ではなく、マジで朗読部だった。発声練習をすっ飛ばした結果訪れたのは、朗読の練習。
しかも、これこそ呪文だろうという、どこぞの有名作家の詩集に書き綴られた意味不明な言葉を「心を込めて読め」という。
まず初歩的な段階から俺は躓いた。漢字。これだ。全て高校で学ぶ漢字らしいが、全教科の中で俺が特に苦手とするのが国語、及び古典だ。つらつらと連なった文字を読むと急激な睡魔に襲われるんだよ。唯一寝ないで読めるのはラノベくらいなもんだ。
この学園を受験する時も国語は捨てたからな。
漢字も読めないのに意味が理解できると思うか? 加えて心を込めろと? はい、無理ゲーです。
で、何が始まったと思う。まだ授業も始まる前から先生とマンツーマンで漢字の授業が始まった。部活という名の補習みてーなもんだ。これを悪夢と呼ばずになんという。
発声練習の時は向かい合わせに立って行っていたけど、漢字の練習及び詩の意味を教わるとなると立っては行えない。
ブースのカウンターに肩を並べて腰掛け、ノートを取る。いったい俺は何に追い込まれているんだ。
できるだけ距離を置きたかった浅見先生とは肩が触れあう距離まで近付いてしまい、毎日ひらひらだったりタイトだったりするスカートから足を組んだ先生の太ももがチラ見え。時たま細くて長い御御足が膝に触れたりもする。
そのたびに椅子をついっと横に移動するんだが、そうするとカウンターにご立派な小玉スイカをふたつ乗せた浅見先生がスイカごとスライドさせて椅子を寄せてくる。
本格的なスタジオが完備されてるとはいえ、音量操作がメインのブースはそれほど広くない。ノート一冊広げるだけで縦幅はいっぱいだし、横幅だってギリ三人座れるかどうかって長さしかない。それなのに、そうして逃げる度にじわじわと距離を詰められ、気づけば壁に追い込まれていたこともしばしば。
勉強に追い詰められているのか、浅見先生に追い詰められているのか分からなくなってくる。どっちにしろ、朝から嫌な汗が出るのは間違いない。
面白かった。先が気になる!という方はブクマと★で評価をお願いします。
浅見先生のじわじわ攻撃はまだまだ続く!