幼馴染ざまあとその後の話
僕の初めての恋人は、幼馴染だった。
その子とは、家が隣にあった訳ではなかったし、もとから親同士が友人だった訳でもなかったけれど、幼稚園の頃からずっと同じ学校で仲が良かった。
先に告白をしたのは、どちらだっただろうか?中学二年の時から僕達は、付き合うようになった。
もちろん、当時はまだ中学生。出掛けようにも自由に出来るお金が沢山ある筈もない。だから、割引がある日を狙ってカラオケに行ったり、たまに奮発して映画を観に行ったり。出来る事はその程度の事で、以前と関係が大きく変わったりはしなかった。
それでも、僕達の仲はそれなりに縮まっていたのだと思う。二人で出掛けるのはとても楽しかったし、幼馴染も、
「これからもずっと一緒にいれたらいいね」
そんな事を言って笑っていた。
だから僕も、幼馴染とはこれまでと変わらず、ずっと一緒にいるのだと、漠然とそう思っていた。
しかし、そうはならなかった。
中学を卒業して、同じクラスにはなれなかったが、無事に同じ高校に進学して。それから約二ヶ月経った頃、幼馴染に呼び出され唐突に別れを告げられた。
もちろん理由を聞いたが、その答えは、僕にはどうにも出来ない事だった。
曰く、先輩の事が好きになったのだと言う。
その先輩は、僕より顔も良く、僕より頭も良く、僕より料理も上手く、その他にも如何に先輩が優れているか、そんな話を聞かされた。極め付けは、
「えっちも上手だし!」
こうして、未だに童貞の僕は、それはもう、こっぴどく振られたのであった。
それから二日寝込んだ。その日は休日だった。
さて、そんなわけで恋人いない歴のカウンターをリセットして再起動した僕の世界は、急速に色を失った。
───りはしなかった。当然時間も止まらないし、世界が滅亡したりもしない。
高校生男子が振られたところで、この世界にはハナクソ程の価値もなく、僕がどんなに落ち込もうと雨が降る訳がないし、テレビを付ければやっぱりカラーのままだ。夜が明ければ朝がくるし、休日が明ければ当たり前のように登校日だ。そんな事知ってる。
それでも、そう簡単に割り切れるほど強くもない僕は、これまでと変わらずに変化を続けるこの世界に、これからは引きずられる様に生きて行くのだと、あの出来事を消化出来ないまま登校した。
その日の僕の落ち込み様は、仲の良い友人でさえ「声を掛けるのも躊躇うほどだった」
と後日聞いている。
しかし、そんな僕に声を掛けた人物がいた。
学年一の美少女を自称するその子は、僕に「何故そんなに落ち込んでいるのか」と聞いた。友人すら近寄らない状態の僕に、真正面から、だ。
答えるのは面倒だったし、他の男が良いからと幼馴染に振られました、なんて情けない話を聞いてどうするのかとも思った。
でも、その子は僕に付きまとい、引き下がる様子も無かったし、話をしてどこかに行ってくれる事を願って、結局、洗いざらい全ての事をゲロった。あるいは僕は、この事を誰かに吐き出したかったのかもしれない。
それからと言うもの、僕の何がその子の琴線に触れたのかは知らないが、その子と一緒にいる事が増えたた。時に慰められ、時にからかわれ、そんな日々を過ごす内に、我ながらチョロいとは思うが僕はその子に恋をした。
そして夏休みが終わる頃、心臓が飛び出る程に緊張しながらも、僕の方から告白をして、その子は僕の彼女になった。
ある日の放課後、僕達はクラスメイトがあらかた教室を出るのを待ってから、下駄箱に向かった。
いつもなら、人の減った下駄箱で靴を履き替えて、そのまま帰途につく事が出来るのだけど、その日は違った。そこに、幼馴染がいたからだ。
もちろん、クラスは違えど通っているのは同じ高校。僕がどんなに避けていようと遭遇しないはずが無く、寧ろ、今日まで会わずにいられた事の方が、奇跡に近いのかも知れない。
でも、本音を言えば、このまま会わずに済むのなら、会いたくなかった。心がざわつく。
それに気付いた様に、隣の彼女が黙って僕の手を握った。
「久し振り、だね」
幼馴染が言った。あの日の事など無かったように自然に。嘲るような、それでいて媚びるような笑みを浮かべて。
久し振りに見た幼馴染は、どこかやつれて見えて、そんな事に気付く自分に、余計に腹が立った。
「あの日以来だから、三ヶ月と少しかな」
吐き出す言葉に棘が立つ。
幼馴染は、やっぱり気にした様子も無く、視線を少し横にずらした。
「……その子は?」
その言葉を聞いた時、来た、そう思った。
「彼女だよ」
最近では思い出す事も無くなった、あの日の出来事がフラッシュバックして、僕に囁く。自分がやられたようにやり返せ、と。傷つけられたように傷つけてしまえ、と。
僕は、衝動のままに口を開いて
「──君よりも美人で、君よりも優しくて、君と違って僕を裏切ったりしない」
そう、言ってやった。
幼馴染は、不愉快そうに眉をひそめ
「そう」
と、小さく呟いて、それから
「よかったね」
と、少し笑った。
……あぁ、クソ。
「それじゃあ、私、先に帰るね」
僕は、最低だ。
走り去る幼馴染の背中が、小さくなって消えて行く。
「さて、私達も帰ろうか」
それから僕は、握られていた手が離れて冷たい空気に触れるまで、ただ茫然と動けずにいた。
いつもと変わらない帰り道。あんな事があったのに隣を歩く彼女もまた、いつもと変わらない様子で僕に話かけていた。優しい彼女は、僕に気を遣ってくれているのかも知れない。
しかし、僕は彼女に謝らなければいけない事があった。例え、その気遣いを無下にしてしまうのだとしても。
「さっきは、嫌なとこ見せて悪かった。それから、君を出しにするような真似をした事も、ごめん」
すると、彼女は一瞬驚いた顔をしてから、笑って言った。
「あはは、いいよ、あれくらい。君が前に進むのに必要な事だったんでしょ?」
彼女の言う事は、ある意味正しい。実際、あの時僕は、幼馴染を傷つけようと言葉を吐いたし、そうすればモヤモヤが、鬱憤が晴れるんじゃないか、と期待もしていた。
「──それで、どうだった?スッキリしたの?」
しかし、続いたその言葉に、直ぐに頷く事は出来なかった。
「……多少はね。多少は、スッキリしたよ」
「それで?」
本当は、誤魔化してしまいたかった。これから話すのは間違いなく僕の本心で、だからこそ、それはきっと僕の一番汚いところだから。
だけどそれは、とても不誠実な事だから。
「その瞬間は満足したよ。ざまあみろとすら思った。でも、そんなのはほんの一瞬の事で、直ぐにそれ以上の罪悪感と、自己嫌悪に陥る。後悔したよ。やり返したところで、過去が消える訳でもないのに、残るのは、結局相手と同じ事をした惨めな自分だけ。これじゃあ、全く割に合わない。本当に情けない」
結局僕は、あの日から止まったままだったのだろう。彼女と出会って、あの日の事を思い出す事は減ったけれど、それも、彼女との思い出で塗り潰して蓋をして、距離を取って見ない振りをしていただけ。傷が癒えた訳でも、乗り越えて前に進んだ訳でもないから、彼女の前ですら取り繕う事すら出来なかった。本当に情けない。
「ふーん、そっかそっか」
だからきっと、僕はこれから振られるのだと思う。今度は誰かと比べられるのではなくて、自身の矮小さによって。そう思うと、隣を歩く彼女の顔を見る事も出来なかった。
「良かったよ。君が、そう思える人で」
しかし、彼女の発した言葉は僕の予想とは大きく外れるものだった。
「は?」
彼女は、足を止めた僕に気が付いて、一歩前で足を止めて振り向いた。
「どうしたのさ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「いや、てっきり振られるのかと」
「なんで?」
「我ながら、とんでもなく情けないところを見せたから、愛想を尽かされるかと」
そう僕が言うと、彼女は楽しそう笑って言った。
「あはは、今更何言ってんのさ。そんな事で別れる訳ないじゃん。君が情けないって言ってるところも、私は好きだよ」
彼女に、手を握られる。その手はさっきよりも、温かく感じた。
「だからさ、今度こそ一緒に前へ進もう。もう、過去を嘆く事が無いように。もう、あんな事をして後悔する事が無いように」
彼女の瞳に真っ直ぐ見詰められて、僕はきっと、出会った時からこの子に惹かれていたのだと気付く。
まずい、顔が燃えるように熱い。
「それにね、私は君と別れないって、今決めたから」
僕と手を繋いだまま、半歩前を歩き始めた彼女が凄い事を言ってる気がするが、今はひとまず助かった。
「君には一生敵わない気がするよ」
「そうだよ、こんな女の子、そうそういないんだから」
これからも、一緒にいられるならばと、心から思う。この子と一緒なら、僕は強くなれる気がした。
「あー、今日は暑いね。途中でアイスを買って食べよう。もちろん君の奢りで。私、アレがいいな」
前を歩く彼女の耳が、いつもより赤く見えた。