第一部☆火星の王女 第一章☆火星が出ている
火星が出てゐる。
要するにどうすればいいか、といふ問いは、
折角たどった思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因に生きる事、
それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、
もう一度頭を高くあげて、
この寝静まった暗い駒込台の真上に光る
あの大きな、まっかな星を見るがいい。
火星が出てゐる。
(以下略)
高村光太郎 火星が出てゐる より抜粋
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ミリー・グリーンは始末屋の偉丈夫に連れられて、場末の酒場のシャワー室を借りて、身ぎれいに身支度をした。
「いいか?自分でできることは自分でやるんだ。他人の手助けを期待するな」
始末屋はカウンターでスコッチを飲んでいたが、全く酔ったそぶりを見せなかった。
「どこの世界でも同じだ。人は結局独りなんだ。自力ではいあがれ」
ミリーはこの男を不思議そうに見ていた。
「どうしていろんなこと助言してくれるの?」
「気に入ったからだ。いいか?火星の王宮にはお前くらいの子どもが大勢集められて選別にかけられる。その中で生き残れ」
「どうして火星の王様は自分の子どもを跡取りにしないの?」
「生まれがどうとかじゃないんだ。世界を動かせる器の人間を捜している」
「大人になるまで生き残ったとして、その先は?」
「王を乗り越えて世界を支配するんだ」
ミリーはかぶりをふった。
「私はそんなものにはならないわ」
「じゃあ、どうする?地球の隅っこの売春宿に売ろうか?」
「それも嫌」
「何がしたい?何が欲しい?」
「自由と知識と体力が欲しい」
「欲張りだな。だが、やってみるが良い」
火星行きのチケットを胸のポケットに突っ込んで、始末屋は楽しそうに大笑いした。
「お前を高値で売りつけて、それから俺はどこかでお前がどうなっていくのか見ていることにしよう。幻滅させるなよ」
ミリーのあごを片手でつかんでがくがくと揺り動かす。
ミリーはくやしげに始末屋を睨んだ。
今は、この流れに乗るのが得策だと自分に言い聞かせて、彼女は始末屋に反抗しなかった。
「勘定」
金貨を投げやる。
「釣はいらん」
始末屋はそう言うと、ミリーを連れて酒場から外へ出た。
夜空に赤い惑星がひときわ明るく輝いていた。
「今から宇宙港に行って、船に乗る。いくぞ」
ミリーは目指す星の光を目に焼きつけた。