仕事
「うまくやってる?」
肉屋のハナが開店準備をしている店の前を通りがかると声をかけてくる。
彼は健一郎の事情を知っていて、現在同居中の小中学生をよく気にかけてくれる。
「ぼちぼちかな」
「花屋が似合いそうなの入ったって言ってたよ」
「あとで寄ります。
――帰りにこちらも寄るので夕食と、お弁当によさそうなのお願いしますね」
「了解」
鉄工所の前を通ると朝の一服中の社長の姿があった。
「過度の喫煙は体を、壊しますからね」
「過度のストレスもな」
健一郎の仕事を知っている彼からの言葉は少し重い。
「安全第一を心掛けては、いるのですが……」
「倅に任せられるようになって早く引退したいもんだ」
がッはッはと笑って短くなった煙草を落として踏むとコンクリートに黒色がのびる。
「また奥さんに叱られますよ」
ばつが悪そうに潰れた吸殻を拾って事務所へ引っ込んでいった。
少し進むと町工場の集まる区画を抜けて比較的最近になってから整備されたばかりの区画に出る。
その端で古びたトタン屋根をトレードマークに営業しているのが花屋のハナマル。
"どんな時でも癒しは必要だ"が口癖の、丸い体にスキンヘッドの一見して強面な店主の愛称はマルちゃん。常連のご近所さんからは親しまれている。
「開店前に失礼します」
足元が少しだけ持ち上がったシャッターへ向かって声をかけると、向こうからがっしりとした五指が伸びてきて、シャッターを半ばまで持ち上げた。それを健一郎がくぐるとシャッターは降ろされ、店舗奥にある事務スペースの明かりへ導かれる。
「花に気をつけてな」
明かりの下へ出るとパートさんが開店準備をしていた。
「上行ってるから、なんかあったら電話でよろしく」
声をかけてマルが階段を上がる。その先は住居スペース兼副業の事務所となっている。
顔なじみのパートさんへ軽く会釈して健一郎も後を追う。
「この階段、リフォームする気はないの?」
訪れるたびに健一郎は提言するが、マルはこのままでいいときかない。
2階部分が増築された当初から変わらない急な階段に手すりはなく、うっかり脛を打ちそうになることも珍しくない。
「頭気を付けて」
上がりきった部分は天井も低く、長身の健一郎は直立できないほどだった。
言われなくともよく知っているが毎度注意を促してくれるのはマルの人の好さをよく示しているだろう。
部屋に入れば天井板はなく屋根裏の構造が露出している。雨漏りを修繕した痕もいくつか散見できた。
板敷の間に土足で踏み入るのは初め抵抗があったが、通ううちに慣れてしまった。
「要件は?」
事務机に収まったマルが仕事の顔をして発した。
細い目が吊り上がっているのは生来の造形だが、頬と口角から笑みを消すと凄みがある。
健一郎は正面に直立していつもどおりの答えを返す。
「件の調査に進展は、あるか?」
下の引き出しから取り出された封筒には厚みがない。中身は入っていても数枚だろう。
「また痕跡だけ出てきたぞ」
差し出された封筒の中身は粗い写真だった。その場所の詳細と撮影された状況が事細かに書かれた紙も同封されているが、悪筆なうえにこの国の言語ではなかった。
人の気配のない住居の内部で一見してそれと判らない隠し扉の使用された痕跡が示されている。
「前回の報告とさほど離れていない場所だ。
目撃証言は数か月前で切れている」
「ではまた……」
「ああ。
次はどこに行ったんだろうな」
それだけの会話で意思疎通できる程度に長い付き合いのある仲である。
「それでさ、マルさん」
「他に欲しい情報でもあったのか?」
「個人的な話を、したいのだけど」
それでピンとくるものがあったらしい。マルは引き出しに鍵をかけるとソファへ移動して、対面に座るよう健一郎を促す。
「預かったチビがどうかしたか?」
「姉さんに急な仕事を融通した理由、聞かせてもらえる?」
ソファへ腰を下ろしながら作り笑いを浮かべて、健一郎は問うた。
姉が急な仕事で長期間家を空けるときそれが目の前の男の紹介でないときはなかったから、健一郎は今回のこともマルが紹介した仕事だろうと確信していた。
「私が回したと訊いたのか?」
「他にない、でしょう?」
マルは一つおおきな息をつく。
「その写真な、取ってきたの姐さんだよ」
健一郎が持つ封筒を示す。
「どこからか繋がってたのか偶然かは知らんがな」
撮影者の知り合いから受け取り、マルへ流したのだという。
「んで、それを持ってくるときに事前連絡がなかったもんで整理してた情報を姉貴に見られちまった。決めたら聞かないからさっさと手続きしちまって、チビはケンのとこへ行った。という顛末だ」
「振り回される身内の身にも、なって欲しいよ……」
思い立ったが吉日の行動力はおそらく父譲りだ。神出鬼没な父は長年姉弟が探しているにもかかわらずその所在がつかめない。生死不明だが口座の金が動いていることから生存しているとみられる。
「チビはウチで預かってもよかったんだが、嫌われちまっててな」
子ども好きのマルは悔しいらしく、後頭部を掻く仕草をみせた。
「会ったことがあるんですね」
「たまに連れてくるよ。花が好きみたいでな。
――どうした? ため息なんかついて」
「姉さんに子どもがいることを今回まで知らなかったんですよ」
「……もう小学生だろ?」
「ウチ、誰も連絡とらないので」
「お前も苦労するな……」
その言葉は神出鬼没な姉弟の父探しに協力するマルには説得力があった。
「真面目なお前のことだから、しばらく"仕事"もできないんだろう?
安くしとくよ」
「……似合いそうな花を見繕ってください」
健一郎はまた一つ大きなため息をついた。
花は後で取りに来ると告げて開店したばかりのスーパーへ向かう。特売を漁る主婦に紛れて主夫をこなすのが現在の健一郎の本業である。