Deep inside [心の奥底]
サブタイのセンスが欲しいのと英語力が欲しいのと。
しばらく、精神世界に入った時のように暗闇の中を落ちる感覚に身を任せた後、彼らの意識は唐突に明転した。
「...うぇ」
と同時、目に入ってきた景色に吐き気を催した優が思わず白衣で口元を覆う。
そこは、先ほどまでのような継ぎ接ぎの世界ではなかった。ではなかったが...生理的嫌悪感を誘うには十分すぎる光景だった。
薄ピンクの霧がかかった、まるで内臓の中にいるような景色。いや、ぐちゃぐちゃにされた人体の中にいるような、と言ったほうが良いだろうか。立っている地面からの感触は間違いなく肉のそれだった。
そして辺りから微かに聞こえてくるのは涙混じりの怒声。この「声」は子供達にとっては覚えのあるもので、優も聞いたことがあった。
「...庄平君の声か」
ぽつり、と呟く。そう、それはまさしくこの世界に入ってきた時に聞いた彼の「声」だった。
なんとか吐き気を堪えた優が、一歩踏み出す。ぐちゃり、という音とともに言いようのない不快感が靴越しに足を襲う。
後ろを向けば、女子の3人は既に泣き出しそうだった。男子達も平気そうな様子ではない。
(...あんだけのことしといて、こういうのはダメなんだな)
優は、資料にあったいじめの中にコンパスやカッターなど、凶器を使った暴行があったことを思い出した。
よくよく見れば、地面や空に赤黒い傷がある。心も相応の傷を負っていたのだろう。
(...まあいい。こいつらがこの景色にやられて呑まれる前に、さっさと抜けよう)
優は「しばらく我慢しろ。さっきの俺の言葉を忘れるなよ」と子供達に忠告してから、歩き始めた。
子供達の行為に悪感情を持ったとしても、優は庄平には断じて同情しない。
どんな事があったとしても、ウィアードになってこうして人を引きずり込んだ者に同情などしない。
他でもない自分のために、優はそう決めていた。
〜〜〜
不快極まりない肉の地面を踏みしめ、響き続ける庄平の怨嗟の声を聞きながら歩き続けること、数分。
いつのまにか、そこには扉があった。
古めかしい大きな扉。大きな南京錠と鎖で、厳重に閉じられているようだった。
「ま、関係ないけどね」
しかし、優はそんなものはないと言わんばかりに扉の取っ手を掴み、難なく押し開けた。
心にかけた鍵でさえ容易くこじ開け、中に入り込む。ウィアードの能力の一つでもあるそれを使い、更に意識の奥へと進んでいく。
扉の向こう側は、先ほどまでのような気味の悪い空間ではなく、ただただ、普通の屋敷だった。
今までとのあまりの差に驚く一行。しかし、栗原は玄関を一度見ただけで、思い出したようにぽつりと呟いた。
「...これ、庄平君の家だ...燃える前の」
「燃える前?」
優の疑問に、栗原はすぐに答えた。
「その、中学生の頃に庄平君の家が火事にあって...お父さんも亡くなったの」
確かに、心の深い部分に行けば行くほどその人にとって馴染みのある場所に似るのは今までの例でもそうだった。
しかし、それ以上の疑問を優は栗原にぶつける。
「なんでそんなに知ってるわけ?行ったことあるの?」
「......その、幼なじみだったから...」
栗原は、小さくなりながら答えた。
「幼なじみって...」
「んなことどうだっていいだろ、早くあいつとっ捕まえて、こんなとこ出ちまおう」
なおも疑問をぶつけようとする優に、進藤から咎めるような言葉が出た。
進藤の耳は、怒りからなのか赤くなっていた。
「そんなキレることじゃないだろ、まあ確かに急ぐべきだろうが...」
「じゃあ早く行こうぜ、ほらほら」
急かすように、進藤は優の背中を押した。
一行は前進する。一階の探索を済ませ、二階へと階段を登り、優を先頭に廊下を進んでいく。
...とそのうち、堂前の動きがおかしくなってきていた。別に気がおかしくなったわけではない、尿意でだ。
「は、張本先生...」
「あ?」
切羽詰まったその声に、優が反応して振り向くが...
「そこのトイレ行ってきてもいいですか...?」
その言葉に脱力せざるを得なかった。
「お前、この状況でトイレって...その辺でしろ!ったく、早く奥に進まなきゃいけねえってのに...」
ぶつぶつと愚痴を垂れながら、再び前を向く優。簡単に「その辺でしろ」というが、女子がいる前で年頃の男子ができるわけがない。
堂前は顔を真っ赤にしながら、一つ前にいた照元に「俺ちょっとトイレ行ってくる!」と小声で囁き、そのまま先ほど通り過ぎたトイレに駆け出した。
「ちょ、堂前!あんた離れるなって...」
照元のその声は尿意でいっぱいいっぱいの堂前の耳には届かず、そのままトイレに駆け込んで行ってしまった。
照元はため息を一つついた後「先生、堂前が...」と言おうとした。その瞬間。
「うわああああああ!」
堂前が駆け込んだトイレから悲鳴が聞こえ、すぐに途切れた。
その声に一行が振り返ると、トイレの個室から飛び出す血糊が見えた。
そこから、のしのしと出てきたのは、口に堂前...だったものを咥えた、頭と体がほとんど一体化しているような、真っ白でぬめぬめとした肌を持つ巨大な一頭身の怪物だった。
「ちっ...固まって動くって言ってたのにどうして言うこと聞かないのかね!」
舌打ち一つ、緩慢な動きで迫る怪物を迎撃すべく、優が怪物の前に出る。とその時、何かに気づいたように照元が怪物の胸元を指差して、口を押さえた。
「...八、木...?」
その名前には、優にも見覚えがあった。
最初の13人のうちの1人、あの病室に寝ていたうちの1人でもある。
その顔が...怪物の胸元に浮かび上がっていた。
「たすけて...いたい、くるしい...たすけて...ごめんなさい...」
よく聞けば、その顔は泣きながらそう言っていた。まるで、目の前にいる誰かに謝るように。必死で命乞いをするように、かすれかすれに。
「...はぐれたって時点で嫌な予感はしてたが、やっぱりな」
悔しそうに唇を噛んだ後、優は正確に怪物の頭に三発弾丸を撃ち込み、沈黙させた。
おぞましい量の血を迸らせて、怪物は前のめりに倒れ、血溜まりを作った。
それでもなお、怪物の体からは謝罪と苦悶の言葉が出てきていた。
「いたい...ごめん、ごめん...おれがわるかったから...」
しばらくして、その言葉も止んだ。
その直後、全員の視界...否、世界そのものにノイズが走り、怪物の死体も消えた。
残されたのは、上半身を食いちぎられた無残な姿の堂前のみ。
拳銃を下ろし、ふうと一息つく優。しかし、目の前で友人の成れの果てを2つも一気に見せられた子供達が落ち着いていられる訳もなく。
泣き出す照元、口を押さえて固まったままの栗原、思わず吐きそうになる酒井、なんとか死体を見るまいと視線を逃がす進藤。
「なあ、今のはなんなんだよ!八木はどうなっちまったんだよ!?」
声を荒げながら優に摑みかかる小嶋の手を容易く掴んで押さえたあと、優は至って冷静に...
「八木君は庄平君の意識に呑まれて怪物になった、もうああなったら助からない。庄平君が生きる限り苦しみ続けるだけ、あのままほっといても俺らを襲うかもしれないし、庄平君の自我が消えた時に一緒に消える。だから苦しみを和らげるために殺した」
一気に、文句があるなら言ってみろと言わんばかりにまくし立てた。
「で、でも...あんた医者なんだろ!?医者なら患者を救う気くらい...」
そう反論しようとした小嶋に、優は顔色一つ変えずに答えた。
「ああ、救う気ならあるさ、十分にな。お前らが俺の言う通りにしてりゃあ救えるさ。堂前君は俺の言うことを聞かずに死んだ、八木君は俺が来る前に死んでた。俺にその責任すら負えと?」
そう言ってくるりと向こうを向いて探索を始めた優に、小嶋は何も言えなかった。
と、その時。
「...照元さん?ねえ、照元さんったら」
栗原の呼びかけるような声が聞こえて、優は振り向いた。
そこには心配そうに照元の背中をさする栗原と、うずくまって泣き続ける照元の姿があった。
「...八木は...あの化け物になったの...?ああなるの...?私もああなっちゃうの...?」
うわごとのように繰り返しながら、泣き続ける照元。
その直後、優は気づいた。
彼女の肌が、徐々に白く変質していっていることに。
「よせ、それ以上...ッ、離れろ栗原君!」
優の怒鳴り声に弾かれるように、栗原が照元から離れる。
その頃には、優以外にも、もちろん照元自身にも分かるくらいにその姿は変わり果ててしまっていた。
「やだ...やだ...!せんせい、たすけて...!いたい...やだ...!」
そう繰り返しながら、しかしもう体は出来損ないの雪だるまのような怪物になりかけている照元の腕が、拳銃を構えて近づいてきた優を殴り飛ばす。
「やだ...せんせい...!いや、いや......たすけて...!」
もう体は彼女の意思では動かないのか。
壁に叩きつけられて血を吐く優にとどめを刺そうと、緩慢に腕を持ち上げる照元だった怪物。
すんでのところで構え直した優の拳銃、そこから放たれた銃弾に頭を撃ち抜かれ、怪物は後ろに倒れた。
「いたいよお...いたい...せんせえ...たすけて...」
それでもなお、優に「助けて」と懇願しながら、立ち上がろうとする怪物。
しかし、立ち上がった優は、その怪物の頭を一切の躊躇なく踏み砕いた。
ぐしゃ、と頭蓋のひしゃげた音を響かせ、沈黙する怪物。その直後に再びノイズが走った直後、その怪物は消えた。
そして、頭を踏み砕かれた照元の死体が残った。
「...なりかけだったから、ホストでも元の奴を消しきれなかったか。もう少し殺すのは待つんだったな」
少し後悔したように、しかしすぐに気を取り直して「立てるか?」と栗原に肩を貸そうとする優。
「......はい」
疲れた様子で、栗原がそう答える。
なりかけなら、まだ救えたんじゃないのか。
そう問いたいのは山々だったが、それを聞けるほどの余力は、彼らには無かった。
しかし、彼らの表情から疑問を読み取ったのか、優がすぐに説明する。
「ああ、なりかけでも一旦あいつに干渉を許したらもう救えないんだ。だから言ったろ?常に自分が自分であるって確信しながら進めって」
ここで一息ついた後、照元の死体を親指で指差しながら続ける。
「一瞬でもその確信がほころんだり、自分が自分で無くなる恐怖にとらわれたりしたらああなる。いいな?」
至って冷静に説明を終えたと同時、栗原が優に問う。
「...張本先生はどうして、自分の手で、怪物になったとはいえ人を殺して...平気でいられるんですか?」
おずおずと、そう言った彼女に目を向け、優はここに来て初めて柔らかく笑いながら言った。
「平気ってわけじゃないが...何度もやってきたし慣れたよ。それに...もう壊れてるんだ、俺も」
にこやかに、どこか悲しげに。
そう答えた。
「壊れてる、って...」
「よし、この話はこれでおしまい。改めて『自分が自分である』って確信できたか?」
栗原の言葉を遮るように、優は大声で子供達に言った。
その声に、全員が力強く頷く。
流石に今の二人のようにはなりたくはないだろう、どうやら必死でやったようだ。
優はよしよしと頷くと、何か閃いたように「あ」と声を上げて、言葉を遮られて不服そうにしている栗原に尋ねた。
「庄平君がここに住んでる時、自分の部屋にしてた場所って分かる?」
...と。