Entrance to madness[狂気の入口]
最初は調子いいんですよね、最初は。
扉を開けて最初に優が感じたのは、つんと鼻をつくような腐臭だった。
思わずあたりを見回せば、そこはあらゆる記憶が継ぎ接ぎにされてできたのであろう、まさしくカオスと呼ぶに相応しい光景が広がっていた。
あっちが街のような風景をしていると思ったら、向こうは森、さらに向こうに行くと海があり、浮島のようなものも見える。
そして、まるで夜のように辺りが薄暗い。
前衛的な芸術家なら何か感じるものがあったかもしれないが、ウィアードである以外は普通の優にとってはそれはただただ気味が悪いだけのものだった。
後ろを見れば、自分が出てきた扉は既にない。それもそのはず、主を失ったイメージが残っていられる道理はない。
「ま、気味が悪いのは慣れてるけどね...心の中までは着飾れないし」
そう呟きながらさらによく目を凝らすと、そこら中に肉片が転がっているのが見えた。おそらく腐臭の元はこれだろう。
「...こんなに頭ん中カオスになってんのに、そこはリアルに再現するのかよ。庄平君ホラー映画の見過ぎだぜまったく...や、再現だったらまだいいんだけど」
優がぼやいた直後、つんざくような悲鳴が辺りに響き渡った。
「...当たりっぽいな、何人生きてるかな...」
...肉片を見た時から心の中にあった焦りを抑え、優は悲鳴が聞こえた方向へ走り出した。
〜〜〜
その頃、優のいた場所から少し離れた場所で、六人の少年少女がへたり込んでいた。
彼らを前に舌なめずりをしながら近づくのは、手足はあるがとても「人型」とは言えない、見ただけで狂気を呼ぶような白い肌の怪物だった。
女子達は皆頭を抱えて、嗚咽をこぼしながらうずくまり、男子達は果敢に投石で抗おうとするも、掴んだ石は投げようとした端から虚空に溶けるように消えていき、今にも食われようとしていた。
とその時、後ろから乾いた銃声が三発分響き、怪物の頭を正確に撃ち抜いた。
そしてその直後に「間に合ったか間に合ったなよし間に合ってる!」と銃声に負けない大声が響き渡る。
彼らがその声につられて振り向くと、多数の怪物に追われながらこっちに走ってくる優の姿があった。
「こっちぼーっと見てんじゃねえっつの早く目の前の建物に入れ!」
優の怒鳴り声に子供達が前を向くと、いつの間にかそこにペンションのような小さな建物があった。
優のあまりの気迫と、その後ろから迫る怪物への恐怖に背中を押され、訳も分からぬまま我先にと建物に転がり込む少年達。
優はとりあえず手に持った拳銃で何匹かの怪物達を倒した後、ドアに駆け込んだ。
「ぜぇ...ぜぇ...あー、思ってた以上に重症だわ庄平君...」
駆け込むと同時に思いっきり閉めたドアにもたれかかりつつ、そうぼやく優。
彼らが駆け込んだ建物の中は古びたペンションなどではなく、張本診療所の待合室。つまり優の意識で守られたセーフティゾーンに彼らを案内した訳だ。既に先ほどの空間からは離れたのか、怪物がドアを破ってくるような気配はない。
優は手に持っていた「拳銃」のイメージを消して、ふう、と一息ついた。
「どう、落ち着いた?」
「...う、うん...なんとか...」
そして額の汗を拭った後、今助けた子供達に投げかけた優の言葉に、一人の少年が返事を返す。
「君たち、名前は?」
子供達は、口々に自分の名を名乗った。
男子勢は、力士のような体格の堂前、引き締まった体の進藤、少し背は低いが美形な小嶋。
女子の方は、少しぽっちゃり目な照元、モデルのような見た目の酒井、メガネをかけた地味系の栗原。
全員の顔と名前が現実世界で見た者と一致することを確認してから、優は尋ねた。
「あと7人はどこにいるんだ?」
少し黙りこんだ後、進藤が口を開いた。
「4人は、怪物に食われて...3人は分からない、途中ではぐれて...というか、あんた誰ですか...?」
そして、優に疑問をぶつける。
「ああ、俺か。張本優、職業は医者でね。君たちを助けに来たってところだな」
その言葉に、全員の表情が明るくなる。それもそのはずだ、今までこの世界で救いなどなかったのだから。
その表情を見て、まだ元気そうだと安心しながら、智也との無線を開きつつ優が続ける。
「で、まだ一つ聞きたいことがあるんだが...ここに来てからこれまでの話をしてほしい。できるだけ細かく、無線の向こうにいる俺の相方にも分かるように」
「う、うん、分かった...」
進藤が中心となって、口々に話し出す。
この狂気に引き込まれてからの出来事を。
〜〜〜
「えーっと、まずはここに来るまでの話を...」
進藤は前置きをすると、話し始めた。
部活が終わり、家に帰ってきた進藤は、突然強い眠気と頭痛に襲われたという。
優がその症状は全員に起きたのかと尋ねると、揃って首を縦に振った。
心配する母親に「疲れてるだけだろうから」と一言残して、彼はそのまま部屋のベッドで眠ることにした。
進藤以外の全員も、同じように、何かに導かれるように眠りに落ちた。
...否、清水庄平の精神世界へと落ちたのだ。
「目を覚ましたら、真っ暗で、手足の先も見えないようなところにいて...」
酒井が、恐怖を思い出したのか震えながらそう話す。
「夢の中にしては意識がはっきりしてて、辺りを見たら皆がいて。声を出したら返事も返ってきたから...夢じゃないのかもって思い始めて...」
進藤も顔を引きつらせながら話す。
戸惑う彼らの前に、庄平が現われたのはそれからすぐのことだったそうだ。
植物状態でいるはずの庄平が目の前にいる、その事実に凍りついた。
「で、最初に栗原が声をかけたんだよな」
「庄平...君...?」
そう言った栗原に、庄平はこう答えたという。
『ああ、そうだよ。お前らがおもちゃにしてた清水庄平。びっくりした?』
「で、俺がその後に『庄平!俺らをこんなところに連れ込んで、一体何のつもりだ!』って言ったら...」
『別に、せっかく力が手に入ったんだし、恩返ししようと思っただけだよ』
普段はビクビクして何も言い返してこなかった庄平が、不気味な笑みを浮かべながらそう答えたそうだ。
『お前らがいなけりゃ僕は自殺未遂なんてしなかった、お前らがいなければ植物状態になんてならなかった、お前がいなけりゃ...僕はこの力を手に入れられなかった』
庄平は消えたと思えば別の場所から突如として現れたりしながら、そう言葉を紡いだ。
『だから、恩返しに...お前らに最初に見てもらおうと思ってさ。僕の力を』
「普段のあいつじゃなかった。なんか...こう、分からないけど...」
怯える彼らの前で、庄平は笑みを崩さずにこう言ったという。
『ここは僕の心の中、今度は僕がお前らで遊ぶ番だ...安心しなよ、簡単には殺さないから。お前らが僕にやったように、じわじわやってやる』
「あいつがそう言った直後に、地面が消えて落っこちて...気づいたらさっきの薄暗いとこにいたんだ」
〜〜〜
「...で、今に至る...分かってもらえた?」
「ああ、俺は大体。トモ、お前はどうだ?」
『分かりやすい説明だったよ、こっちも大体把握できた』
この場所に落ちた後、出会ってしまったあの怪物達から隠れ、追われを繰り返し、何人かと逸れたり犠牲を出しながらもなんとかここまで辿り着いたらしい。
「体感でいい、ここに来てからどれくらい経った?」
「...多分、3日くらい...ここ、おかしいんです。武器になりそうだったり、役に立ちそうなものは手に取った時には消えたり、別のものになってたり...」
「進藤君が色々...多分、進藤君がいなかったら私達も今頃はもう餌に...」
優の質問に、栗原と照元がそう返す。
『へえ...進藤君凄いね、こんなサバイバルなんて中々無いでしょ?』
「いや、偶然だよ...キャンプとかで、慣れてたし...」
智也はよくそんな中でド素人が3日間も生き残れたもんだと感心したが、優は特に何も思わなかったらしい。
「手に取ったそばから消える、ねえ...そりゃそうだ、お前らが見てきたもん全部、庄平君のイメージに過ぎないんだから」
そう言って、ウィアードの精神世界について簡単に説明を始めた。
「ここはあいつの精神の中。つまり、俺が作ったこういう空間以外はあいつの思うまま、消すも作るもあいつ次第ってわけ。分かりやすく言うと...明晰夢って分かるか?」
と、栗原を指差す。
「は、はい...なんでも思い通りになる、夢だと分かる夢でしたよね」
おずおずと答える栗原に優は「そう、それ」と簡単に返した後続ける。
「つまりこれはあいつの夢。あいつの作り上げた世界。お前らは今その中に巻き込まれてる状態。でも、普通の夢と違うのはここで死んだり発狂したり...まあ色々したら現実での自我も死ぬ」
死ぬ、と。
冷たく言い切った優の言葉に、全員の顔から血の気が引く。
「で、お前らに言っておかなきゃいけないことがある」
ぱん、と手を叩いて呆然としている全員の意識を戻して、優が続ける。
「これから全員で動く。俺がここを離れるとこの安地はなくなるからな。お前らが固まって俺だけ単身行くより全員で固まったほうがずっと安全だ。あいつの深層意識...つまりあいつの本体がいる場所に全員で入る訳だが」
ふぅ、と一拍あけて、優は真剣そのものの顔で言った。
「常に『自分は何者か』を問い、常に『自分は自分である』ことを確認しながら進め。いいか、絶対にこれだけは忘れるな。自分を見失うなよ」
精神世界に沈み、その中にいた生存者達に対して数十は繰り返したであろう言葉。
優の言葉の意味が分からず、戸惑う子供達。
「意味が分からなくてもいい、これだけは約束してくれ」
念を押した後、優は開きっぱなしにしていた無線に、他に聞こえないように小さな声で話しかけた。
「トモ」
『はい、なんですか先輩?』
「さっきの話、おかしいと思わなかったか?」
真剣そのものに言う優の言葉を、智也は理解できなかった。
『おかしいって...何もおかしなところはなかったと思いますけど』
戸惑いながら言う智也に、優は苦笑する。
「そうか...分かった、ならいい。帰ったら少し国語の授業してやるか」
『え、国語?先輩、どういうことです?』
更に戸惑いを深める智也をよそに、優は続ける。
「...あいつの深層意識に接続できた。いつも通りここからは連絡できない。また現実で会おう」
『え、ええ...お気をつけて。終わったら寿司でも食いに行きましょう。僕、奢りますよ』
「ありがてぇ。寿司のために頑張ってくるわ」
乱れていた白衣を直し、再び手の中に「拳銃」のイメージを作る。
「自分は自分である」というイメージを、とりあえず自分達なりに作れた様子の子供達に「行くぞ」と声をかけて、優はドアを開け...
その先、清水庄平の深層意識へと、落ちていった。
いかがでしたでしょうか。
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