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第6話 二人の姫



 誰かを殺すと、すごく喉が渇くんだな……。

 ノウトは自分の喉仏を片手で撫でながら、頭の中で独りごちた。

 何人、殺したんだろう。ゴブリンだって生きてる、ノウトと同じ生き物だ。縄張りを荒らすノウト達を襲うのだって生物として極めて正当な理由だ。

 そんな彼らを殺してしまった。

 両手で数えきれないほど殺してしまったんだ。

 考えるのをやめたら、楽になれるのかもしれない。殺したことを忘れられればこの重苦しい気持ちからは解放されるのかもしれない。

 でも、それじゃだめだ。だめなんだ。殺したことを背負っていかなきゃ。殺すってそういうことだ。命を奪うってそういうことなんだ。

 リアたちの背を追って、橙色に染まる木漏れ日の中を走る。足取りは、悪いわけじゃない。ただ、少し歩きたい。ゆっくりと歩いて、深呼吸して、それから少しだけ休みたい。

 そんなことを思っていたら、いつの間にか森から抜け出していた。

 遠くに見える夕日がまぶしい。

 ノウトは反射的に手で目を覆った。草原が広がっている。そして、集落みたいなものも見える。遠くなのにここから見えるってことはそれなりに大きな規模のそれだということがわかる。村と言ってもいいかもしれない。

 後ろを見る。ゴブリンの姿は見えない。ラウラたちが言っていたゴブリンは森から出ないというのは本当だったようだ。


「みんな! 無事でしたか!」


 どこかで声がして、声のした方を見るとカミルらがこちらに向かって走っているのが見えた。


「お前らこそ、無事で何よりだ」


「いつの間にかノウトたちがいなくなってたので凄い焦りましたよ、ほんとに」


 カミルは苦笑いしながら言った。その肩からは樹が外されていて、棺やらもろもろがなくなっていた。


「あれ、アイナたちはどうしたんすか?」


「ああ。今は……ほら、あそこに」


 カミルが目をやる方へと視線を向けた。木陰に二つの棺と一人の少女が横たわっていた。どうやらアイナはまだ目を起こしていないようだ。


「……ラウラ、この辺りで一晩休まないか?」


「もちろん。あたしたちだってきついしそのつもり」


 ラウラは「でも」と付け加えた。


「アンタらん中に水を扱える勇者とかいない?」


 ノウトたちは顔を見合わせた。ノウトの知っている限り、ここには〈水〉の勇者はいない。ノウトが否定しようとすると、それよりも先にラウラが口を開いた。


「ま、見てる感じいないよね。それは知ってた」


 ラウラが肩をすくめる。


「勇者さまがゴブリンを引き寄せてんのか知らないけど、想像以上にゴブリンとの戦闘でてんやわんやだったからさ。途中で水を汲めなかったわけ。だから、もう少し歩いたところ、カザオルと連邦の国境付近に川があって、まずそこを目指したい。ここじゃ、ね。さすがに野営には適さないでしょ」


 ラウラの言うことももっともだ。後ろにはゴブリンの縄張りである森があって、少し行ったところには何かの集落が見える。こんなところで焚き火なんて炊こうものなら自分たちの姿を晒しているようなものだ。


「とりあえず行きましょうよ〜。夜の帳が完全に下りたらやばやばでまずいですし」


 ミャーナが訴えかけるように言った。


「そうだね。勇者のみんな、準備大丈夫?」


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 カミルが口を挟んだ。


「アイナたちを連れてくるんで」


 そう言うやいなやカミルは踵を返してアイナたちが横たわっている木陰に寄って自らの身体から樹を生やして、彼らを担いだ。


「カミル、本当に助かるよ。ありがとう」


 ノウトが言うとカミルは一瞬目を見開いた。


「そんな優しい言葉をかけてくれるのはノウトだけですよ。こちらこそありがとうございます」


 カミルが飾り気なしに笑ってみせた。


「カミル、あなたがそんな真面目ぶったことを言うと本当に気持ち悪いわね」


 そんなカミルを冷たい眼差しのジルが鋭利な刃で切りつけるように言葉を放った。


「これなんですから」


 カミルは苦笑いして、でもどこか嬉しそうに言う。


「じゃあ、みんな行こうか」


 ノウトが言うと、皆がしかと頷いた。それを見たラウラがノウトと目配せをして歩を進める。そして、皆がそれに着いていく。

 徐々に辺りが暗くなっているのがはっきりとわかる。完全に暗くなってしまったらさすがのラウラ達も道案内が容易とは言えなくなってしまうだろう。

 ラウラのあとを慎重に、でも急ぎ足で追いかける。ラウラやリューリ、それにミャーナは大股で歩いている訳では無い。でも、歩くスピードがやけに速い。目を逸らしているとあっという間に先に行ってしまっている。その度に後ろにいるリアやスクードに催促される。

 夜の訪れようとしている草原をノウトたちは進んでいく。ところどころ老朽化した建物のようなものがあったり、朽ち果てた遺跡らしきものがあった。

 どれくらい進んだのか、辺りはすっかり真っ暗になっていた。定期的に後ろに声をかけて皆の安否を確かめた。殿(しんがり)を努めるリューリがその度に返事を返してくれて、かなり心強かった。

 途中、黒い獣と戦闘があった。暗くてよく見えなかったが、ハイエナにワニの尻尾が生えたような、そんな生き物だった。ラウラやリューリはそいつらを『ロゴス』と呼んだ。

 その(くだん)のロゴス8匹が暗闇の中襲ってきたのだ。ミャーナがナイフを片手に一匹を容易く片付け、残り7匹をダーシュが鉄の刃に串刺しにした。少しだけ肝を冷やしたが、命に危険が及ぶことはなかった。

 かなり歩いたと思う。道なき道を歩き続けてノウトたちはようやく今夜休める場所へと辿り着いた。───といっても気休めも出来ないような場所ではあるけど。

 傍には川が流れてる。ひとが生きてるのに絶対不可欠なもの。それは水だ。まずは水を確保しなければ話にならない。

 食料補給も水分補給もリアの《軌跡(イデア)》では代わりにはならないようで、きちんと摂取しないとノウトたちは簡単に死んでしまう状況にいる。とにかく、道中腹が減って仕方がなかった。

 空腹と疲労感が相まって本当に死んでしまうのではないかと疑ったが、ヒトはそう簡単には死ねないようだ。もっとも死ぬ気などさらさらない。とにかく、生きなければいけないんだ。


「みんなぁ、おつかれ〜」


 スタミナが無尽蔵のラウラが言った。


「う〜〜い」


 スクードがぶっ倒れながら返事を返す。エヴァが(すく)ってきた水をカミルがつくった木製のコップに入れてスクードに渡した。


「エヴァ〜〜ありがとうぅ!」


「…………」


 エヴァは相変わらず無言だ。何も語らない。でも、スクードにコップを渡した時、少しだけ微笑んだようなそんな気がした。ノウトが笑って欲しいと思っただけで、気がしただけだろう。

 リューリとミャーナはこの地点に着いたやいなや背中に背負っていたリュックサックを下ろしてせっせと野宿の用意をし始めた。


「俺も手伝うよ」


 ノウトが提案すると、リューリはノウトの方をぎらりと睨むように見てから、


「これはオレらの仕事なので」


 それだけを言って、またその()()を続けた。ミャーナは黙々とテントを張っている。

 すると、リューリの傍にリアが歩いて近づき、しゃがんでいるリューリと視線を合わすように中腰になった。


「わたしたちも使わせてもらうんだから、わたしたちの仕事でもあるでしょ?」


「…………」


 リューリは一瞬、目を逸らして、小さくため息をついたのちに、


「それじゃあ、これを」


 そう言って折り畳まれたテント一式をリアに渡した。


「ありがとう」


 リアは嬉しそうに笑って、勇者みんなを呼んで組み立て始めた。

 リューリはというと手際よく火を炊いていた。自ずと、他の作業を終えたみんながその火の周りに集まった。


「明るいっすね〜」


「そうだな」


「あったかいね」


「ああ」


「どれくらい歩いたんすかね〜」


「ざっと、70キロくらい?」


「そう言われてもぱっと来ないっすね」


「なにぃ、スクード、はったおされたいの?」


「いやいや、それだけは勘弁っす。ラウラサン」


「今、何時なんでしょうか?」


「知ってどうなるの」


「確かに、……それもそうですね」


「メシは」


「い、今つくるので! しばしお待ちを!」


「ミャーナを急かすなよ〜、ダーシュ」


「別に急かしたわけじゃない。誰がつくるのか気になっただけだ」


「言葉足らずにもほどがあるわね」


「ミャーナは料理が上手いからね〜。みんな、ほっぺた落とさないように気を付けて」


「ハードル上げないでくださいよお」


「どれどれ……。いや、普通に美味しそうだな。手際もいいし」


「いつもミャーナちゃんがつくってるの?」


「まぁ、そうですね。リューリが料理したらこの世のものとは思えないものが生まれちゃうので仕方なくアタシが」


「おい、ミャーナ」


「なぁにぃ?」


「あとで殴る」


「きゃー、ディーブイ!」


「……リューリの目付きって怖すぎるっすよね」


「フン。これは、生まれつきだ」


「もしかしてリューリくん、その話し方ってダーシュくんのを───」


「うわああリアさまやめてあげて! リューリそういうお年頃なので!」


「おいコラてめェミャーナぶん殴んぞ」


「あっ口調が変わった」


「ミャーナとリューリは、勇者になる前のダーシュの部下、なんでしたっけ?」


「そうだよ。更迭、というか繰り上がりで今はあたしと一緒にいるけどね」


「いやぁでもほんとにダーシュさまが生き返ったなんて信じられませんね」


「ほんとほんと」


「ダーシュくんが生き返ったなら、わたしたちも元の居場所が絶対あるはず、……だよね」


「ああ。──でも」


「でも?」


「気がかりなのはニコが言ってた《違う世界》のことだ。ダーシュはもともとこの世界に生きていた。だけど、ニコはどうやら違う世界にいた」


「…………」


「ニコ、君の言うその世界は本当にこの世界とは違うのか?」


「…………うん。全然違う」


「なんだっけ、スマ……なんちゃらみたいな」


「……スマホだよ。スマホなしじゃボク生きてけないのに。よく今まで死んでないよね、ボク」


「その、スマホってやつは薬か何かか?」


「………違う。機械だよ。──……って言っても分からないか。この世界は文明が全然追いついてないもんね」


「機械……」


「それって神機のこと?」


「しんき?」


「あー、……いや、今は知らなくていいや。あとで教えるから」


「その『しんき』ってやつがスマホってこと?」


「急にがっつくな、ニコ」


「あ、……いや、ちが………ごめん……」


「いや、別に責めてない。その……スマホってのはそんなに凄いのか?」


「うん。そりゃ、もうね。スマホがあればなんでも出来たよ。遠くにいても友達と話せたり、ググってなんでも調べられたし、動画を見れたり、ゲーム出来たり───」


「ゲーム………?」


「うん、ゲーム」


「ゲーム……って、あのロークラントで買ってたあのカードのやつですか?」


「ああ、そう言えばあれもゲームだね。でも、違う。もっと電子機器的な、デジタル的な──」


「何を言ってるのかひとつも分からないよ〜」


「それはミャーナ、おまえがバカだからだ」


「あぁ〜!? じゃあリューリはわかったの?」


「…………………」


「黙って誤魔化すパターンきた!」


「まぁ、とにかくこの世界じゃスマホなんてお目にかかれないよ」


「メフィに言ったらもしかしたらつくってくれるかもよ?」


「ああ〜……。確かに」


「えっ……?」


「メフィは天才だから。アンタがスマホがどういうものかメフィに伝えたら多分、いや、絶対つくってくれると思う」


「いやいやいや……そんなこと………」


「ニコ、メフィを信じてみないか?」


「うん。その方がいいよ。……アンタって他の勇者殺しちゃったんでしょ?」


「お、おいラウラっ」


「真実じゃん。それからアンタらは逃げてるよ。制裁も与えずに一緒に仲良く行動してるなんてね。ナナセとミカエルだっけ? 彼らをアンタは殺した」


「…………うっ……」


「やめろラウラ!! そんな言い方するなよ!!」


「するよ。だってアンタは人を殺したんだ。そこから目を逸らしちゃいけない」


「…………」


「聞いて、ニコ。あたしなんて、アンタの比にならないくらい人を殺してる」


「……………」


「自分の大義のためにね。守りたい人がいるから殺す。復讐したいから殺す。帰るべき場所があるから殺す。どれも、みんな正義だ。思い思いの正義をみんなが持ってる」


「…………」


「この世界に白はないんだ。全部、黒か、灰色」


「…………」


「残酷だよ、この世界は。何をしても、誰かを傷付けることになる。犠牲なしに自分の理想は叶わない。これは………これだけは絶対だって言える」


「……………」


「あたしがアンタに制裁を与える」


「………っ」


「あんたは───」


「……………」


「あんたはスマホってやつをつくるんだ」


「………えっ………」


「そのスマホってやつがなんなのかはよく分からないけど、アンタが必要にしてることは充分に分かった」


「だから、あたしたちにアンタが言うスマホってやつを見せてくれよ」


「…………分かった」


「言ったなぁ? 約束だぞ?」


「───うん、約束する」


「それまで絶対に死ぬなよ」


「………うん、死なないよ」


「嘘つけ。アンタは死に場所を探してる。ナナセとミカエルってやつを殺したのがそんなにキツいか」


「………そりゃっ……!!」


「キツいだろうな。あたしがアンタの立場でも、相当キツいと思うよ。───でも、アンタはやつらの分まで生きなきゃいけない。それが『殺したもの』の償いだ」


「…………わかった」


「それに()()できる可能性だってあるんだろ?」


「──そうだ。俺たちが初めに目覚めたあの部屋にもう一度行ければ、恐らく……いや、必ず」


「そのためには帝都に行かなきゃいけないわけだ。メフィも帝都にいるしね。アンタも死ぬわけにはいかないでしょ?」


「………うん。………──うん」


「いや、泣かないでよ……」


「そりゃ、ラウラサンに説教くらったら、ねぇ」


「説教ってなんだよスクード!」


「いってええっ!!」


「はははっ」


「ご愁傷さまね」


「皆さ〜ん、ご飯できましたよ〜」


「待ってました〜」


「うわっ! めっちゃ美味そうなんですけど!?」


「すごいね、ミャーナちゃん」


「いやいや〜それほどでも〜あるかなあ〜みたいなぁ?」


「アイナ起こさないと」


「そうですね」


「はいお先に姫、スープをどうぞ〜」


「ありがと、ミャーナ」











()………?」











 ダーシュが呟いた。今のは………今のは、聞き間違いだろうか。今さっき、ミャーナがラウラのことを『姫』と呼んだ。


「………おまえ、今、姫って………」


「あっ……」


 今、気付いたのかミャーナは口を間抜けに開けた。


「………」


 ラウラは片手で顔を覆っている。なんだ。どういう……ことだ……。ラウラが……姫……? 今まで、どうして隠してたんだ。意図的に隠してたのか。それとも言う必要がないと思っていたのか。いや、隠してたのだ。そうじゃなかったら、今のミャーナの動揺した様子はなんなんだ。

 目を見張ったダーシュがゆっくりと口を開く。


「ラウラ、おまえは姫……なのか?」


「…………」


 ラウラは顔を覆った片手を少しずつ、剥がしていった。そして苦笑いしながら、首を搔いた。


「あはは〜、ばれちゃったら仕方ないね。まぁ、いつかばれるとは思ってたけど」


「なぜ……隠していたんだ」


「恥ずかしかったんだよ。単に。姫って称号がそれはもう、とてつもなく恥ずかしかった」


 ラウラは吹っ切れたようににっと笑って言った。


「それに別に言う必要ないしさ」


「………それも、………そうだな………」


 ダーシュが明らかに動揺している。震えた声で次の言葉を発する。


「どこの国の、姫なんだ」


「………モファナだよ。猫耳族(マナフル)の自治してる国はそこしかない」


「そう……か………」


 ダーシュは目を伏せた。


「えっ、どうしたの? もしかして何か、思い出したとか?」


「………いや、悪いが……何も………」


「そう。それは残念」


 ラウラは笑ってみせた。


「俺は……ラウラ、あんたの……いや、姫の何なんだ……?」


「……前に、仲間って言ったでしょ?」


「……仲間って……なんだ。姫っていうのは皇室や公卿の息女のことを指す。それくらい……俺も知ってる。仲間って、……なんだよ。具体的なことを…………教えてくれ………。姫の……姫にとって、何者だったんだ、俺は……。俺は………」


 ダーシュはぼそぼそとラウラにしか聞こえないような、羽音のような声で囁いた。


「それは……──」


 ラウラは歯を食いしばって、それから小さく息を吐いて、そして(おもむ)ろに答えを口に出した。



「───アンタはあたし直属の近衛騎士だった」



「……姫………直属の………」


 ダーシュがぼそりと反芻した。


「そう。思い出した?」


「いや、………何も、何も………思い出せない」


 ダーシュは頭を抑えた。息を荒くする。肩が上下に揺れる。


「───だが、なんだ、これは……。なんだこの感情は……。もしや、俺は……いや…俺は、何を………」


「ダーシュ………大丈夫か?」


「…………」


 ダーシュは星空を仰いだ。そして、改めてラウラやノウトの方を見た。


「…………少し、……頭を冷やしてくる」


 ダーシュは背を向けて川の方へと、暗闇の中へと歩いていった。


「……ダーシュ、どうしちゃったの?」


「……ダーシュは……───」


 ノウトは、いや、ノウトたちは知っていた。


 姫。


 その単語を聞いて、彼女を思い出さないわけが無い。彼女だ。彼女はフェイによって殺されてしまった。


 そう。


 今のダーシュにとっての姫は、ラウラじゃない。




 パトリツィアだ。




 ダーシュはこの世界で目覚めて、ずっとパトリツィアに肩入れしていた。パトリツィアを姫と呼び、パトリツィアを盲信したように行動していた。

 パトリツィアを、……姫を命にかけて護るといつも言っていた。


 それはなぜか。



 それは────





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