第5話 掻き鳴らせ
「……ラウラ、ひとついいか」
「んー?」
森の中を淡々と進みながら、ノウトは隣を歩くラウラに声をかけた。
「記憶ないの隠すやつ。絶対にボロが出てバレると思うんだけど」
「大丈夫だいじょうぶ。アンタならやれる。信じてる」
「人任せにもほどがあるだろ」
「ごめん。冗談だって」
この時ノウトは、ラウラも謝ることあるんだな、なんて思ってしまった。
「なに、その顔」
「いや、別に」
「言いたいことあるならはっきり言いなさいよね。アンタっていっつもいらんこと一人でなんでもやろうとして。それでだいだいあたしが救けてやってんだから」
「それ、ほんと?」
なぜかリアが口を挟んできた。
「ほんとほんと。………いや、考えてみたらあたしが救けられることの方が多かったかな……」
ラウラが小さく言ったそのセリフをノウトは聞き取ることが出来なかった。だけど、リアは聞き取れたようで、なぜか小さく笑っている。聞き返すのも面倒だと思って、ノウトは聞き返さなかった。
「まぁ、とにかく」
ラウラは少し顔を朱色に染めたのち、そっぽを向いた。
「あたしには遠慮なんていらないから。そのつもりで」
「わかった」
ノウトはラウラの言葉に少し胸を打たれながらも微笑みながらうなずいてみせた。
ふん、と鼻を鳴らして歩を速めるラウラ。なんか……ちょっとラウラとダーシュって似てるよな。容姿とか、仕草とかは全く似てないけど、素直じゃないとことか。これ言ったらラウラ怒るよな、たぶん。というか言われたそばから早速遠慮しちゃったし。
「それにしても───」
リアが苦笑いしながらつぶやく。
「この状況凄いよな……」
「うん」
ラウラと会話している最中、なんと周りではほかのメンバーが戦闘を行っていた。そりゃそうだ。ここは敵地で、しかもゴブリンの縄張りの中。襲われるに決まっている。
リューリとミャーナの戦闘力は予想以上だった。息もつかせぬコンビネーションでゴブリンを圧倒する。飛んだり跳ねたり、人間じゃ到底真似のできないようなことをやってのけるのが猫耳族という種族だ。リューリは両刃の直剣を両手で持ち、ミャーナは刃渡り15センチほどのナイフ二つを両手に持って巧みに操っている。まるで踊っているかのような戦闘の仕方だ。
対して、勇者たちは極めておおざっぱだ。
ダーシュに向かってくるゴブリンはその間合いに入った瞬間に鉄の刃で串刺しにされる。カミルは言わずもがな樹を操ってゴブリンを絞め殺したり、叩き潰したりしている。ゴブリンの断末魔がこの森に響き渡る。それによって他のゴブリンが引き寄せられる。エンドレスだ。
ラウラ曰く、ゴブリンは「殖えることと奪うこと。それしか頭にない」らしい。なんか、メフィも同じことを言っていたような、そんな気がする。
いくらゴブリンを殺しても殺し尽くそうとしてもどこからでも湧いて出る。これをどうやってガランティア連邦王国は支配しているのだろうか。支配できていないからこのような無秩序なことになっているのか、それともわざと放置しているのか。真偽は分からない。
「ウギャアギャアッ!!」
また一人、目の前でゴブリンが死んだ。
時間が経つにつれてこの殺戮の光景に慣れてしまっている自分に軽く辟易する。
やらなきゃ、やられる。
それがこの世界の摂理だとしても、これはいかがなものかと思わざるを得ない。
「見るのがいやだったら、わたしが目隠ししたげよっか?」
「それじゃ歩けないだろ」
「歩けなくはないでしょ?」
後ろからリアが手を回してノウトの両目を隠した。少しだけ温かい。でもこれじゃ予想通り歩けない、というか歩きにくいにもほどがある。
「あぶないって」
ノウトがリアの手を離そうとすると、その前にリアが手を離した。
「冗談冗談」
「うおっ」
視界が開けたと思ったつかの間、目の前にリアがいた。しかも顔と顔とが触れ合ってしまいそうな、そんな距離感だった。
「びっくりした?」
「うん」
違う意味で。いや違う意味で……って自分でもよくわかんないけどさ。
非戦闘員のリアは皆に守られる、ということになった。護る役に皆がノウトを指名して、今の現状となっている。リアが不死身なのを知っているのは相変わらずノウトだけだ。おそらく。いや、絶対。じゃなかったらリアを護るなんて誰も言い出さないだろう。
リアが不死身だということ。
ノウトや、ここにいる全員が死んだとしてもリアは生き続けるということ。
それを考えないようにしていたけど、無理みたいだ。
誰一人としていなくなった世界でリアは何を思うんだろう。
リアは今、なんだか、楽しそうだ。仲間が増えたからだろうか。それとも──いや、そんなのわかるわけが無い。ノウトが持っているのは『殺す能力』ただそれだけ。
人の考えていることがいちいち分かってたまるか。
「ねえ。全く、これといって終わりが見えないのだけれど」
同じく非戦闘員であるジルがラウラに告げた。
「ゴブリンは縄張りを出ないんだ。もう少しでオークの領域まで着けるから、それまでふんばって」
「そ、それ、さっきも聞いたんすけど!?」
盾を片手に走り回っているスクードがついに痺れを切らしたのか大声で嘆くように叫んだ。
「大丈夫だ。ほら見てみろ」
リューリが指をさす。
「もうすぐで切の森が途切れる。切の森の外にゴブリンは出ない」
「それ、ほんとっすよね!? 信じますからね、マジで!!」
スクードは息も絶え絶えだ。長かった。本当に長かった。永遠と森が続くんじゃないかと思った。
ノウトの翼は気付いた時には消えていた。走っている途中か、もしくはその前。それに初めに気付いたのはすぐ後ろにいたミャーナだった。
翼がなくなると、やはりどうにも不便だ。どうして毎回こうも勝手に消えてしまうのか。ノウトに力を与えているきまぐれな女神がノウトのことを弄んでいるのだろうか。
「って………」
ノウトが考え込んでいると、突然リアが物凄い勢いで走り出した。
「リア!?」
リアは脇目も降らずに走っていく。進行方向とは別だ。そっちは、ミャーナとリューリがいた方向。もしかして、なんて考える暇もなく、それは視界に入ってきた。
リューリだ。
彼がゴブリンに組み伏せられてる。ミャーナは出方を伺っていた。下手に手を出せば、ゴブリンの持っている鋭利なナイフがいまにもリューリの首元に突き刺さりそうだからだ。
「リューリ!!」
誰かが叫んだ。
あの状況になってどれくらい経っているのか。よく見ればリューリは傷だらけだ。腕とか腹とか。赤い線が身体中を走っている。なんで、こんなになるまで気付けなかったんだよ。ノウトは自らを叱咤した。
リューリやミャーナの力を過信しすぎた。違う。ゴブリンを侮りすぎたんだ。
どこかで弱いと思ってしまっていたんだ。ゴブリンが弱いと思ってしまうなんて、おかしい。油断したら、いつでも死はそこにあるのに。ゴブリンが弱いという既成概念になぜか囚われていた。どこの世界の話だよ。ゴブリンが弱いとか。
殺し合いなんだ。
殺し合ってるんだ。
どちらかが死ぬ。それがこちらという可能性がないなんて。どうして考えられなかったんだ。
くそ。間に合え。走れ走れ。
「ぐっ……!!」
リューリが両手でゴブリンの腕を掴んでいる。ゴブリンはリューリの上に馬乗りになってナイフを首元に押し付けようとしていた。あと数ミリでリューリの首にナイフが当たってしまいそうだ。
そうこうしている間に他のゴブリンも駆け寄ってきた。倒れているリューリを攻撃しようとしている。卑怯、いや賢いと言った方が正しいか。確実に一人でも潰そうといった作戦のようだ。
組み伏せられてるリューリに飛びつこうとした他のゴブリンはミャーナの飛び蹴りによって吹き飛ばされた。飛んできたゴブリンをラウラがさらに蹴って破裂させる。
今度は五人だ。五人のゴブリンが樹上から降りてまたしてもリューリを狙った。リューリは自らの命を守るのに必死だ。
ミャーナが一人ゴブリンを蹴り飛ばす。そのまま、蹴って倒れたゴブリンにミャーナがナイフを投擲して頭に命中させる。ラウラは空中で舞うようにゴブリンを一体を殴って壊し、もう一体を逆立ちの姿勢で蹴って、頭を吹き飛ばした。
やっと追いついたノウトはゴブリン一人にタックルする。ゴブリンはよろめいただけだ。ノウトに体当たりされたゴブリンがノウトに向かって石器のナイフを向けて突っ込んでくる。それを《殺陣》を使って刃を横から弾き飛ばして、ゴブリンの腹を蹴った。
「ウギャ!?」
ゴブリンは勢いのまま尻もちをつく。
《弑逆》が使えない。だめだ。怖い。命を奪うのが、まだ怖いんだ。フェイをこの手で殺した感触が甦る。
「ノウト、どいて!」
放心気味なノウトに向かってラウラが喝を入れる。瞬きをした瞬間にはノウトの相手をしていたゴブリンの首はぶっ飛ばされていた。
「悪い!」
「そういうのはあと!」
ラウラが屈んで、そして跳ねた。目にも止まらぬ速さでゴブリン一人の命が消え去る。
違うゴブリンをスクードが盾で殴って、そのままミャーナに息の根を止められる。
周りを見る。すると、いつの間にかゴブリンに包囲されているのが分かった。十人とか、それ以上だ。
ダーシュはどこだ? カミルは。エヴァは。ニコは。ジルは。
……くそ。分断されていた。ゴブリンの策に乗せられていたのか。気づくべきだった。とめどなく現れるゴブリンに対処している中で、ダーシュ達と距離を離されていたんだ。
「ダーシュっっ!!」
ノウトが叫ぶ。「ウギャアギャア!!」「ギャアウギャ!!!」「ギャアキャアギャア!!!」ダーシュの返事がない。おそらく、聞こえないんだ。ゴブリンの声がうるさすぎる。やばい。どんどんゴブリンの数が増えている。リアはゴブリン相手に短剣を振るって対処していた。
ゴブリンの壁が厚くなってきた。
ノウトも襲いかかってくるゴブリンを凌ぐのが関の山だ。《殺陣》で守って殴るか蹴る。
リューリの姿が見えない。リアがリューリの所までたどり着ければ、ひとまずは───
「やばくないっすか!? これ!!」
「言われなくてもっ!!」
ラウラが叫んだ。もう少しで。もう少しでこの森から出られたのに。死ぬのか。これ。どうする。どうする。どうすればいい。このままじゃ。
ノウトは見た。
ラウラは汗はかいているが呼吸は荒くない。まだいけそうだ。ラウラは強い。でも、この状況が続けばどうなる。死ぬかもしれない。
スクードはぜぇはぁと獣のような呼吸を続けている。このままじゃゴブリンに殺される前に気絶してしまいそうだ。〈盾〉の勇者であるスクードは────ノウトの知っている限り────二種類の盾を作り出すことができる。『鋼の盾』と『黄金の盾』だ。
『鋼の盾』は一般的に想像出来る極めて普遍的な盾だ。それに加えて、鋼の盾を装備している間、スクードは超人的な動きをすることが出来る。
もうひとつの『黄金の盾』は破壊されることの無い半透明な壁のことだ。それをスクードの射程内であればどこでも作り出せる。神技の名前はそれぞれ《盾飛》と《聖盾》。
スクードはそれらを駆使してなんとかゴブリンとやり合ってる。でも、さすがに限界みたいだ。そりゃそうだ。戦闘なんかロクにしてこなかったのだから。
リアは短剣を片手にゴブリン相手にヒットアンドアウェイで対抗していた。なんとかリューリのもとへとたどり着こうとしているようだ。それにラウラやスクード、ミャーナが怪我をした瞬間に《軌跡》で治しに行っている。状況判断力が凄まじいとしか、言えない。リアも身体を張って、ゴブリンとやり合ってる。
じゃあ、俺はなんだ……?
俺がやってるのはせいぜい時間稼ぎ。
勢いを殺すスキル、《殺陣》を使って自分と相手の死を先延ばしにしているだけ。
周りのみんなは真剣だ。
真剣に殺りあってる。
誰だって死ぬのは嫌だ。ゴブリンだって死ぬのは嫌だろう。俺だって嫌だ。殺し合うなんて嫌なんだ。どうしてゴブリンは俺らを殺そうとするのか。縄張りに入ったから、奪いたいから。理由は単純だろう。
ラウラも。
スクードも。
ミャーナも。
そして、リューリも。
みんな、あちら側に行ってしまうのだろうか。あちら側に行ったら帰って来れない。一生会えない。だめだ。このままじゃ。みんな、みんな。あちら側に行ってしまう。嫌だ。もう誰も失いたくない。
『眩しいね』
ふと、レンの顔が思い浮かんだ。
あの暗い部屋から出て、初めて声をかけてくれたのが彼だ。最初から彼とは気が合った。一緒にいた時間は少なかったけど、本当の友達のように思っていた。
『───アヤ』
ふと、マシロの顔が思い浮かんだ。
不思議な少女だった。ノウトのことをなぜかアヤと呼んでいた。心を許せる人になれると、そう思っていた。
『約束するよ、ノウト。魔皇には手を出さない。だってノウトは良い奴だ』
ふと、ナナセの顔が思い浮かんだ。
ナナセはみんなの命を救った本物の英雄だった。自らの命を犠牲に多くの命を護りあげた。
背中を預けられる盟友になれると、そう思っていた。
そんな彼らももうこの世にはいない。
永遠に会えることはない。
───いや、違うだろ。
もう一度会うためにこうしているんだ。人間領で初めて目覚めたあの場所。俺らが転生したあの場所に答えがある。レンも、マシロも、ナナセも。そして、みんなも。転生させてもう一度会うんだ。その為に、今こうして生かされているんだ。この命がなくなれば救けることは出来ない。
だからって。転生できるからって、もう誰も死なせない。少なくとも俺の前では。殺させてたまるか。
理由。
そうだ。
ゴブリンが何か理由を持って容易く俺達を襲うように、俺も理由があればいい。
皆を守りたい。
そんな理由があれば、殺すのなんか簡単だろ?
ノウトは手を伸ばした。
リューリを覆い尽くすようになったゴブリンの腹に触れる。
────俺の大切なものを奪うなら。
「……殺す」
ノウトが唱えるとゴブリンはいとも簡単に死んだ。歩を進める。その勢いに身を任せて《弑逆》をまといながら突き進む。目の前で壁のようになっているゴブリンの群れに突っ込んでいく。
ゴブリンは断末魔のひとつもあげずに絶命する。
心臓がずきずきと悲鳴をあげている。護るには殺すしかない。これは仕方ない殺生だ。
それを自らに言い聞かす。まるで、呪いをかけるように頭の中で叫び続ける。
《弑逆》を使え。
殺戮を掻き鳴らせ。
今度こそ、ニコとカミル、スクード──みんなを、死なせはしない。
死なせてたまるか。
ノウトに襲いかかってくるものは《弑逆》を使われて確実に息の根が止まる。
ノウトの進む道に生者は誰一人としていなかった。
気付くと、周りにいたゴブリンは全員気絶するように絶命していて、リューリが肩で息をしながら目の前で倒れていた。
死体だらけだ。何十と積み重なるゴブリンの死体の山が出来ている。
「ノウト、助かったよ」
ラウラがノウトの肩を軽く叩いた。
「そういうのはあと、だろ?」
「そうだね」
息が少しだけあがってるラウラはにっと、笑顔を見せてうなずいてみせた。
「ノウトさまぁ! まじほんとに助かりましたぁ~~!」
ミャーナがぴょんぴょんと跳ねながら嬉しそうに言った。その隣でリアがリューリを《軌跡》で治癒したのちに起こした。スクードは安心したのか、膝に手を置いて大きく息を吐いた。
「さ、行こう。加勢が来たら戦った意味がなくなる」
ノウトが提案する。それにみなが黙ってうなずき、森の外へと走り出す。
「全然、楽しいものじゃないよな。こんなの……」
そう呟くと、リアが振り向いた。リアは小さく微笑んで、また前へと視線を戻した。
ゴブリンの死体の中心にノウトは立っている。
我ながら、こんなに命を奪っておいて正気を保っていられている自分に酷く倦厭した。




