第16話 剣々服膺
銀嶺の都ロークラント中央区。
その中心に構える時計塔の傍ら、住民区路地裏に四人の勇者が居た。心に復讐を宿した四人の勇者だ。
「おかしい。さっきまでここにいたはずなのに」
ジルが小さい声で呟く。
こいつが言うからには本当なのだろう。ジルは〈音〉の勇者だ。一度聞いた音を忘れることは無く、30メートル以内ならどんなに離れていても音が識別出来る。
「彼の心音、それに呼吸音。それらがピタリとこの場で消えてる。……これは、どういうことかしら」
「ノウトは魔人側の人間だったんでしょ? だったら魔術とか使って行方を晦ましたんじゃないかなー」
ニコが言った。
王都にあった文献によれば、封魔結界が張られる以前、人間は魔人によって蹂躙されていたのだと言う。
魔人は人間を遥かに超越した存在で魔術の類を使い、圧倒的な力の差で人間の上に立ち、人間を奴隷として使役していた。そして、そんな人間を哀れに思った女神が勇者を召喚して人の上に立つ魔人を掃討していったというのがこの世界の歴史だ。
封魔結界の先には、魔人や魔物が跳梁跋扈しているのだろう。
「もうノウトはここにはいないって事ですか?」
「少なくとも半径30メートル以内にはいないわね。私たちの姿を見てこの場から去った、と考えるのが一番現実的かしら」
「追うぞ」
「追うって……どこに行ったかも分からないんですよ?」
カミルがダーシュの目を見据えて話す。ダーシュは目を合わせないままだ。
「頼れるのはジルの能力だけですし、そのジルがどこに行ったか分からないって言ってるんです。ダーシュは情報も根拠も無しに行動する、いわゆるバカなんですか?」
瞬間、ダーシュはカミルの胸ぐらを片手で掴んだ。彼は怒りと虚しさが入り混じったような表情をしていた。その瞳は憤怒の炎が燻っていた。
それにも関わらず、カミルはいつもと変わらない微笑みを保ったまま、ダーシュの怒りを受け入れている。ニコはどうしたらいいのか分からず狼狽している。そして、カミルが口を開いた。
「ノウトがここから去ったにしても、ここにまだいたとしても、僕らはまだこの場にいるべきです」
「………どうしてだ?」
「フリュードのこと、もう忘れちゃったんですか。一夜にして───いえ、一瞬にしてフリュードは更地になってしまいました。そして民達は皆、文字通り居なくなってしまったんです。ノウトが何を考えているのかは解りませんがここロークラントもそうなる可能性があります。またそうなった場合、止められるのは僕たちだけです。この街の人々を守れるのも僕たちだけなんですよ」
カミルの言うことはおかしいくらいに的を射ていた。しかし────
「………どうでもいい」
ダーシュは胸ぐらを掴んだまま、吐き捨てるように言った。
「人を守るとか、ハッ。そんなもの糞食らえだ。……死んでしまえばいい。人間も魔人も魔皇も勇者も。みんな、死んでしまえば……。それに………」
そして、ダーシュは軽く間を開けて、声をゆっくりと絞り出すように言った。
「……自分が生きているのも……もう、どうだっていいいんだよ……」
ダーシュがそうぼやくと、頬に衝撃が走った。気づいた時にはダーシュの視界は横倒しになっていた。そこまでされて、ようやく自分がカミルに殴られたことが理解できた。
頰が、痛い。口の中も切れているようだ。血の味がする。時間差で痛みが襲ってきた。
何かがぷつりと切れて、ダーシュの怒りが沸点に達した。ダーシュは立ち上がりカミルに殴り返そうとする。
しかし、地面から突然、ツタ状の植物が生え、ダーシュの身体を絡め取った。ダーシュは鉄の刃を自分の身体から生やして、それを切り刻んだ。ダーシュは手の平から生やした鉄の刃でカミルに向かって襲いかかろうとする。
───だが、カミルは何を思ったかその刃を素手で掴んだ。
「……っ!?」
カミルの行動に喫驚を隠せないダーシュ。
するとカミルはその刃を更に強く握った。血が刃を伝ってダーシュの手のひらをも赤く染めた。
「ダーシュ!!」
カミルが叫んだ。
「どうでもいいなんて言わないでください!!」
これまでのカミルとは思えない口調と声音だった。刃を握ったまま、じりじりとダーシュに詰め寄っていく。
「……確かにパティは、もういないです。彼女は……死んでしまった。ダーシュが自暴自棄で虚無的になるのも分かる。分かりますよ。僕たちだってね、つらいんです。彼女は僕らの、大事な大事な、仲間でしたからね」
カミルは一言一言に感情を込めて言った。
「パティは優しかった。可愛かった。温かかった。心の支えだった。いつまでも彼女に……甘えていたかった。僕らは彼女に、頼りきっていました」
パティはいつでも優しい言葉をかけてくれた。適切な助言をくれた。いつだって仲間のことを一番に考えてくれた。自分の身を顧みずに仲間を助けた。
最期も彼女は身を呈してニコを救け、命を落としてしまった。
ダーシュは手のひらから生やした刃を引っ込めて、手を下ろした。
そうだ、もう彼女はいない。いないんだ。
だったら、どうでもいいじゃないか。パティのいない世界に意味なんてない。全部全部、消えてしまえ。死んでしまえ。滅びてしまえよ。
「でも」
カミルはダーシュに向き直って微笑みながら言った。
「だからって、生きるのがどうでもいいなんてこと、言ってはいけませんよ。だって、パティはあの夜、言ってたじゃないですか」
そして、遠くを見るように目を細めて、
「『無理はしないでください。でも、生きることに対しては無理をしてください。どんなに醜くても、どんなにみすぼらしくても、どんなに心が打ちのめされようとも、足掻いて、踠いて、生きて、生きて、生きるんです』……って」
カミルの声が、一瞬だけパティのものに聞こえた。錯覚だろう。当然だ。彼女はもう死んでしまった。でも、……今でもはっきりと彼女の声は脳裏に思い描ける。
その言葉をあの夜聞いたときは、まさかパティが命を落とすなんて想像もしていなかった。
大切な人は明日も、そして明後日も生きている気がする。でもそれは独りよがりの願望でしかない。絶対にと約束されたものでもないのに、根拠もなにもないのに、人はどうしてかそう思ってしまうんだ。
死って奴はいつも背後にいて決して逃れることはできない。そのことを忘れていたのかもしれない。
どんなに想っている人もいつかは死んでしまう。
クソ、ああ。パティ。
どうして───どうして、居なくなったりするんだよ……。
「生きるのがどうでもいいなんて言うダーシュのこと、パティは嫌いだと思います」
ジルがダーシュの背中に手を触れていた。彼女は黙って微笑みながら、ダーシュを優しく見つめていた。
カミルは自らの傷付いた手を《医柩》で癒しながら、いつもと同じような、それでいて温かみの籠った声で話す。
「だから、僕たちは生きるんです。でも、ただ生きるんじゃないですよ。精一杯に、一生懸命に、醜くても、みすぼらしくても、生きるんです。死んでしまったパティの分も僕たちが生きなければ、駄目なんです。ダーシュがそんな調子じゃ、パティが悲しんでしまいますよ」
ふと、自分の頬を涙が伝っていることに気づいた。
隣に立つジルも隠そうとはしているが確実に泣いている。ニコは防波堤が崩れたようにわんわんと子供みたいに大声で泣き始めて、ジルを抱きしめていた。
「パティの……、居ない世界を受け入れることは……俺には出来ない」
ダーシュは歯切れ悪く声を発した。その声音はどこか憂いを帯びていた。
「だが、………そうだな……」
一度間を開けてから、ダーシュは口を開いた。
「……今は、少しだけ……前を向けるかもしれない」
「……その意気ですよ。ダーシュ」
「………かった」
「え?」
「………斬ろうとして悪かった」
「すみません、声が小さくてよく聞こえゔぉふぉっ!!」
ダーシュがカミルの腹に軽く拳を入れた。ほんの軽くだったがカミルは大げさに地面に伏した。
「ちょ、ちょっと!? いきなり何するんですか!?」
「お前に諭されるとは思ってなくてむかついた」
「理不尽すぎません!?」
涙目になって訴えかけるカミルに対してダーシュは少しだけ、ほんの少しだけだが口角をあげてしまった。
「い、今、笑いましたか……!?」
「……笑ってねえ」
「いやいや確実に笑ってましたよあなた! クールな感じにむかつく笑顔しちゃってましたよ!」
「笑ってねえって」
「ニコ、ジル! 今の見ましたか!?」
「……えっ、ごめん見てなかった。………ぐすっ」
ニコは泣きながらも答えた。
「残念ながら私も見てなかったわ」
ジルもニコの背を摩りながら答える。
「もおおなんで見てないんです〜!? 絶対にヒロインが見逃しちゃいけないタイプの笑顔でしたよ今の」
「黙れ」
ダーシュがまたしてもカミルを殴ろうとするが、カミルはそれを華麗に躱した。
そして、ダーシュはふん、と鼻を鳴らして皆に向かって向き直った。
「お前ら、行くぞ」
「行くって、どこに行くの?」
ニコが赤く腫らした瞼を晒しながら問う。
「宿だ。今日はロークラントに留まる。魔人領に行くのは明日にするぞ」
ダーシュがそう言うと、他のものは顔を明るくして頷いた。
パティの死を無下にしないように。
パティの志を果たすために。
俺らは生きよう。
命を賭して他者を救けるような、そんな彼女のような人になるために。
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〈樹〉の勇者
名前:カミル・ドラシル
年齢:▟9歳
【〈神技〉一覧】
《榊樹》:植物を創り出█て自在に操る▟力。
《医柩》:植物の生命を対象に分け与える能力。
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