第10話 崢嶸フォートレスインフォレスト
入口の真上には落とし格子があり、何かあった場合の篭城を視野に入れた設計になっていることが分かった。
薄暗い砦の中へと足を踏み入れる。
一階は案の定と言った所か、ゴブリンの死体が散乱していた。いきなり仲間だと思っていたやつが襲いかかってきたのだ。
それにすぐに対応出来るほどやつらは賢くない。
だが、賢くないというだけで間抜けではない。
キィン、という静かな音ともに剣を持ったゴブリンが物陰から現れた。
「なっ……!」
こちらに向かって振り上げるが、その前にジークが顔面を黄金の光で撃ち消す。不意打ちに動じない冷静な判断だ。
断末魔を発することも無いままゴブリンは息絶えた。手に持った鉄の剣が引力に導かれるまま、床にぽとりと落ちて金属音を発する。
「ナイス〜、ジーク」
「当然だ」
一階は誰かが使用していた、というよりも長年人が扱わなかったような、そんな印象を受けた。乱雑にばら蒔かれた鉄製のプレートやら、鉄の直剣。本棚の本も床にばら蒔かれている。
「ったく掃除の概念とか知らないのかよ」
フョードルが悪態をつく。
つまり、ここは元はゴブリンの住処などではなく、他の誰かが使用していたところ、そこをゴブリンに乗っ取られたといった具合だろう。
「……何の為の砦なんだろうね、ここ」
セルカが床に散らばった本を手に取る。
「さぁな……。魔人領だし、人間のって訳でもないだろうな」
「上行ってみようぜ。何かヒントがあるかも知んねぇ」
同じようにシメオンを先頭に組んだ陣形で砦の上へと上がる階段を上った。砦は円柱に近い形をしているので、階段もそれと同様、螺旋階段のようだった。
階段を上りきり、見えたのは木製の簡素な扉だった。
「しっ……」
レティシアが口元に手を当てた。そして小さな声で、
「……ゴブリンの声がする。そんなに多くはないと思うけど」
「うし、オレがやる」
「また死体使うの?」
「まぁ見とけって」
フョードルは扉の横の壁に触れたのち、《王命》を使った。
「あいつらを殺せ」
フョードルが命じると壁が凹んでいくように向こうに伸びていった。完全に物理法則を無視した動き方だ。
無生物を対象にした《王命》は対象に触れている状態ならば、その対象と感覚を共有出来る。つまり、触れた壁を手足のように動かすことが可能なのだ。
壁の向こうから「ウギャア!!」というゴブリンの悲鳴が聞こえる。
「ジーク、頼んだ」
「……なるほど、了承した」
ジークが軽く頷いてから、扉の正面に立った。すると、勢いよく扉が開かれる。その主はやはりゴブリンだった。
突然動き出した壁に慄いて、部屋から飛び出てきたのだろう。
ジークは予め前に突き出しておいた右手から光を迸らせる。《黎明の光》だ。その熱線によってゴブリン数匹の頭が易々と吹き飛ぶ。
「……こんなもんか?」
フョードルが扉を開けて、その部屋の中に入る。クリアリングを怠ることなく、上下左右に視線を動かす。……あれ? クリアリングって意味合ってるか? こういう時使うよな?
何だか少しだけ違和感を感じるが、まぁいいか。そんなこと。今は関係ない。
ゴブリンの気配はもうない。これ以上階はないので、砦の中のゴブリンは一掃したということになるだろう。想像以上に呆気なかったというか何というか。
フョードル達全員が部屋に入る。
「ここは、何なんだろな。作戦会議室みたいな感じか?」
シメオンが言ったことは的を射ていた。二つだけ小さな窓があり、部屋の中心には円卓、扉とは対局の位置の壁際にも人ひとり分の箱のような卓が設置されている。
砦で戦の準備をするには持ってこいの空間だ。
帷幄と称しても差し支えないだろう。
本棚や鎧立てなどはあったが、しかし、一階と同じように荒らしに荒らされている。
「魔人とか魔物同士でも争いがあるんだろうな」
ジークが床に散乱する剣やら鉄兜やら鎧やらに手で触れながら呟く。
人間領では恐ろしいほどに争いがなかった。アカロウトでも、フリュードでも、ロークラントでも、人が争う所を見たことは無かった。国が運用する駐屯所も形だけに過ぎなく、時々現れる飛竜を追い払うくらいでしか動くことは無いのだという。
良く考えたらおかしな話だ。いくら魔人や魔物という明確な敵がいると分かっていても人間同士の国盗りもなく、国同士の争いもない。当然、あって然るべきだ。何せ、争いのない世界なんて無いのだから。
───ん……? 当然……? 俺は何を以てそれを当然だと看做したんだ……?
俺が知っているのは目覚めてからのことだけのはずなのに。
フョードルは頭の中で一瞬だけ違和感を感じたが、すぐにそれは泡沫となって消えしまう。
「何か、ここ扉があるっぽくない?」
レティシアの声に皆が飛びつく。
棚に隠されるように取り付けられたドアノブのような取手に近付くとレティシアがそれを引っ張った。
「なにこれ開かないんだけどぉっ」
「任せろ」
フョードルがずんずんと進み出て取手に触れ《王命》を使用して、
「開け!! ゴマ!!」
大声で叫んだ。
すると、扉がギギギッといかにもな音を奏でながら一人でに開き出した。
レティシアが訝しげに呟く。
「……なんでゴマ?」
「あー、……オレもよく分かんねーけど、まぁノリだよノリ」
扉が開くとそれだけで食べ物の香ばしい匂いが鼻を掠めた。
「おっ、食い物だ!」
「うおおっ!!」
中には干し肉やら、塩やら胡椒やら、果物やらが乱雑に配置されていた。果物に関しては最近置かれたような新鮮味を感じさせた。
「有難く頂戴するとするか〜!」
「……そうだね…」
フョードル達は食料庫に踏み入り、漁って行った。
「これチーズじゃね……!?」
フョードルの声に皆が沸き立つ。シメオンが柄にもなく感情を見せる。
「ま、マジかよ」
「腐りそうなものは今食べて、後は取っとこうぜ」
フョードルはそう口にしながら橙色の果実を手に取って齧り、咀嚼した。
だがしかし。
「うっわなんだこれにっが!! ぺっぺっ!!」
直ぐにそれを吐き出した。くっそ苦かった。この見た目してこの味かよ。食えたもんじゃない。
フョードルが口にしたものと同じものをジークが齧る。
「なんだ、結構いけるじゃないか」
「お前の舌どうなってんだよこれは苦すぎんだろが!」
「フョードルは子供ねぇ〜まったく」
レティシアが肩を竦める。
「だったらオメェも食ってみろよ! めっっっさ、にげぇぞこれ!」
フョードルの差し出す橙色の果実をレティシアが奪い取るように受け取る。
「はははっ。ジークが食えたんだからアタシが食えないわけ───」
レティシアがひと噛みした瞬間、彼女の時が止まった。目を細めて、何処とも言えない何処かを見ている。
「なにこれにっが……」
「はっはーん、やっぱお前も子供じゃねーか」
「う、うっさい! さすがにこれは苦すぎるわよ!」
レティシアはそう言って、齧りかけの果実を元の場所に置いた。ジークは得も言えぬ顔でただ苦い果実を咀嚼し続けていた。……美味いのか……? それ。
「おい、見てみろ」
シメオンの声に視線を動かすと彼が床を指さしていた。それはさっきまで果物の山があったところだ。
床には直径2メートルくらいの円があり、その中心には同心円が幾つかと三角やら四角やら意味があるとは思えない幾何学模様が描かれていた。
「……なんか、これ………」
「〈エムブレム〉っぽい……?」
セルカの呟きに皆が同意する。
自分の左手甲に浮かび上がるそれと似ている気がする。模様の形は〈エムブレム〉の方がシンプルだ。
「意味あったりすんのか、これ」
「……分かんねぇ」
床の模様に手で触れたところでそれの正体が分かることは無かった。結局、ただの部屋の意匠だということに落ち着いた。
フョードル達は食料庫を漁りに漁ったのちに、元の部屋に戻り、部屋の調査を進めた。一つの目標である食料確保はなんとか成功を収めた。
次は情報収集だ。
最良は魔人領の地図を手に入れること。
周辺の地理が分かるかどうかで生存率は大幅に変わる。
フョードルは床に散乱した本に手を伸ばした。異国の言葉であるはずなのに、読むことが出来た。どうやら、表紙には奇妙な幾何学模様と『魔』という一文字。
中を開くと表紙と同じような幾何学模様がずらっ、と並んでいて、パラパラとページを捲っても似たような模様が描かれているだけだ。何を伝えようとした書籍なのか、さっぱり分からない。
だが、単語だけ読めるものがあった。
アンダーグラウンド。ロゴス、ミュトス。神機、開闢。ゲート、オスティア。揺籃、原石。マクスウェル、ラプラス。エーテル。魔法。楽園。世界。〈蒼〉の大陸、〈紅〉の大陸。
ただ、これだけでは何を伝えようとしているのか全くわからない。名詞のみじゃ意味を理解するのは不可能だ。
次の本を手に取る。
どうやら戦術本のようだ。
一項目につき、数十ページに及んで説明がなされている。
曰く、戦う際は相手ではなく、周りを見るべし。
曰く、周囲の全てを利用するべし。
曰く、相手に勝とうと思わず、負けぬよう尽くすべし。
曰く、奥の手は最初に使うべし。
などなど延々と持論を披露している。
著者を見ると『エスカ・ヴァン=メエル』とあった。魔人の著書だろうか。魔人領にある本ということはそういうことなのだろう。
魔人の知能はやはり、人間並みということか。
それにしても、どうしてこの部屋は本がこんなにあるのか。戦に必要なものとは思えない。正直、砦とは似つかわしくないよな。まるで暇潰しの為に置いてあるみたいな感じだ。
本を本棚に置いたその時だった。
「……あ゛っ……!」
セルカの声だった。フョードルは、ああ、やら、おあ、やら何か言葉を発した。言葉にはならなかった。
ゴブリンがセルカの肩にナイフを突き立てながら、組み伏せている。セルカは抵抗しようとしているが腕の上に乗っかられて上手く動けない。
あの位置じゃジーク、レティシア、シメオンの攻撃はセルカにも当たってしまう。フョードルしか、この状況を覆す手段は持ち得てなかった。
フョードルは咄嗟に床に転がる直剣を手に取り「殺せ!!」と命令した。直剣は意思を持ったかのように飛び、
「ギィァッ!?」
ゴブリンの首を跳ねた。
「セルカ!!」
彼女の元に駆け寄る。
ひゅう、ひゅうと心許ない息をしている。
どうしてだ。どこからゴブリンは現れたんだ。
セルカは窓の近くにいた。そうか窓か。まだ上へと続く階段、もしくは梯子があそこにあるんだ。
くそ!!
セルカの身体を起こすのは躊躇った。触れたら壊してしまいそうで怖かった。血が溢れ出す、それをただ眺めるしかなかった。
「セ、セルカぁ!! ねえ、セルカ!!」
レティシアが叫ぶ。ジークとシメオンは目を見開いてこの光景を信じられない様子だ。
嘘だろ。こんなところで。こんなにも早く。終わっちまうのかよ───
フョードル達のパーティには大きな弱点があった。
それは『治癒系の能力を持っているのがセルカだけ』ということ。
セルカが居ればフョードル達は幾らでも戦えた。逆に言えば、セルカが欠けるだけでパーティの全滅に繋がってしまう。
それをフョードル達は分かっていた。分かっていたつもりだった。話し合ったこともあった。
全力でセルカを守ろうと。
しかし、ああ、駄目だ。
血が、血が。
床を紅く染める。
油断していた。
完全に等閑していた。
くそ。
こんなこと。
こんな結末。
「───オレが認めねえ」
フョードルはセルカの流す血に手で触れてから、
「血よ!! 主の元に戻れ!!」
叫んだ。
すると、床を染めていた血だけが時が巻きもどるようにセルカの傷口に戻っていく。
でも、これだけじゃ駄目だ。傷口を癒さないと。
「セルカ!! 《純慈》自分に使えないか!?」
シメオンが呼びかけるが、セルカは返事をしない。
息はしている。脈もある。気絶しているのだ。生きているということが分かっただけで安堵してしまう。
考えろ、考えろ。
オレならいける。
なんだ。何が出来る。
落ち着いて、思考しろ。
オレに出来ることを考えろ。
出来ることだけを考えろ、オレ。
────そうだ、それがあった。
仲間には使わないと約束していたが、使う他ない。
覚悟を決めて、セルカに《王命》を使う。
「セルカ!! 自分に《恋慕》を使ったあとに《純慈》を使え!!」
セルカの身体が一瞬だけ金色に輝き、傷がたちまちのうちに癒えていく。セルカの顔に生気が戻る。
「んぅ……」
セルカが小さく息を漏らす。
「セルカあああぁああ!!」
レティシアがセルカを抱き起こして、力強く抱いた。
「ふぇっ……!?」
「良かった、ほんとに!!」
セルカは目をぱちくりさせて状況を理解できないままでいる。
「こ、れは……?」
「フョードルが何とかしてくれたのよ!! 良かったああ!!」
レティシアは既に涙声になっている。
「そ、そう、だったんだ……。ありがとう、フョードルくん」
「仲間だからな、これくらい当然だろヴァーカ。死んだらオレが困るんだよアホ」
セルカは口元に手をやって控えめに笑った。
フョードルはセルカから目線を逸らした。彼女の嬉しそうな顔を見ていたら、無性に目を逸らしたくなってしまったのだ。
「フョードル、俺からも礼を言わせてくれ。セルカを助けてくれて、ありがとう」
ジークがフョードルに礼を言う。
「なんで他人事みたいに言ってんだよ。仲間なんだから助けんのは当たり前だろオイ」
「そうだな」
ジークは、ははっと快活に笑った。
「本当に、良かった……」
シメオンが小声で安堵する。
フョードルは窓の外へと頭を覗かせる。
「……なるほどな」
案の定、細い階段が取り付けられていて、上に上れるようになっている。上まで行って確認したところ、他にゴブリンは居なかった。
「外も暗くなってきたし、今日はここで休むか」
「そうだな」
一番恐れるべきは不意打ちだ。暗闇の中では戦うことすらままならない。大人しくここで待った方が身のためだろう。念の為、交代で見張りをしながら、休むことにした。
魔人領もまた、二つの月が昇る。
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〈愛〉の勇者
名前:セルカ・リーベル
年齢:17歳
【〈神技〉一覧】
《恋慕》:触れたものに愛される能力。
《純慈》:触れたものに愛を与える能力。《恋慕》
を行使した対象には効果が増大する。
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