第40話 研究室の片隅できみは
「神技で音を消したって……」ナナセが言葉を失う。
「そんなこと出来るやつがいるんすか……?」スクードが呟く。
辺りを静寂が包み込む。この中に、音を消すことのできる勇者がいる。皆がそれぞれの顔を見合わす。
悲鳴を消して、犯行を隠そうとしたその犯人を探そうと、互いを疑い睨み合う。
音を消す人物。
つまり、音を操れる勇者だ。
ノウトは、それにあてはまる人物を知っていた。ダーシュや、ニコ、カミルも彼女のことを見た。
「いや………でも、そんなわけ……」カミルが震えた声で呟く。
「ち、違うでしょ。さすがに……」ニコが声をうわずらせた。
「ジル、……お前なのか?」ダーシュが尋ねる。
そう、ジルは〈音〉の勇者だ。音を操ることが出来ると、ニコが言っているのを覚えている。ジルならば、悲鳴のひとつやふたつを消し去ることも可能だろう。
ダーシュは黙って立ち上がり、手のひらをジルに翳した。
瞬間、数多の鉄刃がジルを囲んだ。そのうちひとつの刃が今にもジルの首に突き刺さりそうだ。ジルはゆっくりと手を挙げた。
「……妙な動きをしたら殺す」
ダーシュが怨嗟の募る声を絞り出す。ジルは目をつむって、ひとつ息をついた。
「ま、待ってよダーシュ! 同じパーティでしょ!?」ニコが立ち上がった。
「そんなの関係ない。こいつは、姫を──パティを殺した」
「落ち着け、ダーシュ」ノウトが制止させる。「ジルが犯人かどうかはまだ分からない」
「分からないって……お前が言ったんだろ、ノウト……ッ」
「ごめん、さっきの言い方は語弊があった。ジルが悲鳴を消したからと言って、ジルが犯人とは限らない。それに、ジルが音を消したとは言えない」
「ジルは、何の勇者なの…?」アイナが震える声で言った。
「こいつは……、ジルは〈音〉の勇者だ。音を操れる」ダーシュが答えた。
「…なるほど」テオが舌を巻いた。
「だから悲鳴を消せるってわけ……ですね」フウカが納得するように頷いた。
一触即発だ。ダーシュがタクトを振るえば、ジルは首が掻き切られて死ぬ。ジルの首に刃は一皮ぶん突き刺さって、つー、と血が流れた。
「ダーシュ!」ノウトが声をあげた。
「…………」ダーシュは黙って横目でノウトを睥睨する。
ジルは目をつむったままだ。動かないようにしているが指先はよく見れば震えている。
「ダーシュくん、刃を下ろしてあげて」リアが言った。
「……………なぜだ?」ダーシュはリアを睨んだ。
「ジルちゃんが犯人とは、現段階では言えないよ。レンくんやマシロちゃんは焼死体で見つかった。音を操っても、人を焼き殺すことは、わたしが考えうる限り難しいと思う」
ダーシュは数秒思案して、ため息を吐いた。それから、首元にある刃だけを消した。ジルは喉元に手をやって、ぜぇはぁ、と荒い呼吸をする。リアはジルに近付いて軌跡を発動して回復させた。
「ジル」ノウトがジルを見た。「きみが悲鳴を消したのか?」
ノウトが聞くと、ジルはノウトを一瞥して、それから長机に目線を落とした。
「……私は、確かに〈音〉の勇者で、悲鳴を消すことくらい簡単に出来る」ジルが顔を上げて、胸を抑えた。「でも、私じゃない。私は悲鳴を消していないわ」
その目は、明らかに嘘を言っているとは思えなかった。ノウトにはとてもじゃないが、ジルの言っていることが嘘には聞こえなかったのだ。
「嘘をつけ。俺はパティの部屋の前にいたが、悲鳴は聞こえなかったぞ。お前じゃなかったら、誰が悲鳴を消すんだ」
「……違う。私じゃない。……私じゃ」
ジルは首を振った。普段の気丈な姿からは想像できないほど弱々しく見えた。演じているのか、それとも本当にジルが悲鳴を消したわけではないというのか。
仮定の話だが、もしジルが悲鳴を消していたとしよう。ではどうやって対象だけを焼死させられたのか。
ジルは〈音〉の勇者で、その名の通り音を操ることができるのだろう。リアはジルを庇うために、音を操ることで焼き殺すことは出来ないと言っていたが、ノウトは、音で対象を焼くことは出来ると思っている。
音、というのはつまり空気中の振動だ。
振動を尋常ではないほど増加させれば発火させること、もしくは発熱作用を起こすことも出来る可能性もある。
例えば、どこかで音を熱に変換できると聞いた覚えがある。科学の話だ。音を際限なく操れるならば、空気を振動させて焼き殺すことも可能なのではないだろうか。
だが、これらは全て憶測の話だ。
正解かどうか、ノウトの知る術はない。
「ジルが犯人じゃないんだよな?」
「ええ。私じゃない。私はパティたちを殺してない」ジルは首を横に振った。「悲鳴が聞こえなかったという圧倒的違和感があるから……、私が何を言っても、信憑性はないと思う……けれど、信じて欲しい」
焼死。それに悲鳴が聞こえなかったという点。何か変だ。おかしい。
明らかすぎるというか、良く考えれば犯人が特定出来てしまう。
ノウトたちが議論をし始めて、まだ三十分程だ。パトリツィアたちを殺した敵は十分な算段があって、ここまでことを運んできたに違いない。こんなにも杜撰な殺人があっていいのか……?
まるで、ジルに犯人を押し付けているかのような、そんなちぐはぐな思いが胸の奥に引っかかっている。
悲鳴を消すことは、この中ではジルにしか不可能。
そして、焼き殺すことはこの場ではカンナしか不可能。
この二人が手を組んでいるという可能性は、どうだろう。その可能性はゼロじゃないはずだ。
だが、勇者の中に二人も裏切り者がいるなんて、あまり現実的じゃない。魔皇の協力者であるノウトがこの場にいる時点で現実的ではないが、カンナとジルが手を組むというのは少なくとも考えられない。
「まぁ、さっきリアが言った通り、音を操れるジルじゃ焼き殺すことは出来ないし、犯人とは言えないよな」ナナセが言った。
「うん、それは私も思った」アイナが頷く。
「ジルは、僕も犯人ではないと思います。パティとは仲が凄く良かったですし、ジルの神技じゃ焼死体をつくりだすことはできない」
「そう、だよな…」ノウトはかぶりを振った。「ごめん、ジル、少しでも疑って」
「いえ……。私も、誰が犯人かは分からないから」
「…じゃあ、今まで出てきた謎をどうやって払拭して、どう犯人を見つければいいのかな……」ミカエルが物憂げな目で皆を見ている。
「それは……」ノウトは言葉を失った。
今この場で犯人を特定するのは難しい。いや、そもそも凶器も動機も分からないのだから、判明させることなど最初から不可能だったのだ。
「犯人は、悲鳴を消しつつ、そして三人を同時に焼き殺した……。そんなことが出来る人が、果たしてこの場にいるんですか?」エヴァが怯えた声で言う。
「一旦、落ち着こうか」
と、フェイはおもむろに口を開いた。
「落ち着けるわけない。事件の犯人がこの中にいるかもしれないんすよ……?」スクードが震えた声で言った。
「かもしれない、だろ? というか」
フェイは肩を竦めた。
「そもそも、この議題は不毛だよ」
「……は?」と誰かが声を漏らした。
「いいかい? みんなも分かっている通り、今回の事件はめちゃくちゃだ。犯人の動機も何もかもが不明。それに、勇者を殺すのが目的なら三人だけじゃなく、一斉に殺すべきだ。まず、何か今回の被害者が三人である理由があるはずだ」
フェイは話を続ける。
「だけど、その理由は犯人しか知りえない。犯人が自供しない限り、情報が圧倒的に足りないおれたちが知る由もない。なら、逆に考えてみよう。三人以外、つまりここにいるおれたちは全員生かされた、ってね」
「どういう…こと?」アイナが首を傾げる。
「犯人は密室の中で対象だけを三人まとめて焼き殺せる。つまり、おれたちをこの場で一斉に殺す手段も持ち合わせているはず。それなのに、実行しないということは、犯人は少なくともおれらを今殺すつもりはない、もしくは殺す手段が今はないってことさ」
「なる、ほど……」
「犯人をここで特定することは出来ない。そして、犯人は今この場でおれたちを殺す手段も目的もない。つまり──」
「犯人を仲間に引き入れつつ旅を続けるんだな?」テオがフェイの代わりに答えた。
「その通りさ」
「犯人を……って、…」
「……正気ですか?」
「狂気的かもね。でも、この場で停滞して議論し続けるのは犯人の思うつぼだよ」
「その通りかもしれないな」テオが頷いた。「こうやって疑心暗鬼になって、殺し合う。それが考えうる最も最悪なシナリオだ」
確かに、そうなのかもしれない。さっき、ジルはダーシュに殺されかけた。あれでジルが亡くなっていたらノウトたちは一生後悔することになっていただろう。
「この中に、マシロたちを殺した犯人がいるってのに、のうのうとしてろって言うんすか……?」スクードの声は震えている。
「そうだよ」フェイは頷いた。「犯人はおれらを殺せない。今この場に生きているおれらがその証明さ」
フェイの言っていることは的を得ていた。
勇者の中でパトリツィアとレンとマシロだけが殺されたのには、何か理由がある。ならば、ここに生きているノウトたちが生きていることも理由があるのだろう。今この場にいるノウトたちは、彼らの代わりに生を全うする必要がある。
「みんな、寝てないし疲れてるだろう? 休もう。もちろん見張りは交代制でね」
フェイの音頭で、ノウトたちは息をついて休憩を取ることにした。
ノウトたちは勇者だが、それ以前に人間だ。休みもなしにずっと気を張っていることは出来ない。
犯人はこの場では分からなかったが、いつか必ず見つけて見せる。
殺されたマシロやパトリツィア、それにレンの為にも。




