エピローグ 竜殺しの勇者と、それから
さびしさは鳴らない。
その横顔を斜陽が照らす。
夕刻の太陽は、さながらオレンジの星だ。
橙色に彩られた空き教室には、積み上げられた机と椅子の影がまるで化け物のように映って見えた。
放課後、旧校舎のこの空き教室にいるのは、俺ともう一人だけだ。
「いくらか慣れてきたね」
「まぁ、……数だけはこなしてきたからな」
「最初は、あなた何もできなかったのに。今は、ちょっとだけ頼りになる」
「ちょっとかよ」
俺は教卓の上にふんぞり返るように座った。
作戦会議をするときは、いつもここだ。
以前は図書室や昇降口付近、また屋上とかで集合してたけど、人に聞かれたら困るので、絶対に誰も立ち入らないこの場所を見つけた。
「そう言えば、アヤ」
「ん?」
「課題やった?」
「課題って……、数学の?」
「そ」
「…やってないよ。めんどくさいし」
「なら、教えたげる」
「いや、別にいいよ。樗木、教え方雑だし」
「じゃ、一生テスト勉強手伝ってあげない」
「そっ……れは困るかな〜」
「じゃあほら、課題出して」
「……………」
俺は鞄を漁った。否、漁る振りをした。
「あー、悪い。教室に忘れた」
「課題どうやってやろうとしてたの?」
「…えっと、……授業中に?」
樗木は呆れてため息をついた。流麗な前髪がふわっと揺れた。
「戻ろう、教室」
「えっ、作戦会議は?」
「今日はなし」
「まっじかよ」
俺は片手で顔を覆った。
「さ、戻るよ」
樗木が歩き出して、空き教室を出た。俺はひとつ欠伸をして、その背中をしぶしぶ追いかけた。
早く目を覚まさないと。
そんな思いで目を覚ました。
何か、何か夢を見ていた気がする。ひたすらに長い夢だ。でも、なんの夢かは覚えていなかった。
今度は真っ暗じゃない、最初に思った。
屋内、そうだ。ここは野外じゃない。屋根の下だ。しかも、かなりやわらかい。地面でも床でもなく、布団か何かの上に寝ている。
身体を起こして、辺りを見回す。知らない部屋だ。無垢材でつくられた質素な部屋。調度品や家具の類いもある。ここは、どこだろう。ノウトはベッドの上で横になっていたみたいだ。
幸い、記憶ならある。あの暗い部屋で初めて目覚めてからここまでの記憶だ。
まず、自分の名前はノウトだ。
勇者らしいが、他の勇者とは違い、魔皇の配下でもある。他の勇者を説得して魔皇を殺させないようにするのがノウトの目的だ。
始まりの街を抜けて、次に訪れた街フリュードで、ノウトたちは突然飛竜に襲われた。 そして、それからノウトは巨竜を弑逆で倒して───
「…あれ……?」
そこから先の記憶がない。そうだ。ノウトは確か巨竜の死体に潰されたはずだ。つまり、ここは──
「天国……?」
もしくは、楽園? 死後の世界? それにしてもリアルだし、脈絡があって、ありとあらゆる感覚が伴っている。それに、なんだか、いい香りもしてくる。その瞬間に腹が、ぐぅ、と小さく鳴った。……腹、減ったな。腹が減るということは、つまり死後の世界ではない? それとも死後の世界はお腹が減るのか? そんなよく分からない思考でぐるぐると頭の中でかきみだしていると、ふいに部屋の扉が開いた。
そこに立っていたのは、リアだった。その手には果物の入った籠があって、リアは籠を思わず落としそうになる。彼女はノウトを見た瞬間、嬉しそうな、でも少し泣きそうな複雑な表情になった。
「ノウトくん……!」
「リア」
ノウトが声をかけると、リアは目を擦って早歩きで寝台に近づいた。果物の入った籠を寝台の横に置いて、
「…ノウトくん……」彼女は儚げな声を漏らした。「……無事でよかった」
それから、リアはノウトに覆い被さってきた。いや、正確に言えば覆い被さってはいない。でも、リアは覆い被さりそうな勢いでノウトの頭の横に左手を置いて身体を支え、右手でノウトの頬や首に触った。
リアの髪がノウトの顔に落ちかかってきた。少し鼻がむず痒かったけど、リアのにおいがした。花のような香りだ。
ノウトは外を見た。多分夜で、暗いことにはくらいけど、窓があって、そこからぼんやりとした光がいくらか射し込んでいて、おかげでリアの顔がぼんやりと見えた。
視線は合わなかったけど、リアはノウトのあちこちをさわり、それから目で見て、怪我がないかを確認しているみたいだった。
「俺は大丈夫だよ、リア」
ノウトはそう言って、笑ってみせた。リアは無理をしているのか、分からないけれど、微笑んで、それから身体をもたげて寝台の端に腰をかけた。リアの手も、ノウトから離れて、彼女の花のような香りも薄らいだ。
「ずっと、心配してたんだから」
「……あれから、何があったんだ?」
ノウトが聞くと、リアは太腿の上に手を置いた。もちろんノウトのではなく、自分の太腿だ。
「ノウトくん、二日も眠ってたんだよ?」
「……ふつか?」
ノウトは起き上がって、リアの隣に座った。
「ふつかって、もしかして二日?」
「そう。二日」とリアは少し笑いながら分かりやすいように言い換えた。
「その、……俺が竜を倒したのも、さっきとかじゃなくて、二日前ってこと?」
「うん」
「……そっか」
ノウトは両手を両膝の上に乗せて手を組んだ。二日間寝ていたと言われても、いまいち現実味がない。痛みも、思いもついさっきのように思い出せる。
「マシロちゃんがね、ノウトくんを助けてくれたんだよ」
「そうなのか?」
「潰されそうになった直前にマシロちゃんがなんとかノウトくんに触れられたみたいで」
「そう、なんだ」
ノウトは息をついた。マシロはノウトの命の恩人だ。
「それでも、マシロちゃんがわたしの前にノウトくんを連れてきた時、きみ凄い怪我してたから、わたし気絶しそうになっちゃって」
「それは……ごめん」
「ほんとに心配したんだから」
「リアに治してもらったのに、二日も意識失うとか、ちょっと情けないな、俺」
「あの巨竜を倒したのはノウトくんなんだし、それに無事でよかったよ。本当に」
リアは泣きそうになっている。ノウトもまたもらい泣きしそうだ。ノウトは胸を抑えて、この気持ちをしまい込んだ。
「リアも──」
ノウトは息を吸って、吐いた。言葉が上手く出てこなかった。
「……リアも無事でよかった」
「無事だよ、いつも。わたしは、死なないから」
「……ごめん」
「えっと……?」リアは小首をかしげた。
「その…」
ノウトは言葉を詰まらせた。これを言っていいのか、悪いのか分からなかった。でも、ここでちゃんと謝っておくべきだ。
「あの時、何回もリアを……殺して……」
「大丈夫」リアはノウトを見た。「わたしは、うん……大丈夫だから」
「……俺は、馬鹿だ」ノウトは眉を手で揉んだ。「リアに全てを見透かされたと思って、手にかけてしまった。リアがあのとき死んでいて、今ここにいなかったら俺は、……俺は……」
「ばかは、わたしの方」
「…えっ?」
「あのとき、もうちょっとノウトくんを思って行動すべきだった。からかおうと思って、あんなことして、……自業自得だよ」
「でも、俺がやったわけだし──」
「ノウトくんは……」リアが息を呑んだ。「…ノウトくんは悪くないよ、いつだって」
リアの右手に、少しだけ力が入っている。
ノウトは小さく「ぁー……」と間の抜けた声を出したりこんなときにあまり気の利いた言葉が口に出せない自分が呪わしい。でも、こんなときって? いったい、今はどんなときなのか。
「リアは」
何だというのか。リアは、なんなんだよ、ノウト。
はたして、何を言おうとしているのか。そもそも、ノウトはリアのことをどう思っているのか。リアは、ノウトの命の恩人だ。何度負傷したって助けてくれた。負傷した人々を何千人と救った。リアは、凄い人だ。それでいて……それでいて、なんだと言うんだ、ノウト。ああ。どうか。
どうか、頼むよ。この際、どんな言葉でもいいから。言葉よ、出てきてくれ。
「本当に……かけがえのない存在だよ。……そう、みんな、リアに救われてる。ミカエルも、カンナもアイナも。もちろん……俺だってリアに救けてもらったし」
「わたしには、治す神技があるから」
「……必要だよ、リアは。俺……、俺たち全員に」
「ノウトくんこそ。きみがいなかったら、わたしたちみんな、ここにいない。全員を救ったのは、ノウトくんの方」
「全員、……そう、かな」
「だから、………」
「………だから?」
「よかった。ノウトくん、きみが、……いてくれて。きみに会えて」
「いや、俺の方こそ言いたいっていうか」
「なに?」
「えっ、……ああ、えっと。……リアに会えてよかったって」
言って、ノウトは自分の唇を手でつまんだ。いや、なんだこの会話は。お互いに出会ったことを感謝している。それ自体は別におかしなことじゃない。これっぽっちもおかしくない。事実ではあるし。でも、何か違う気がする。お互いに、何か、もっと思っていることがあるような……。
いや、違うか。勝手に深読みしてるだけだったりして? 深読み? それって、なに?
「うわぁぁぁ!?」
突然、そんな声が聞こえてノウトとリアは同時に身体をびくつかせた。
「ノウト! 起きたんすね!」スクードの声だ。「わ、ほんとだ。よかった、目覚ましたんだね」レンもいる。「心配したんですよー!」フウカもいた。「寝すぎなのよ」シャルロットの声もした。
彼らは一斉に部屋に入ってきた。
「リア、さきに入ってたんだ」
「えっ」リアはベッドから立ち上がった。「う、うん。そうなの。さっき気づいて」
「そっか」レンはにやにやしてる。何か言いたげだ。「ノウトにいろいろ説明した?」
「あっ、いや、全然してなかったかも」
「そんなことだろうと思ったわ」シャルロットが肩を竦めた。
それから、ノウトはあれから起きたことの説明を簡潔に受けた。
まず、巨竜が倒れたあとは色々とてんやわんやだったらしいが、勇者たちによって巨竜や飛竜の死骸を含めた街の撤去作業が始まったようだ。
瓦礫や崩落した家々をフウカやミカエルたちが撤去し、シャルロットが家をつくりだしたり、カミルが樹木を生やしたりして、ダーシュが鉄で壁をつくったりして街をなんとか再現している最中らしい。
そして、今は崩壊した地域の再生が八割はおわっているようだ。勇者の力恐るべしだ。
もちろん、亡くなった方は少なくない。当然、失ったものは回帰しない。でも、ノウトやリアたちに救けられた人たちは、みながみんな勇者たちに感謝していた。どうやら、宴のようなものも開かれたようだ。その際、飛竜の肉も使われたようだ。
「そうだ。ノウトも起きたことですし、お夕飯いっしょにどうですか?」
フウカが提案して、ノウトはすぐにうなずいた。
ノウトたちが部屋からぞろぞろと出て、ようやくここがどこか分かった。宿屋だ。廊下をしばらく歩くと、食堂に出た。そこにはパトリツィアやニコ、ダーシュやカミルたちがいた。ジルやカンナ、エヴァ、それにナナセやアイナも一緒にいた。
ミカエルやテオは今も復旧作業をしているらしい。
みんな、ノウトを『竜殺し』やら『ドラゴンキラー』やらと称してわいわいとはしゃいだ。レンやシャルロットが協力して料理したりつくりだしたりした夕食をみんなで食べた。
「フョードルたちも先に行かないで一緒にいたらよかったのにね」
「こんなにがやがや出来るなんて知ってたら、一緒に飛竜倒すの手伝ってくれたよな、絶対」
「勇者そろっての宴にしたかったんすけどね〜」
「まぁ、連絡取れない状況だし仕方ないでしょ」
確かに今現在、フョードルたちが何をしているのかは不明だ。ヴェロアに危害が加わらなきゃいいんだけど。
それから、みんなでお酒も飲んだ。口にして、ノウトは自分が酒の類いがあまり好きじゃないことに気がついた。ただ、ミードというらしい蜂蜜酒は、あまくて喉にやさしくて、なぜか懐かしい気持ちになって、美味しかった。
「姫、もうそのへんにしておいた方がいいんじゃないか……?」
「ダーシュ、しーっ……! しーっ……! こっからがパティは可愛いんだから〜」
ニコがダーシュの口を抑えた。パトリツィアは顔が真っ赤だ。どうやら、お酒にかなり弱いらしい。
「ジルぅ〜」パトリツィアがジルに抱きついた。「きょうもつかれたよぉ〜」
「おぉよしよし。今日も姫はよく頑張ったわ」
「もっと撫でてぇ……」パトリツィアは今まで見たことないような声でふにゃふにゃになっている。ニコも一緒になってパトリツィアを撫でていた。
「ほら、こんな状態になってる姫、せっかくだしダーシュにあげるわ」
「い、いらん!」
「今しかないわよ。お買い得よ」
「どんな押し付け方ですか」カミルがツッコミを入れた。
「うにゃぁ……ダーシュぅ……」
ジルがパトリツィアで遊んでいるが、ダーシュはダーシュで困り果てている。
「あんなパトリツィア見たくなかった……」ノウトは頭を抱えた。
「あれが人間っすよ。ノウト」スクードがノウトの肩にぽんと手を置いた。
みんな疲れているのかすぐに横になって、その辺りで眠ってしまった。
リアは完全にダウンしたパトリツィアをシャルロットと協力して部屋に連れていった。どうやら、この宿舎はシャルロットがつくりだしたものらしい。本当に凄いとしか言いようがない。
それから、ノウトとレンはラウンジで晩酌をしていた。
「でも、よかった」レンはジョッキをテーブルに置いた。
「何が?」
「ノウトが無事でさ」
「ああ〜、それはね。うん……ほんとに。マシロに感謝だよ」
「マシロね。今どこにいるんだろうね」
「あれ、知らないのか?」
「うん、たぶん彼女の部屋だろうけど」
「あとでお礼言わないと」
「そうだね。もう遅いから明日になりそうだけど」
「だな」
ノウトは蜂蜜酒の入ったジョッキを呷った。それから、ノウトは鼻っ柱を軽く手の甲でこすった。
「あの、さ……」
「どうした?」
「アトルの……初めの街を出るときに、魔皇の配下が俺たちの中にいるって言ってたじゃん?」
「ああ、言ってたね、あの人がね」
「そうそう。それ、……なんだけど」
「もしかして、ノウトがそうとか?」
「……え?」
一瞬、虚を衝かれて、言葉を失った。
「冗談だよ」レンは、ははっと笑った。
「あっ、冗談……」
「なんだよ、その反応。あんまり面白くない冗談だった?」
「まぁ、ある意味ね」
レンは訝しげな顔をした。
「……俺、」
ノウトは、レンになら明かしてもいいだろうと思ったのだろう。正直、自分でも、この時のことはよく分かっていない。酒が回っていたのが半分、レンを信じていたのが半分といったところだと思う。
「俺が、魔皇の協力者なんだ」
「あぁ〜……」レンは呆れるでもなく、平然としている。「冗談?」
「いや、本当の話」
「そう」
レンは蜂蜜酒を一気に飲み干して、腕を組んだ。
「なら、安心した」
「えっ?」
「ノウトが魔皇の協力者でさ。嘘じゃなくて本当なんだろ?」
「う、うん。ほんとの話だけど」
「そっか。」
レンは「ん〜〜……」と伸びをした。
「ノウトでよかった。一番よかったよ」
「それって、……どういう意味?」
「あの日、あの巨大な竜を倒したのは、ノウトだろ? つまりあの竜はノウトとは──魔皇とは一切関係ないってことになる」
「……なる、ほど」
「あの飛竜で、たくさんの人が亡くなったからさ。俺、これでも結構怒ってるんだ。あの飛竜の群れにね」
「俺も」ノウトは左腕を右手で掴んで、抑えた。「あれは、ひどいと思ってる。最低だよ、あんなの」
「ノウトが魔皇の協力者なら……、」レンは笑ってない。冷静で、さらに言えば、狼狽えてさえいない。「結構安心できるよ。これ言うの二回目だけどさ」
「そう」ノウトは唇をつまんで、それから離した。
「それに実は俺、知ってたんだ」
「……へ?」
「最初の晩の話。リアとベッドでなんかやってただろ? あの時の聞こえてたんだ。ノウトがリアを殺したのも、知ってた」
「……ほんとに?」
「本当だよ」レンはひかえめに笑った。「あんなに騒がしくされたらさすがに起きるし、聞いてるに決まってるじゃん?」
「じゃあ、」ノウトは瞼を抑えた。「レンはそれが分かってて俺を泳がせてたのか?」
「うん。面白いなーって思って」
「なんだ、それ」
「でも、安心して。俺はノウトの仲間だから」
「仲間、か……」
「そ、仲間。最初に言ったろ? 気が合いそうだなーって」
「あー……」ノウトは頭をひねって思い出した。「確かに言ってたな」
「でしょ?」レンはにっ、と笑った。「で、俺に何の相談? あのあとリアと何話してたの?」
ノウトは腰を伸ばしたり、仰け反らしたりしてから、レンを見た。
「……魔皇をさ。殺さないで欲しいんだ」
「いいよ」
「いや、レスポンス早いな」
「だって、そんな残虐なことしたくないし。魔皇はノウトの仲間のわけだろ。じゃあ、俺が殺すのはおかしいよ。記憶が惜しいからってそんなことしたくない」
「レンって」ノウトは、ふっ、と笑った。「思ったより変なやつなんだな」
「なんだよ、変なやつって」レンも笑った。「うん、否定はできないけどね。俺も、俺のことよくわかんないし」
レンは空になったジョッキをテーブルの真ん中辺りに置いた。
「で、これからどうするの?」
「みんなを説得して、魔皇を殺さないようにしたいんだ」
「なるほどねー」レンは顎に手で触れた。「言葉で言うと、なんだか難しく聞こえるけど……まぁでも、案外簡単そうだ」
「そう?」
「うん」レンは遠くの方を見るように目を細めた。「今回の、飛竜討伐で俺らの仲はかなり深まったし、ここにいないフョードルたち以外は上手くやればまるめこめそうだ」
「なんかレン、こわいくらい頼りになるな」
「そうかな」
「なんか、……うん。すごく助かるけどね」
「ま、とりあえず」
レンは立ち上がって、ノウトの肩をぽんと叩いた。
「明日かな。何かやるにしても。今日はもう夜もだいぶふけてきたし」
「そうだな」ノウトは窓の外に月を見た。
「あのさ、ノウト」
レンが窓の外の宵闇を見つめながら口を開いた。
「変なこと言っていい?」
「え、うん。大丈夫だけど」
「俺さ、……なんだか、お前と初めて会った気がしないんだ」
「………それって──」
レンは髪をかきあげた。それから、そっと微笑んだ。
「……悪い、深い意味はとくにないんだ。それじゃあ、明日も宜しく」
レンはそう言って、自分の部屋に戻って行った。
ノウトはその晩、よく眠れなかった。そりゃそうだ。二日間も眠り続けていたんだから、夜も更けてきたけど、寝付けなくて、宿の外に出た。街の外れに、シャルロットのつくりだした宿はあって、外に出たらすぐに砂浜があった。
ノウトは桟橋のところまで歩いた。夜風が気持ちよかった。藍色の空に浮かぶ星が煌めいて見えた。
「やあ、ノウト君」
そこには、やつがいた。クリーム色の髪の男だ。ノウトと同じくらいの年齢だと思う。
「フェイ、……だよな?」
「あれあれー、忘れちゃった?」
「ごめん、あんまり接点なかったからさ」
「あははー。正直だねーノウト君。嫌いじゃないよ、そういうの」
フェイは楽観的に笑った。
「それにしても、ノウト君、巨竜殺しカッコよかったよ、ほんとに」
「まぁ、死にものぐるいだったし、ほとんどマシロのおかげだったけどな」
「もうさすがとしか言えないよ」
「そういえば、飛竜と戦ってるときも、フェイいなかっただろ。あのときどこにいたんだ?」
「あー、ごめんね。おれもニコさんとかジルさんとかと同じで怖くて逃げてたのさ」
「いや、別に責めてないよ。フェイも生きててよかった。勇者の中で誰も死者が出なかったのは不幸中の幸いだよ」
「ほんとにそうかな?」
「……え?」
「ノウト君」
フェイはノウトの鼻先に人差し指をぴんと立てた。
「これから、何が起こっても、落ち着いて慎重に行動するんだ。君なら成し遂げられる」
「もちろん、何かあれば適切に対処したいけど」ノウトはフェイの手を跳ね除けた。「どうして、そんなこと言うんだ?」
「さぁね」フェイはにっ、と笑った。「おれはもう寝るよ。アドとのやり取りで疲れてね。おやすみ、ノウト君」
そう言って、フェイはノウトに背中を向けて、宿へと戻っていった。いったい、なんだって言うんだ。よく意味が分からない。まぁ、フェイは会った時から変なことを言っていたから特に気にする必要はないだろう。
見上げれば、こちらを見下ろすように二つの月が浮かんでいた。思わず見入ってしまうが、かぶりを振って、その場を離れた。
舗装された街道を歩いて宿にたどり着いた。ロビーを通り、自分の部屋に戻った。
それからリアが部屋に置いていった果物をいくつか咀嚼してから、明日のためにと目をつむって、寝台で横になった。
レンの言う通り、説得すればみんな分かってくれる。勇者と魔皇が協力することだってできるはずだ。そうすれば、今回の竜が突然飛来してきたことだって何かが分かるはずだ。
ノウトたちには明日がある。だからこそ、なんだって出来るんだ。
あのエピローグのつづきから 第一章 [完]




