第33話 空き教室は薫風が梳る
レンやリア、カンナたちがいる家屋からノウトとマシロは離れて、駆けた。マシロとノウトは手を繋いだままだ。これだと少し、いや、かなり走りにくいがマシロが離すつもりがなさそうだからこのままでいるしかない。
しばらく走ったところでマシロが口を開いた。
「〈幻〉の勇者である私の神技は『透明化』と『透過』。あともいっこあるけど今は割愛」
マシロは依然ノウトの手を引っ張りながら走った。何回かつんのめってノウトはこけそうになった。ノウトは息切れながらも懸命に走った。
「能力を、こ、コントロール出来てないんじゃなかったのか!?」
「透明になる方はね。でも、───」
巨竜はうねるように首をあげて、それから大きく口を開けた。まずい。まずいというかやばい。
炎がくる。灼熱の炎が。
巨竜の口から放たれた紅蓮の炎は絨毯のように地面を焦がしていき、ノウトたちにぶち当たった。
一瞬、死を覚悟した。
でも、マシロを信じて目をつむって、次に目を開けると炎はノウトたちを通りすぎていた。全くもって熱くなかった。ノーダメージだ。
「こっちはうまく使える」
「これは、……」
「『透過』。何ものも私には触れることは出来なくなる神技」
「……でも、俺はこうしてマシロに触れられてるぞ。しかも俺も炎が通り抜けた」
「私が触れて許可してるものは透過しないの。じゃないと私、地面を通り抜けて真っ逆さまでしょ?」
考えてみれば確かにそうだ。通り抜ける神技なら、地面を透過して落ちていってもおかしくない。
「それに、服も透過して裸になっちゃうし」
「確かに…な」ノウトはマシロから目を逸らしてうなずいた。
「今、変な想像した?」
「はっ? ……いや? 別に?」走りながら答えていたというのもあったし、マシロと手をずっとつないでいるというのもあって、声がうわずってしまった。
「そ」
マシロはいたずらっぽく笑って、前を向いた。
ノウトとマシロは一緒に走った。走りまくった。途中、何度か攻撃が来たけれど、その全てをマシロは透過させていった。傷一つつくことなく、ノウトは駆けていた。ノウトにとって、この時のマシロは心強かった。
そして遂に、巨竜の足元までたどり着けた。ここからじゃいくら見上げても巨竜の頭の方が見えない。やつの体長は百メートル近くはあると思う。
「それじゃあ」
マシロが久しぶりに声を出した。
「アヤが触れる瞬間だけ私が手を離すから、そんときにアヤの力でドラゴンを倒して」
「ああ、分かった」
ノウトはうなずいてから、頬を掻いた。
「えっとさ、……」ノウトはマシロを見た。「…ずっと聞きたかったんだけど、どうしてマシロは……俺のことをアヤって呼ぶんだ?」
「さぁ」
「さぁ……って」
「私も、よくわかんないの。みんなとおんなじで記憶ないからさ。そう、よくわかんないけど、……でも、あなたが『アヤ』って顔してるから」
「いや、どんな顔……?」
「アヤって顔」
そう言って、マシロは少し微笑んだ。マシロは表情の変化が比較的乏しい。あまり表に出さないタイプなのだろう。
不思議な子だけど、悪い子ではないことは少なくとも分かった。臆せずにここまで一直線に来れただけでも、だいぶ凄い。変な表現だけど、めちゃくちゃ心臓に毛が生えてないと難しい話だと思う。
「さ、行こう」マシロがノウトから目を逸らした。「早くこのめちゃくちゃな戦いを終わらせよ」
マシロがノウトを引っ張った。ノウトはなんとかそれに着いて行った。
マシロの透過する能力は、陳腐な言い回しだけど、正直言って最強だった。
巨竜の放つ全ての攻撃はマシロとノウトの前では無意味だった。
これなら、行ける気がする。ここまで長かったような短かったような。とにかくここまであっという間だった。突然始まった飛竜との戦いも、これでおしまいだ。終わりだ。終幕だ。
ほら。
もうすぐそこだ。
でも、そんなの関係ない。弑逆を発動さえ出来れば、それで終わりだ。
もう、目の前に、赤い光沢が輝く黒い鱗の壁がそびえ立っている。
届け。届け。もうすぐだ。走れ。駆けろ。
「いい加減!!」
ノウトが叫ぶと、マシロが手を離した。
ノウトは手を伸ばす。駆ける。届かせる。
「倒れろッッ!!」
ノウトが巨竜の足元に触れた瞬間、《弑逆》を発動させた。発動できた。殺すことが出来た。そして、やつから凄まじい熱気を感じた。こいつ、鱗と鱗の隙間から蒸気みたいなものを出している。熱い。全身が焼けるようだ。
──そして、巨竜は、動きを止めた。
ノウトは、──……ノウトは肩で息をした。
ぜぇはぁと荒い呼吸を漏らす。
「はぁ………、やったぞ……」
やった。やったんだ。ついに巨竜を倒せた。それも、ノウトの手で。触れれば殺せる神技。弱いと、使い勝手が悪いとそう思っていたけれど、案外悪くないかもしれない。胸の中をどろどろとした何かが渦巻いているのを自覚しつつも、ノウトは呼吸をした。ふと、見上げる。
動きを止めた巨竜は少しの間だけ天にそびえるようにそこに立っていたが、……ゆっくりと姿勢を崩して、こちらに倒れてきた。
「えっ……?」
こっちに、倒れて……?
やばい、やばい。巨竜の死骸はノウト目掛けて、倒れてきている。このままじゃノウトは潰される。あんなのに潰されたらひとたまりもない。一瞬で死だ。終わりだ。ゲームオーバーだ。
「──ゲームオーバーって………」
ノウトは首を傾けた。……あれ? 何か、知ってる文字列だ。自分で言っておいてなんだけど、妙な違和感を感じる。いや、そんな変な感慨に浸っている場合じゃない。
上を見上げる。もう、すぐそこだ。すぐそこに巨竜の巨大な身体が。
「やっ、ちょっ、ちょっと、待っ───」
巨竜の落とす黒い影が上から迫ってきた。
「アヤっ!」とマシロの声が聞こえた。
なんで、アヤなんだろう。ちょっと意味がわからない。ちょっとどころじゃない。全然意味が分からない。ノウトという名前となんの関連性もない。………って、ヤバい。やばいやばい。考えてる場合じゃない。どんどん巨竜がこっちに──
それはノウトの視界は真っ黒に塗り潰されて、巨竜の死骸に叩き潰されて───ノウトの意識はそこで止まった。




