第28話 波打ち際の独り言
「おりゃあああああ」
ニコがリアが抱きついて海水がばしゃーん、と飛び跳ねた。
それをノウトはひらりと躱すが、シャルロットには当たりそうになる。しかし、その水しぶきをレンがシャルロットの前に出ることで全て受け止める。
「平気?」
「え、えぇ。大丈夫」
シャルロットは軽く驚きながらも珍しく笑みを見せる。
ニコは倒れ込んだリアからターゲットを変えて今度はフウカに向かってダイブした。
だが、フウカはそれを華麗に横ステップで避ける。ニコは腹から水面にばしん、と叩きつけられる。
「ふふふっ。舐めてもらっちゃ困りますよ」
「お返しだー!」と今度はリアがニコに抱きつく。そのくんずほぐれつしている所に今度はカンナが飛び込む。
「うにゃあぁぁあぁああ」
ばしゃーん、とまたしても水が飛び跳ねる。
シャルロットとレンはちゃぷちゃぷと波打ち際を歩いていた。
「姫、転ばないように気をつけて」ダーシュが言った。
「心配しなくても大丈夫よ」パトリツィアが微笑む。
「いつの間にか、姫ってのが浸透してきちゃったね」ニコがくすっと笑った。
「姫は姫だからな」
「それはわかるけれど、ダーシュはパティのこと好きすぎるのよね」ジルが片手を頬に当てた。
「好きだと?」ダーシュが激昂した。いや、正確にはしそうになっている。
「えっ、好きじゃないんですか?」
「殺すぞ」
「うぐっ!?」ダーシュに腹パンを喰らったカミルが悲鳴をあげている。「僕にだけひどくないです……?」
「じゃあ、姫と世界だったらどっちを取るんですか?」
「そんなの、姫に決まってる」
「ひゅーひゅー」ニコが下手な口笛を吹いた。
「や、やめてよ」パトリツィアは頬を赤らめていた。
「ダーシュ、姫を困らせちゃだめでしょ〜?」
「え、す、すまない、姫、俺としたことが……自刃して贖う」
「いやいやいや! そんなことしないでいいですから!」
と、微笑ましい限りの光景が目の前に広がっていたりもした。アイナやナナセ、テオはフェイとともに全力で海を泳いでいたり、エヴァとアイナはヴェッタの手を引いてリア達と混ざって海で遊んでいる。ウルバンは他のパーティの竜車騎手と談笑していた。
みんな元気だな、なんて他人事のように思ってしまった。でも同時に、どこか幸せなものを感じてしまい、鼻の奥の方が熱くなって、思わず目頭を押さえた。
「綺麗だね」
「わっ」
突然、隣にマシロが現れた。
「あれ、気づかなかった?」
「そりゃ、……さっきまでマシロ、透明だったし」
「またそうだったんだ」マシロは砂浜に座り込んだ。
「綺麗だねって……」ノウトはマシロの隣に座った。「海のこと?」
「それ以外ある?」
「いや、ないか」
「あると思うけど」
「いや、自分でいったんじゃん」
「あるか聞いただけじゃん?」
「なにそれ」ノウトはくすっと吹き出して笑った。
「ねえ」
「ん?」
「あなたも、記憶がないんだよね」
「え、ああ、そうだね。うん。目覚める前の記憶は一切合切、全部がない、……かな」
「みんな、……そうなんだよね」
「そう、だね。勇者は全員。友だちも家族も、思い出も、全ての記憶が消えてる」
「どうして、記憶がないんだろ」
「それは」ノウトは腕を組んだ。「……どうしてだろうな」
「何か理由があるのかな」
「理由、か」ノウトは息をついた。「記憶がなんでないのかは、……深く考えたことはあまりなかったな」
「消す意味が、あったとか?」
「どんな?」
「さぁ」
「さぁ……って」
「ごめん、適当で」
「いや、別に。気にしてないよ。大丈夫」
「そ。なんか」
「なんか?」
「………変な話なんだけど、なんか──…やっぱいい」
「え、言ってよ。普通に気になるし」
「やだ、言わない」
「そ、そう? まぁいやなら、いいけど」
「いいんだ」
「いや、気にはなるけどね。強要はさ、よくないっていうか」
「……あなたは優しいというか」マシロは目を細めて、考えた。「……へたれ?」
「へたれって……、ちょっと傷つくなぁ…」
ノウトが言うと、マシロは「くふっ」と噴き出した。
「じゃあ、言ってよ。言いたいこと」
「強要するの?」
「うん、へたれはいやだしさ」
「そ」
マシロはちらっとノウトを見た。
でも、少しだけだ。
すぐに目をそらした。
「……私たちってパーティ組んでるじゃん?」
「ああ、うん」
「…記憶がないから、私たちは初対面だと思ってるけど……もしかしたらそうじゃないかもしれない」
「……過去に知り合いだったかも、ってこと?」
「なんか、……そう、そういう可能性もあるって話」
「まぁ、なくはないの……かもな」
ノウトはあぐらをかいて座り直した。ノウトは魔皇ヴェロアの配下で、もともと勇者だったらしい。
つまり、今回召喚されるマシロたちの一個前に召喚された勇者だ。
知り合いだったという可能性は、かなり低いんじゃないかとも思う。でも、可能性はゼロじゃない。
「たとえばさ、私と──」
マシロはノウトを見て、すぐに視線を逸らした。
「あなたも」
ノウトはその確率は低いと口にはできなかった。自らが魔皇の協力者だと言うことは今はできなかった。だから、
「……その可能性は、あるよね」
と少しだけ嘘をついてしまった。
「だけどさ」マシロは膝を伸ばした。「覚えてないんだから、意味はないよね」
「それは……」
どうなんだろう、と言いたかった。でも、確かにその通りだとは思う。
例えば、過去にノウトとマシロが家族だったり友だちだったり、恋人同士だとしても、お互いがそのことを覚えていないんじゃ、何も意味はない。
「ぁー……」とマシロは蚊の鳴くような声を出した。
「どうしたの?」
「……すこし、変なこと言っていい?」
「さっきのじゃなくて?」
「違う」マシロは小さく首を振った。「もっと、変なこと」
「もちろん、いいけど」
マシロは左右を見て、それから海の向こうの方を見るように目を細めて、口を開いた。
「私、あなたに会ったことがある気がするの」
「……俺に?」
「ん」
「そんなこと──」
ありえない、と断定してしまいそうになって、片手で口を覆った。
「まぁ、気がするってだけ」
「そっ……か」
「言いたいのは、それだけだから」
もう一度マシロの方を見ると、マシロの姿は見えなくなっていた。透明になって、消えてしまった。
ノウトは右手で胸の辺りを軽く抑えた。
心臓が妙な音を立てている。
平常の脈動じゃない。何だろうか。
それから、存分に海を満喫したノウトたちは宿へと歩き出した。
もう夕刻だけど、人通りはそれなりに多い。屋台や出店なんかも多く見受けられる。見て回るだけでも楽しかった。
ノウトたちは単に街道を練り歩いていた。
──それは、突然のことだった。
白亜の街フリュードの夕暮れの街並みを歩いていたノウトたちを一瞬、闇が覆った。
それは文字通り一瞬だった。
だからこそ、ノウトはそれを闇だと勘違いした。それは正確に言えば、闇ではなかった。
大きな影だ。
かなり大きな影がノウトたちを飲み込んで、通り過ぎたみたいだ。そして、通り過ぎた影はゆっくりと大地に近付いてきた。




