第80話 『透過』『夏』『カナリア』
パトリツィア、と名乗った竜人族の少女はただ平然とそこに立っていた。
周囲には死体と死骸とがいくつも転がっている。竜人族の兵士たち。そして、スクード、カミル、ニコ。
ああ、くそ。どうして、こんなことに。まだ、信じられない。上手く、この事実を飲み込めない。
みんな、みんな殺された。目の前の女に。それなのに、ノウトの中にあった感情は殺意なんかじゃなかった。後悔とやるせなさのみだった。結局、ノウトは誰も殺せなかった。
乾いた風が吹く。
静寂と静謐とが灯る。
視界の隅で、自らの黒い前髪が揺れる。
周りにあるのは死体と荒地と瓦礫と砂漠のみだ。
今、この場にはノウト、ダーシュ、レン、パトリツィアしかいない。
「レン」ノウトはおもむろに口を開いた。「大丈夫か?」
「──え?」
「腕、痛くないか?」
「まぁ、痛いし治らないけど。今のところ大丈夫」
「治らないってことは、あの剣。〈光〉の神機かもしれないな」
「そうだね。血夜族の再生を阻むならそれくらいしかない」レンの片腕は切り飛ばされてなくなっている。その断面からは血が滴り落ちる。
「私よりも仲間の心配ですか」パトリツィアは相変わらず抑揚の少ない、掴みどころのない声で話す。
「当たり前だ」
そう言って、ノウトは自ずと自らの胸を右手で抑えていた。
「……俺はもう何も、失いたくない」
ああ。口に出すと、もうニコもカミルもスクードもこの世にはいないんだなと確信してしまった。
彼らの名前を呼びたくはなかった。
呼んだら本当になってしまいそうな気がする。
それに、たぶん、彼らは返事をしてくれないだろうから。
それとも、答えてくれるだろうか。
「きみは──」
ノウトが胸を抑えながら言葉を口に出した。きみは、なんだと言うのか。何を言うつもりなのか。これ以上、何を求めると言うのか。言葉が、喉の奥で絡まって、上手く、声にならない。
「きみが、……ニコも、カミルも──殺したのか?」
「ええ」とパトリツィアは何事もないように頷いた。「そのために、そして、あなたを殺すために私はこの戦争を仕掛けましたから」
「そのために──だって……?」レンが聞き返した。「じゃあ、あんたが……この戦いの主導者だとでも言うのか?」
その問いに、パトリツィアは黙って頷いて答えた。
つまり、こいつが、この女が、竜人族たちを率いてきた総帥なのか。こいつのせいで、スクードも、ニコもカミルも。心の穴が寂寞によって押し広がるのが分かる。
「いまいち要領を得ないな」ダーシュが剣を構えつつも告げる。「具体的な目的をはっきりと言え。言わねば殺す」
ダーシュが言うと、パトリツィアは口許に手をやって小さく、ふふっ、と笑った。それはまるで、冗談に笑ったような笑い方だった。
「なぜ笑う」
「いえ、その、すみません」
パトリツィアは口許から手をのけた。
「この奇跡とも言える状況に、どうしても、笑いがこらえられなくて」
「何を言って、───」
「私は」
まただ。パトリツィアの姿が一瞬、見えなくなった。そして、次に見えた時に、パトリツィアはダーシュの目の前に立っていた。彼女は彼の手を取って、握っていた。
「どうやら、あなたに会えて、とても嬉しくなってしまったみたいです。ダーシュ」
「───ッ!?」
ダーシュは握られたパトリツィアのその手を払い振るって、後方に跳んで距離を離した。
パトリツィアはそれでも、頬を緩めて、朗らかに、しかし淑やかに笑っていた。
「では、殺し合いますか」
脈絡もなく、平然とそんな台詞を吐く。パトリツィアは剣を持ち上げる。目的や真意を述べる気は一切ないようだ。
ノウトはその様子を眺め、震える右手を左手で抑えながら、ゆっくりと口を開いた。
「魔皇様は、どこにいる?」
ノウトが言うと、パトリツィアは真顔で懐に手をやって、それを取り出した。
「今はこの中に」
それは七センチ立方メートルほどの小さな箱だった。黒と白の意匠に彩られたその中に人が入っているとは到底考えられない。しかし、ノウトはその箱に見覚え、聞き覚えがあった。
「〈肉〉の箱───《封無疆》」
そう、呟いた。ノウトは神機について神機研究の第一人者であるメフィと共に勉強してたくさんの資料を読んできた。その中に、『人を閉じ込め、行動を縛る神機』があった。それを知っていたのだ。
「よくご存知で。博識なんですね」
パトリツィアは感心するように少しだけ瞠目した。
「熱力駆動繰と同じ、レプリカの存在しない開闢の神機だ。まさか〈紅〉の大陸にあるとは思っていなかった。どのタイミングでその神機を帝国から奪ったのか、いまいち分からないな。千年前の混戦時か。いやそれよりもっと以前なのか」
ノウトはそう呟きながら周りのことなど見ていなかった。
ただ言葉を口から垂れ流して、思考を整理していた。
目の前にいるパトリツィアという竜人族の王女について考えていた。
パトリツィアは、ノウトたちを適合者と、そして特異点と言った。その意味は、今はどうだっていい。彼女はカミルやニコを殺すためにここに来たと言った。意味が分からない。意味不明としか言えない。ノウトたちを殺すことが目的ということは、つまりノウトを殺したがっていた不死王テオドールと目的が同じということか。裏で不死王と竜人族の王女が手を組んでいる? 現にこの戦いに連邦軍は参加していない。その説は捨てきれない。
しかし、こうも考えられる。
ニコの最初の目的だ。ニコは最初、ノウトを殺すために接近してきた。それがミドラスノヴァやら私情やらの関係でぐだぐだになって、結局ニコはノウトを殺さなかった。ならば、そのニコにノウトの殺害を命じたのは誰だったか。
「……………女神、アド………」
そうだ。ニコは、自らにノウトを殺すように頼んだのは女神アドだと言っていた。
女神アドは勇者を召喚した。そして、その勇者を他者を使って殺そうとした。
こういうのをなんと言ったか。確か、マッチポンプだ。女神アドは勇者ノウトを生み出して、そして、殺そうとしていた。明らかなマッチポンプだ。
目と鼻の先にいるパトリツィアはノウトを殺すためにここに来たと言っていた。ノウトを殺すために軍を率いたと。
ならば、こう考えられないだろうか。
女神アド自らの配下であるニコが勇者ノウトの殺害───勇者殺しに失敗したから、軍勢をまとめて無理やりにでも殺しにきたと。
「裏で糸を引いているのは、そいつなのか……」
泡が消えるかのようにノウトが言葉を紡ぐと、パトリツィアはきゅっ、と唇を結んで髪をかきあげた。
「やはり、───」
体温を感じさせない、冷気が含まれているような声だった。
「やはりあなたは危険です、特異点。こちらに引き入れようとも思いましたが、やめました。ここであなた──もといあなたたちは殺します」
そう言った瞬間、空気が揺れ動いた。
攻撃に移ったのは意外にも、大剣を振るうダーシュだった。あんなにも重くて大きいそれを彼は軽々しく振りかぶる。
ダーシュの持つ大剣がパトリツィアの直剣に直撃する。パトリツィアは涼しげな顔でそれを受けきる。
「答えろ」
ダーシュはナイフのように鋭い眼光でパトリツィアを睥睨する。
「姫は──ラウラ様はどうした?」
「ラウラ、というのがどなたかはご存知ありませんが」
パトリツィアは真顔でダーシュの剣を弾き返した。不快な金属音が鳴り響く。
「ここに来るまでの全ての敵対生物は皆殺してきました」
それを聞いたダーシュは一瞬、目を瞠って、それから、フッ、と鼻で笑った。
「嘘をつけ。俺のラウラ姫が貴様なんぞ俗悪な輩には負けん」
「そうですか」
パトリツィアは駆けた───のだと思う。
この距離にいるノウトでさえも、彼女の動きを目で追うので精一杯だった。この数分で分かった。やつは、只者じゃない。普通じゃない。もしかしたら、ラウラを殺したというのも本当なのかもしれないと思えてしまうほど。
「ダーシュっっ!!!」
ノウトが叫んだ。まばたきをしたと同時に、ダーシュがノウトとレンの間を通り過ぎながら吹き飛ばされるのが見えた。それから、ダーシュは背後の瓦礫に背中を打ち付けられた。
「がッ……ぁ──!?」
衝撃で内臓に、肋骨が突き刺さったようだ。
壁に激突したダーシュは血反吐を吐く。
ダーシュだって、決して弱くはない。ノウトと剣を用いて一騎打ちをすれば、軍配が上がるのはダーシュの方だろう。
異次元だ。強すぎる。ノウトとレンはその瞬間、立ち尽くすしかなかった。
たった一振りで何人もの兵士が殺される一撃。
パトリツィアはノウトが今まで見てきた剣士の中で、ラウラを除いて最も強いと思う。いや、もしかしたらラウラの喉元にもその牙は届きうるかもしれない。
それほどの威圧感と、緊張感を放っている。
相手はあの魔皇を《封無疆》に閉じ込めたのだ。その時点で圧倒的な力を持っていると確信できる。
ダーシュは……ダーシュはもう、戦えないだろう。
うずくまって、腹を抑えている。動けば骨と内臓が軋み、悲鳴をあげるはずだ。
「……ノウト」
レンはなくなった方の腕を後ろに構えて、名前を呼んだ。
「やれるかい?」
「分からない」ノウトは即答して、直ぐに口を開く。「……でも、やるしかない」
「ああ」レンは首を引いて、深く頷いた。「そうだね」
そして、呼吸をする。息を吸って、吐く。
頭に、腹に、心臓に、腕に、脚に、腰に、手先に、血を巡らせる。ぐっ、と刀の柄を握る。
「──背中は任せた」
レンは小さく呼気を放って地面を蹴った。
それと同時にノウトも駆ける。駆けながら、左手に黒い霧をまとう。殺陣の霧だ。
レンは血夜族だ。血夜族には翼が生えていて、空を飛ぶことも出来る。レンは地面を蹴ると同じくして空に浮かんだ。上から攻撃するつもりらしい。ノウトは剣と神技とを片手に、全力で走った。
パトリツィアは直剣を手に持ち、ただそこに突っ立っている。傍から見れば隙しかないようにしか見えない。ノウトは冷や汗をかいた。パトリツィアとの距離が近くなればなるほど心臓が、肺が、締め上げられるような感覚になるのを感じる。手のひらに汗が滲む。気を抜いたら刀が手からすっぽ抜けそうだ。気付けば、かなり近くまで近付いている。
「せッ────!」
微かな呼吸と共にレンが剣を振るった。パトリツィアは瞬時に片手を上げてその手に持つ直剣でガードした。
キィィ─────ン、と囂しくも玲瓏な音が戦場に鳴り渡る。パトリツィアは一切の予備動作なしにそれを弾き飛ばす。レンは真上に、空に跳ねる。
ノウトが走る。左手を伸ばして、黒い霧を放つ。パトリツィアはそれを察知して、黒い霧から距離を置いて、ノウトに斬りかかった。左から。左だ。左。認識すると同時に来る。このままだと斬り殺される。殺陣。殺陣だ。久しぶりの感覚に心臓が跳ねた。殺陣をまとって、パトリツィアの剣から身を守った。彼女の剣の勢いを殺した。パトリツィアは明らかに動揺した。ノウトが神技を使えるとは思っていなかったのだろう。ノウトは刀を両手でしっかりも握り、叩きつけんとばかりに振るった。しかし、パトリツィアは異変に気づいたと同時にサイドステップを挟んでノウトから距離を離した。
「私の光剣カルミアが通らない──?」
「……やめるなら、今のうちだぞ」
正直、ノウトがパトリツィアに勝っている点は殺陣や雷刀カンナといった明かしていない手札だけだ。身体能力も剣技も真っ向から戦って勝てる相手ではない。この虚仮威しでいくらかひるめばいいんだが──
「ご冗談を」
パトリツィアは冷淡な口調で言う。
「あなたをここで殺す以外の道はありませんので」
「──そうか」
その瞬間、ノウトと、それから空中にいるレンの目が合った。作戦通りだ。口頭で会話なんて一切していないけれど、ノウトとレンは言葉を交わさずとも意思疎通できるほどに今まで一緒に戦ってきた。
パトリツィアはノウトに完全に気を取られている。ノウトもまた、パトリツィアしか眼中にないといった様子で彼女に踊りかかっている。レンはパトリツィアの背後にいる。
──取った。
そう確信した。あと数ミリでレンの持つ剣がパトリツィアの首に当たる。いけ。いけ。もう少し。あと、少し──
「──────」
その瞬間、何が起こったのか頭では理解できなかった。パトリツィアは上体を回転させるように振り返って、レンの首をたやすく斬り飛ばした。レンの頭が宙に浮かんで、それから胴体と同時に地面に自然落下した。
「……レ、…ン………っ」
レンは血夜族だ。不死身のはずだ。なのに、どうして再生しない。どうして、目を閉じたままそこにいるのか。
「ああ……、…」
本当は、分かっていた。パトリツィアの持つあの剣が、ノウトの持つ雷刀カンナのように女神を宿す武器なんじゃないかと。さきほどパトリツィアは『光剣カルミア』と口走っていた。その言葉が嘘じゃないなら。陽の光で絶命する血夜族はあの剣で、殺されるということになる。
「……な、…んで……………」
レンは殺された。ノウトの目の前で。無惨にも。残酷にも。
夢だと思いたかった。嘘だと思いたかった。
呼吸をした。
乾いた息が肺の中で渦を巻く。
ここは、夢の中じゃない。現実だ。
何もかも。
「……………………」
ノウトは歩いた。次第に歩く速さは上がっていった。そして、ただそこに立ち尽くすパトリツィアに斬りかかった。
────ガンッッッ。
鈍い音と共に、刀を持つ手が軽くなった。
刀の質量が減ったような気がした。
いや、気がしたじゃない。実際に軽くなった。刀の柄の上から五センチから上がない。折れた刀の刀身は空中を回転して、ノウトの背後の地面に突き刺さった。
──雷刀カンナが、折られたのだ。
呆然とするノウトをパトリツィアは蹴り飛ばした。ノウトは顔から地面に転がった。頬が地面にかすって血が流れた。
それでも、刀は手から離さなかった。でも、その刀からは今までそこに感じていた〈雷〉の女神カンナの気配がなくなっていた。
折られた刀身は鈍く光を反射して、ノウトの血だらけの顔を映し出していた。
どうにか、どうにかしないと。
茫然自失になりながらも立ち上がろうとすると、立ちくらみのように脳裏の奥で何かがまた瞬いた。
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〈██〉の勇者 ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚ ̢͎̻͆̈̂̓̽ͤͬͣ͟
̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚名前:ノウト・キルシュタイン ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚ ̢͎̻͆̈̂̓̽ͤͬͣ͟
年齢: ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚ ̢͎̻͆̈̂̓̽ͤͬͣ͟ 19歳
【〈神技〉一覧】 ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚ ̢͎̻͆̈̂̓̽ͤͬͣ͟ ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚
《殺陣》:勢いを殺し、守る能力。 ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚ ̢͎̻͆̈̂̓̽ͤͬͣ͟
《暗殺》:息を殺し、̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚潜む能力。 ̛̠̩̽ͬ͐̏ͤ̓̚
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まだ、何か、やれるはずだ。
殺陣も、暗殺も使えるようになった。
前の自分に戻れたんだ。
やらなくちゃ。
はやく、やらないと。
──やらないとって……。
何を?
何をやらないといけないんだ?
レンも、スクードも、ニコも、カミルも、カンナも殺された。
もう、生きてる意味なんて、ないんじゃないのか。
みんな殺されたから、俺もそこに行くべきなんじゃないのか。
いつか必ず死ぬのに、今を生きる意味ってなんだ?
なんで、俺は今生きてるんだ?
『──生きて』
……どうして、そんなこと言うんだよ。
もう、きみはこの世にいないのに。
どうしてそんな酷いことを言うんだよ。
俺もそっちに行くよ。行かせてよ。
俺は、きみがいなくちゃ、なにも。
ああ、もうだめだ。
もう、死ぬしか───
剣を持った彼女が、ゆっくりと歩いてくる。
ノウトの頭上に剣が持ち上げられる。
「さようなら、特異点」
どこか悲しげな声で言って、その時は来た。
そのはずだった。
だが、痛覚を覚えたのは首じゃなかった。
横腹辺りだ。
ノウトは横にぶっ飛ばされた。
「しゃんとしな!!」
声が聞こえた。
はっきりとした声だった。
お前は、いつだってこういう時に、とノウトは思った。
「立って背筋を伸ばすの! そんな顔、あんたらしくないよ!」
ラウラはそう言って、にっ、と笑った。
どうやら、パトリツィアに斬られたそうになったノウトを横から蹴飛ばして助けたみたいだ。相変わらず扱いが雑で、なんだか安心してしまった。
「もう少しだったのに──」
パトリツィアはそう呟き、それから目を瞠ってラウラを見た。
ラウラがノウトから視線を外して、パトリツィアを見つめて口を開いた。
「あんた? うちのかわいい弟子をボコボコにして楽しんでるクソ外道は」
「外道なんてとんでもありません。私はただ我が義の為に殺そうとしているだけです」
「じゃああたしもあたしの正義のためにあんたを殺す。ねぇ、それでいい?」
「ええ」パトリツィアは頷く。「それが殺し合いですから」
「そ」
ラウラは刹那、消えた。否、消えたのではない。パトリツィアに肉薄したのだ。気付けば、ラウラはパトリツィアに斬りかかっていた。パトリツィアはそれを剣で受けきる。すると、ラウラが目に止まらぬ速さで剣を打ち付けた。驟雨の如き連撃がパトリツィアを襲う。ここまで本気のラウラをノウトは見たことがなかった。
思わず、息を呑む。
ラウラは怒っている。確実に怒っている。涼しげな顔をしているものの、その目の奥には怒れる炎が静かに揺れていた。
二人の剣戟は一種の芸術のようにも見えた。ラウラとパトリツィアは互角だった。いや、ラウラの方が少し押している。じわじわとパトリツィアの身体に傷を生み出している。ラウラは一旦距離を離して、すぐに地面を蹴った。ラウラは彼女との距離を詰めながら、身体を右方向に捻る。
弓から撃ち出される矢の如く右手をまっすぐに突き出した。慣性力と捻転力を重ね合わせた突きを、パトリツィアの身体の中心やや左に向けて放つ。
パトリツィアはそれを身体を斜めにして躱した。
「やりますね、あなた」
「あんたの方こそ」
ラウラがそう言うとパトリツィアは笑ったような気がした。何か嫌な予感がする。いや、現にパトリツィアは何かをしようとしている。
「ラウラっ!!」
ノウトが彼女の名前を呼んだとほぼ同時だった。
パトリツィアの持つ直剣が白銀に煌めいて、光を放った。ノウトは思わずその眩しさに目を瞑った。次に目を開けると信じられない光景が目に入った。
ラウラの右の脇腹に穴が空いていた。
「…か、……はっ………」
その場に立つラウラは吐血して、地面を赤く染めた。
パトリツィアの持つ光剣カルミアがその力を発動したのだろう、光線がラウラを焼き切ったのだ。いくら剣聖とも呼ばれるラウラと言えど光速を避けることなど出来なかった。
「ら、ラウラ………っ!」
ノウトはラウラのもとに駆け寄った。そして、倒れそうな彼女を支えた。
「終わりです」
パトリツィアは剣を構える。ラウラが、ノウトが、殺される。ラウラもまた、失ってしまう。もう、失いたくない。でも、どうしたら。ノウトに何ができる。何ができるって言うんだ。
「………────ッ!!!」
視界の端から、あの男が駆けて、パトリツィアに踊りかかった。
ダーシュだ。ダーシュがラウラを守った。
だめだ。ダーシュ。きみまでいなくなってしまう。みんな。みんな殺される。
ダーシュとパトリツィアは鍔迫り合いをしている。ぎりぎりとダーシュは歯を噛み締めて、全力を出し尽くそうとしている。
「ノウトッッ!!!!」
それは今まで聞いたことのないようなほど大きな彼の声だった。
「姫を連れて逃げろ!!」
「でも……ッ!」
「でもじゃねえ! この状況、もはやどうにもならん。姫──ラウラ様も、俺のせいで手負いになってしまった。俺があいつを──パトリツィアを殺す」
ダーシュの言う通りだ。ノウトでは、パトリツィアに勝てない。ラウラももう動けなそうにない。ダーシュは至って真面目だ。ダーシュは自らの命を投げ打ってラウラとノウトを助けようとしている。自己犠牲でこの場を切り抜けようとしている。
ノウトは一瞬逡巡して、それから黙って頷いた。
「姫を任せたぞ!! ノウト!!」
ダーシュの声が聞こえて、気づいたらノウトはラウラを背中に背負って駆けていた。彼らに背中を向けて逃げていた。
ノウトはとにかく走った。どれくらい走ったのかは分からない。
がむしゃらだった。
何キロメートルも走ったような気もするし、十秒かそこらしか走っていないような気もする。
涙と鼻水と血とで顔がぐしゃぐしゃだった。ラウラは息が荒い。そりゃそうだ。ラウラは腹に穴が空いている。生きているのですら奇跡に近い。逃げて、どうなる? 魔皇も封印された。ラウラもすぐには戦える状態じゃない。
そして、ノウトは人を殺せない。
殺せないから、事態は変わらないのだろう。
殺せないから、止められないのだろう。
殺せないから、助けられなかったのだろう。
殺せればどうにかなっていたのだろうか。
「特異点殿」
背後から声が聞こえた。ノウトは振り返った。そこには返り血で赤く染められたパトリツィアが立っていた。ここにパトリツィアがいるということはダーシュは殺されたのだろう。
「さぁ、終幕といきましょうか。終わらせましょう、今世を。そして、来世にご期待を」
パトリツィアはそう呟いて、剣を振りかざした。ごめんよ、ダーシュ。ラウラは守れそうにない。
目の前にいるパトリツィアがノウトを斬り刻まんと剣を振るい、それをノウトの頭にぶちこもうとしている。
ノウトにはどうしてか、その光景が静止して見えていた。
音も聞こえない。
変に静かだ。
そう思った瞬間、言葉の奔流が、頭を埋めつくした。
そうか、これが走馬灯ってやつなのだろう。
『私はこう見えて、困ってるやつは放っておけないタチなんだ』『泣きたい時はいくらでも泣いていいんだ』『あなたは──あなた様は私の命の恩人です。この命、あなた様に全て捧げる所存にあります』『死にたくなかったら立ちな!』『ノウト……きゅん様?』『ギャハハハ!! オマエ、自分は普通だと思ってるだろォ』『信じてみれば?』『地力だよ。底力。見せつけろオレに。オマエの可能性の全てを』『種族も性別も違っても、わたしたちは同じヒトでしょ?』『……アンタのこと、認める』『おかしなやつじゃな、ぬしは』『彼女はいつも僕を優しく撫でていた』『大丈夫だフィーユ。何かあってもお兄ちゃんがシュババッと助けるからな』『明日ね! また明日会いましょう! その時はあなたに伝えるから!』『ふふふっ。これは私からあなた達へのプレゼントです』『あたしもアンタのこと、好きだよ』『俺があんたにそれを届けたんすよ、ノウトサン』『ならば、死合おうか、ノウト』『瞬間転移陣で帰りましょう! 生きてみんなで帰るんです!』『またみんなで集まれてよかった。帰ろう。俺たちの場所へ』『ノウト、ボクをこの国から連れ出して欲しいんだ』『ようこそ、センドキアへ』『……ノウト、僕も……君たちと一緒に、旅に出てもいいですか?』『泣きたくなったらいつでもこの刀に涙をこぼしてね』『殺して奪ってやんよ』『あなたたち、私の護衛をしてくれないかしら』『……おかえりなさい、ノウト様』『ノウト殿は正しいことをしただけだ。何も咎められることはない』『どうか、死なないでくれ。キミが死んでしまっては多くの人が涙を流すだろうから』『精神性なんてどうでもいいのさ。彼の執念は本物だよ』『また会えてよかった。ほんとに』『「ごちゃごちゃうるせえ」……だよ』『ノウト!! ここで折れちゃダメだ! まだ、まだ俺たちはここから───!!』『ごめん、遅くなった』『…もう、……泣か、ないで……って約、束した、じゃん……』
じゅくじゅく、ジュクジュクジュクジュクと、脳の奥、そのまた奥の、海馬が満たされていくのを感じる。
音が、聞こえた。
その音は次第に大きくなった。
どこかからか、自分の名前を呼ぶ大声が聞こえる。
きみの青いサンダルが海に落ちた音が聞こえる。
ばしゃばしゃと水をかき分ける音が聞こえる。
遥か空の彼方に飛行機が飛ぶ音が聞こえる。
滝のように降るる夕立ちの音が聞こえる。
がしゃん、と缶が落ちる音が聞こえる。
踏み切りの音が遠くの方で聞こえる。
閃光花火の寂しげな音が聞こえる。
炭酸の抜けていく音が聞こえる。
ガラスの割れる音が聞こえる。
大きな花火の音が聞こえる。
彼女の笑い声が聞こえる。
猫の鳴き声が聞こえる。
彼女の声が聞こえる。
蝉時雨が聞こえる。
濤声が聞こえる。
声が聞こえる。
声が。
魂が。
僕と、それから俺が。
──ああ。思い出した。
──ようやく思い出した。
──どうして、どうして忘れていたんだろう。
どうして、俺は人を殺せないだなんて思っていたんだろう。




