第79話 『外乱』『聲』『ノート』
「ぐッ……!」と頭がかち割れそうなほどの頭痛に声を漏らす。
「ノ、ウト?」ニコが怪訝そうな顔でノウトを見る。大丈夫? と聞こうと口をその形にするが、声にはしなかった。大丈夫じゃないことは誰の目から見ても明白だからだろう。
スクードはそこに横になっている。
でも、そこにはもういないのだろう。
目の前でノウトたちの盾になって、彼の命は失われた。
しかし、仲間が一人殺されたからって戦いは終わらない。
矢継ぎ早に矢が飛んできた。さっきスクードを殺したそれと同じほどの勢いだ。
ノウトは黙って立ち上がった。
右腕はもう、使い物にならない。だから左手をその矢に向けた。
その左手からは黒い靄のような、霧のようなものが溢れ出ていた。
「それ、は……」カミルが立ちすくんだまま言った。
無意識だった。でも、何も考えていなかったわけじゃない。ただ、ノウトは──俺は仲間を守ろうとしているだけだった。
ノウトの左手から溢れ出る黒い霧が飛んでくる矢に触れた瞬間、矢がその場でぽとりと地面に落下した。
そうか、この黒い霧は殺陣の性質を持っているのか。これで、ノウトが直接触れなくても相手の動きを止めることができる。
なぜいきなり殺陣が使えるようになったのかは今はどうでもいい。
もう、誰も失いたくない。
竜人族の兵士が四人襲いかかってくるのが分かる。殺陣の黒い霧で勢いを殺すと、やつらはつんのめって、前方に転んだ。そこをすかさずカミルが樹木をあやつり、捕らえる。
小さく息を吸って、吐く。
心悸は止まることを知らずにバクバクと、それはまるで鐘のようにうるさい。
何が正解か、何が答えなのか、何をすれば正しいのか、何をすればいいのか。
そんなものもどうでもいい。もう──
「……どうでもいい」
これ以上、何も失いたくない。
スクードが死んだという事実はどうやっても変わらない。不変の事実だ。
ミファナ、フィーユ、ルーツァ、シャーファ。
忘れないよ、きみたちのことも。
心の中で生き続ける──なんてクサいセリフ言うわけじゃないけど、ノウトが忘れなければ彼らはまだどこかにいるような気がする。
今度は深く呼吸をする。
肺に空気を送り込む。血の巡りを感じる。
ラウラやダーシュ、リューリ、ミャーナ、それにレンは無事だろうか。大丈夫なのだろうか。だが、考えても仕方ない。
「……やるしかない」
「…そうだね」と、何気なく言ったノウトの言葉にニコが返してくれた。
瞬間、胸の内から何かが溢れ出そうになって、目頭の奥が熱くなった。
泣いてしまいそうになるのを、ぐっ、とこらえる。
戦え。戦い続けろ。
数は相変わらず劣勢のままだ。
でも、今はとにかくがむしゃらに生きるしかない。
相手の攻撃を殺陣で受け続ける。ガードし続ける。敵は何が起きているのか分かっていないみたいだ。勢いを殺す。殺していく。
「にぁッ……!」
ニコの声が聞こえた。その方を見る。ニコが剣で脚を斬られた。やられた。右脚が両断された。片足になったニコは転がる。そんなニコにトドメを刺そうと竜人族は剣を振りかぶる。ノウトはそいつに踊りかかろうとする。
直後、身体のあちこちに衝撃を覚えて、気がついたら地べたに寝ていた。
ニコがノウトに覆いかぶさっている。かばおうとしているのか。よせって、そんなこと。俺には殺陣があるから。大丈夫だから。右腕だけじゃない。全身が痛い。傷だらけだ。満身創痍だ。ここから、どうなるんだ。カミルは無事なのか。声が出ない。──終わり、か。ここまで、なのか。スクード、俺もすぐ、そっちに───
ニコが剣で背中をざっくりと斬られて悲鳴をあげた。やめろ。やめろよ。女の子なんだぞ、ニコは。そう思った。でも、まるで身体は動かない。せっかく殺陣が使えるようになったのに。心は折れかかっている。もう半分、諦観してしまっている。
だけど、せめて。
ノウトは最後の力を振り絞って、ニコを抱き寄せる。ノウト、と名前を呼ばれた気がする。ごろん、と回転してニコを下にする。そうしようとした。
「………─────っ?」
──なんだ?
なにが。何が起こった?
いきなりすぎてよく分からない。
汗と血とで視界がぼやけて、上手く見えない。
でも、確かなのは、今、ノウトは生きているという事だ。
つまり、竜人族の攻撃が、やんだ。
ノウトは、はっ、と息を呑んだ。
竜人族の兵士たちは一斉に血しぶきあげて、その場に倒れた。一斉に。そんなこと、ありえない。だけど、ノウトにはそう見えたのだ。竜人族の兵士が折り重なってこちらに倒れた。ノウトとニコの上にも倒れかかってきた。もちろん、苦しくはある。でも、それ以上に吃驚している。なんだ、これ。どうなっているんだ。わけが分からない。
「……え……?」
耳元でニコの声がした。ニコの顔はノウトの顔のすぐ横にある。というか、くっついている。
ノウトたちの上に覆いかぶさった竜人族の死体を誰かがどけてくれた。
手が差し伸べられた。
『──綾都』
なぜか、聞こえないはずの声が聞こえた。
どこか、懐かしい声だった。
懐かしさに思わず鳥肌が立った。
「ノウト」
「………レ、ン」
ノウトは彼の名前を呼んだ。
「ごめん、遅くなった」
「だ、い……丈夫──」
「──そうには見えないけど」
レンは相変わらず爽やかに笑った。それから、ノウトとニコを助け起こしてくれた。
「……助かった、の?」ニコがそう言った。
「みたい、だな」ノウトは咳き込みながら言った。
向こうにはダーシュがいた。ダーシュのすぐ側には傷だらけのカミルがいた。どうやら無事だったみたいだ。良かった。本当に良かった。
「本当は姫のお傍にいたかったんだがな」ダーシュは吐き捨てるように言う。「ノウト、お前が野垂れ死にでもしたら姫が悲しむ」
「素直になりなよ、ダーシュ」レンが剣を鞘にしまう。「お前も心配してただろ?」
それを聞いたダーシュは、ふん、と鼻を鳴らした。
どうやら、レンとダーシュは援軍に来てくれたみたいだ。助かった。本当に。二人が来てくれなければ、全滅だった。全員、殺されていた。ノウトは小さく息をついた。
それから、数秒の沈黙が辺りを包んだ。三秒か、それくらいだったと思う。
「彼は、……」レンが首をなでた。「ノウトの友達?」
彼、というのは今、そこで眠っているスクードのことだろう。
「……うん」ノウトはかすかに頷いた。「大切な、仲間だった」
「そっか」
「……守ってもらったんだ、俺たち」
「いいやつ、だったんだね」
「そう」ノウトは血に濡れた頬を手の裏で拭った。「……本当に、いいやつなんだ。いいやつだったんだ」
「──ごめん」
「な、何が?」
「俺たちが。俺がもっと早く来ていれば」
「いや、そんなこと」ノウトが遠くを見るように目を薄める。「結果論だよ。それに、レンとダーシュが来てくれなきゃ、ニコも、カミルも殺されてた」
「ニコ……」レンは小さく呟いて、ニコの方を見た。
ニコは右脚を両断されて、立つこともままならない。足の断面には機械じみた機構が丸見えだ。
「ボクは神機なの。それだけ」ニコはレンとは目を合わせずに言った。
「なるほど」とレンはすぐに納得したようだ。
「お前の方は何者だ」ダーシュがカミルに肩を貸しながら言う。
「僕は」カミルはひとつ咳をした。「ノウトの仲間の、しがない森人族です」
「じゃあ、その腕から生えてる樹はなんだ?」
「これは、……まぁ、無駄毛みたいなもんです」
「そうか」
ダーシュはカミルを雑に地面に下ろした。
「いたっ!?」カミルは泣きそうだ。「ちょっと!? 僕、怪我人なんですけど!?」
「うるさい」ダーシュはカミルを睨みつける。「戦場では誰もが怪我人だ」
それを聞いたニコが、ぷっ、と吹き出した。
「ちょっと動かないでくれ」レンはノウトの側に近づいた。「俺、少しは魔法が使えるから、軽い傷くらいなら治せるよ」
そう言って、軽く詠唱を唱えると、ノウトの浅い傷は治癒された。右腕の痛みも徐々にだが引いていった。ぐっぱ、ぐっぱ、と手を開いたり閉じたりする。まだ使いものになりそうだ。
それから、レンはカミルの傷も魔法で治した。ニコは神機だから魔法じゃどうにもならない。これから、どうなるのだろう。未来は誰にも分からない。
「さて」とレンがノウトの方を見た。「伝えたいことがあって、俺たちはここに来たんだ」
「伝えたいこと?」
「ああ」とレンは頷いた。「冷静に聞いてくれ」
「分かった」そう言って、ノウトは確かに首を縦に振った。カミルも、ニコも同意している。
レンはゆっくりと口を開いて、言葉を紡いだ。
「──魔皇様が、敵に囚われた」
ノウトは言葉を失った。「なっ──!?」
「相手はこちらより数段上だったみたいだ。最初から、脅威である魔皇を封印する手筈が整って、それで仕掛けてきた」
「封印されたって、どうやって?」ニコがレンに聞き返した。
「おそらく、神機だと思う。相手は魔皇様の魔法を使えなくして、それから匣のなかに閉じ込めたんだ」
「だから、敵の勢いが増したんですね」カミルが腕を組む。
「で、これからどうするの?」ニコがレンとダーシュに問う。
「俺の兄上や姉上、それにラウラたちは前線を保っている。ラウラは違うけど、血夜族の俺たちが肉壁となって前線を保ち続ければ、終わりはなくはないはず」
「でも、相手の軍勢は──」
「万単位だろうな」ダーシュが言う。
「途方もない、ですね」
「でも、やるしかない。そうだろ?」
「……ああ」ノウトは深く頷く。「その通りだ」
「それで、どうするんだい?」レンが改めてノウトたちに問う。
「どうするって?」
「俺とダーシュは前線に戻る。ノウトたちはどうする?」
「俺は──」ノウトは息を呑んだ。「まだ、戦える。戦うよ」
ノウトがそう言うと、レンは何も言わずにただ「分かった」と頷く。
「背中は任せたよ」レンは爽やかにそう言った。
それから、ノウトは振り返って「カミル」と彼の名前を呼んだ。
「……なんですか?」
「ニコを連れて、逃げてくれ」
カミルは、今度は黙って頷いた。ニコも抵抗しなかった。スクードがいなくなって、死ぬということがなんなのか、理解出来たのだろう。ニコも片足がなくなってしまった。足がないどころじゃない。肩も、腰も、全部がぼろぼろだ。もう、戦える状態ではない。
「……頼んだ」
と、ノウトが小さく笑うと、カミルはニコを担ぎあげた。
──その瞬間だった。
火花が。
火花がノウトの目の前で散った。
赤と、金色の光が眩くも、鮮やかに輝いて見えた。
土煙が辺りを包んだ。
今度こそ、何が起こったのか分からなかった。
ノウトは自らの目を疑った。
まるで、先程の光景とは違うものが目に映った。
カミルの四肢がばらばらになって、地面に崩れ落ちた。鮮血が舞う。言葉が、喉に詰まる。言葉が口から出てこない。
ニコは、ニコは胴体が真っ二つになっている。もはや、胸から上しかない。機械の断面が丸見えになってしまっていて、そこからは煙が立ち上っている。
「か、カミル……っ!! ニコ……ッ!!」
やっと、の思いで言葉が口から溢れ出た。カミルはもう喋れる状態じゃない。頭もまたばらばらになって、原型がない。臓物と何かがまろびでてる。そこらじゅうに、かつてカミルの体内にあったものが散らばる。
「………ノ、……ウ、と……」
かすかに、ニコの声が聞こえた。ニコはまだ喋れるみたいだ。
「ニコ! ニコ!!」
「……の、う……ト………」
ニコの声はまるで、ニコの声じゃないように聞こえた。雑音とノイズとが合わさっていて、ぎりぎりまだ言葉として認識できる。
「ニコ……! どうしてっ、……」
「い、いんだ、ノウト……」
「いい、って……なんで……!」
「けっ、……きょく、……ここが、ボクの……死に……場所だった。そレだけ。それだけだから」
ノウトはニコの身体をゆっくりと、ていねいに壊れてしまわないように持ち上げた。
「……だから、……そんな、かなしいかお、……しないでよ」
「でも、……こんなのって……」
「…もう、……泣か、ないで……って約、束した、じゃん……」
「泣くに、決まってるだろ……!」
ノウトがニコを抱きしめると、ニコは右手でノウトの頬を撫でて、微笑んだ。
「…さいごに……約束、その、三………」
ニコは最後の力を振り絞るかのように優しく笑う。
「……ボクの……、こと、わすれないでね」
ニコは、その言葉を最期にぱたりと、……動かなくなってしまった。
あの時、誰かを失っても悲しまないと約束したはずだ。それなのに、俺は……俺は。
「ノウトっ!!」
レンがノウトの前に剣を突き出した。その剣はけたたましい金属音を放ちながら吹き飛ばされる。第三者がノウトを襲い、それをかろうじてレンが守ってくれたんだ。
土煙の向こうから現れたのは、一人の竜人族だった。
翼があって、鱗がある。
そこまでは、今まで見てきた竜人族と何一つ変わらない。
だけど、明らかに違う箇所がひとつあった。
少女だった。
そこにいるのは、竜人族の少女だ。
容姿と身なりは、こと戦場においては場違いなほどに清潔で、美しかった。
鮮やかな金色の髪は月光を反射したように輝き、バレッタでひとつにまとめられて背中へ流されている。華やかな真紅のドレスは舞踏会や貴族の茶会などでならその美しさを存分に発揮するだろうが、足場の悪い薄汚れた戦場ではいかにも不相応だ。
薄い桃色の唇に、処女雪のように白い肌がよく映える。
そして、少女の頭の上にはティアラがあった。
竜人族の姫君であると想起してしまうほどの身なり。
その少女の片手には太陽のように輝く一本の剣が携えられていた。
「──ま、……さか……」
この少女が、カミルとニコを同時に殺したのか? どうして? なぜ? 意味が、よく分からない。何が起きているのかもよか分からない。なぜ、ニコとカミルは殺されなくてはいけなかったのか。殺される理由が何かあったのだろうか。
美しき竜人族の少女はただゆっくりと、冷然とした態度で、剣を片手にこちらに歩いてくる。
「…………なっ?」
ノウトがコンマ数秒まばたきをした。その直後、少女の姿が見えなくなっていた。姿が、消えた。振り返ろうとするも、恐怖で足が動かない。恐れている、のか? あの少女に。息を吐きながら、背後を向くと、少女はそこに立っていた。そして、ダーシュとレンもいた。ダーシュは無事だ。なんともない。しかし、レンは変だ。あるべきところにあるべきものがない。片手だ。左腕がない。切り飛ばされたみたいだ。しかし、レンは血夜族だ。すぐに再生する。大丈夫。そう思っていた。レンの片腕は再生しない。どうしてだろうか。
視界の端で、少女の持つ剣が煌めいて見えた。
「お初にお目にかかります、〈闇〉の適合者殿、〈鉄〉の適合者殿、そして特異点殿」
少女は無表情なまま、そう言った。その声は、ガラスのように透明で透き通っていた。大人びていて、それでいて見た目相応の声でもあった。
「闇…、…鉄……、特異点……? あんたは何を、言ってるんだ……?」レンが斬り飛ばされた片腕をもう片方の腕で抑えながら、反射的に問う。
「あなたたちのことです。〈熱〉と〈樹〉と〈盾〉は先刻、殺してしまいましたが」
「お前……」ノウトは声を震わせて言った。ここまでの怒りを今までに覚えたことはあったのだろうかというほどの感情の発露を感じる。
「──貴様は、何者だ」ダーシュはノウトの前に出て、剣を構えながら言った。
少女は剣を下ろして、片手を胸に当てた。
「申し遅れました。私はパトリツィア・ジクリンデ=ソウド=イグナイスト。竜人族の大国アトルエレクの王女、そしてあなたたちと同じ適合者です。気軽に『パティ』と、そうお呼びください」




