第76話 闇は冷たく、やさしくて
「はっ……ふっ……はっ……はっ……」
ノウトは駆ける。駆け抜ける。息を弾ませて疾駆する。
ちらりと振り返る。
──いる。
いる。いる。追いかけてくる。
やつは赤い甲冑を身につけている。その装飾はどことなく異国的だ。
ごつごつとした翼があり、つやつやな鱗がある。
やつは竜人族だ。竜人族の兵士。
正確に言えば、やつ、ではない。あくまでやつらだ。剣と盾を持った竜人族。槍を持った竜人族。弓矢を装備した竜人族。やつらはそういった武具を巧みに操りながら、そして空を飛びながら襲ってくる。
ノウトは背中に負傷した猫耳族の兵士を担ぎながら、立地を上手く使いながら戦地を駆けている。
「……やっ、ば………」
ぼやきながらも、ノウトは足を緩めることなく走り続ける。全力で駆けていないとやつらに追いつかれる。追いつかれたら終わりだ。ノウトには雷刀カンナがあるが、一対多は望むところではない。せめて一体一に持ち込まないとやつらは倒せない。
もし追いつかれたら、ノウトはしがない勇者なので、袋叩きにされて、ほぼ確実に瞬殺される。だから、逃げないといけない。とりあえず逃げないと、とにかく。
駆けろ。今はしゃにむに逃げて、走り続けろ。走るしかない。
サリド特有の赤茶色の土で出来た壁と壁の間をとにもかくにも駆け抜ける。
ふと、左手甲に写る勇者の紋章を見る。
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〈殺̷̶̷戮̷̶̷〉の勇者
名前:ノウト・キルシュタイン
年齢:19歳
【〈神技〉一覧】
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神技は相変わらず使えないままだ。神技が使えなくなって半年、この生活にも慣れつつあるが、やはり戦闘になると不便だ。
勢いを殺す殺陣と息を殺す暗殺。
この二つがいかに便利だったか思い知らされた。近いうちに使えるようになれればいいんだけどなぁ、なんて心のうちでひとりごちながら、ノウトはそれでも尚、走り続けていた。
あと少し。
あと少しでいいんだ。もう少し走るだけで。
「──ああ、もう……っ!」
ゆらり、と視界がぼやけた。
それはなぜか。左目に汗が入って沁みたのだ。
両手は人を背負っているから塞がってるし、額の汗を拭うこともままならない。我慢だ。余計なことを考えずに、ただ無心で駆けろ。片目をつむったまま走り抜け。
「はぁ……うぐっ………はぁ……はぁ……っ………」
つらい。肺が、きゅう、と締めつけられるようだ。胃もなんだか痛い。思わず、ああああああああ、と叫びたくなった。けれど、そんなことをしている場合ではない。そんなことしたらさらに疲れるだけだ。……くそ。身体が、重い。ひたすらに重い。太ももがまるで鉛の塊のようだ。足をあげるのが、きつい。振り返りたいけれど、後ろを振り向くのは今じゃない。確実に、やつらはノウトを追いかけている。
──あの角だ。
そこに行って、曲がれば。
走る。走る。思わず上体が仰け反りそうになった。腕を振る。思いっきり振る。腿も高く上げた方がいいのかもしれない。いや、そんなことをしたら疲れるだけか。
「カミル!!」
角を曲がった瞬間、ノウトが彼の名前を声のかぎり叫ぶ。
すると、ズォォオン──ッッ!! と土煙を巻き上げながら黄褐色の大樹が裏路地から生えてくる。伸びてくる。
「ぬぁッ!?」
一人の竜人族が押し寄せる大樹に巻き込まれて、背中から壁に激突した。
それ以外の竜人族の兵士はその様子に刹那的に驚きつつも、さすがは〈紅〉の大陸の戦士と言ったところか、すぐさまノウトを襲いにかかってきた。
「でりゃぁッ!!!」
掛け声と共に現れたのは盾を片手に竜人族の兵士に突っ込むスクードの姿だった。スクードは一人の竜人族を請け負うことに成功した。
「ニコ!! 今っすよ!!」
スクードが叫ぶと共に、物陰からひとりの少女が現れる。ニコだ。ニコはスクードや敵の兵士とは違って丸腰だ。両手には何も持っていない。しかし、ニコには先天的な武器がある。
「お、おりゃあ!」
ニコが両手を突き出して、竜人族に襲いかかる。その両手からは白い煙が生じている。
ニコは〈熱〉の神機だ。
触れたものの温度や周囲の温度を自在に操ることが出来る。ニコは周囲の空気を瞬時に凍てつかせた。
一瞬で冷却された空気はパキパキと音を奏でる。
その様子にあっけに取られた竜人族はニコに触れられた瞬間、ぱたりと息絶えるように前から倒れた。おそらく、死んではいないだろう。ニコは人間のどこをどう温度をいじれば倒すことができるかを知っている。熟知している。
ノウトは背中に背負っている負傷した猫耳族の青年を安全な場所に下ろして、雷刀カンナを鞘から引き抜いた。
──そして、見る。
ノウトを追ってきた竜人族の兵士は全部で六人だった。
ニコとカミルが倒した竜人族は二人。つまり、あと四人の竜人族を倒さなければ、この場は切り抜けられない。
「いっ! ちょっ!? やばいやばい!! くっそ! まじで!! もう少し手加減してくれないっすかねぇ!?」
そう嘆きながらもスクードは盾で竜人族の攻撃をただ精一杯に防いでいる。カミルが直剣を手に持って、それに応戦しようとしている。
カミルの操る大樹はそうバンバンと使えるものではなく、他の神機と同様に使用した分だけチャージしなければならない。
そのチャージが時間だったり、呼吸数だったり、血液だったりするが、要するにすぐには神機の効能を使えないのだ。それはニコも同じで、何呼吸か置かないと周囲の温度はいじれない。
「俺が入る!」
ノウトは刀を両手に握り、駆けた。ノウトが加勢しても四対四に持ち込める。あとは時間の問題だ。
ニコとカミルの神機がもう一度使えれば、一気に押し込める。
スクードはノウトの様子に気づいたのか、さっ、と身を引いてノウトの入り込む隙間をつくってくれた。腰と、それから足運びを意識しつつも、汗ばむ手でなんとか刀を握り続ける。駆ける。走る。振るえ。
「しッ……!」
ノウトの振るう刀が竜人族の剣とぶつかり合い、撃鉄を起こした。火花が散る。光の粒子が舞う。
「おまえらは、……何が目的なんだ!!」
鍔迫り合いになりながらもノウトは問う。
はたして、竜人族の兵士はその真紅の兜の向こうでどんな表情をしているのだろうか。
ついには、ノウトと相対している竜人族は押し黙ったまま、握った剣に力を込め、勢いよくノウトの刀を弾き返した。
まずい───と、そう思うよりも先に、ノウトは行動に移す。これはラウラに散々に叩き込まれた戦う上での心得だ。
「殺す!!」
竜人族の兵士が、憤怒を纏う声を発しながらも、剣を振り下ろした。ノウトはつま先で地面を蹴って、後方に跳んだ。と思ったら、上体を下げて、刀を構えた。相手がこちらに剣を振り下ろすその直前で、ぐっ、と刀を握る手に力を込めた。〈雷〉の女神カンナに合図を送る。頼む。力を貸してくれ。そう思うだけで言葉にしなくとも、ノウトの意思は伝わったようだ。
雷刀が閃き、刹那の電撃が相手を襲う。
「ぐぁあァァッ!?」
竜人族は身体を震わせて、叫び、手に持つ剣を地面に落とした。
例え雷撃が一瞬だとしても、こっちが持っているのは〈雷〉の女神が宿った刀だ。殺すには至らないが、尋常ではないほどのダメージを与えることは出来る。
ノウトの与えた隙を、カミルは待ってましたと言わんばかりに攻撃に転じた。大樹を操り、電撃をくらった竜人族の動きを封じた。
あと、三人だ。
スクードとニコが竜人族の兵士たちを抑え込んでるのが見える。ノウトとカミルは互いにうなずいて、そのフォローに入ろうと駆ける。
こちらの様子に気付いた一人がノウトに向かって斬りかかってきた。ノウトはそれを刀で弾き返す。そして、ターゲットが外されてフリーになったニコに視線を送る。ノウトは竜人族に斬りかかる。
否、斬りかかるフリをする。
刀を振り下ろすその直前にステップを踏んで、軽く横にズレる。それを視線で追いかける竜人族。その背中からはニコが手を構えていた。
「…──くらえ」
ニコは、その素手から熱波を繰り出した。
この距離でも肌が焼けるように熱い。
「うぐァ──!?」
その距離で、しかもそんなに鎧を着込んでいたら尚更だ。竜人族は悶えるように声を漏らした。
でも、彼もまた戦士だ。どんなに熱くても決してその手に持つ剣を離さなかった。
やつは振り返り、剣を振りかぶる。ニコに。ニコに竜人族の持つ剣が───
「ニコ!!!」
ノウトはその名を叫ぶ。刀を前に出す。間に合うのか? いや、間に合わない。これは、無理だ。距離が遠い。仮に届いたとしても守れるのか。分からない。
落ち着け。今ノウトができるのはなんだ。何が出来る。スクードも、カミルも、どう技をり出しても間に合いそうにない。ニコも避けられる体勢じゃない。ニコに剣がぶち当たる。ニコが殺される。
ノウトは、──ノウトは咄嗟に刀を投げた。
まさに乾坤一擲だ。
刀は竜人族の鎧に当たって、当然弾かれる。だが、その刀はさきほどの攻撃で微かにだが帯電していた。
「──っ!?」
弱々しい電流が竜人族の身体に走る。だが、ほんの一瞬の隙を生むほどの威力の電撃は与えられた。その隙を使って、上手くニコは攻撃をかわす。スクードが盾で竜人族を押し倒そうと叩くが、竜人族は倒れはしない。
今度は振り返ってスクードに剣を振るう竜人族。もう一体の竜人族がカミルに踊りかかろうとしている。
ノウトは地面に転がった刀を拾い、スクードの援護に入った。どうやら、カミルの方は、ニコが交代で入り、難なく倒せたようだ。
一瞬のうちに戦況が目まぐるしく変わる。呼吸を整える隙すら与えられない。
そのぶん吐く息は少し乱れているが、気持ちの方はおおよそ落ち着いている。大丈夫だ。
いける。
そして、駆けた。刀を片手に跳ぶように前進する。
ノウトの様子に気づいた竜人族の一人は剣を構えて、体勢を整えた。迎え撃つ気だろう。
いいぜ、やってやる、と心のうちに潜む勝ち気な自我が囁き、それと同時に刀を振り下ろす。
瞬息、ガギィィィン───ッッッ!!! とけたたましい金属音が周囲に鳴り響く。
相手はノウトの刀を弾き返し、そこから流れるように攻撃に転じた。ノウトはそれを避けようとするが、この距離では避けられそうもない。刀で、守らなくては。
両手で刀を力強く握り、剣を迎え撃つ。
「つッ──!」
重い。重すぎる。剣は、いうならば鉄の塊だ。それを受け止めるなんて、きつい。きついにもほどがある。二の腕の筋繊維が弾けて、今にも砕け散ってしまいそうだ。
「グぅっ……!!」
腕だけではなく、両足、腰、肩、首にも力を込める。ただ力を込めるだけではない。それぞれの箇所に上手く力を入れて、どこをどうコントロールすればここを乗り切れるか、それだけに専念する。
集中。
とにかく、集中しろ。全神経を今この瞬間に費やすように。
これは殺し合いだ。
相手は本気でこちらを殺そうとしてきている。一瞬でも手を抜けば、当然、死だ。その時はもう死ぬしかない。
「うおおおおおぉぉぉぉォオオオオオオ!!!」
咆哮とともに、ノウトは相手の剣を弾き飛ばすように押し返す。そして、上体を回転させるように刀を振るう。──それと同時に、ノウトは袖から転がすようにそれを取り出した。
相手がノウトの刀を剣で受け止めるその瞬間に、解き放つ。
「………ッ!?」
そう、毎度お馴染みの閃光弾だ。
センドキアの北部にいたときに紛失してしまったが、長旅の中でスクードが近しいものを作り上げてくれた。
相手は剣を手放さないまでも、思わず目をつむってしまった。
それから、ノウトは思いを馳せるように刀から電撃を放つ。まだチャージが足りてないから威力は低めだが、それでも相手を怯ませる程度の威力はある。
「ふッ──!」
しかし、相手は身を低くして、その電撃を躱す。これほどまでに洗練されているのか、とノウトは舌を巻いた。だが、ノウトの電撃が避けられたからといっても、そこで終わりではない。まだだ。
ノウトはひとりじゃない。
相手が避けたその先にいたのはニコだった。ニコは両手を前に突き出して、構えた。ニコが相手の身体に触れた瞬間、冷気が頬を掠めた。それと同じくして、竜人族の兵士は倒れる。ニコがその力をもって気絶させたのだ。
「……ぜぇ………ハァ………はぁ……」
肩で息をしながら、呼吸を整える。
そして、周囲を見る。
どうやら、ノウトを追ってきた竜人族たちは全員止められたみたいだ。
そう考えたと同時にノウトはどっ、と疲れが溢れ出るのを感じた。きつい。でも、これを、この戦いが終わるまで続けなくてはいけないのだ。ここまで来たら、やり遂げるしかない。
「みんな、ありがとう」
そう言ってノウトは振り返って、仲間たちの顔をみた。
「閃光弾、ちゃんと機能してくれてよかったっす」スクードは肩で息をしつつもまだ大丈夫そうだ。
「目くらましはシンプルな戦術だけど結構幅が効いて強いからな。助かったよ」
「まったく、ノウトは無茶するんだから」ニコは余裕そうに肩をすくめる。
「まぁ無事でよかったじゃないっすか。何はともあれって感じっす」
「危ない場面もいろいろありましたが、なんとかなりましたね」カミルは壁に背を預けている。
「今後の指針として、臨機応変ってのは大事だな。個人的なミスもあったけどみんなが上手く動いてくれて助かった」
「囮なんて言い出したときはぶっ飛ばそうと思ったけどね」ニコはそう言いつつ腕を組む。
そう、今回の作戦は端的に言えば、ノウトが囮になって、竜人族を誘い込む、というものだった。
多勢に無勢なのは自明の理なので、なるべく少人数で動いている兵士たちをまとめておびき出して、離れた狭所まで連れていくというのが、今ノウトたちが一番安全に相手の数を減らせる作戦であると結論づけた。
その途中でノウトが怪我人を見つけたので背負って走っていたというわけだ。
「で、その人はどうするんですか?」
「ちゃんと後方の衛兵のところまで担いでくよ」
「ここからだと少し歩くだけだから大丈夫だとは思うけど、付き合うこっちの身にもなってよね、ほんと」
「ごめんって」頬を軽く膨らますニコを横目に、ノウトは負傷した猫耳族の兵士に歩いて近付いた。
「大丈夫ですか? 話せます?」
「あ、ああ……。だが、すまん……。どう…やら肋骨が折れ……ていて、歩けそうに……ないんだ」
「分かりました。俺がなるべく痛くないようにゆっくり担いでくので安心してください」
「……たす…かるよ」
ノウトは猫耳族の青年をおもむろに背中に担いだ。
「それじゃ、行こうか」
ノウトがそう言って、ニコ、カミル、スクードはそれぞれ頷いた。
それと同じくして、遠方で大きな爆発音が聞こえた。目を薄めて、その方向を見やる。
「……魔皇………」
そうスクードが呟いた。
その言葉通り、あれは、魔皇の仕業だ。魔皇は全力を尽くして竜人族の殲滅に当たっている。
爆炎、氷刃、雷撃、竜巻を撒き散らしながら進んでいくその姿は神の進撃のようにも見えた。
その力はあまりに強大で誰も止めることが出来ない。
それはそのはずだ。
魔皇はノウトのかつての仲間であった〈光〉の勇者を殺したことがある。光の速さで動き、光の如き力を放つ彼に勝てたという事実は否が応にも魔皇の実力を教えてくれる。
そして、こちらには大陸最強の剣士と謳われるラウラもいる。ラウラは魔皇が取りこぼした竜人族をその膂力と迅速さで切り刻んでいく。
改めて見ると、彼女らはあまりにも強すぎる。
少なくとも今のノウトが太刀打ちできる次元ではない。
そうは言っても、竜人族の数はあまりに多い。竜人族だけではなく、彼らが従える巨大な竜もいる。
ノウトたちの役割は市民の安全を第一に、ラウラや魔皇が最終的に取りこぼした竜人族たちを退治することだ。あくまで裏方といったところだろう。
「ボクらの出る幕は、あんまりなさそうだね」
「……そうだと、いいんだけどな」
ノウトは背中にある負傷兵の重みを感じながらも、そう呟く。
こちらの力は圧倒的で、今にも竜人族は全滅させられそうだ。しかし、この胸中に燻る曇天のような気持ちが果たしてなんなのか、このときはまだ分からなかった。




