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第75話 誰が為に僕らはこの盤上で踊るのか




 挿絵(By みてみん)



 紅の山脈(クリムゾン・バレー)のそのまた向こう、ここより遥か東に位置する〈紅〉の大陸に彼らは住まう。

 その種族の名前を竜人族(ドラゴニュート)と人々は呼ぶ。

 遥か千二百年ほど前に大陸間で大規模な侵攻があったのち、彼らとこちらの大陸での関係は断たれていた。

 理由としては二つ。

 まずは他大陸に手を出すまで余裕がなかったこと。

 不死王との内戦や不定期に訪れる勇者の襲撃によって、ノウトたちの住まう〈蒼〉の大陸の者達は自分たちの住まう場所だけで精一杯だったのだ。

 二つ目の理由として、〈紅〉の大陸に旅に出た者や侵攻しに行った者は誰ひとりとして帰ってきていない実情があったことだ。

 ましてやレーグ半島には結界が張ってあり、その周辺を通ることも出来ないし、南東のストックロームには紅黒海に住まう海竜が、紅の山脈(クリムゾン・バレー)には飛竜がいて、そこを通っていくなんて自殺行為だ。

 わざわざ行く必要のない場所に訪れる意味など、到底存在しない。

 触らぬ神に祟りなし、とはどこかで聞いた言葉だが、まさにその通りで、こちらに住まう者達は誰も〈紅〉の大陸の話は口にはしなかった。


 ──しかし、真に恐れるべきことが起きた。


 竜連国(ドラゴレギオン)を名乗る竜人族(ドラゴニュート)の軍勢が突然と襲来して来たのだ。

 ノウトは依然として状況を上手く呑み込めていなかった。

 王や指揮官が兵士に指揮を下している。

 レンは血夜族(ヴァンパイア)の兵士たちと飛び立ったようだ。

 建物の外では種族の違うもの同士が争い合っている。竜人族(ドラゴニュート)が、あんなにもたくさんいる。どうして襲ってくるのか、なんてわかるわけがない。分かり合えないから、話し合えないから殺し合う。それが戦争だ。

 そう。これが、戦争。本当に、戦争が始まってしまったのか。

 ノウトは拳を強く握った。それは、手のひらに爪が食い込んで、血が流れんほどに。


「何か、こうなるという兆候があったというのか……」


 そう、魔皇が呟いた。

 兆候なんて、すぐには思い当たらない。あまりにも突然だ。こうなるなんて予想がつくわけもない。

 しかし、ひとつ確定的なことが分かる。

 竜人族(ドラゴニュート)たちはここヘリオルを襲ってきた。つまり、首脳会議をおこなうことを知っていたのだ。これが指すことはなんなのか。あまり考えたくはないが、内通者がどこかにいたと考えるしかないだろう。


「私は前線を押し戻すつもりだ。ラウラ、ノウト。きみらはどうする」


 魔皇はそう言いながらもなんとか平静を保てている。ノウトもまた、それに倣うようにして呼吸を落ち着かせた。

 すると、決意をしたようにラウラが口を開いた。


「あたしはダーシュやその部下たちと共に戦います。同じ種族でいた方が連携が取りやすいですから」


「分かった」魔皇が頷く。「巻き添えになるから私とは離れた場所で戦闘しろ。私は面で敵を押し込むから、ラウラたちは私が洩らした者を各個撃破してくれ」


「了解しました!」


 ラウラはそう言って、軽く頭を下げる。それから彼女はノウトの方を見た。


「アンタは、どうするの?」


「俺は──」ノウトは思考を巡らすように一瞬だけ言い淀んで、それから目を見据え、口を開いた。


「俺は、二人のような機動力はないから、この街を守ります。ラウラ、前線は頼んだ」


「了解。背中は任せたよ」


 そう言って、ラウラはその場を離れた。ダーシュが指示を出している猫耳族(マナフル)の隊に加わるようだ。


「では、私もそろそろ行くよ」魔皇はノウトの肩を掴んだ。「ノウト、また生きて会おう」


「はい!」とノウトが頷くのを確認して、魔皇はにっ、と向日葵のような笑顔を見せてから空へ飛び立った。ノウトは踵を返して、成すべきことを成すように駆けた。

 存外、街の中は被害が比較的少ない。どうやら局所的に会議を行なっていたヘリオル城を狙ったらしい。敵の真意は分からないが、何か深い思惑やら陰謀がどこかで渦巻いているのは分かる。


「………何か嫌な、予感が──」


 走りながら思わずそう口にして、ハッ、と息を呑んだ。

 なんだか、最近嫌な予感がすると、それがよく的中する。どうしてだろう。分からない。さっきも、竜人族(ドラゴニュート)の軍勢が襲ってくることは一切知らなかったのに、どうしてかこうなる気がしてならなかった。

 この場所が襲われるというビジョンが見えたというか。まぁ、あれだ。気にしても仕方ない。今はできるだけ被害が少なくなるように人を救けて、人を守らないと。

 ノウトはとにかく、一心不乱に駆けていた。

 ──ニコ、カミル、スクード。

 ここ半年の間連れ添った仲間たちのことを思いながら、ひたむきに走った。無事でいてくれ、そう心で念じるばかりだ。

 変な、というより、妙な既視感を覚えていた。

 フィーユもシャーファもミファナも。ノウトが大切に思っている人はいつも目の前じゃないところでいなくなる。胸に残るのはあの日の後悔だ。

 最期の瞬間くらいは一緒にいてやらないと。

 いや、違う。そうじゃない。

 もう誰ひとりとして失いたくないんだ。

 もう、誰も。

 走れ走れ。走れ。

 ノウトは、ただ精一杯に宿まで走った。

 ここまで郊外まで来ると、竜人族(ドラゴニュート)の被害はゼロに等しい。もし宿で待っててくれたら何もないはずだ。そう、何も。

 宿に辿り着けた。人目を気にせず、ロビーを駆け抜けた。階段を五段飛ばしで上っていく。確か、三回の突き当たりだったはずだ。急げ、とにかく、走れ。


「ニコ! カミル! スクード!」


 ノウトは叫びながら扉を開いた。息を切らして、部屋の中を見渡す。心臓がばくばくと警鐘を鳴らしている。

 胸が痛い。

 肺の中の酸素も薄くなり、視界もぼやけてみえる。そこにいるのか、いないのか、はっきりとしない。


「えっ、どしたの」


 ニコが唖然とした顔でノウトを見ている。


「あれノウト、トイレっすか? この部屋にはないっすよ」


 スクードの姿もある。


「ハァハァ息を切らして、もしかしてノウト、発情期ですか?」


 カミルも、ちゃんとそこにいた。見渡すまでもなかった。ちゃんといた。あの時とは違う。


「良かった……」ノウトは安堵するように息をついた。


「えっ、なんすかその安心した顔は!? もしかして漏らしたんすか!?」


「いや、違うから……。というかその場合『良かった』とはならないだろ」


「確かに、そうっすね!」


 スクードはハハハと呑気に笑った。

 彼らがノウトの思う以上に無事だったから、ノウトの中に張り詰めていた緊張の糸がほどけるような感覚がした。


「ノウト」上目遣いの彼女がその名前を呼んだ。「なにか、あったの?」


 その声のする方を見ると、ノウトの様子を怪しむようにニコが怪訝そうに見つめていた。

 ノウトは息を整えて、それから彼らの顔をそれぞれ見渡した。


「戦争が、始まったんだ」


「せん、そう……?」


「……戦争って……えっ?」


「──不死王の仕業っすか?」


「違う」ノウトは首を振る。「竜人族(ドラゴニュート)だ。〈紅〉の大陸の」


「ドラゴ、ニュートって……。今までずっとこっちの大陸と関わりなかったのに、どうして」


「それは分からない。でも会議してる最中を狙われた。どこかに内通者がいるのは、確かなんだけど」


「それが誰なのかは分かってないんですか?」


「ああ、全く。皆目検討もつかない。だけど、今はそいつを探すよりも被害を抑えることを考えないと」


「じゃ、じゃあ救助に回るんすね!」


「ああ」


 ノウトは頷いた。


「俺はここに残るから、ニコたちは馬車で帝都まで行ってくれ」


「……え?」


「俺の名前と、その黒刃の剣を見せれば保護してもらえるはずだ。帝都にはロス先輩やエスカさん、それにメフィ──俺の知り合いがたくさんいる。だから安心して欲しい」


「安心して欲しいって──」


「……俺たちに、下がってろって言うんすか?」


「そうだ」


 ノウトは歯を噛み締めて、言葉を捻り出した。


「今回は盗賊を退治した時とも、カミルのお姉さんと戦ったときとも、センドキアから脱出するときの戦闘とも、まるで話が違う。相手は殺すためだけにこちらを襲ってくるんだ。死んでもおかしくない」


「だからって、ノウトを置いて逃げろって言うんですか?」


「そうっすよ! 俺たちにだってなにか──」


「駄目だ」


 ノウトは、───俺は目をつむって、首を振った。


「駄目なんだよ。あの群青連隊(ブラオ・メーア)のシメオンが一瞬で殺された。あんなやつがうじゃうじゃいるんだ。お前たちを行かせるわけにはいかないよ」


「そんな……っ!」


「…………ノウトは僕たちが……、」


 カミルは俯き気味に言った。


「ただの、足でまといだって、……そう言いたいんですか……?」


「そんなわけ、ないだろ!!」


 そう大声を出して、ノウトはすぐさま我に返り、ごめん、と付け加えた。


「……俺は、お前たちに今までずっと助けられきた。だから今ここに俺はいる。それはニコたちが強いからだ。センドキアの雪山にいた時も、森の中でさまよっていたときも、不死王と戦っていたときも。俺一人じゃここまで来れなかった。でも、だからこそお前たちに死んで欲しくない。戦場に出れば、いつ死んでもおかしくないんだ。死ぬ確率が限りなく──それこそゼロに近いほどに少なかったとしても、それをたまたま引き当ててしまえばどんな強者でもいともたやすく死んでしまう。それを回避するなら、帝都に戻って保護して貰うのが一番なんだ」


「そっか」


「……え?」カミルがニコの方を見た。


「じゃあ、ボクたちは帝都に行くね」ニコは笑って頷いた。


「……頼む」


 ノウトは安堵した。良かった。納得してくれた。


「厩舎までは、俺が送るから」


「ちょ、ちょっと!」カミルが歩き出したニコを止めた。「いいんですか!? 帝都に行くってことは! ノウトを置いて尻尾巻いて逃げるってことですよ!?」


「別に、いいでしょ」


 ニコは言い捨てるように語る。


「ノウトがこう言ってるんだから」


「それは……っ!」カミルが額に汗を浮かべながら思案するが、何も思いつかないようだ。「たしかに、そうですけど……」


 カミルは口をぱくぱくさせて、ようやく言葉にした。


「でも! 例え僕のわがままだとしても、僕はノウトに着いていきたいんですよ!」


 ノウトはカミルの肩に触れた。


「悪い。……逃げてくれ。帝都に逃げるんだ」


 そう言った直後、ノウトはかぶりを振った。

 逃げろ、じゃない。

 ノウトが伝えたいのはそんなことじゃなくて。


「……ごめん、違うな。逃げてくれじゃない。──生きてくれ。俺はみんなに、ただ生きていて欲しい」


「ノウト……」カミルは言葉を失った。


「本当に、それでいいんすか?」スクードが言う。「ノウトは、仲間に、……俺たちに……! 離れてろって言うんすね……!?」


 スクードの痛切な言葉に、ノウトは胸が苦しかった。

 ノウトだって、仲間にこんなことは言いたくない。でも、駄目なんだ。もう同じ過ちを繰り返したくない。


「……分かって欲しい」


 ノウトは泣きそうになるのをぐっ、と堪えて彼らの顔を見た。


「……全部、お前たちの為なんだ」


 そう言った瞬間だった。


 バシィィン────という小気味よい音が、サリドの首都ヘリオル第四地区宿舎三階突き当たりの部屋の中に響き渡った。


 ノウトはその刹那、何が起きたのか分からなかった。

 ふと、自らの頬に手をやるとじんじんと痛かった。

 数秒経ってから、ようやく分かった。理解出来た。

 ノウトは、ニコに、頬を叩かれていた。

 ニコの平手が、ノウトの目の前に在った。


「ボクたちの為!?」


 ニコが叫ぶように言った。


「ねぇ今、ボクたちの為って言った!?」


「……ああ。ニコたちの為だ」


「違うね! 違うよ!! 自惚(うぬぼ)れんな!!」


 ニコがノウトの胸ぐらを掴む。そして、ぐっ、と身を寄せる。


「全部、()()()()でしょ!」


 ノウトは、その言葉が確かに胸に突き刺さるのを感じた。


「ボクたちの意志も尊重しないで、何がボクたちの為だよ! ここずっと一緒にいたのに……なんにも分かってないんだから!!」


「でも、俺は本当にお前たちに生きて欲しくて──」


「分かってるよ! そんなこと!!」


 ニコはノウトの目を真っ直ぐに見て大声で言う。


「ボクは、ノウトとはずっと旅をしてきたんだから! ノウトが誰にでも優しくて、疲れたって言ったらおぶってくれて、さっき休んだばっかりなのにいつまでも待ってくれて! 機械のボクのことをずっと女の子だと思って接してくれて!」


 ニコはノウトの胸ぐらを掴んだまま、離さない。決して離さなかった。


「ノウトがフィーユって()を失ったのも! 灰になって殺された勇者の大切な人がいたってことも! だから……! だからもう、大事な人を失いたくないっていうのも! ぜんぶ……!! ぜんぶ知ってるんだから……!!」


 ニコはそう言いながら、泣いていた。ノウトもなぜか、涙を流していた。ニコがゆっくりと胸ぐらから手を離して、ノウトの涙を手で拭う。


「……どんだけ、ボクたちが歩きながら話してきたと思ってんのさ。牢屋に閉じ込められたのも、森の中を歩いたのも、馬車に乗って揺られたのも、ぜんぶ一緒だったじゃん」


「……それじゃあ、尚更分かって欲しい」


「また…、失いたくないって?」


「……そうだ」


 ノウトは声を震わせて言った。


「もう、誰も失いたくないんだよ」


「分かってる。ノウトがそう考えてるのは。でもね、これだけ言わせて」


 ニコは自らの頬を拭った。


「『ごちゃごちゃうるせえ』……だよ」


「……え?」


「ノウトは深いこと考えすぎなの。失ってつらいとか、死んだら悲しいとかそんなの、どうでもいい。いや、どうでも良くなんかないけど。それを悲しむのはさ、ノウトも、それから亡くなった人もみんなつらいだけだよ」


 ニコはノウトの胸をぽんと軽く叩いた。


「ノウトはさ、ボクたちのためって言ったけど、それなら、なおさらボクらを連れて一緒に戦わせて欲しい」


「………死ぬかも、しれないんだぞ?」


「死ぬのなんて怖くないよ」


 ニコは爛漫な少女のように笑った。


「ボクは、死んだように生きるより、生きるように死にたい」


 そう言って、自らの胸に手を当てた。


「ボクは死ぬとき、近くにノウトやカミルっち、スクードがいればそれでいい。後悔は何もない」


 ニコは「それに」と付け加えた。


「危ないから。死んじゃうかもだから、とかほんっとに今更だから。森の中で森人族(エルフ)に襲われた時も、盗賊に襲われた時も、もう何回もボクは死んだみたいなもんだし。今更危ないから〜とか言われて納得できないし」


「あとね、えっとー……」ニコは何を言いたいのか分からなくなって、首を少しだけ傾げた。「だから、ボクがもしも死んじゃっても悲しまないでってことで、むしろノウトがいつまでも忘れないことでボクはその中で生きられるというか──」


「……分かった」


「それにまだノウトにあの時のことお礼言ってなかったし。だからボクたちも一緒に戦いたいっていうか───って、え?」


「…分かったよ。一緒に戦おう」


「ほんとに?」


「ああ。……だけど、これだけは約束して欲しい」


 ノウトはそれぞれの顔を見渡して、口を開いた。


「もう、……もう、死ぬなんて、口にしないでくれ」


「うん、分かった」


 ニコは即答した。分かっているのか、分かっていないのかは定かじゃないけど、覚悟は出来ているみたいだ。


「分かったなら、俺もニコの言うことを肝に銘じるよ。仮にだけど、誰かがもし、もしいなくなっても。俺は泣かないし、悲しまないから」


「えーっと……」ニコは少しだけ苦笑いした。「うーん、まぁ、……そうじゃないんだけど。ま、いっか。ノウトらしくて」


 ニコはそう言って、いつかと同じようにいたずらげに笑った。


「それじゃ行くよ。救けるんでしょ? それなら絶対ボクたちもいた方がいいって。ほら、カミルっちもスクードも早く!」


「え、は、はい! 了解っす!」


 スクードが慌てて装備を整理し始める。その様子を呆然としているカミルと肩を並べて立ち尽くしていると、不意にカミルが吹き出すように笑い出した。


「……ニコさんには、(かな)わないですね」


 そうカミルが言ったので、ノウトはニコの後ろ姿を眺めながら、


「……そうだな」


 と笑いながら小さく頷いた。



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