第72話 或る軍人と医者の徒然と多端たる日々
──早く起きて、ダーリン。
そんな声が聞こえたような気がして、目を覚ました。誰の声なのかは判然としなかった。起きた直後には声が聞こえたことは忘れていた。
屋内、そうだ。ここは野外じゃない。屋根の下だ。しかも、かなりやわらかい。地面でも床でもなく、布団か何かの上に寝ている。
ノウトはおもむろに身体を起こして、辺りを見回す。知らない部屋だ。赤土で固められたサリド特有の部屋構造。飾り棚や調度品、タンスなどの家具の類いもある。ここは、どこだろう。
「あっ、起きましたか?」
それは聞き慣れた声だった。扉が開かれて、そこから彼女が現れた。
「ミャーナ?」
ノウトは彼女の名前を呼んだ。
「大丈夫ですか、ノウト様。どこか痛んだりとか」
「それは、大丈夫」ノウトは微かに首を縦を振った。「ってあれ、俺なんでこんなとこに───」
「え、覚えてないんですか?」
「ちょっと、記憶が朧げで……。悪いことしてるやつらに殴られたところまでは覚えてるんだけど」
「ここはヘリオルの中心、サリド城の客室です。ノウト様はシメオン様に担がれて、ここに連れてこられたんですよ」
「シメオン……って」ノウトはその名前を知っている。何を隠そうその名前は蜥人族の傭兵団群青連隊の隊長のものだった。そうか、ノウトを助けてくれたあの蜥人族がかの隊長シメオン・ブラオスクだったのか。
「皆さんノウト様のご様子を見に来たがっていたのですが予定時刻になってしまったので、会議には直接出席しないで且つノウト様の知り合いということでこうして安否を確認しに来たんです」
「なるほどな……」
ノウトは顎を触って思考を巡らせていると、途端に鳥肌が立った。ここが、サリド城の客室だって? そうだ。忘れていた。ノウトの本来の目的だ。
「ってことはもしかしてもう会議始まってる……?」
ノウトが小さな声で問うと、ミャーナは黙って、こくりと頷いた。それから口を開いた。
「ですがまだ始まって半時間ほどですから、大丈夫ですよ」
「そう、か」
ノウトは視線を泳がせて、最終的に床を見つめていた。
……いや、それは果たして大丈夫なのだろうか。決意表明するためにノウトは各首脳の集まる会議に出るつもりだったのに、まさか遅刻してしまうなんて。
それもその遅刻の理由がチンピラを止めようとしたら逆上されて気絶させられたなんて。そして、最後には蜥人族の英傑シメオンに助けられるとは。
なんていうか、我ながらなんとも情けなさすぎる。魔皇にも、そしてノウトに手を差し伸べてくれたラウラやみんなにも顔向けできない。ノウトと間に合わせをしていたラウラは怒っているだろうか。いや、怒っているに違いない。勇者がこれでどうするんだ。
ノウトは片手で瞼を揉んだ。熟考した。
ノウトが情けないのはどうしようもない事実だ。こればかりはもうどうにもならない。でも、だからって、自分がしたことを曲げたくはない。ノウトが見た悪事を見過ごさずに立ち向かったのが悪いなんて、思いたくない。
「ミャーナ、俺をその場に案内してくれないか?」
「おやすい御用ですよ」ミャーナはそっと微笑んで、扉の近くに立った。
ノウトが背をしゃんと伸ばして、ミャーナの近くへ寄ると、ミャーナがおもむろにノウトの方を見た。
「……あの、大丈夫ですか?」
「え、俺?」
「はい、ノウト様、……です」
「俺は、うん、見ての通り大丈夫。気絶したのも頭殴られて脳震盪起こしたからだろうし」
「いえ、そういうことではなくて。もちろんそういう意味でもあるんですけど」
ミャーナのはっきりとしない口調は以前の彼女のそれを想起させた。ノウトは黙ってその先の言葉を待った。
「これは……えっと、あの、言っていいのか分からないんですが……」
「なんでも言ってくれよ。遠慮するような仲でもないだろ?」
ノウトが言うと、ミャーナは伏せた顔を上げて、ノウトの目を見て、それからもう一度目線を落とした。
「なんだか、私はノウト様が、……死に場所を探しているように見えて」
「俺が、……死に場所を?」
ノウトが反復すると、ミャーナは両手と首を同時に振った。
「私の主観に過ぎないですよ? でも、なんというか、……ノウト様が私たちとはどこか違うところを見ているような気がして……。あんまり上手く言えないですけど」
ミャーナが苦し紛れに笑ってみせた。ノウトは胸に手を当てて考えた。ノウトが死に場所を探してるなんて、そんなことはありえない。
ノウトは魔皇に誓ったあの時から、そしてもうここにはいない『彼女』に「生きて」と言われてから、生きることを第一に考えてきた。
そう、ありえないのだが、……しかし、絶対にありえないと断言することは、出来ないかもしれない。
ノウトの奥深く、本質的なところで死に場所を探しているノウトも確かにいるのかもしれない。それは事実だ。
だが、ノウトにはまだ失いたくない人がたくさんいる。
この旅で守りたい人も多くなった。だからこそ、その人たちを守るためにもノウトは生きなくてはならない。
「大丈夫。俺は生きるから」
「……お願いですから私が死ぬまでは、……生きていてくださいよ?」
「冗談言うなよ」ノウトは悪戯げに笑ってみせる。「ミャーナも誰も。俺が死なせない」
そう言うと、ミャーナが頬を緩めて、ノウトの真似をするように笑った。
それからミャーナと肩を並べて、廊下を歩いた。ところどころに蜥人族やら猫耳族やらの兵士が立っていて、彼らはノウトたちのことを横目に見ていた。警備の兵士やもしくは衛兵たちだろう。重役たちの集まる会議が今まさに開かれているのだ。それだけ警備の層が厚くなるのは必然的とも言える。
しばらく歩いていると衛兵の数が明らかに多い通路に出た。
通路の左右に藍鼠色の甲冑を着込んだ衛兵たちがずらっと立ち並んでいる。彼らは皆蜥人族だ。サリドの騎士たちである。剣を掲げる彼らの視線はノウトに注がれていた。
その視線の圧迫感にノウトは息苦しさすら覚えてしまった。通路の奥の方、終端に位置するのはいかにも荘厳な扉だ。両開きで見上げるほどに大きい。閉じているその扉からは見る者を圧倒するなにかが迸っているかのように感じられた。
「待っていた、ノウト殿」
扉の前に立っていた一人の衛兵がこちらに向かって歩いてきた。
一際背の高いその衛兵は歩きながら頭の甲冑を外した。美しくも艶やかな青い鱗皮がよく映える彼こそがノウトを窮地から救ったシメオン・ブラオスクその人だった。見目形の良い蜥人族で人の上に立つに値するオーラすらも感じる。
ノウトはシメオンの顔を見上げて口を開いた。
「先刻は助かりました。お恥ずかしいところをお見せしてしまって情けない限りです」
「気にしなくていい。城周りに警備を重く置いた我々の責任だ」そう言いつつもシメオンは飄々としている。本当にノウトのことを情けないとは思っていないとその目が語っているようだった。「しかし、助けた相手が勇者だとは思わなんだ。紋章を見た時、俺はかなり驚いた」
笑い混じりにそう語る彼と同調するようにノウトも呼応して言葉を口にした。
「勇者の俺が止められたら御の字だったんですけど、最初的にはシメオンさんに助けてもらった形になっちゃいましたね」
「『さん』はよしてくれ。敬語も使わなくていい」
「ぁ〜……、本当に?」
「ああ。対等、とまではいかないかもしれないが、ノウト殿とは近しい関係にありたいんだ」
シメオンがはっきりとそう言ったから、ノウトは黙って首肯した。その様子を見て、シメオンは微かに笑ってみせた。そして「先ほどの話に戻るが」と付け加えた。
「ノウト殿は正しいことをしただけだ。何も咎められることはない」シメオンがふと、視線を逸らして背後の扉を見やった。「ただそれは俺目線の話に過ぎないから、あとはノウト殿が説明を尽くすしか他ないけどな」
それからシメオンはノウトと、それからミャーナに目配せした。
「さて、ここで立ち話をしている時間はもったいないな。早速中に入ろう」
言われて、心臓が軽く跳ねるのを感じた。
この奥に、この大陸の重鎮たちが揃っているのだ。ノウトは息を呑む。それでもなお、喉の乾きは潤わない。魔皇も、ラウラも、そして、もしかしたらレンも、この奥にいる。
「では、私はこれで」ミャーナがノウトに言った。
ノウトは一度振り返って、ミャーナを見た。「ありがとう、ミャーナ。じゃあ、また」
「はい。ではまた」
ミャーナがそう言うと、シメオンが扉に手をかけた。大きく重々しく見えた扉がいとも容易く開かれた。ノウトは拳に力を込め、しっかりと前を見据える。シメオンが部屋に入っていき、その背を意を決して追いかけた。




