第70話 夜空、遥か高く紺碧
前回の話をちらっとでも見ていただけると繋がりが分かりやすいかなと思います。
更新頻度を上げられるように頑張ります。
「もべっ──!?」
窓を開けた瞬間、迅速なる夜風がノウトを包んだ。包み込んだ。
視界が真っ黒だ。な、何も見えない。
というか、なんだか息も苦しい。息が出来ない。呼吸をしようとすると、口になにかが当たって上手く呼吸出来ない。
そして、妙にあったかい。砂糖菓子のようやほろ甘い香りとコーヒーの芳ばしい匂いもする。
なんだこれ。なにが起きてる。ノウトは、何かに押し倒された。押し倒されている。さらに言えばノウトの上に何かが覆いかぶさっているのは確かだ。ノウトの背中に床がある。刺客か? 刺客なのか? 分からない。そうやって、じたばたしているうちに雷刀カンナを手から離してしまった。
「ノウト! ノウト! 良かった! やっぱり生きてたんだな!」
声だ。声が上の方から聞こえた。
その声が聞こえて、ようやく分かった。ノウトはこの声の主に抱きしめられている。息もできないほど強い抱擁だ。
そして、これはなんだろう。なんだか非常に柔い感触が眼前にある気がする。えもいえぬ柔らかさだ。
ノウトはそれを手で押しのけて、ようやく離れられた。だが、未だ声の主の手はノウトの背中に回っている。
「ま、魔皇様。あの、く、……苦しいです……」
「わ」
魔皇がようやくノウトから手を離した。
「すまない、嬉しくてついな」
魔皇は恥ずかしそうに頬を掻きながら、にっ、と笑った。いや、それにしてもなんだか凄かった。凄いとしか形容できない。あんなに柔らかいものなのか。いやいやなに考えてんだ。ノウトはかぶりを振って、魔皇の方を向いた。
「や、あの! こんなところで何してるんですか!?」
「それはこっちのセリフだ! きみは今まで何をしてたんだ! 連絡のひとつも寄越さないで! 心配してたんだぞ!」
「いやそれは! まぁ、もちろん話しますけれども! 魔皇様こそなんでここに? 首脳会議は明日のはずでしょ? それになんで俺の部屋が特定されてるんです?」
「ノウトがヘリオルにいるとの特報を諜報部から手に入れてな。宿の特定も私の魔力を使えばちょちょいのちょいさ」
「俺のプライバシーがガバガバすぎる……!」
改めて魔皇のチートすぎる魔力に驚きを隠せない。相変わらず強すぎる。
──いや、……あれ?
というか、自分で考えといてチートって……なんだ? 訳分からないけど、まぁニュアンスは何となくわかる。超次元的に、ズルいレベルまで強い、みたいな感じだ。おそらく。たぶん。
「とりあえず窓からじゃなくて扉をノックして入ってきてくださいよ」
「すまない、効率と手間を考えたら外からの方がいろいろと省けて早くノウトに会えると思ってな」
「効率より倫理観から考えてください……!」
早く会いたかったのはノウトも同じだったがこれではいくらなんでも情緒がなさすぎる。
「奇妙な再会にはなってしまったが、また会えて嬉しいよ、ノウト。おかえり」
「ただいま、……です」
ノウトは自らの首を撫でながら横目で改めて魔皇の姿を見た。
真っ白な髪に、真っ白な肌。その頭には魔人族特有の角が生えて、瞳には魔皇のもつ魔痕が虹彩の中で銀河の如く煌めいている。背丈はノウトと同じか少し低いくらいだ。見た目だけで言えば年齢もノウトと同年代のようにしか見えない。魔人族は老化しない。そう、魔人族は不老だが、しかし不死ではない。いつか来る寿命を待ち、そのうちに死ぬのは人間と同じだ。
そして、魔皇が着ているのは薄肌色のネグリジェだ。服が重いといつも宣う彼女は寝る時にいつもそれを着ている。つまり、目の前の彼女は寝巻き姿にほかならない。その青白い肩や素足はむきだしになっていて、部屋の照明をほのかに反射させていた。
「明日の首脳会議、魔皇様もご出席なさるんですよね?」
「ああ、もちろんだ」
「その格好は、まずくないですか?」
「ああ、これか」
ほぼ下着に近いというかなんというか、目のやり場に非常に困る。
「ノウトがいるということを聞いて急いで来たからな。さすがに一度帝都に帰るつもりだ」
「えっ?」ノウトは動転した。「会議は明日ですよ? 間に合うんですか?」
「瞬間転移陣を持ってきたんだ。基本他国へ瞬間転移陣で飛ぶのはご法度なんだが、この緊急事態だからな。方々も許してくれるだろう」
「なるほど……」
確かに、瞬間転移陣を用いれば帝都からここまでどれだけ離れていようが、関係ない。
瞬間転移陣を利用出来るのは魔力量から言って、魔人族しかいない。その点で種族的差別が起きてしまうので瞬間転移陣で他国をびゅんびゅんと移動するのは暗黙の了解として禁止されている。
ただ、要するにやっている事は瞬間移動で、つまり誰も使ったことには気がつかないので魔皇は良く使いがちだ。もっと言えば、魔皇は瞬間転移陣なんか使わずとも近い距離であれば瞬間移動を為せる。魔皇が空中に浮いたり空を飛んだりするのもその応用だろう。
「さて。ノウト、本題に入ろうか」
魔皇はノウトを見た。その銀河色の眼がノウトを捉える。
「きみは今までどこでなにをしていたんだ?」
ノウトは魔皇をの目を見て、それからひとつ息をつき、今まであったことの大まかなあらましを言葉にした。ラウラに伝えたこととほぼ同じだ。ニコやスクード、カミルの名前は出さなかった。
ノウトの話を聞いた魔皇は「ふむ」と顎を触って考える姿勢をとった。
「瞬間転移陣で他の場所に跳ばされた、か」
「何か心当たりはありますか?」
ノウトが問うと、魔皇は窓の枠組みに腰掛けた。
「きみは星瞬転移機の設計図を城の地下で手に入れたと言っていたな」
「俺もそれが原因だとは思っていたんですが……やはりそうなんでしょうか?」
「おそらく、な。知っているとは思うが瞬間転移陣の構造は思ったよりも単純でな。魔力を込めると、その内部にある駆動部と魔力変換器が術式を組み立てる。〈空間〉魔法の術式をな。すると、魔力を込めた側の瞬間転移陣と繋がるもう片方のそれと相互作用が働き、瞬間移動できるといった仕組みになっている」
魔皇が腕を組んだ。その瞳がノウトを捉える。
「だが、その途中の術式にノウトの持つ星瞬転移機の設計図中に書いてある座標で書き変わったのだろう」
「それによって、俺はあの場所に跳ばされたと」
「推測の域は出ないがな」
「つまり、俺だけが跳ばされたのは不死王の仕業ではなかったということなんでしょうか?」
「意図的に瞬間転移陣を謝発動させるのはなかなか厳しいからな。偶然と思うほかあるまい」
それを聞いて、ノウトはひとつ息をついた。ということは、大陸でノウトが不死王に殺されたと噂が広がっていったのは不死王の策略の外にあった偶発的な産物だったということになる。ニコやカミルたちと会えたのもまた偶然だったのだ。
「ノウト」と魔皇が名前を呼んだ。「その星瞬転移機の設計図は今持っているか?」
「え、ああ、はい」ノウトは立ち上がって、荷物を漁った。「たしか、この辺りに……あっ、これか。ありましたよ」
そう言って、ノウトは設計図を魔皇に渡した。魔皇はそれを受け取って両手で広げて、舐めるように見た。
「なるほど……。これを応用すれば瞬間転移陣を星瞬転移機のように使うことも可能だな……」
「本当ですか!?」
「ああ、帰ったらメフィとも相談してみよう」
「分かりました。ありがとうございます」
ノウトが笑ってそう頷くと、魔皇はそっと微笑んでみせた。それから設計図にまた目線を下ろして目を細めた。それから「四十一ディグリーズ・エヌ・十二ディグリーズ・イー………」と呟いた。
それがまるで魔法を使用する時の詠唱にも聞こえたから、
「魔法の詠唱……ですか?」
そうノウトは訊いた。
「いや」魔皇は首を振った。「おそらく、これが座標だ。ノウトが瞬間移動したというセンドキアの北部に位置する例の場所のな」
「座標……」ノウトは口の中でそう繰り返した。
「ノウト、その跳ばされた場所には何があった?」
言われて、あの時のことを思い出そうとした。あれは、ニコが会う前のことだ。獣を狩ったり野草を食べたりしながら食い繋いでいたあの頃。その時に拠点にしていたところこそがノウトが跳ばされた場所だった。
「暗くて、黒い部屋でした。俺も見たことないような装飾というか壁のつくりで、……そうですね。主観的に言うなら、遺跡のようにも思えました」
それを聞いた魔皇はひとつ考えて、それから口を開いた。
「そこに何かがあるのやもしれんな。この設計図に書かれていたということは書いたのは不死王か、またはノワ=ドロワ……もしくは、古代の──それこそ神機をつくりだした者のいずれかだろう」
「神機をつくりだした……」
神機がこの世に存在しているということは、つまりそれを創造したものがいるということだ。神機は魔力を必要としたり、そして必要としなかったりと多種多様が存在するが、そのどれもが人智を超えた代物だ。
それは魔法すらも超越した、まさに神の媒体といっても過言ではないだろう。
「時間が出来たら、ノウトが跳ばされたというこの場所へ一度訪れてみよう。何か、ヒントがあるやもしれない」
「……そう、ですね。その価値は充分ありそうです」
ノウトが頷くと、魔皇は控えめに笑って目を合わせた。
「と、まぁ冷静さを保ってはいるが、私はノウトが生きてここにいるという事実に安堵して今にも倒れてしまいそうだよ」
「ご心配を、お掛けしました」
「……いや、ノウトが行方不明になったのは私の落ち度でもあるからな」
「……って、言うと?」
「ノウトだけが帰ってこなかったあの日から、止めれば良かったと何度も後悔した。ノウトを大地掌握匣奪還作戦に加えなければ良かったと。多くを失ったきみをあの場で留めておけば良かったと」
「それは、違う。違いますよ」
ノウトは首を振った。それからしゃんと背筋を伸ばして、目を見据えた。
「俺が得られたものはたくさんあった。みんなにはたくさん心配させて、迷惑もかけたけれど、あそこで立ち止まっていたら出会えないものやことがありますから」
それを聞いた魔皇は安心したように頬を緩めた。
「強いな、ノウトは」
「強いんじゃない。俺は、強くなったんですよ」
ノウトが言うと、魔皇が柔らかい笑顔で微笑んだ。そして、ひとつ息をついて口を開いた。
「思えば、遠くまで来たものだ」
そう語り始めた彼女はどこか憂いげで、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。
「初めてきみにあったときは死にたがっていたきみが、いつしか生きることに精一杯になっている。そんな姿を見る日が来たことを私は誇りに思っているよ」
「みんなの、おかげです」
ノウトははっきりとそう言葉にした。すると魔皇は、
「初めは敬語など使っていなかったのにな」と冗談交じりに言った。
「あ、あの時は、自暴自棄になっていて、周りの目も見えていなかったので」
慌ててノウトが答えると魔皇は艶やかに唇を舐めた。
「敬語など、使わなくていいんだぞ?」
「で、出来ませんよ」
「どうしてだ? 私たちは対等じゃないのか?」
「俺は───」とそこまで言って、喉がつっかえた。俺は、なんだと言うのか。何を言おうとしているのか。上手い言葉が出てこない。ほら。何か言わないと。
「………俺は、魔皇様に救けてもらって、それで、今ここにいます。魔皇様があの時救けてくれなければ出会えなかった人がたくさんいます」
「それとこれとは話が違うだろう。私が敬意を払う必要がないと言っているんだ」
「い、いえ、それでも。周りの目がありますし……」
「今はいないだろう?」
魔皇が周りを見渡して、肩を竦めた。確かに、この一人で使うにはやけにだだっ広い宿の部屋にはノウトと魔皇しかいない。周りの視線など気にする必要はない。だが、……だからと言って、魔皇に敬語を使わなくていいのか? どうなんだろう、そのあたりは。よく分からないけど、なんだか、だめな気がする。
「たしかに……俺たちしかこの部屋にはいないですけど」
「じゃあいいじゃないか。ほら、『ヴェロア』と呼んでみろ」
「ヴェ……?」
「いつか私のことをそう呼んだことがあったじゃないか」
「それは、過去の話ですよ。忘れてください」
「忘れることなどできるか。私の莫大な魔力の中にはそれ相応の記憶が染み付いているんだぞ。さぁ、ヴェロアと呼んでみようか」
「な、なんで──?」
「いいから、ほら。ヴェロアと一言だけでいい。それだけ、ノウトに呼んで欲しいんだ」
「ヴェ………」と思わず口に出してしまった。
「いいぞ、そのまま続けてみろ」
ヴェロア───じゃない、魔皇がその銀河色の瞳を嬉々としたそれに染めてノウトを見つめた。
「ヴェ……っ」
「ほら、もう少し。あと少しだけ頑張れ。ヴェロアと、呼んでくれ」
「ヴェロ───」
突然、ノウトの唇に何かが触れた。それは、魔皇のひとさし指だった。ひんやりとしたそれがノウトの言葉を遮ったのだ。それから、魔皇はおもむろに口を開いた。
「……冗談。冗談だよ」
「冗談、って……」
「こういう戯れも、時には悪くはないだろう?」
そう言って、にっ、と笑ってみせた。ノウトは頬を掻いて、魔皇から目を逸らした。
「……心臓に悪い冗談……ですね」
「久しぶりに会ったのだから許してくれ」
「まぁ、許しはしますけど」
「そうか」
魔皇はひとつ頷いて、それからノウトに背中を見せた。
「それじゃあ、このあたりで私は一度帝都に戻るよ」
「えっ、もう帰っちゃうんですか?」
「帰って欲しくないのか?」
「いや、……それは……、まぁ、そうですね」
ノウトが素直にそう告げると、魔皇がふふっ、とかわいげに笑った。
「一夜をきみと過ごしてもいいんだが、私用があってな」
「一夜を過ごすって……」ノウトは言葉を失いかけた。「そういう意味で言ったんじゃないですよ。ただ俺は、久しぶりに会った魔皇様と少しだけでもいいから長くいたくて……」
それを聞いた魔皇は頬をほんの少し朱色に染めて、それから手を伸ばしてノウトの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「愛いやつめ」
魔皇の細い指がノウトの髪を梳いていく。数秒間そうしてから、魔皇はノウトの頭から手を離した。
「ちなみに、そういう意味ってどういう意味だ?」
「えっ?」
「さっき言っていただろう?」
「そ、それは………」
「冗談だよ」
魔皇はいたずらげにそっと笑う。そして、開いた窓組に手をかけて、窓に乗り出した。
「それじゃあ、また明日会おう、ノウト」
「はい。また、明日」
魔皇が手を振って、窓の外へと飛び降りた。魔皇は空を飛べるから落下したと危惧する必要はない。
ノウトはしばらく余韻に浸りながらも、少ししてから夜風が透過する窓をぱたりと閉めた。
その夜もまた、二つの月が夜空に上っていた。




