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第66話 今ここにあるもの



 背筋がぞくりと冷えた思いがした。

 それはまるで、氷の刃が背中に当てられているみたいだった。

 リューリはその姿勢のまま話を続ける。


「……黙って聞け。いいか。チナチナさんはな、あれ以来一つも声を出さなくなった。シファナさんは姉を失ったことで、一度飛び降りようともしてたよ。そんな中、こいつはこいつなりにあの時のこと清算しようとしてんだ。水さすなよ、腰抜け」


 その言葉が、ノウトの頭で渦を巻いて、心の中をぐしゃぐしゃにした。息が荒くなるのがわかった。

 エヴァにフィーユたちが殺され、そのあとの彼女たちのメンタルケアを怠った結果が、これか。ああ。なんか、ダメだ。うまい言葉が出てこない。

 あの、いつも元気ではしゃいでいたチナチナが喋らなくなった? 冷静で真面目でみんなに優しいシファナが自殺しようとしただって? そんな、バカな。──なんて、いくら頭で否定しようと、それらが事実であるということには変わらない。

 ノウトが不死王と死に物狂いの戦闘をしていた時も。ノウトが氷雪地帯で生きるのに必死になっていた時も。

 支えがなくなったシファナやチナチナ達のことをミャーナはフィーユの代わりに面倒を見てきたのだ。そうに違いない。

 以前のミャーナはこんなにハキハキと喋っていなかった。この半年で人が変わったように明るくなっている。それらは全部、自らをそしてシファナたちを守る為に他ならない。


「……ごめん…」ノウトは頭を下げた。「ごめん、ごめんな……。俺が守れなかったばっかりに……背負わせちゃったんだよな……」


 そう言葉を漏らすノウトの胸ぐらをリューリは黙って掴んだ。


「ちょっと!」


 ミャーナがリューリを横にどかした。


「ノウト様に謝って、リューリ」


「あ?」リューリは不遜な態度で顎を前に出した。「なんで俺がこいつに謝んないといけねぇんだよ」


「あのねぇ! ノウト様が責められることなんて一つもないでしょ!? それをわかってるくせしてそうやってウジウジグダグダ人を(そし)って! ほんと! そういうところだよね、リューリはほんとーに心がないっていうかさぁ!」


「い、いや、おれはだな。おまえのことを思って」


「いいからほら! 私のことを思ってるなら尚更ノウト様に謝って!」


 ミャーナはノウトが今まで見たことがないような剣幕でリューリを凄んでいる。

 リューリは舌打ちをしてから、まるで人形のようにぎこちない動きでゆっくりとノウトの方を向いて俯きながら、


「…………………すみません……」


 と小さな声で謝った。


「い、いや、大丈夫だよ、リューリ。顔上げて。ほら、俺のせいなのは確かにそうだし」


「あーもう!」


 ミャーナはノウトを睨んだ。


「ノウト様もノウト様ですよ! いつまであのこと引きずってるんですか!?」


「いや、だって……ミャーナの性格が変わったのって、俺のせいだろ?」


「違います! 被害妄想甚だしいにもほどがありますから! この潜在的ネガティヴばか!」


「え、いや、だってさ、ミャーナ、そんな大声今まで出さなかったじゃん……?」


「だっても何もないですよ! 女の子はいつも心に第二の自分を秘めているもんなんですよ! いつまでもそんな鈍感だと楽園にいるフィーユが泣いちゃいますよ!」


 ミャーナはふん、と両手を腰に当てて、胸を張ってみせた。


「そ・れ・に! 私が変わったのは、ノウト様のせいじゃなくって、ノウト様の()()()なんですよ?」


「俺の、おかげ……?」


「はい、そうですよ。忘れちゃったんですか? 私たちメイド組をいつも明るくまとめてたのはあなたですよ、ノウト様。困った時はいつも率先して助けてくれて、私が花瓶を割った時もノウト様が庇ってくださって、そんなノウト様は私の憧れのひとつだったんです」


「憧れ……?」


「そうです。そうですよ。『俺は真の勇者になる男だからな』とかいつも口癖のように言っていつも笑って、私たちを笑わせてくれて、ずっと私たちを影から支えてくださって」


 ミャーナはノウトから目を逸らして、俯き気味になった。


「私には……兄はいませんけど、ノウト様は、私たちメイド組の、……本当のお兄さんみたいだなって思ってて……」


 ノウトとリューリは揃って目を丸くした。

 言葉の途中からミャーナが涙声になっていたからだ。


「あの日から、……ノウト様が一人で城に帰ってきたあの時から、私たちの日常は変わってしまったんです」


 ミャーナはノウトの胸当たりを見つめた。


「それなのに、ノウト様は何も言わないですぐに仕事に出かけちゃって、何もわからないまま城に取り残された私たちは、それで……不死王に殺されちゃったなんて噂も流れ始めて…………」


 そして、堰が切れたようにミャーナは、泣いていた。

 ひっく、ひっく、としゃっくりまでしながら鼻をすすって、両手で目をこすりながらなんとか頑張って言葉を紡ごうとしている。


「フィーユも、ミファ姉も……ノウト様も……、私たちの大好きな人たちがいなくなって、……だから、……だから私がしっかりしなきゃって……私が、変わらなきゃって……」


 涙を懸命に止めようとするミャーナの頭に、ノウトはぽんと手を置いて優しく撫でた。


「……泣き虫なのは相変わらずだな」


「…ひっく……悪かったですね。私はずっと泣き虫ですよ」


「何も悪くないよ。ミャーナはそのままでいい。そのままがいいんだ」


 ミャーナが泣きながらノウトに抱きついて、腰に手を回した。


「……ごめん、ミャーナ。帰るのが遅くなって」


「……ごめんはなしです」ミャーナは顔を上げて、涙やら鼻水やらで濡れた顔を見せた。「……ノウト様は何も悪くないんですから」


 その言葉が、ノウトの胸を透き通らせた。

 胸がすく思いになった。

 蒼空が心に広がるようだった。


「……おかえりなさい、ノウト様」


 ミャーナがいつかと同じように控えめに、そっと笑ったから、それに応えるようにノウトはにっ、と笑ってみせた。


「ただいま、ミャーナ」










           ◇◇◇









 思えば、ノウトがこの世界に目覚めてから1番長い間一緒にいたのはフィーユ、チナチナ、シファナ、そしてミャーナの猫耳族(マナフル)メイド四人組だった。

 一日の半分以上は彼女たちと一緒にいた。もはや家族同然だ。そんなとき、突然そのうちのひとりが欠けて、またひとりが欠けて、と。次々に残されたミャーナたちに不安を与えていったのだ。ミャーナのこの底なしに明るい性格はノウトとチナチナの影響だろう。そう思えば微笑ましくも思える。


「さぁ、気を取り直して元気にいきますよー! ほら、ノウト様もリューリも元気だして!」


 そう言いながらも、ミャーナは目の下が赤い。泣いてた残滓がそこにまだ存在しているのだ。


「そうは言ってもおまえさっきまで泣いてたじゃん……」


 ぼそり、とリューリが呟くと、ミャーナが目にも止まらぬスピードでリューリの脇に手刀を入れた。


「うぐっ!」とリューリはその場にうずくまる。


「うるさいよー。今のことは忘れてねー。ノウト様は忘れちゃだめだけど」


「お、おっけ。胸に刻んどく。ミャーナが泣いてたの」


「そ、それはそれで恥ずかしいですね!」


 赤面したミャーナがノウトにも手刀を繰り出そうとした。ノウトはそれを避けられたが甘んじて受け入れた。ノウトの肩にミャーナの攻撃が当たる。速さは尋常ではなかったが、攻撃の威力は女の子のそれだった。

 暴力的なところはフィーユの影響だろう、おそらく。そう考えると懐かしくて、思わず小さく笑ってしまった。


「何笑ってんですか!」


「い、いや、ごめん。昔のことを少し思い出しちゃって。俺は時々、なんだか、……恵まれすぎる気がするんだ」


「そう、……ですか」


 なんだか気まずい空気がその場に流れて、しばらく沈黙が続いた。それから、その雰囲気にぴしゃりと終止符を打つように、


「はいもうくよくよするの終わり! ちょっと、別の話題にしましょ!」


「テイクツーだな。うし、切り替えてこ」


 ノウトが言うと、リューリは黙ってこくりと頷いた。


「で! ノウト様は今なにをしてるんです? なんでここにいるんですか?」


「あっ、そうだった」ノウトはたった今用事を思い出した。


「いろいろやんなきゃいけないことがあってさ。でも今ダブルタスクでどうしようかなって頭悩ませてて。相談していい?」


「もちろん。どんな相談でもどうぞ!」


「じゃあ、今まで俺がどうしてたかはここでは割愛させてもらって……。その、俺さ、明日開かれるっていう首脳会議に顔出そうと思ってここまで来たんだけど、先に魔皇様とかラウラとかダーシュとかに会っておきたいなって思って」


「ふむふむ。なるほどです」ミャーナが腕を組んだ。「それならすぐにご案内出来ると思いますよ?」


「ほんとか? それは助かるよ。ラウラやダーシュは無事なんだよな?」


「はい。大事ないですよ。ノウト様だけが帰ってこなかったので、みなさんはご無事でした」


「そっか」ノウトは胸をなでおろした。「それは、うん……本当に良かった」


 ラウラたちが無事かどうかが知れただけでも、もうここに来た目的の半分は達成したようなものだ。


「あと俺さ、ここに来るまでに仲間を集めてきたんだけど、そいつらと迷子になっちゃって」


「そういうことですか。それならば、名前さえ教えて頂ければこちらで処理して保護いたしますよ」


「わ、マジか。手際の良さがさすがだな。ありがとう」


「いえいえ」ミャーナは首を横に振った。「それじゃ、早速向かいますか。まずはダーシュ様のもとに」


 ミャーナとリューリが歩き出して、ノウトは彼らの背中を追いかけた。その背中が、以前にも増して頼もしく見えた。



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