第65話 猫耳メイド、暗転、砂漠都市
「ノウト、またあなたこんなところに脱ぎっぱなしにして〜。いつも洗濯籠の中に入れておいてって言ってるじゃない」
日課の腕立て伏せをしていると、背後から声がかかった。鈴の音のような儚く、それでいてはっきりとした声だ。
「フィーユ」と俺は彼女の名前を口に出して立ち上がった。「それ俺があとで洗うからそこ置いといていいよ」
「何言ってるの。一気に洗濯した方が効率いいでしょ?」
「いや、……ほらさ」俺はフィーユの顔色を伺いながら自らの首を撫でた。「俺の服、汗臭いだろうし。フィーユとかミャーナの服と一緒に洗ったら、さ。なんか嫌じゃない?」
そう言うと、フィーユは呆れたようにため息をついた。
「関係ないでしょ。別に最終的にゆすぐんだし」
「ほんとに? なんか、年頃の女の子ってそういうの気にしたりしないの?」
「そんな差別しないわ。種族も性別も違っても、わたしたちは同じヒトでしょ?」
そう言って、フィーユは強調するように「それに」と付け加えた。
「誰もあなたの服と一緒に洗ったくらいじゃ嫌がらないわよ」
「マジで? ミャーナもチナチナも?」
「あなた、変に頑固ね……」フィーユは困ったように眉をひそめた。「ええ。ミャーナも、チナチナも、シファナだって、別にあなたのこと嫌ってるわけじゃないと思うし」
「フィーユは」俺はフィーユのその深いグリーンの双眸を見つめた。「フィーユはどうなんだよ」
「わ、わたし?」フィーユはなぜか頬を赤らめた。「まぁ、私も別に……気にしないと言うか……むしろわたしがノウトの服を洗いたいと言うか……」
「え、なんで俺の服洗いたいの?」
「どうして聞こえてるのよ!」
「そりゃフィーユ嬢が口に出してたからに決まって「忘れなさい今すぐ!」
フィーユの怒号が皇城の庭園裏に鳴り響いた。
「わわわ、何してるの二人とも〜」低木の手入れをしていたはずのミャーナが現れた。
「な、なんでもないわよ」
「ノウト様の首を締めながら言っても全然説得力ないけどねー……?」
慌てて言うフィーユを見てミャーナは困っているようだ。
「まぁ、今のは全面的に俺が悪かったからって、うぉ!?」
立ちすくむ俺の身体が急激に後ろに引っ張られた。
「にゃふふふ。ここにいい隠れ蓑があったにゃ」
チナチナだ。チナチナが俺の着込んでいる上着の背中側に潜り込むように姿を隠している。いや、見れば違和感しかないから全然隠れてはいないけどね。
「って汗くさっ! ノウト様また鍛錬してたのかにゃ!?」
「今のセリフで俺のガラスのハートはボロボロだよ」
せっかくフィーユにフォローしてもらったのにそれらが徒労に終わってしまった。
「別に汗臭くてもいいじゃない。ね、ミャーナ?」フィーユはまたしてもフォローを入れてくれた。
「え、わ、私? うぅん、そうだな〜。うん……まぁ、時と場合による? ……かなぁ?」なんとも曖昧な返答だが、ミャーナなりに俺を傷つけまいとしてくれたようだ。
「チナチナは汗くさいのなんか断固拒否にゃ! 男の子の汗はなんかフェロモン的なアレで妙ににおうのにゃ! 分かったらノウト様、早く風呂に入ってくるにゃ!」
「……はい」しょんぼりしつつも、素直に現実を受け入れて俺は今日のところは鍛錬を切り上げようと踵を返した。
「そうね。わたしもその方がいいと思うわ」フィーユがなぜか肯定し始めた。「脱いだ服はわたしが洗っておくわね」
「フィ、フィーユ…? そこまでいくと、あの、……ある意味変態っぽいよ……?」とミャーナがなんだか呆れていた。
「チナチナ、見つけましたよ」
声が聞こえて、振り返ると、そこには頭に三角巾をつけたシファナが片手にホウキを持って立っていた。シファナは本当にメイド服が似合う。正直言って可愛らしい。
「にゃにゃにゃ!? 見つかったにゃ!?」
「お掃除サボらないでください。ほら、行きますよ」
「いやにゃ〜! もっと遊びたいにゃ〜」
チナチナの首根っこを掴んでそのまま引っ張っていく。『────さい』フィーユとミャーナ、それから俺はその光景がおかしくって誰からともなく吹き出して笑っていた。『───きなさい』こんな日常がずっと続けばいいのにと。そう思わざるを得なかった。『ノウト、起きなさい』
「……フィー……ユ?」
「もうすぐでサリドに着くわ」
目の前には、シャルロットが座っていた。ノウトの顔を不思議そうに覗いている。
どうやら、ノウトは座りながら眠りに落ちていたようだ。ニコとカミルはまだ目を瞑っている。
当然ながら、ここは魔皇城の裏庭ではない。ここは、シャルロットの所持する馬車の中だ。今現在も進行形で揺れながら、サリドの首都ヘリオルへと向かっている。
つまり、さっきまで見ていたのは、
「……夢か………」
ノウトはひとつ息をつきながら呟いた。そうだ。あの日常はもう帰ってこない。フィーユはいなくなったんだ。フィーユにはもう会えないんだ。
「なんの夢を見ていたの?」
シャルロットがこちらを見ていた。
「昔の、……と言っても一年前くらいだけど、その頃の夢だよ。魔皇城で仲間たちと話してた夢だ」
「そう」シャルロットは客車の窓から外を見た。「さっき口に出してた『フィーユ』っていうのは、そのお仲間の名前なのかしら?」
「……そうだよ」
「亡くなったのね」
「なんで」ノウトは胸が途端に苦しくなって胸を抑えた。「……言ってないのに、なんで、分かったんだ?」
「その顔色を見てたら分かるわ。大事な人だったのね」
「大事な……」ノウトは言葉を失いかけた。「そう、大事な人だったんだ」
「フィーユさん、ね。覚えておくわ」とシャルロットは言った。どうして名前を覚えておく必要があるのか、この時は特に気にも止めなかった。
「ほら、水飲みなさい。顔色がすごく悪いわ」
シャルロットが水筒を渡してきた。ノウトはそれを受け取って、しばらくしてから口をつけて、飲んだ。飲み干した。
「少しは落ち着いた?」
「……うん。ありがとう」
「それならよかったわ」
シャルロットはそっと微笑んだ。なんだかフィーユの口調とシャルロットのそれが似ていたから、ノウトは思い出してしまったようだ。間接的だが、フィーユは不死王に殺されたといっても過言ではない。
フィーユだけじゃない。ルーツァもシャーファも、ミファナも、それにスクードの姉だって、不死王の策謀によって殺された。どこかでやつを止めないと。これ以上人が犠牲にならないように。
ふいに、車輪が奏でる轣轆の音の種類が変わった。正確に言えば、あまり音を立てない草木や土泥の上を走る音からガガガッと舗装された石畳を走っているようだ。ノウトは乗り出すように客車の外を見た。
「……着いたのか」
そこには、建物が立ち並び、視界の奥の方にはあまつさえ荘厳な建造物さえ見える。ニコやカミルたちを叩き起して、準備をする。物事は端緒についたばかりだ。これからノウトのすることひとつひとつに意味を持たせて行動せねばならない。
ノウトは窓の外に見える街並みを眺めながら、ひとつ呼吸をした。
◇◇◇
蜥人族の国サリドはその大半が砂漠で覆われた砂漠国家だ。
砂漠というと、一面に砂しかない光景を頭で想像してしまう。
実際は、ごく稀に雨が降った時だけ水が流れる涸れた川があったり、砂より岩や小石などが目立つ地域もあったりする。乾燥した地域に生息するような植物もあちらこちらに生えているし、水が湧くような沃地、つまりオアシスがあったりもする。
一般的な価値観を持って砂漠を想像するよりも、本物の砂漠は地形に富んでいる。
ここ、サリドの首都ヘリオルもまた例外ではない。
ヘリオルは『痕海』と呼ばれる大きな湖の北側につくられた都市国家だ。
かつて、ここには湖なんてものはなく、一面全てが砂漠だったようだ。
しかし、最初期に現れた勇者のひとりがここで戦闘した際に大きな衝撃波を放ち、地面を穿ち、ここに湖が出来たのだという。
それがのちに勇者が生み出した傷痕を忘れないように、ということで痕海と呼ばれるようになった。
嘘みたいな話だが、湖が綺麗な円を描いているのを見るに本当のことだと信じるしかない。
今でこそ魔皇が勇者を手早く仕留めるといった風習があるが、勇者に対処しきれなかった時代はそれこそこの痕海が生まれてしまうほどの大規模な戦闘になったのだろう。その直近の都市であるヘリオルに勇者であるノウトが来るのはなんとも居た堪れないが、そうは言ってはいられないので図太く生きるしかない。
ヘリオルは痕海に近いので、簡単に言えば沃地である。巨大なオアシスの近くに立つ都市と説明すれば分かりやすいかもしれない。大義的に言えば、ヘリオルの周辺は砂漠ではない。肥沃の大地が広がり、草木も生い茂げっている。舗装された道もある。だから馬車や虎車が砂漠に足を取られてヘリオルに来れないなんてことはありえない。
「キャラバンがいっぱいっすね〜」スクードは手庇をしながら周りを見た。
「人めちゃくちゃ多いね。ほんとにおっきい都市」ニコが少しだけ嬉々とした声で言う。
「離れるなよ〜。迷子になっても知らないからなー」
「そうだよーカミルっち」
「いや僕ですか!? ノリ的にニコさんかと思ったんですけど」
「ボクが迷子になるわけないでしょ」
「そうだな〜」
ノウトは聞き流しつつも周りの景色を眺めていた。
「んーでも、ノウトの知り合い早く見つかるといいけどね」ニコが人混みに呑まれようにノウトの後ろにくっついて言った。
ノウトたちは馬車を厩舎に止めて、街を歩いていた。土や粘土でつくられた建物の数々はまさに圧巻だ。基本色は茶色や黄土色でなかなかに無骨だが、逆にシンプルで見目が良い。高い防壁と内側にひしめく闘技場や遊技場などの興行施設もあるようだ。そして中心部のドーム状の居城によって街の外観が形成されている。また、商業と鉱業で栄えた都市でもある。
帝国を含めた、対ガランティア連邦王国同盟、その首脳会議がこの都市で行われるのだ。
首脳会議まではあとちょうど一日あった。
食事代や宿料はシャルロットが護衛料ということで出してくれた。こればかりは感謝極まりない。
「帝国軍の駐屯地が見つかればいいんだけどな……」
魔皇が来ているということは、つまり帝国の魔人兵たちの多くもここに駆り出されているはずだ。会議の一日前なら当然着いているはずだけど……。
露天の立ち並ぶ街路をただ歩く。ここはとにかく人が多い。サリドは蜥人族の国だが、住んでいる種族は多種多様だ。だが立地的に蜥人族を除けば、そのほとんどが魔人族や猫耳族だ。見知った奴がいないかと周りに目をやっていると、
「………ってあれ?」
よく見れば、ニコの姿が見えない。スクードやカミルもだ。さっきまで後ろにいたはずなのに。
あれだけ大口叩いて俺が迷子になるのか〜……と誰にも聞こえないような声を口の中で発した。やばい。どうしよう。人の数が多すぎて探すに探せない。
「ニコー! カミルー? どこ行ったー?」
と人ごみの中で比較的大きな声で言葉にしてみるも感触はないに等しい。周りにいる関係ない人々の視線を集めるばかりで、仲間たちからの返答は一切ない。困ったな、と頭を悩ませていると、
「あのう」
どこかから声がした。知っている声だ。
ノウトはその声に導かれるように振り返った。そこには二人組の猫耳族が立っていた。どちらも見知った顔だった。ノウトは思わず感極まって泣きそうになった。手が震えてしまった。そうして、ノウトが彼らの名前を出すより先に、彼女が口を開いた。
「えっ!? やっぱりノウト様ですよね!? わわっ、生きてらっしゃったんですね! びっくりしました!」その子がノウトの手を取ってブンブンと上下に振る。「良かったです! ほんとうに良かった!!」
そこに立っていたのはミャーナと、それから彼女と同郷のリューリという少年だった。
ミャーナはいつものメイド服を着ていなかった。リューリとお揃いの革製のジャンパーに黒いズボンを履いている。腰には長剣が携えられていた。
「……うす」
リューリは無愛想なのは相変わらずだが、挨拶できるだけノウトを信頼しているらしい。涙ぐみそうになるのをぐっと堪えて、ノウトは口を開いた。
「心配かけて悪い」とノウトは居心地悪そうに笑った。「二人とも元気そうでよかった」
「私ですか? 私は元気ですよ〜。元気元気〜!」ミャーナはそう言って細い腕で力こぶをつくってみせる。
「安心したよ」
ノウトはそう口には言ったものの、とてつもないほどの違和感を感じていた。
ミャーナとは二年近い間ずっと一緒に魔皇城の雑務担当ということで仕事をともにこなしてきた。ここ色々あってここ半年は会ってはいなかったが、それでも彼女のことは知り尽くしているはずだった。好きな食べ物から、ひょんなことから寝方や寝相の悪さも知っていた。
──こんなの、違う。
そうだ。ミャーナはもっと大人しい性格だったはずだ。初めて会ったときはノウトに怯えて声も出なかったほどに。
明るくなった、というのは良いようにも捉えられるが、この場合はなにか違う気がする。まるで、そう、中身が変わってしまったような───
と思案していると、突然リューリに肩を抑えられた。そのままぐいっ、と上体を押される。足を踏ん張らせなければ後ろに倒れて尻もちを着いていた。そんな勢いだった。
リューリはノウトの耳許に口をやって、それからこう言った。
「……こいつが──ミャーナがこうなったのは、フィーユさんが殺されたからだ、間抜け」




