第58話 歩く、進み続ける
今思えば、よく頑張ったと思う。よくここまで来れたな、と。
例えば、こんなことがあった。
森の中を歩いている時だ。
「………もう、歩きたくない……」
突然、足を止めたカミルがぼそりと呟いた。
「カ、カミルっち?」
ニコはカミルのことをいつからか『カミルっち』と呼んでいた。ノウトに関してはぶっきらぼうに『ノウト』のままなのでなんとも言えない気持ちだが、二人が仲良くしてるみたいで微笑ましい限りだった。
「さすがにね、これはきついですよ……」
「いやいやもうちょっとだからさ、ほら、歩こうぜ」
「何日歩いたと思ってるんですか。おかしいですよ、これ……。少なくとも……人がやることじゃない」
「それじゃ、少し休むか。ニコ、いいよな?」
「え、うん。別にいいけど。三分前も休んでたよ、ボクたち」
「あああ゛あ゛やってらんないですよ本当に限界なんですよ。なんですかこれぇ………」
カミルはどさっと地面に寝そべった。地面に敷き詰められた木の葉が舞った。
「おいカミル、ニコが見てるしそういうことは……」
「もうなんか、なんだろう。ふりなり? 違いますねなりふりですね。そう、なりふり構ってられませんよ。ずっとずっとずぅっと同じ景色。森の中。影の下。僕は森を出たくてノウトたちに着いてきたのに、これってあああ!! さすがに狂っちゃいますよこんなのおおおおお!」
だめだ。やけになってる。ニコは微笑みながらも若干引いてる。
「じゃあ、また休もう」
「まったくあんたねぇ!!」
カミルはがばあっ、と立ち上がった。なぜかキレ気味だ。
「なにもかも優しすぎるんですよ!」
「ありが、とう?」
「違う! 違いますからね!? 僕は憤ってるんです! 僕がこんな頭おかしい奇行に走ってるのにノウト、あんたは『休もう』『大丈夫か?』『もうちょっとだから頑張ろう』ってそればっかり!」
森の中にカミルの叫び声が鳴り響く。
「あんたが優しくするせいでこちとら一向に前に進む気配がないんですよ! ねぇ! ニコさん!」
「うん、そうだねー」
ニコはもう真顔だ。真顔で棒読みだ。さすがのノウトも「えぇ……」と困惑せざるを得なかった。
「ほら! ぼーっとしてないで進みますよ! 先は長いんですから!」
カミルはノウトたちを置いてずんずんと先に進んでいった。
ノウトは別に困らせたくて優しくしてるわけではなく、怒ったり叱ったりしたところで何かが解決されるとは思わないからこそ、ほとんど怒ることはないのだ。怒ることで何かが解決されるのであればとっくに怒っている──と言いたいところだけど、怒って人が萎縮しているのを見るのも好きじゃないし不毛な言い争いをするのも好きじゃない。合理的じゃないし、そもそも怒る必要がない。
でも、内心かなり戸惑っていて、少しだけ叫びだしたくなったが、やめておいた。心の中で嗚呼と呟くだけに抑えておいた。
歩き続けるのは想像以上にきつい。
ノウトは遠征に慣れているから少しきついだけに抑えられているが、ニコとカミルは今まで自分の国から出たことがないから、相当にきついはずだ。延々と歩くことなんてこれまでなかっただろう。
普通に生きていたらこんな長い距離を歩くことなんてありえない。普通じゃない。つまり、少しくらいおかしくなっても不思議な話ではない。
そして数日後、これまた森の中での出来事だ。
「……もう、むり………」
ニコが膝を抱えて座り込んで、ぼそっと呟く。
「……まじつらい……」
膝に顔をうずめて、うつむいた。
「…………………歩けない……」
「じゃ、休むか」
「いや、ノウト……。つい一分前まで湖の畔で休憩してましたよね……」
「でも、ニコがこう言ってるしさ」
ニコは黙ったまま座っている。ノウトとカミルは目を合わせて言葉を交わさずにコミュニケーションを取った。もちろん、言葉にしない言葉が通じるわけもないが、なんとなく言いたいことはお互い伝わったはずだ。
ニコはミドラスノヴァの中で森人族に矢で攻撃されてから、神機の内部が見えてるところもあって、見た目もいたたまれない感じになっているし、本人が大丈夫だからというから今日まで安心していたけれど、やはり完全に大丈夫というわけではなかったらしい。
カミルとノウトは近くの木々に背中を預けた。休憩を取る方向性で行くことにしたのだ。
相も変わらず、ニコはうつむいて、顔を膝にうずめたままの姿勢だ。
「……まぁ…ボクだって……」ニコが言葉を発した。もちろん、座り込んだまま。「………このままじゃ、森を出られないのは分かってるし………」
カミルは一歩前に出て、自らの胸を軽く叩いた。
「じゃあ、僕がおぶりますよ」
「………………ん……」
なぜかニコは提案したカミルではなくノウトの方に歩み寄ってノウトのすそを引っ張った。
「え、俺? いや、別に全然いいけどさ」
「……カミルっち、ひょろいから倒れそうだし」
「いや、そこまで筋肉がないわけじゃ…─」
「まぁ、カミルも疲れてるだろうし、俺がおぶるよ」
カミルは悔しそうな顔をしていたが否定しなかった。みんな、相当疲れてる。疲労も限界だ。こんな状況で人を背負って進むなんて正気の沙汰じゃない。でも、ノウトは困ってるニコを放っておけなかった。
ノウトはカンナの刀を邪魔にならないように前の方にかけてからしゃがんだ。そして、ニコに背を向けておぶる体勢になる。振り返ってニコの方を見ると、ここまできてニコは何故か指を絡めてもじもじしていた。
「……あの、ノウト…」
「ん?」
「……ボク、たぶんめちゃくちゃ重いだろうけど」
「大丈夫大丈夫。俺、帝都にいた時毎日のように筋トレしてたから。帝都の中じゃ筋肉の申し子って呼ばれてたから」
「それは嘘でしょ」
ニコが少し吹き出して笑った。
「………じゃ、遠慮なく」
ニコが背中に全体重をかけた。ニコの足を支えるように両腕を組んで、ニコがノウトの首に手を回した。肌が柔らかいな、と少し思った。それから立ち上がった。
「ほら、軽い軽い」
「ほんと?」
「おう。すっげぇ軽い。ニコ、普通に軽いよ。いやー軽いなー」
ぶっちゃけた話、かなり重かった。
重いどころの話じゃない。重いの上を行ってる。超越してる。そりゃそうだ。神機はそのほとんどが金属で出来ているから重いに決まってる。ラウラやダーシュたちと一緒に運んだ瞬間転移陣よりも重い。もう完全に膝が笑ってしまっている。
でも、ニコは女の子だからここで重いなんて口が裂けても言えない。絶対に言えない。言ってたまるか。
カミルは血涙を流さんとばかりに下唇を噛んでいたが、カミル自身、ニコを持ち上げられる自信はないのか黙ってノウトの様子を見ていた。
「それじゃ、進むぞー。あと少しだ、みんな」
「分かりました」
「……ふふん」
すぐ後ろにいるニコがなんだか嬉しそうだったから、ノウトも同じように嬉しくなった。ニコは神機だけど〈熱〉の神機だけあって温かった。体温があった。人肌を感じた。
ちなみに、ノウトはこのあと三十歩ほど歩いたところでニコを下ろした。
まだまだ鍛え足りないらしい。ニコはその後ぺしぺしとノウトと叩いていたけど、どこか楽しそうだったから今となっては良かったかなと思う。
まぁ、そんなこんなで苦節十日、予定より大幅に遅れてしまったが、ノウトたちはミドラスノヴァ内の森の中を歩き続け、遂に───
「やったああああああぁぁああ森を抜けたあああああああ!!」
ニコが森の外に向かって走り抜けた。カミルは無言で目をつむって涙を流しある種の感動を覚えていた。その様子を見て、ノウトはなぜだか誇らしくなった。諦めなければ歩いてここまで来れるのだ。センドキアを出てから本当に長かった。ニコとノウトはカミルの倍近く歩いていることになる。
国を股にかけて歩き続けたこの感動にしばらくの間浸っていたい。
ノウトとカミルも森の外へと出て、陽の光を身体に浴びた。
「あっ、あれ町じゃない?」
ニコが指をさした方向に確かに町のようなものが見えた。ただ、どの建物もここから距離は離れていないはずなのに少しだけ小さく見える。
「じゃあ、あそこで一晩泊まって荷物整理やら済ませとくか」
「了解です」「おー」
カミルとニコが疲労感隠せない動きでうなずく。
ノウトたちはさきほど見えていた町に入った。方向さえ間違えていなければここはユニとミドラスノヴァの国境近くにある町ということになる。
ユニは小足族の国だ。
この町に小足族がたくさんいたらまず安心できるんだけど、などと思いながら歩を進めると町の門を通ったところで門番に止められた。
「待ちな。兄ちゃんたち、何もんや。なんやえらい格好してるし、それにミドラスノヴァの方角から来たように見えたけどなあ」
めちゃくちゃアダルトな喋り方だが、喋ってるその人は身長100センチにも満たない子供のようにも見えた。でも、その人には髭が生えていて、身にまとう甲冑もなぜだか妙に様になっている。
そう、この人こそがこの種族こそが小足族なのだ。
ノウトは全身で安心感を覚えた。無事にユニまでたどり着けたのだ。この調子でいけば帝都までたどり着くのも時間の問題だ。
「か、かわいい……」
ニコは彼を見て、思わず呟いた。しかし、小足族に『かわいい』などのセリフは軽い禁句だ。
確かにかわいいことに違いはないが本人たちも好きでかわいいわけではないので、ただの客観視だけでかわいいを押し付けるわけにはいかない。
「ああん?」
当然のごとく門番はニコを睨んだ。まずい。ニコはよくみれば身体のところどころに穴が空いていて、神機っぽいところが露出しているので、それがバレたら少し面倒なことになりそうな気がする。
「い、いやすみません」ノウトはニコの前に出た。「俺たち、旅をしてるものでして、ミドラスノヴァに行ったら追い返されてしまったんです」
「なんやただのアホやないかい。んで、あんたら二人は徒人族で、そっちの兄ちゃんは森人族……。妙な組み合わせやな怪し過ぎる」
……やばい。ノウトたちは冷や汗をかきながら顔を見合せた。
種族的な意味でもノウトたち一行はかなり異質だ。
勇者と神機の女の子と神機を心臓に埋め込まれた森人族。
異質にもほどがある。絶対にスルーは出来ない。
ノウトとニコはぱっと見ただの徒人族にしか見えないし、小足族は比較的勇者の被害を受けていないから徒人族に対する差別はそこまで酷くないけれど、それでも珍しくて怪しいのは変わらない。なんとか弁解しようかと「あ、あのですね」と切り出して怪しいものではないことを伝えようとした。
その時だった。
「通してくださいよ! 俺のせいであの人はあれなんすよ!? あれなんすからね!」
何やら、一人の青年がもう一人の門番に訴えかけている。ノウトたちとは逆にここから外に出ようとしているようだ。
「なにあの必死な人」
ニコは珍しいものを見るように青年を見た。
「何かあったんですかね」
「ああ、あの魔人族の兄ちゃんなあ」ノウトたちの相手をしていた小足族の門番は目線をそちらの方へと向けた。「この間からずっとここで粘っててなぁ。ミドラスノヴァに行くって聞かないんや」
「へー。そうなんだ」ニコは不思議そうに首を傾げた。「でも、どうしてミドラスノヴァに行こうとしてるんだろ」
カミルも同様に疑問に思ってるみたいだ。ノウトはというと、妙な感覚に陥っていた。あの声。あの横顔。どこかで聞いたことがある。絶対に知っている。
「何度も言うがねぇ、あんちゃん。ミドラスノヴァに行かせる訳にはいかないのよ。ハリトノヴァとはわけが違う。生きて帰ってこれる保証がどこにもないんや」
「でも! それでも俺はここから先に行かなくちゃ行けないんすよ! 命を懸けて会いに行かなくちゃいけないんす! それがあの剣を託した俺の責任で! 不死王を殺してくれと頼んだ俺の責務なんすからぁ!」
……そうか。ノウトは思い出した。いや、思い出す必要なんてなかった。まさか、ここに彼がいるわけはないと自らの目と耳を疑っていたのだ。
しかし、今確信に変わった。
そこで涙声になって声を枯らしながら力説していたのは、アヤメの剣をつくりだしてノウトに渡した張本人で、神機の技師であるスクードだった。




