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第57話 その情動を縫いつけて



 ミドラスノヴァの都市から脱出したノウトたちは帝都に向かって、ひたすらに歩き続けていた。

 その土地の人に出してもらったとはいえ、ノウトたちは脱獄をしてしまったわけで、おそらく今頃ミドラスノヴァ内では上層部で騒ぎが起きていることだろう。

 カミルの姉であるフレイヤはミドラスノヴァの中でも有数の有権者であるため、事態の収束を担ってくれるらしいが、それでも少し心配だ。

 カミルについても正直言えば初めの方は心配事がたくさんあったが、ノウトたちを逃がしてしまった以上、もうミドラスノヴァにいられないのは事実だ。ノウトがカミルについては責任を負う必要がある。

 ノウトを殺して紋章を奪うという任務に失敗してセンドキアには戻れないニコと、それからノウトたちの脱獄の一助となったカミル。ふたりは似てないようで、どこか似ているかもしれない。

 カミルは一見かなり真面目に見えるが、話してみると冗談も通じるし、案外面白いやつだということが分かった。

 例えば、カミルが樹木を操る能力をどうして持っているのか質問した時のことだ。


「その、カミルが樹を生み出して操ってるのって森人族(エルフ)全員ができることなのか?」


「いえ、これが出来るのも森人族(エルフ)の中じゃ僕だけだと思います」


 カミルが言うと、ニコが首を傾げた。


「そーなの?」


「僕の心臓には〈樹〉の神機《樹木葬画匣(ユグドラシル)》が埋め込まれてるんです」


 そう言ってカミルは手のひらからツル植物のようなものを生やして動かしてみせた。

 体内に神機を埋め込む手法については見聞があった。例えば大陸に伝わる見聞にこのようなものがある。〈(つるぎ)〉の神機を体内に宿した剣豪覇者の話や〈氷〉の神機を埋め込まれた怪物の話など、多くの逸話がこの大陸にはある。だが、そのどれもが人々は伝説やただの昔話だと思っている。

 神機の研究者であるメフィもそれについてかなりの時間を費やし研究していたらしいが、彼女の手を持ってしても駄目だったらしい。

 それもそのはずだ。体内に神機を埋め込むなんて医療技術や魔法をどんなに駆使しても埋め込まれた側はどうあがいても大きな苦痛を(こうむ)ることになる。体内に異物があって、生き物がそう長く生きられるわけがないのだ。

 カミルの身体にも大きな負担がかかっているのは明白だ。


「僕はその体内の神機の力を借りて、この能力を使ってるんです」


「じゃあ、ボクと同じだね」


 ニコはさも当然のように言った。その顔には笑顔も怒りもくっついていなかった。いつもの、いつも通りの表情だ。


「同じ?」


「ボクも神機で力を使ってるからさ。似たもの同士だ」


 カミルはニコのセリフに否定も肯定もしなかった。彼はただ、手で鼻をこすって、それから顔を伏せていた。

 その日の晩だった。ノウトたちはミドラスノヴァの森の中で一晩休むことにした。ニコが「寝る」とただそれだけ言って横になったので、ノウトとカミルは交互に見張りをしようという話になった。ただ、どちらもそこまで眠気がなかったから少しだけ雑談をすることにした。


「なかなか森を抜けられないな」


「ミドラスノヴァ全域が大樹でつくられた要害ですから。ユニにたどり着くまでは抜けられませんね」


「そうだなー。あとどれくらい歩くことになるんだろ。二日とか、そのくらい?」


「都市はミドラスノヴァの中央にあるので、そこからだとあと最低三日は歩くことになりそうですね」


「まぁ、そんなもんだよなぁ」


 なんて、意味のない会話を延々と繰り返していた。

 それから、お互いの昔話をした。ノウトは自分には勇者として召喚される以前の記憶がないことや出会ってきた人達のことを話した。

 カミルは生い立ちをノウトに伝えた。彼は死産だった際に〈樹〉の神機を埋め込まれて息を吹き返したらしい。またカミルの姉であるフレイヤはカミルに対して度を越した過保護で母同然の存在なんだとか。そんな彼女がカミルをノウトたちの同伴を許したのはそれだけノウトを信頼しているということなのだろう。ノウトもそれに応える必要がある。カミルもニコも、ノウトが守らないと。

 雑談を続けていて、ふと、ノウトは思ったことを口に出した。


「カミルは俺たちをさ、助けてくれたじゃん?」


「え、ああ、そうですね。改めて言われると凄いことしたなーって感じですけど」


「俺、凄い感謝してるんだ。もうこれでもかってくらい。カミルがいなかったら俺たち、本当にあそこで終わりだったから」


「そんな大げさな」


 カミルは両手を振ったけど、ノウトはカミルの行動に敬意を示している。

 脱獄に手を貸すなんて、失敗したら確実に殺される。成功したとしても、もうその国にはいられない。カミルは文字通り、命懸けでノウトたちを救けたのだ。


「それでさ、俺たちを助けたその真意を教えてよ」


「真意? 言ったじゃないですか。あなたたちがあそこで死ぬのは理不尽すぎるって」


「でも、カミルはこうも言ってたよな。『これじゃ、助け損じゃないですかまったく!』……みたいにさ」


「ノウトは……何を言いたいんですか?」


 ノウトはすぐに答えを言わずに、ニコの方を少し見てからカミルを向き直した。


「なんだか、もどかしいな」


「え、何がですか?」


「カミルはニコが好きだから俺たちを救けてくれたんだろ?」


「はああああああぁあぁぁぁぁぁ!?」


 カミルは声を張り上げたが、寝ているニコを一瞥して起こさないように声のトーンを下げた。


「いくらなんでも飛躍すぎでしょ!? 召喚されて三年しかこの世界に生きてないくせに想像の翼広げないでくださいよ! ああまったくそれにしても僕のことも何も知らないのによくそんなこと言えますね! 好きですって!? そんなわけの分からない情動を僕が持っているとでも!? まったくもって意味わかんないですけどね! 好きとか嫌いとかそんな人間らしい劣情を心臓に神機を埋め込まれた僕が少しでも抱いていると思ったら大間違いですよ!」


 カミルはノウトに当たり散らして、それからひとつ息をついて、髪をかきあげた。


「……確かに、僕はニコさんが好きなのかもしれない。ノウトたちをツルで操って拘束した時も、無いはずの心臓が温かくって熱くって、胸が苦しかった」


 カミルは目を伏せた。


「……それは極めて情動的で、その全部がくだらない感情です。でも、それは確かに僕を支配している」


 そして、彼は胸を強く抑えた。


「僕にはミドラスノヴァを再興したいという自国愛の感情と、それからノウトたちと共に旅をしたい気持ちと、最後にくだらない劣情が存在している。こんな気持ちで一緒にいていいのかずっと分からなくて、姉さんにも申し訳なくなって──」


「いいんじゃないかな、それで」


 カミルが目を丸くしてノウトを見た。ノウトは足元に目線をやる。


「いろんな感情を抱いているのが人なんだしさ。今のカミル、すごく人間味があって、俺は好きだけどな」


 カミルはノウトから目線を逸らして、目を瞑った。ノウトはカミルを見て、口を開いた。


「ニコに好きだって言えばいいんじゃないか?」


 その言葉を聞くと、カミルは呆れたようにため息を吐いた。


「……あなたには分からないんですよ」


 カミルは歯を食いしばった。


「この社会では……今の関係を失うと、もう取り返しがつかないかもしれないんです」


「取り返しなんて、いつだってつかないよ」


 ノウトの言った言葉を聞いて、カミルは目をみはった。


「今こうしてる全てが取り返しがつかない。失ったひとも、ものも、なにもかも全部。でも、俺らは取り返しがつかない選択を繰り返して幸せを掴むしかないんだ」


 ノウトはにっ、と笑ってみせた。そして、恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかいた。


「受け売りの言葉だけどね」


「………なんだか……」


 カミルは抑えていた胸から手を離した。


「……ほんの少しだけ、……胸が軽くなったような気がします」


「それは良かった」


 ノウトが言うと、少しの間その空間に静寂が訪れた。かすかに聞こえる木の葉の擦れ合う音が妙に心地よかった。静寂を破ったのはカミルだった。


「……でも、ノウトは、おかしいって思わないんですか?」


「おかしいって、なにが?」


「僕が、好きになったのはニコさんですよ?」


「うん」


「だからっ……」カミルは少しだけ声を荒らげた。「……ニコさんは神機で、……つまり機械だから……でも僕は森人族(エルフ)で……。それって、……おかしいと思いませんか?」


「別におかしくないよ。俺はニコと一週間くらいしか一緒にいないけど、それでも分かる。ニコは普通の女の子だ」


「はははっ」


 カミルは笑いだした。大声で笑った。腹を抱えて笑っていた。


「……えっ、今の笑いどころだった?」


 ノウトが困惑しているとカミルは笑い涙の浮かぶ(まなじり)を手でこすった。


「あなたは変な人だ」


「それは、ほんとによく言われる」


「ノウトは、好きな人はいないんですか?」


「そりゃたくさんいるよ」


「そういう事じゃないです。あんたぶっとばしますよ」


「ごめんごめん。軽い冗談。カミルが言うニコみたいな存在のことだろ? それならいるよ」


「それ恥ずかしいので口に出さないでくださいよ。……で、その人はどこにいるんです? 帝都に、ですか?」


「いや、帝都にはいないかな」


「じゃあどこに?」


「彼女は───」


 ノウトは天を衝くかのような大樹の先の方を仰いだ。


「あの人は、故郷にいるんだ」


「じゃあ、早く戻らないとですね」


 カミルは言ったが、ノウトはなんだか妙な思いになっていた。何か。何かが、おかしい。


「その人は、なんて名前なんですか?」


「彼女の名前は……」


 ノウトはそこまで言って、自らの額を手で覆った。

 あれ、なんだ、これ。あの人の名前だ。名前だよ。名前。名前。何か。何かが変だ。

 彼女の名前は──……ロメリー? 有栖(ありす)? アリス? アヤメ? アイリス? 違う。どれもが違う気がする。

 三年前に、ノウトが自ら手をかけた彼女の名前だ。炎に包まれて、灰になってしまった彼女の名前。思い出せ。思い出せ。思い出せ。


「思い出せない……」


「え、どうしたんです?」


「……思い出せないんだ。名前を……。彼女の名前を……」


 なんで、どうして。ノウトはあの人を愛していたはずだ。それなのに。どうして。どうして思い出せないんだ。そうだ。そういえばここ三年近く彼女の名前を口に出していなかった。それにしても変だ。思い出せないなんて。ありえない。現実的じゃない。

 気がつかなかった。違和感を今まで感じていなかった。

 あの時にノウトが失ってしまったのは、灰になってしまった人の名前は、ロメリーでも、有栖(ありす)でも、アリスでもない。

 今まで、忘れていたことを忘れていたのだ。

 だめだ。思い出せない。


「ノウト……?」


 ニコが目を覚ました。


「あ、悪い。うるさかったよな」


 ニコは首を振った。


「ノウトたちも早く寝なよ。明日も朝早いし」


 そう言って、ニコは横になった。ノウトとカミルは二人して少し笑った。もう、その時には思い出せないことを忘れてしまっていた。


「ノウト、僕は君の全てを理解してはいませんが、何かあればいつでも助けになりますから」


 カミルはそう言って笑ってみせた。

 ノウトはそれに頷いて答えつつも、胸に残る微かな違和感を覚えていた。

 まるで、胸に穴が空いてしまったみたいだった。

 それとも、この胸にぽっかりと空いた穴を指でなぞれば、それが何かを思い出せるのだろうか。



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