第49話 歩き方を教えてくれよ
「にしても、高すぎるだろ……」
「あの壁は勇者が作ったからねー」
「……は?」
反射的にノウトは足を止めてしまった。今、ニコはなんて言ったんだ……? 勇者? いやいや。そんなはずはない。
「い、いや、勇者が作ったって……。そんなわけ──」
「走るよ」
突然、ニコが駆け出した。走る。走っていく。唖然としていると後ろから唸るような声が聞こえた。いや、声というより、鳴き声だ。獣の咆哮に近い声が後ろの方から。
ギュア、ギュ、ギググギュギュアアア。
そんな奇妙で聞いたこともないような音が背後から聞こえた。思わずノウトは走り出していた。やばい。これは絶対やばい。走りながら、後ろをちらっと確認した。
「なぁ……っ!?」
あくまでちらっと見ただけだ。それなのに、もう瞼と脳裏とその他ノウトの情報を司る器官に焼き付いてしまった。
──巨人だ。
黒く、ところどころ灰色に覆われた、顔の無い巨人が背後から迫っている。巨人というか、怪物に近いのか。いや、そんな定義付けなんて今はどうでもいい。五十メートルくらい離れているのによく見えるということはかなり大きいということになる。
ノウトの背丈の二十倍はあるだろう。ゆったりとだが、確実にこちらを追いかけて来ているのが分かる。
「なんだよ、あれは!」
ノウトは叫びながら走った。ニコはだいぶ先の方を走ってる。当然、返事はない。殺陣があればなんとかなるだろうが、今のノウトは丸腰だ。あんな巨体に押し潰されただけで軽く死んでしまうだろう。
ギュア、ギュギュアア、ギググキュアアアアアアア。
唸り声が近付いてくるのが分かる。後ろを見る暇さえない。木々をなぎ倒しながらこちらに歩いてきている。
「はぁ……はぁっ……!!」
凍てつくような冷気が肺の中を満たす。それとは対極的に身体は熱い。高揚感がノウトを満たす。走れ。走れ。走り続けろ。
そびえ立つ壁に近づいてきた。近づけば分かるが本当に大きい壁だ。ずっと上の方を見ないと頂点が見えない。大きいというかでかい。いやそれ同義か。まぁ、とにかく巨大だ。
巨大な壁に黒い巨人に挟まれている。
ニコは既に壁にたどり着いていた。そして、立ち止まっている。壁の一部が長方形に塗り潰すように黒く光沢に覆われており、そこをニコが指さしていた。
「ノウト!!」
ニコがノウトの名前を大声で呼んだ。
「この端末に触って!」
言われるがままにノウトが右手で黒い壁に触れる。だが、何も起こらない。
「うっそ! これじゃ、だめなの!?」
ニコが明らかに狼狽えた。何が。何がだめなんだ。ニコが髪をかきむしる。
後ろからはあの黒き巨人が迫っている。あと十秒も経たずにやつはここに辿り着くだろう。
ノウトはあの黒い巨人を見た。見つめた。
「……あ」
「あぁ?」
「いや……」
凝視することで、分かった。あの黒い巨人は凶魔だ。周りを覆ってるツヤのある膜は凶魔そのものだ。でも、あんなに巨大なものは見たことがない。あんなもの存在するのか。
すると、ニコは何か思いついたようにハッと顔を上げて、今度はノウトの左手を取った。そして、ニコはノウトの左手の甲を黒い壁に押し付ける。
突如、変化が起こった。黒い壁に翠玉色の光の線が走った。一瞬にして線は模様となった。
「これは……」
紋章だ。大きな紋章が壁に描かれている。その紋章が割れていくように壁が左右に別れた。
その瞬間、ニコは壁の向こう側へと飛び出すように抜けて行った。ノウトも同じように駆け出す。
ノウトとニコが壁を抜けたのを自動で感知したのか、割れた壁が元に戻るように閉じていく。その向こうに黒い巨体が見えた。もう、やつは追いかけてこない。ノウトとニコは無事、逃げられたのだ。
「……やった」
ニコが呟いて、
「やったやったあ! 抜け出せた! こんなの奇跡だよ! いえいいえーい!」
ニコはノウトにハイタッチした。ニコが怖いくらいにハイテンションなので軽く引いてしまったが、これが本来のニコの姿なのだろう。微笑ましくて、ノウトは小さく笑った。
「こ、こほん」
ニコは急に恥ずかしくなったのか咳払いをしてから横目でノウトを見た。
「ほら、ボクの言った通りちゃんとセンドキアから出られたでしょ?」
「最後、すごい焦ってなかったか?」
「う、うるさいな。ちょっと予想外なことが起きたんだよ」
「さっき、壁で止まってたことか?」
「そ。勇者ならセンドキアの国境を越えられるってことは知ってたんだけど」
ニコとノウトは同時に後ろにある壁を見やった。
「あのデバイス、その紋章に反応するようになってたのねー。ふむふむ」
ニコが自らの顎を触ってうんうんと頷いた。
「ニコはなんで、そんなこと知ってるんだ」
言ってから、そういえばニコの正体を探ることは聞いちゃいけないんだったと思い出したけど、ニコは小さくため息をついて、答える姿勢を取ってくれた。
「あの壁を作ったの、勇者だって言ったじゃん?」
「それって、……つまりどういう事だよ」
「つーまーり、センドキアは勇者が建国した国なんだよ」
ニコはぴしゃりと言い放った。その言葉の意味が数秒理解出来なくて返答に窮してしまう。思考をめぐらせて、自分の中で結論を見出す。
「……だから、あの国には人間しかいないのか」
「そーゆーこと」
「あの文明と文化のレベル。相当、以前に建国したのは確実だな。まさか俺以外に魔皇を倒すことを放棄する勇者がいるなんて──」
「思ってなかった?」
「いや……」ノウトは瞼を揉んだ。「有り得る話ではあった。でも、帝都の文献にはそんな話は一切出てこなかったからないと思っていたんだ」
「ふーん」
ニコは歩き出した。
「そうだ」ノウトはその背中を追いかけながら思い出したように口を開いた。「あの凶魔……黒い巨人は結局なんだったんだ?」
「あれは『住人』さ」
ニコは振り返ることなく、言った。
「ジューニン?」
「あれこそが巨人族の正体。かなり昔の話だけど、あれを使って軍事利用しようと試みたみたい。でも、失敗に終わって今はセンドキアから出ようとする人間を始末するただの『住人』になってる」
「……そういうことか」
なんの目撃情報もなしに巨人族が存在するというデマが広がっていると思っていたが、きちんと原因はあったようだ。
ノウトはニコに視線を戻して、息をついた。とりあえず、第一関門は突破できたわけだ。
「まぁ、何はともあれセンドキアからは無事抜け出せた訳だし、これからどうするつもりだ?」
「どうするって?」
「え?」
「え?」
ニコとノウトはお互い間抜けな顔で見合った。
「……ここから、何か作戦があるんじゃないのか?」
「ないよ?」
ニコはきょとんとした顔で首を傾げた。
「言わなきゃわからない? ボク、センドキアから出たことないしここからどうするかなんてわかるわけないじゃん。ノウトってほんとにバカだねー。ウケる」
「いやいやそんな逆ギレみたいにしなくても……」
──というか。……嗚呼。なんてこった。ニコがまさか無計画だったとは。自信満々に進んでいたけれど、ニコの脳内にある設計図の上にはセンドキアから出る以外のことは記されていなかったようだ。
「……行くあてないのか?」
「うん」
ノウトは頭を搔いた。
「…じゃあ、俺に着いてくる?」
「ボクは別にひとりでも生きられるけどどうしてもっていうなら着いていってあげるけど?」
「なんでいちいち上からなの……?」
思わずため息をつかざるを得ないが、ニコに助けられた手前、ここに放置するなんてできない。
「大陸の地理は分かるか?」
「分かんない」
「……いや、ニコお前レーグ半島のこと知ってただろ」
「地名は知ってるけど地理はわからない。それくらい察してよ」
「あー……マジで? センドキアに大地掌握匣で作られた本物の地図はないのか?」
「グラン……なに?」
「んー、分からないか……。じゃあ、仕方ないな」
ノウトは適当に木の枝を拾ってきて、雪の上にざっくりと大陸の地図を描いた。
「これが、この大陸の形。んで、俺は今からこの辺りにある帝都に向かって進もうとしてる」
「南西方向か。魔帝国マギア。名前だけは知ってる。歴史のある国だよね」
「知識だけはいっちょ前だな……。まぁ、いいか。俺はここからここに向かうつもりなんだけど」
「いくつか国を跨ぐ必要があるねー。ま、ボクならいけると思うし大丈夫でしょ」
「長い旅になりそうだ……って勝手に先行くなよ」
いつの間にか歩き出したニコの背中を追いかけるノウトだった。
《現在地センドキア、ミドラスノヴァ国境沿い》




