第11話 二つの月の下で僕らは
時刻は午前2時20分を回っていた。
夜は更け、二つの月がノウトらを照らしていた。
金属のテーブルを間に置いた反対側に漆黒の角を生やした真っ白な少女が座っている。
ヴェロアと名乗る彼女は自らを魔皇と称し、俺に『勇者の全滅』を命令した。
『こっちも月が綺麗なのは同じだな、ノウト』
「そうだね」ノウトは空を仰いで頷いた。「このタイミングで現れたってことは姿は見えなくとも、こっちの様子は確認出来てるってこと?」
ヴェロアがノウト以外の人間に見えていないと知りつつも周りに誰も居ないので口頭で会話する。
見られた場合、完全に頭がおかしい人になるが、小声で話してれば大して目立たないだろう。
これは一対一で面と向かって話してくれる魔皇であるヴェロアに敬意を払うが故の行為だ。
『まぁ、そういうことになるな。……あっ、えっと。にゅ、入浴中は見てないから安心してくれ』
「そ、そう」
どうでもいいような、どうでもよくないような微妙な情報だ。
「色々と質問したい。こっちから質問攻めになると思うがいいか?」
『ああ。もちろん。何にでも答えるよ』
ノウトはまず一つ気になっていたことを彼女に問うことにした。
「ヴェロアが死ぬと俺も死ぬっていうのはどういう意味なんだ?」
『そのままの意味だな。こうやってきみの目の前に顕現できているのもそれと関係がある。私の本体は今魔帝国の皇都グリムティアの城内にいる。この姿は映し出されたものと思ってくれて構わない。そして、これはメフィのつくりだしたもので、眷属魔術と言うんだが──』
彼女は少し間を置いて、話し出す。
『要するにノウトは私と繋がっているんだ』
「繋がっているって……」
『今回の作戦を進めるに当たり、この魔術を使うことになった。ノウトを危険に晒すことになるから、本当は使いたくはなかったが、メフィとノウトの案で私とノウトを繋げたんだ』
「原理はよく分からないけど、その結果ヴェロアは俺のことを監視できて、こうして通じることが出来るってこと……で合ってる?」
『ああ、その通りだ』ヴェロアはそう言って、小さく微笑んだ。
「俺とヴェロアはどういう関係だったんだ?」
ノウトが言うと、ヴェロアはそっと笑う。
『対等な仲間、かな』
その飾り気のないセリフに、ノウトは肩透かしを食らった。
「対等……」ノウトはその言葉を繰り返した。
『魔皇である私とその従者であるノウトとの関係は他のものから見たらそれ相応だったが、私とノウトはお互いに対等だと思って接していた。そう思っている』
ヴェロアは過去に耽るように目を細めた。
『私はノウトを限りなく信じていたんだ。きみはいつも真の勇者になると言っていたから。人を救いたいといつも言っていたから』
やはり、ヴェロアと話していると心のどこかで安心出来る。記憶が失くなる前に仲間だったことを心が覚えているのだろう。
「……俺は、その頃の記憶はないけど。でも、ヴェロアが悪い人ではないことは、どこか覚えている気がする」
あくまで気がするだけだ。でも、その小さく儚い自分の考えをが大事にすることが自己の証明だとノウトはその瞬間に感じた。
「だから今の俺も信じるよ、ヴェロア。きみのことを」
ノウトがそう言ったから、ヴェロアは少し嬉しそうに頬を緩めた。
『やっとスタートラインに立てたな。また宜しく、ノウト』
屈託のない笑顔で笑う彼女と握手をする。その言葉使いからは想像出来ないほど小さく華奢な手だ。普通の女の子と何もかもが変わらない。
「よろしく」
ヴェロアは幽霊みたいな認識だと思っていたが俺だけには触れられる様だ。それも『繋がっている』ことに関係した効果だろう。
「えっと、魔皇とその従者って関係なら敬語とかで話した方が話した方がいいのかな?」
『ノウトの好きでいい』ヴェロアがノウトの目を見た。『この世界に正解はないからな』
「分かった。それじゃ、対等ってことで今まで通りでいくね、ヴェロア」
『ああ、その方が私も助かる』ヴェロアは控えめに頷いた。『それじゃ、勇者全滅を目指して、勇者の情報共有といくか』
「分かった。……いや、ごめん、ちょっと待って」
『なんだ?』
「もう少しだけ聞きたいことが山ほどあって」
『いいぞ。答えられる限り何でも答えよう』
「ありがとう。聞きたいのは、どうして俺らは記憶を失ってるんだってことなんだけど」
『それは……すまない。分からないな。私はもちろん、メフィも分からないはずだ。何せこうやって人間領に訪れるのも初めてだからな』
「なるほど。そういえば、その時々出てくるそのメフィってのは誰のことなんだ?」
ノウトが言うと、ヴェロアはなんだか哀愁のある顔をした。
『それをメフィが聞いたら凄く悲しむな』
「えっ!?」
『メフィは魔帝国マギア魔術研究所所長で私の直属護衛兵、つまりお前と同じ魔皇軍四天王の一角だ』
「……ん?」思わず自分の耳を疑った。「ごめん、初耳なんだけど俺、魔皇軍の四天王だったの……?」
魔術研究所やらなんやら気になることもあるがそれよりも四天王ってなんだか、痛々しいというか。
『そういえば言ってなかったな。四天王と自称しろ、と私は言っていたのだがお前含めて誰一人として四天王という単語を口頭で使わなかったな。四天王と言いつつも五人居たのが間違いだったか』
「そりゃそうだよ。五人なのに四天王って。しかもなんか、それ言うの恥ずいし」
『そ、そうかな。凄いかっこいいと思ってたんだが』
ヴェロアは片手で頬をかいた。その仕草が魔皇のものとは思えないくらい可愛くてノウトは目を逸らした。
「その、メフィって人は魔術に長けてるって感じなのか」
『そうだな。まぁ、というよりも魔術を解読、開発するのが彼女の専門だな。火力だったらかつての私の方が上だろう』
「かつてのってことは今は違うのか?」
『今は、そうだな。一般魔人兵にも本気で来られたら対処出来ないだろう』
「そんなだったらすぐに勇者に殺されちゃうんじゃないか……?」
『そう、なんだよな』
ヴェロアが小さく頷く。
『責任を押し付けるのはあれだが、私の命はノウト次第といったところだな』
「な、なるほど」
『かつての私だったらお前の仲間にいる勇者四人も一瞬で消し炭にすることが出来るんだが、前回はなんと目視しただけで私の魔術を封じて、自分のものにするというトンデモ勇者がいたのでな。そいつにあろう事か遁走を余儀なくされてしまった。だが、今回はお前の手柄により早々に殺すことが出来た。もう勝ちは見えたも同然だな』
「もしかしてそれって……」
『ああ、お前が始まりの場所、あの暗い部屋で殺した男だ』
「やっぱり……」
どうやら、目覚めた直後にノウトが《弑逆》を使って殺してしまったあの人物が、ヴェロアやその仲間たちを貶めた犯人ということらしい。
『あそこで殺すのはかなりハイリスクだったのだが、あの場で殺さなければ前回と同じ悲劇を繰り返すと思ってな。もう、あの惨劇は私は見たくないんだ』
ヴェロアはノウトにほほ笑みかけるが、その目は悲しそうでどこにも嘘偽りのないことが分かった。
「ずっと気になっていたんだけど、前回ってのは?」
『ああ。それも言ってなかったな。単刀直入に言うと、実は今回の勇者の召喚は二度目なんだよ』
「二度目って、つまり……」
『勇者に追い込まれた私とノウトは過去に戻ったのさ』
ノウトが言うよりも前にヴェロアが先に答えを口にした。
『魔皇城の地下に先祖代々から伝わってきたという神機、《時逢廻移機》というものがある』
「クロノ……グラム……」ノウトはオウム返しするように呟いた。
『前回の勇者との戦いで窮地に追い込まれた私たちはこれを使って大戦の起こる二日前に戻ったんだ』
「……そういうことだったんだな」
『その際に、…多くのものも失ってしまったがな』
「多くのもの?」
『《時逢廻移機》は魔皇だけが使える代物で膨大な量の魔力と引き換えに二日前に戻ることが出来る、という神機だ。つまり私には今、ほとんど魔力が残っていない』
ノウトは軽く息を呑んだ。以前に言っていたのはこういうことか。ノウトとヴェロアは命からがら未来から過去に戻ってきたということだ。その際にヴェロアはその力のほとんどを失ってしまったようだ。
「その神機っていうのはなんなんだ?」
『数千年前に魔神が造り出したという人智を超えた道具のことだ。ただの賢人が作ったという諸説もあるが。アンダーグラウンド──つまり地下から掘り起こされるものなんだが、何を目的に作り出されたかは分かっていないんだ』
「なるほど」ノウトは自分の顎を触って少しの間考察した。「うん、戻ったってことに関しては大体分かった。ありがとう、ヴェロア」
『お安い御用だ』
ヴェロアがニカッと笑う。
毎度思うが、こんな純情そうな笑顔で笑う少女が魔皇なんて厳つい名称で呼ばれているなんてそうそう信じられない。
「それで二日前に戻ったあとに何があったんだ?」
『その後、お前を始まりの場所、あの暗闇の部屋に星瞬転移機──瞬間移動させられる神機で飛ばしたんだ』
「内側から勇者を全滅させるために、か」
『そうだ。私がこう無力になって勇者を真っ向から迎え撃てば前回よりも悲惨な結果になるのは目に見えているからな』
「俺の重大度やばいな……」
他の勇者が魔皇の所に辿り着くまでに俺が何とかしないといけないのか。
「でも俺の〈神技〉、言っちゃなんだけど弱い、というか20人弱いる勇者たちを皆殺しに出来るほどの派手な能力じゃないんだけど。それにステイタスもなんか表示がおかしいし』
『ふむ。推測だが、それは記憶が消されたことに関係していると私は思う』
「……そうなのか。こんなに弱いのに魔皇直属護衛兵なのか、とも思ったけど」
『いや、ノウトは強かったよ。きみが本気になったらかつての私も手こずっただろうな』
「それはなんだか……凄いな」
『他人事みたいに言うな。ノウトのことだ。自信を持っていい』
「ありがとう。でも記憶が無くなって弱くなったんだろ? どうしたらいいんだ?」
『ああ、それなら問題ない。メフィがお前の記憶を戻せる筈だ』
「って、えぇ!? そんなこと可能なのか!?」
思ってもいなかった案件にに、ノウトはつい身を乗り出してしまった。
『私はあまり詳しくはないが一応、事前にお前とメフィで手筈を整えていたようだからな。封魔結界を越えたらメフィと落ち合え。場所はそうだな……』
ヴェロアが腕を組んで考える。
『うーん……。後々伝えよう。あいつらと相談して決めておく。お前には伝えられるわけだしな』
「分かった」
『今回はノウトがいるから封魔結界付近の罠は解除しておかないといけないな……』
ヴェロア何やらぶつぶつと独り言を言っていた。
『ノウトも頑張ってくれよ。お前にかかってるんだからな』
「分かってる。そう言えば、メフィや他の魔皇直属護衛兵、四天王のみんなで勇者を迎え撃てないのか?」
『可能ではあるな。ただ出来るだけ封魔結界を通ってこっち側に来る前に母体数を減らしておいて欲しいってのが正直な所だ』
「なるほど、……分かった」
『状況を整理したところ、前回の大戦では私が10人、ロストガンが5人、ノウトが4人、ラウラが1人の勇者を殺したってところだったな。メフィとユークが殺した数は正確ではないが、おそらく1~3人くらいだろう』
「なるほど。つまり、前回ヴェロアが担当した10人と俺が殺したっていう4人、合わせて合計14人の勇者を殺せれば安泰ってわけか」
『極端な話だが、そういう事だな。すでに一人を殺しているから単純計算であと13人だな』
「そう聞くと案外いけそうかも……」
『そう言って貰えると嬉しいよ』ヴェロアが微笑む。
──だが、ただ一つだけ問題がある。これが最大の難所だ。これを越えずに勇者全滅の命令を達成することは出来ない。
『……ノウト』
ヴェロアがその銀河色に輝く双眸をこちらに向けた。
『きみが懸念してるのは、殺すことへの罪悪感。良心の呵責。そうだろう?』




