018 日常を守る方法
「魔獣召喚のゲートは発生時、稀に削ったような石が周囲に散乱されている事がありますが、これを専門家の間ではストーンサークル、もしくは門石痕と呼ばれており、その原因としては未だわかっておらず、ゲート発生後に――」
単調な声色で響く朝の教室に、俺はあくびを噛み殺す。
魔術教師エイリオの開く授業では、魔獣が湧き出てくるゲートの解説がされていた。
一周目ではそれらの理論を応用して開発されたゲート発生呪文により魔界へと乗り込むことになる。
……しかし。
――今回の授業は外れだな。
魔術の使い方以外にはあまり興味がない。
そんな風に思いながら、俺はため息をつきつつ隣の席に視線を送る。
窓際の席に座ったウィルは、教科書を枕にして眠りこけていた。
……本当に自由なやつだよ。
苦笑しつつ、今度はそちらと逆の方に目を向ける。
そこではノンが手元の本に目を向けて読み込んでいる姿が見えた。
真面目に勉強している――と思いきや、その本は魔術理論の教科書には似ても似つかない分厚い本だった。
おそらく資料室から借りてきたのだろうが、何を読んでいるのだろうか……と思って首を伸ばす。
本の中には、イラスト付きで見たことのない化け物が描かれていた。
ノンがページをめくると、別の化け物が姿を現す。
ノンらしいといえば、ノンらしい本だ。
彼女はこちらの視線に気付くと、本の表紙をこちらに見せつけた。
――幻獣辞典。
どうやらこの世に存在するのかどうか疑わしい生き物をまとめた本らしい。
彼女はこちらの顔を見ると、くすりと笑って小声を出した。
「ウニの正体を調べようと思って」
ウニとは、森から拾って来た毛玉だ。
手足がなく、耳と尻尾があり、舌が大きな生き物。
――どこかで見たような記憶はあるのだが、それは一般的な生物ではないと思う。
「授業中に調べるとは、余裕だな……」
「ちゃんと聞いてるから大丈夫でーす」
彼女はそんなことを言いながら、手元の本のページをめくった。
どうやら耳で授業を聞きつつ、目では本を読んでいるらしい。
器用な奴だ。
彼女は目線を本から離さないまま、言葉を続ける。
「……あ、そうそう。授業が終わったらちょっと街に付き合ってもらえません?」
「……べつにいいが、なぜだ」
彼女の言葉に俺は眉をひそめる。
ノンは笑みを浮かべると人差し指を口の前に立ててこちらにウインクした。
「あとで教えます」
彼女はそう言って、本に視線を落とす。
……心当たりがない。
まさか……デートのお誘いという奴か?
「……いやいや、待て落ち着け」
俺は小声で自らの予想を否定する。
ノンが相手で嬉しいかと言えば、そんなに嬉しくはないが……。
いやダメだ勘違いするな。彼女にも失礼だろう。
……だが相手がまだ若い娘だからこそ、少し一緒に過ごしただけで勘違いしてしまうことがあるのかもしれない。
そうだ。だからこそ俺は大人としてきちんとした対応をしなければいけない。
「……だがいったいどうすれば」
女性の扱いなどわからない。
俺にわかるのは魔獣の扱いだけだ。
子供とはいえ相手を傷付けないように、それでいて分別のある大人として対応しなくては――。
そんなことを考えながら顔を上げると、こちらを見ている魔術教師エイリオと目があった。
「ロイ……? たしかに魔術理論は高尚ゆえ、平民がついていけないのを責めはしませんが、私語まで許可した覚えはありませんよ」
エイリオはねっとりと俺を名指しで非難する。
「よほど自ら語りたい話があるようですね。それならここで語ってもらっても構いませんが……?」
「いえ、結構です……」
「そう遠慮しなくてもいいんですけどねぇ……。ではあとで、魔術理論についてのレポートを提出してもらいましょう。あなたの話を聞いてあげるのですから、感謝しなさい」
「……ありがとうございます」
俺の言葉にエイリオは「フン」と鼻を鳴らして、板書に戻る。
……クソ。本当に外れだな、今回の授業は。
俺がそう思いながらため息をつくと、隣の席から笑いをこらえるような声が聞こえてきた。
――ノン、あとで泣かす。
* * *
「いやー久々に遊びに出たけど、都会は賑わってるねー。それにこれも美味しいー! うちの田舎とは全然味付け違うよー」
「ですよねですよね! ここの屋台評判いいんですよ、ケバブケバブー」
俺の前を二人の女が話しながら歩く。
俺はそのすぐ後を無言で歩いていた。
「ロイくんも食べれば良かったのに」
ノンが振り返ってそう言った。
授業の終わった後、ノンに呼び出されて行った先にはミカドが待っていた。
ノンが言うには、ウィルも誘ったらしいが別の約束があり来られなかったとのこと。
……デートではなく、単純に一緒に街へと遊びに来たかっただけらしい。ちなみに上級クラスは授業が休みで、そのタイミングに合わせたようだ。
……いつの間に二人は仲良くなったんだ?
俺は内心ノンのコミュ力に恐れを抱きつつ、彼女の言葉に答える。
「……金が無い」
勇者学校では食事が無料提供されるし衣服ぐらいなら申請すれば給付されるとはいえ、その他に金がもらえるわけではない。
特に金策をしていたわけでもないので、俺は金を持っていなかった。
ノンの横を歩いていたミカドが同じく振り返り、そのポニーテールを揺らした。
「おごるよ? 遠慮しなくていいのに」
「それは……さすがに申し訳ない。寮に帰れば飯もあるわけだし」
ミカドは貴族というだけあって、少しぐらい金は持っているようだ。
俺も多少なりとも自由にできる金は稼いでおかなければ、いざというときに困るかもしれない。
たとえば今現在も芳ばしい甘辛ダレで味付けされた肉の切り身の匂いに鼻孔をくすぐられて、俺は苦んでいるわけだし。
そんな俺に見かねてか、ミカドは手に持った肉串を差し出してくる。
「一口食べる? あーん」
ミカドが口を開きながら、俺の前に肉汁したたるそれを差し出した。
俺は一瞬、思考が止まる。
――い、いや待て! 今俺の鼓動が激しくなっているのは、突然それを目の前に差し出されて驚いただけで! 決してドキドキしたとかそういうことではない!
……だけど、彼女が口を付けたものを食べるのはなんだかいけないことのような気がした。
彼女の唇と舌に、目が吸い寄せられる。
思わず俺は唾を呑み込んだ。
「――あ、ロイくん食べないならわたしが!」
ノンがそう言って、横からミカドの肉にかぶりつく。
おっ――!
「――お前ぇー!!」
思わずノンを指さして叫び声を上げてしまった俺を見て、ミカドが笑った。
「あははは! なに、ロイさんそんなにお腹空いてたの?」
そ、そういうわけじゃないが!
動揺する俺に向かって、ノンが咀嚼した肉を飲み込みながら喋る。
「戦場は一瞬の油断が命取りですからね」
「……ここが戦場ならまずお前から狙ってるぞ。食い物の恨みは怖いからな」
「争いは何も生みません。お互いに譲り合って平和な世界を目指しましょう」
「一方的に横から奪い取った奴の言うセリフじゃない……」
俺の言葉に、ノンはくすくすと笑った。
いや笑い事じゃないが?
「――ロイくん、そうやって感情を出すの珍しいですよね」
「……そうか?」
ノンの言葉に、俺は首を傾げる。
――あんまり自覚はないが。
あまり表に出ているようなら、気を付けなくてはいけないかもしれない。
思わず俺は自身の頬を触った。
ノンは朗らかに微笑む。
「はい。会ったときと比べて、柔らかくなりましたよ。印象」
彼女の言葉に俺は複雑な感情を抱いた。
――もしかすると、肉体に精神が引っ張られているのかもしれない。
この肉体は俺が十七のときのものだ。
その頃の活動的な俺に、精神が戻りつつあるのだとしたら。
俺は首を横に振った。
「――冗談じゃない」
俺は復讐を胸にこの時間へと戻ってきたんだ。
その憎しみの炎は決して絶やすことはできない。
それを諦めることは、百年の地獄を生き抜いた俺自身を否定することになるのだから。
――だけど。
「……俺は元から陽気で優しいお兄さんだったろ?」
俺の冗談に、二人は吹き出した。
ミカドはお腹を抱えて笑った後、少し頷く。
「まあロイさん、いい人なのは嘘じゃあないけどね。ロイさんに言われた通りにしたら、うちのクラスもまとまってきたし」
ミカドはそう言って微笑んだ。
以前ミカドに上級クラスの取りまとめを依頼してからわずか一週間ほど。
着実にその成果は出て来ており、彼女は上級クラスのリーダー役として見られることが多くなってきたようだった。
ユリウスの下で一枚岩になってくれなければいい……ぐらいの気持ちだったが、それ以上の成果が出ているのは彼女の資質によるものだろう。
「ありがとね、ロイさん。クラスのみんながどんどん仲良くなってるのは、全部ロイさんのおかげだよ」
彼女はにこーっと笑う。
俺も肩をすくめて笑い返した。
「お前の実力さ」
――俺は何もしてない。
元から彼女に人を和ませる才能があっただけなのだろう。
俺はそっと日が傾いてきた空を見上げる。
ユリウスへの復讐は――必ずする。
だけど、この平和が続くというなら――。
「……そろそろ日が暮れそうだ。門限に間に合うように早く帰るぞ」
――この平和を守ることができるなら、そんな未来も悪くはないのかとは思う。
俺の言葉に、ノンが頷いた。
「最近魔獣が出るなんて話もありますしねー」
「あー、なんか森の方で見たとか? うちのクラスでも噂になってたよ」
「ほほー、それは面白そうな話」
ノンとミカドが笑って話す後ろを俺は着いていく。
街の西にある学校の宿舎を目指して歩きながら、のんびりした空気が流れる。
赤くなった太陽は、俺たちの影をゆっくりと伸ばしていった。
* * *
その晩は静かな新月の夜だったのを覚えている。
俺がなんとなく早朝に目を覚ましたのは、その異質な雰囲気を感じたからだろうか。
同室でウィルが眠りこける中、俺は部屋を抜け出し顔を洗いに外へと出た。
まだ昇りきっていない太陽が、薄暗い中庭を照らす。
早朝の鋭い寒さが肌を刺した。
この時間から活動している生徒はほとんどいない。
唯一俺が知っているのは、ミカドだ。
彼女はああ見えて血の滲むような努力を普段からしている。
一周目は単純に、どこまでストイックな女性なのだと思っていた。
しかし今思えば、彼女も譲れない何かの為に戦い続けていたのかもしれない。
その思いの一端でも聞けないだろうか、と思って、いつも彼女が自主訓練をしている中庭の外れへと歩きだす。
――それに遭遇したのは、そんな気まぐれによる偶然だった。
強烈な違和感。
そこにミカドの姿はない。
昨日久々に遊んだと言っていたし、いつも以上にはしゃいでいたようにも見える。
遊び疲れて今朝は眠っているのかもしれない。
しかし、そこには何かがいた。
――何者かが通った後。
草木がなぎ倒されている。
おそらく数は一、その大きさは――普通の動物よりも巨大。
それは言うならば、直感や第六感と言ったようなもの。
しかし全くの偶然や勘ではない。
俺が百年の間で培った、経験からくる危険への嗅覚。
ひりつくような空気を感じて身構えたそのとき。
――それと目が合った。
「あれは――」
中庭の隅に伏せこちらを見つめる赤い瞳。
昏い銀色の鋭い体毛が生えた、身の丈大人二人分はあろうかと言う狼のような生物。
二足で立ち上がったそれは裂けた口を広げ、牙を剥きだしにする。
その口元には何か赤い布がくわえられていた。
――その生き物と全く同じものを見たことがあるわけではない。
だがそれが放つ瘴気としか言えないような重い空気が、その存在がこの世界にいてはならない異質なものだということを表しているかのようだった。
「――魔獣」
確認するように、そう呟く。
まだ薄暗い早朝の霧の中、その魔獣は天を仰ぎ咆哮した。




