破れないフェイント
はい、青春ものです。
静まり返った道場内の、ピリッとした空気が、オレを捕らえるように纏わりついてきた。
捕まらないよう、それをを打ち払うように、ぐっと身体に力を入れる。
その時、竹刀の先が横に振れた。
――胴か?
取られないように一歩距離を詰める。
が、
「ドゥイヤァァァ!!」
バーン! と竹刀で面を打ち抜く音と共に、甲高い、周りからしたら奇声としか取れない掛け声が道場に響いた。
完全にいいところを打たれた。衝撃が防具を伝ってくる。
彼女は打ち抜いた後も、サッと振り返り、残心を欠かさない。
赤い旗が三本とも上がった。
オレの負けだ。また負けた。
中央で礼を交わし、コートから出る。
同時に、道場全体がピリッとした空気から解放される。
この組手の後は他の生徒が終わるまで、休憩時間となっている。
オレは悔しい気持ちを腹に残したまま、上級生と入れ替わりに、コートから出た。
まぁ、休憩時間と言っても強豪校であるこの高校では、暗黙のルールで反省の時間となっているのだが。
オレは面を取って、自分のペットボトルが置いてある場所に座り、敗因を自己分析する。
敗因は明らかに、フェイントに引っかかったせいだが、なぜ引っかかったのかということを考える必要がある。
あのタイミングの、あの竹刀の揺れ。
あれには確かに『打つぞ』という意志が篭っていた――気がする。実際にはフェイントだったので、打つ気は全くなかったのだが、まるで意志が込められているかのように見えたのだ。
それほどまでに彼女のフェイントは巧みで、素晴らしい技術だ。
……全く対策が思いつかない。
ペットボトルのキャップを取り、一気に半分ほど流し込んだ。
腹に、ちゃぷちゃぷと溜まっていく。
すぐに、この後の練習に響くかもしれないと後悔した。
その時ふと、練習試合に勝った彼女は、どうしているのだろうか、と思った。
コートの反対側を見てみると、目が合った。瞬間、にこぉっと彼女の口角が上がる。
バーンと面打ちの音が響く。旗は上がっていない。
彼女はすくっと立ち上がり、徐ろにこちらへと歩み寄って来た。
「どうしたんすか?」
二つ先輩である彼女に、慣れない敬語で話しかける。
「いやぁ、目が合ったなぁ〜って。ケンジくん、私のこと考えてた?」
試合の時とは打って変わっていたずらっぽい雰囲気を、彼女は放っている。
「……そりゃそうっすよ。反省の時間なんすから」
「ふ〜ん、反省かい。あ、ちょっとこれ貰うね」
「あ、ちょっと!」
彼女は側に置いていたペットボトルを取り、ゴクゴクと喉を鳴らし、ほとんどを飲んでしまった。
「ぷはぁー!! 助かったよ、今日は飲み物忘れてたんだぁ〜」
「先輩でもそんなミスあるんっすね」
「へへっ、私は剣道以外はからっきしだからね。それに対してケンジくんは勉強も出来てていいと思うよ? 次席でしょ?」
「よく知ってるっすねそんなこと」
首席のことならだいたいみんな知っているが、次席なんてほとんどの人が知らない、知ろうとしないのが普通だ。
彼女はいつも――剣道においては――一番だから、二番について知りたかったのかもしれない。
「まぁね。でね、本当はこれいいに来たんだけど、フェイントを仕掛ける側も、防ぐ側もね相手のことをなんでも知るぞっていうのが大事なんだよ。ていうのはね――」
「あぁ、ちょっと待って!」
いきなり真面目な話に切り替わるとは思わなかった。
オレは背後に固めて置いてあるカバンの中から自分のを見つけ、『剣道ノート』とシャーペンを取り出した。
「続きお願いするっす」
「いいね、君のそういうところすごくいいよ」
彼女は嬉しそうにニコニコと笑った。
オレはなんだか、恥ずかしくなり「うっす」とそれだけしか言えなかった。
その後、上機嫌に話す彼女の説明をしっかりとメモした。
「――ていうのが大事なのよ。わかった?」
「……うっす」
本当は、抽象的な表現が多すぎてイマイチわからなかったのだが、家でしっかりと理解し直す事にして、ここではわかったと答えておいた。
「じゃあ私を理解する手始めに、今日の放課後、一緒に帰ろ?」
「……うっす」
「よし! 早く、色んな私を知ってね。期待してるよ!」
……先輩に期待されてる。そう思った瞬間、また、バーンと面打ちの音が聞こえてきた。今度は白い旗が二本上がった。
「じゃあ、練習再開だね」
そう言って彼女は少し汗に濡れた、艶やかな黒髪をなびかせ、自分の場所に戻って行った。
オレは面をつけようとして、ふいに喉の渇きを覚え、彼女が残した一口で喉を潤した。
あ、間接キスだ。
そう思って彼女の方を見てみると、面を着けた彼女と目が合った――気がした。
それから彼女が在校している間、何度も何度も勝負を挑んだが、結局、彼女に剣道で勝つことはできなかった。
――今でも、勝てていない。彼女のアドバイスをちゃんと、完璧に実践したのに、だ。
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